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奈央編
奈央さんという人 茂木視点
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午前中の配達を終えた橋本さんが営業所に戻ってきた。午後の業務の確認をしながら、昼食代わりのパンを齧っていた俺を、疲れたような表情で見下ろしている。
「お疲れ様です。お先してます」
労いの挨拶もそこそこに、橋本さんは俺の向かいに腰かけた。
「茂木」
「はい」
「あの生き物は何だ?」
意味が分からなかった。自宅でも実家でももちろん会社でも、ペットの類は一切飼っていない。配達区域で新種の生き物でも発見されたのだろうか。後で奈央さんに聞いてみよう。
「お前の惚れたお菓子屋の枯れ女だよ」
「奈央さんは枯れ女じゃありませんよ。失礼な」
腐っても先輩。奈央さんへの暴言は許せないが、礼を失してはいけない。
「最初に断っておくが、俺はあの女よりもお前の方が断然可愛いと思う」
「え?」
椅子ごと後ろに退いた俺に、橋本さんは勘違いするなと嘆息する。
「華やかさというか、若い女特有の熱というか、そういうもんがあの女からは感じられない…ないと思ってた」
何だか嫌な予感がする。
「あれ本当に何なんだろうな? 警戒しているわけでも、初心で無防備なわけでもないのに」
「何が言いたいんです?」
「俺でも判断がつかないんだよ。男を知ってるような知らないような」
それはとっくに気づいていた。極端な男嫌いだったり、男を怖がっているならまだ分かるのだ。でも男と一緒にいることに抵抗を示さない上に、愛情表現には恥じらいを見せる。でも気持ちは頑なで、必要以上に深入りしないしさせない。つまりアンバランスなのだ。
「タイプじゃないが、ちょっと落としてみたくなるよな」
黒い空気が橋本さんを取り囲んでいる。予感は当たった。だから好きな人が奈央さんだと教えたくなかった。特に配達区域のこの男には。
「橋本さん、女性には不自由してませんよね? 奈央さんには絶対に手を出さないで下さい!」
逞しいわりに体は引き締まっていて、話術も巧みな橋本さんは、実は社内でも集荷先でも結構人気がある。本人のポリシーで、仕事の関係者とは縁を作らないらしいが、本気になったらどう変わるか分からない。
そんなふうに懸念するのは、結局俺も橋本さんが好きだから。仕事振りや面倒見の良さは、やはり頼れる先輩ならでは。正直この人とは争いたくない。
「確約はできんがな」
これさえなければ本当にいい人なのに。鬼畜キューピーめ(by奈央さん)。
最初奈央さんは菓子店の店長夫妻の娘なのだと思っていた。だから紛らわしいのを避けるために、気安くも名前で呼ばせてもらっていたのだが、後に姪だということが判明。しかも三年前に突如として住み込みで働き始めたという。
「何があったのかは正直私達も知らないの」
俺を気に入ってくれた店長夫妻が、奈央さんがこの街に引っ越してきた経緯について教えてくれた。
「ただ姉さん、奈央ちゃんの母親から急に仕事を辞めたと聞いてね。気分転換に遊びにおいでと誘ったのよ。そうしたら現れたあの子は顔色は悪いわ覇気はないわ、綺麗に伸ばしていた髪はばっさり切っているわで驚いてね」
「奈央さん、髪が長かったんですか?」
「腰近くまであったわよ。それに今の姿からは想像し難いかもしれないけど、店長が作るお菓子とお喋りが大好きな、どちらかといえば女の子らしい子だったの。湊くんとお似合いなくらい」
そう言ってあやめさんが見せてくれた写真には、旅行先で友達と一緒に弾けるように笑っている長い髪の奈央さんがいた。きっとお洒落だったのだろう。一度も目にしたことがないワンピースと同色の靴が可愛らしい。これが6年前。
「失恋、のせいでしょうか」
その頃つきあっていたという彼氏には振られたのだろうか。それで自暴自棄になってしまったのだろうか。自分を見失うくらい好きだったのだろうか。
「それが一番該当する理由ではあるけど」
「あれで奈央はいい加減なことはできないタイプだから、例え失恋が直接の原因だとしても、いきなり会社を辞めるとは思えん。よほどのことがあった筈だ」
俺の手から写真を受け取って、店長が切なげにそれをみつめた。子供がいない二人にとって、事ある毎に連絡をくれていた奈央さんは、目の中に入れても痛くない存在。
「相手の男をぶん殴ってやりてぇわ」
憎々し気に唸る店長。当時奈央さんが実家を離れて一人暮らしをしていたこともあり、大丈夫だとは思うものの万が一の場合を考えて、店長夫妻が自分達の家に住むことを提案したのだそうだ。お店の手伝いも気が紛れればと勧めた。
「でも湊くんのお陰で奈央ちゃんが変わってきてる」
あやめさんが嬉しそうに笑む。これまでも常連のお客さんに見初められたり、周囲からお見合いの話を持ち込まれたりと、意外と奈央さんの恋人や伴侶に名乗りを上げる人は多かったらしい。枯れ女ハーブ女と称して、少々乱暴な対応を取っていても、しよっちゅう会っている人は隠された何かに気づくのだろう。
「ここに住んでから、家に連れてきたりお弁当を作ってあげた男の子、湊くんが初めてだもの」
だからね、とあやめさんが続けた。
「きっと今の奈央ちゃんを好きになってくれた湊くんには、自分から大事なことは話してくれると思うから、いつになるか分からないけれど、待っててあげて」
「頼むな、湊」
店長も頭を下げてくる。俺は慌てて両手を振った。
「もとよりいつまでも待つつもりでしたから」
奈央さんが自ら俺の懐に飛び込んでくれるまで。美味しそうにチョコレートを頬張る奈央さんに出会った、あの日からずっと。
「お疲れ様です。お先してます」
労いの挨拶もそこそこに、橋本さんは俺の向かいに腰かけた。
「茂木」
「はい」
「あの生き物は何だ?」
意味が分からなかった。自宅でも実家でももちろん会社でも、ペットの類は一切飼っていない。配達区域で新種の生き物でも発見されたのだろうか。後で奈央さんに聞いてみよう。
「お前の惚れたお菓子屋の枯れ女だよ」
「奈央さんは枯れ女じゃありませんよ。失礼な」
腐っても先輩。奈央さんへの暴言は許せないが、礼を失してはいけない。
「最初に断っておくが、俺はあの女よりもお前の方が断然可愛いと思う」
「え?」
椅子ごと後ろに退いた俺に、橋本さんは勘違いするなと嘆息する。
「華やかさというか、若い女特有の熱というか、そういうもんがあの女からは感じられない…ないと思ってた」
何だか嫌な予感がする。
「あれ本当に何なんだろうな? 警戒しているわけでも、初心で無防備なわけでもないのに」
「何が言いたいんです?」
「俺でも判断がつかないんだよ。男を知ってるような知らないような」
それはとっくに気づいていた。極端な男嫌いだったり、男を怖がっているならまだ分かるのだ。でも男と一緒にいることに抵抗を示さない上に、愛情表現には恥じらいを見せる。でも気持ちは頑なで、必要以上に深入りしないしさせない。つまりアンバランスなのだ。
「タイプじゃないが、ちょっと落としてみたくなるよな」
黒い空気が橋本さんを取り囲んでいる。予感は当たった。だから好きな人が奈央さんだと教えたくなかった。特に配達区域のこの男には。
「橋本さん、女性には不自由してませんよね? 奈央さんには絶対に手を出さないで下さい!」
逞しいわりに体は引き締まっていて、話術も巧みな橋本さんは、実は社内でも集荷先でも結構人気がある。本人のポリシーで、仕事の関係者とは縁を作らないらしいが、本気になったらどう変わるか分からない。
そんなふうに懸念するのは、結局俺も橋本さんが好きだから。仕事振りや面倒見の良さは、やはり頼れる先輩ならでは。正直この人とは争いたくない。
「確約はできんがな」
これさえなければ本当にいい人なのに。鬼畜キューピーめ(by奈央さん)。
最初奈央さんは菓子店の店長夫妻の娘なのだと思っていた。だから紛らわしいのを避けるために、気安くも名前で呼ばせてもらっていたのだが、後に姪だということが判明。しかも三年前に突如として住み込みで働き始めたという。
「何があったのかは正直私達も知らないの」
俺を気に入ってくれた店長夫妻が、奈央さんがこの街に引っ越してきた経緯について教えてくれた。
「ただ姉さん、奈央ちゃんの母親から急に仕事を辞めたと聞いてね。気分転換に遊びにおいでと誘ったのよ。そうしたら現れたあの子は顔色は悪いわ覇気はないわ、綺麗に伸ばしていた髪はばっさり切っているわで驚いてね」
「奈央さん、髪が長かったんですか?」
「腰近くまであったわよ。それに今の姿からは想像し難いかもしれないけど、店長が作るお菓子とお喋りが大好きな、どちらかといえば女の子らしい子だったの。湊くんとお似合いなくらい」
そう言ってあやめさんが見せてくれた写真には、旅行先で友達と一緒に弾けるように笑っている長い髪の奈央さんがいた。きっとお洒落だったのだろう。一度も目にしたことがないワンピースと同色の靴が可愛らしい。これが6年前。
「失恋、のせいでしょうか」
その頃つきあっていたという彼氏には振られたのだろうか。それで自暴自棄になってしまったのだろうか。自分を見失うくらい好きだったのだろうか。
「それが一番該当する理由ではあるけど」
「あれで奈央はいい加減なことはできないタイプだから、例え失恋が直接の原因だとしても、いきなり会社を辞めるとは思えん。よほどのことがあった筈だ」
俺の手から写真を受け取って、店長が切なげにそれをみつめた。子供がいない二人にとって、事ある毎に連絡をくれていた奈央さんは、目の中に入れても痛くない存在。
「相手の男をぶん殴ってやりてぇわ」
憎々し気に唸る店長。当時奈央さんが実家を離れて一人暮らしをしていたこともあり、大丈夫だとは思うものの万が一の場合を考えて、店長夫妻が自分達の家に住むことを提案したのだそうだ。お店の手伝いも気が紛れればと勧めた。
「でも湊くんのお陰で奈央ちゃんが変わってきてる」
あやめさんが嬉しそうに笑む。これまでも常連のお客さんに見初められたり、周囲からお見合いの話を持ち込まれたりと、意外と奈央さんの恋人や伴侶に名乗りを上げる人は多かったらしい。枯れ女ハーブ女と称して、少々乱暴な対応を取っていても、しよっちゅう会っている人は隠された何かに気づくのだろう。
「ここに住んでから、家に連れてきたりお弁当を作ってあげた男の子、湊くんが初めてだもの」
だからね、とあやめさんが続けた。
「きっと今の奈央ちゃんを好きになってくれた湊くんには、自分から大事なことは話してくれると思うから、いつになるか分からないけれど、待っててあげて」
「頼むな、湊」
店長も頭を下げてくる。俺は慌てて両手を振った。
「もとよりいつまでも待つつもりでしたから」
奈央さんが自ら俺の懐に飛び込んでくれるまで。美味しそうにチョコレートを頬張る奈央さんに出会った、あの日からずっと。
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