とらぶるチョコレート

文月 青

文字の大きさ
上 下
43 / 48
橋本編  鬼畜の片想い

5

しおりを挟む
もしかして態度を変えられるのではないかと思っていたが、藪はその後も拍子抜けするくらいいつも通りだった。相変わらず口煩くて、がらが悪くて、老けていて、まるで何もなかったようなその様子は、俺を無性に安心させた。下手な詮索と安い同情だけはご免だったのだ。

「で、あんたはまた何をやってんだよ」

仕事帰りに足を向けた緑地公園で、小学生と走り回る大人を再び見かけた俺は、諦めのため息を洩らした。

「サッカー」

「そんなこたぁ分かってる」

訊いた俺が馬鹿だった。保護者に該当する年齢の藪は、先日のメンバーとサッカーに夢中になっている。子供達に負けず劣らず楽しそうだ。今日はパンツスーツのせいか動きも軽快。

「ほら橋本、加勢しな」

「ったく、人使いの荒い」

舌打ちをして仕方なく藪の隣に並ぶ。

「絵にならんツートップだな」

文句を吐きつつボールを蹴り出せば、あっという間に砂埃が舞った。小学生と一緒に俺を取り巻く藪の髪が、まるで馬の尻尾のように跳ねておかしくなる。

「全く元気なおばさんだ」

クリーニング行きであろう、汚れたスーツに呆れる俺の目には、生き生きと笑う藪の姿が映っていた。

「やべぇ、久々に本気でやっちまった」

ガキどもにせがまれて、あれこれ教えているうちに、またしても貴重な癒しの時間は失われ、夕闇の中俺はごろんと芝に転がっていた。じめっとした湿気と草の匂いに高校時代を懐かしむ。

「私も疲れた。これは明後日あたりにくるな」

「明後日?」

同じように仰向けに寝転ぶ藪に、顔だけを動かして訊ねる。

「筋肉痛だよ。最近次の日には出なくてさ」

「あぁ、それうちの親がよくぼやいてた。年を取ると痛みが数日後に出るから、何が原因か分からなくなるって」

やっぱりばばあじゃんと笑ってやると、藪は俺の額をぺちっと叩いた。

「そこまで年は取っとらん」

よほど疲れたのか手に力が入っていない。でも黒ずんでゆく空に浮かぶ、赤く染まった雲を気持ちよさそうに見上げている。

「それにしてもいいのか、スーツ」

払っても汚れの落ちなかった通勤服を指す。こんな格好でサッカーをする大人なぞ早々お目にかかれない。

「セール品だから。元々こういう服、堅苦しくて好きじゃないし」

店長宅で一緒に飯をご馳走になるときや、休日に偶然出くわしたときの藪は、確かにラフなシャツやジーンズを身に着けている。可愛らしい服が似合わないと自覚している故かと思ったが、単純に好みの問題だったわけだ。

「どのくらいの頻度で混ざってんだよ。服の数が持たんぞ」

「週に一、二のペースだよ。残業があったら無理だしさ」

「充分だろ」

少なくともうちの営業所の女性陣が、仕事帰りに子供とサッカーに明け暮れているなんて話は、ついぞ聞いたことがない。こいつはお淑やかという言葉を知らんのか。

「いいじゃん。余計なもんが全部吹っ飛んでくから、明日も頑張ろうって気になるんだよ」

ほんの少し声のトーンが落ちた。夜の帳が降り始めて藪の表情は分からないが、彼女の目は遠くに光を宿す星を捕らえているようだった。

「あんたもちったぁ煩悩が振り払えただろ」

「俺には煩悩なんざねーよ」

「そういや百戦錬磨とか言ってたもんなぁ」

相変わらずじーさん笑いをする藪。ワンコの野郎、ろくでもない噂を広めやがって。明日しばいてやる。

「まぁでも」

咳ばらいをしたついでに闇の力を借りる。

「気の毒そうな振る舞いをしなかった点については感謝する」

何の話か見当がついたのだろう。藪はすぐに笑いを引っ込めた。

「それは私も同じだ」

二人の間の空気が動き、藪がこちらを向いた。

「可哀想なんて言われたくはないからな」

結婚を止めたことを言っているのだろう。悪いが結婚願望がない俺にとっては、可哀想でも何でもないだけなんだが。

「自分で好きでやったことなのに、一方的に同情されても困らないか? 橋本は今の状況に不満はないんだろう?」

不満なんてない。奈央に自分を好きになって欲しいとか、茂木と別れて欲しいとか、全くもって微塵も思っていない。そんなことされたら逆に迷惑だ。断言する。

「だからあんたを気の毒がる理由が、私にはない」

きっぱりした藪の口調に俺はふっと目を細めた。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。

しげむろ ゆうき
恋愛
 男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない  そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった 全五話 ※ホラー無し

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

愛する義兄に憎まれています

ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。 義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。 許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。 2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。 ふわっと設定でサクっと終わります。 他サイトにも投稿。

【完結】王太子妃の初恋

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。 王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。 しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。 そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。 ★ざまぁはありません。 全話予約投稿済。 携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。 報告ありがとうございます。

裏切られたのは婚約三年目

ララ
恋愛
婚約して三年。 私は婚約者に裏切られた。 彼は私の妹を選ぶみたいです。

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

処理中です...