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再会編
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お祖父ちゃん達のいびき合戦で目を覚ました私は、こっそり部屋を抜け出して公園にきていた。どんなときでも連れ合いの横で眠れるお祖母ちゃん達に感心しながら、自分には小さいブランコに座って揺らす。月の出ていない夜の湿った風が頬に張り付いた。
「文緒は夜になるといなくなる」
昼間の雨でぬかるんだ場所を避けて、大輔がゆっくりこちらに歩いてくる。
「こんな時間に一人で外に出るな」
隣で寝ていた筈なのに、彼はいつも私の行動に気づくから不思議だ。
「どうして分かるの?」
「寝たふりしてるからだよ」
無理やりブランコに収まって、大輔が狭いなとぼやく。
「寝たふり?」
「文緒の横にいて熟睡できる程、俺は図太くない」
こつんと私の頭を軽く叩いて、口をへの字に曲げる。また拗ねているらしい。
「本当に心配したんだからな」
連絡もせずにお祖父ちゃんの家に来たことを責めているのだろうか。でも大輔は私と口をきいてくれなかったし、急を要していたし。
「他の男の口からお前のことを知らされる、俺の気持ちも少し分かれ」
「大輔だって、二階さんのこと話してくれなかったじゃん」
「つきあっているんでもないのに、何を報告しろってんだ」
口調が苛々している。私は良かれと思って水野さんに事情を伝えて、実際そのお陰で大輔はここにいるのに、一体何がそんなに気に入らないのだろう。
「私はね、大輔。大輔とはお祖父ちゃん達みたいに一生つきあっていくんだと、頭で考えるんじゃなくて、自分の中に自然にそういう気持ちがあったんだ」
「それは、俺だって」
「うん。でも二階さんと大輔がつきあったら、私は一緒にキャッチボールすらできなくなると、この前二人が一緒に帰っている姿を見て、初めて意識した。ああ、そうか。大輔に好きな人ができたら、私はむしろ邪魔になっちゃうのかって」
「お前が邪魔にって…」
大輔は絶句している。私はお祖父ちゃんのアパートを振り返った。部屋を出てくるときは、お祖父ちゃんは穏やかな寝息を立てていた。時々薄手の毛布をかけ直すお祖母ちゃんが、その都度ほっとしたように表情を緩めていた。私と大輔の関係は二人とは違うものなのだろうか。だからずっと一緒にはいられないのだろうか。
「荒木のじいさん、どうなんだ?」
私の視線を追うようにアパートを眺める大輔が、それまで一度も口にしなかったことを訊ねた。
「命に別状はないって。本人も疲れが出ただけだって言ってる」
「うちの祖父ちゃん達も同じだけど、俺達がでかくなったんだ。当然年は取る。でもやっぱりいつも怒鳴っていて欲しいよな。下手くそって」
お祖父ちゃんは私のすることに反対をしたことはなかった。高校時代に女子軟式野球同好会を作ると伝えたときも、家族は難色を示したのに文緒らしいとなと笑って、後悔しないようにやってみろと黙って見守ってくれていた。そんなお祖父ちゃんの背中が、いつも自分の前にあるのだと信じていた。
「慌ててこっちに来たから、俺は明日一旦帰る。文緒はどうする?」
どうしようか。私は答えずにずっとお祖父ちゃん達が眠る部屋を見上げていた。
「文緒、キャッチボールしないか」
朝食を済ませて後片付けも終えた頃、グローブを持ったお祖父ちゃんにこっそり耳打ちされた。他のお祖父ちゃん達は新聞やテレビを観たり、お祖母ちゃん達は昼食の下ごしらえを始めている。
「大丈夫だ。無理はせん。お前やみんなのためにもな」
返事に迷う私の意を汲み取ったのだろう。お祖父ちゃんはそう約束してくれた。なのでまるで悪戯を企む子供のように、私達はグローブを隠し持ってこそこそと部屋を後にした。
公園には誰もいなかった。空はまだどんよりとしていたけれど、昨夜ぬかるんでいた場所は渇き始めている。私は後ろに下がりながらお祖父ちゃんとの距離を開けた。
「行くぞ」
準備体操をしていたお祖父ちゃんが、体が解れたところで緩い球を放ってきた。私はその力のない球を捕って、自分もやんわりと返す。肩慣らしをするように、しばらく無言でやり取りを続けた後、お祖父ちゃんが徐に口を開いた。
「野球が好きでも、始めることすらできない人がいると、昨日言っていたな」
大学の女子軟式野球サークルの人達のことだ。
「まだ本人達の気持ちは確かめていないけど、やる気があって入会したのに、指導者がいなくなって活動できなくなったって聞いたの。そんなの勿体ないじゃん?」
肩が温まったのか少し強めの球を投げてくるお祖父ちゃん。でも息は上がっていないし怠そうでもない。ばしっという響きに口元が綻んでしまう。
「文緒は岸監督のようになりたいのかもしれんな」
同じように力を込めた私のボールを受けて、お祖父ちゃんが皺だらけの顔でにっと笑った。
「岸監督?」
それは指導者という意味なのだろうか。監督のことは尊敬しているけれど、そんな大それたこと考えたこともなかった。
「きっと闘う以前に、野球の楽しさを教えたいのだろう。性別や年齢や経験や上手下手を問わず、誰にでも」
再び投げ返されてきたボールが、ずしっと手の中で重みを増す。私はグローブをそっと開いた。最後にでこぼこの球場を転がっていたかつて白かった球。
「たぶん私の原点はお祖父ちゃんととうもろこし畑だよ」
お祖父ちゃんは嬉しそうに目を細めた。
「お前が根を下ろした場所が、きっととうもろこし畑になる」
私が思い切り投げ込んだボールを難なく捕らえたお祖父ちゃんは、「フィールド・オブ・ドリームス」に登場したメジャーリーガーみたいに雄々しく見えた。
「文緒は夜になるといなくなる」
昼間の雨でぬかるんだ場所を避けて、大輔がゆっくりこちらに歩いてくる。
「こんな時間に一人で外に出るな」
隣で寝ていた筈なのに、彼はいつも私の行動に気づくから不思議だ。
「どうして分かるの?」
「寝たふりしてるからだよ」
無理やりブランコに収まって、大輔が狭いなとぼやく。
「寝たふり?」
「文緒の横にいて熟睡できる程、俺は図太くない」
こつんと私の頭を軽く叩いて、口をへの字に曲げる。また拗ねているらしい。
「本当に心配したんだからな」
連絡もせずにお祖父ちゃんの家に来たことを責めているのだろうか。でも大輔は私と口をきいてくれなかったし、急を要していたし。
「他の男の口からお前のことを知らされる、俺の気持ちも少し分かれ」
「大輔だって、二階さんのこと話してくれなかったじゃん」
「つきあっているんでもないのに、何を報告しろってんだ」
口調が苛々している。私は良かれと思って水野さんに事情を伝えて、実際そのお陰で大輔はここにいるのに、一体何がそんなに気に入らないのだろう。
「私はね、大輔。大輔とはお祖父ちゃん達みたいに一生つきあっていくんだと、頭で考えるんじゃなくて、自分の中に自然にそういう気持ちがあったんだ」
「それは、俺だって」
「うん。でも二階さんと大輔がつきあったら、私は一緒にキャッチボールすらできなくなると、この前二人が一緒に帰っている姿を見て、初めて意識した。ああ、そうか。大輔に好きな人ができたら、私はむしろ邪魔になっちゃうのかって」
「お前が邪魔にって…」
大輔は絶句している。私はお祖父ちゃんのアパートを振り返った。部屋を出てくるときは、お祖父ちゃんは穏やかな寝息を立てていた。時々薄手の毛布をかけ直すお祖母ちゃんが、その都度ほっとしたように表情を緩めていた。私と大輔の関係は二人とは違うものなのだろうか。だからずっと一緒にはいられないのだろうか。
「荒木のじいさん、どうなんだ?」
私の視線を追うようにアパートを眺める大輔が、それまで一度も口にしなかったことを訊ねた。
「命に別状はないって。本人も疲れが出ただけだって言ってる」
「うちの祖父ちゃん達も同じだけど、俺達がでかくなったんだ。当然年は取る。でもやっぱりいつも怒鳴っていて欲しいよな。下手くそって」
お祖父ちゃんは私のすることに反対をしたことはなかった。高校時代に女子軟式野球同好会を作ると伝えたときも、家族は難色を示したのに文緒らしいとなと笑って、後悔しないようにやってみろと黙って見守ってくれていた。そんなお祖父ちゃんの背中が、いつも自分の前にあるのだと信じていた。
「慌ててこっちに来たから、俺は明日一旦帰る。文緒はどうする?」
どうしようか。私は答えずにずっとお祖父ちゃん達が眠る部屋を見上げていた。
「文緒、キャッチボールしないか」
朝食を済ませて後片付けも終えた頃、グローブを持ったお祖父ちゃんにこっそり耳打ちされた。他のお祖父ちゃん達は新聞やテレビを観たり、お祖母ちゃん達は昼食の下ごしらえを始めている。
「大丈夫だ。無理はせん。お前やみんなのためにもな」
返事に迷う私の意を汲み取ったのだろう。お祖父ちゃんはそう約束してくれた。なのでまるで悪戯を企む子供のように、私達はグローブを隠し持ってこそこそと部屋を後にした。
公園には誰もいなかった。空はまだどんよりとしていたけれど、昨夜ぬかるんでいた場所は渇き始めている。私は後ろに下がりながらお祖父ちゃんとの距離を開けた。
「行くぞ」
準備体操をしていたお祖父ちゃんが、体が解れたところで緩い球を放ってきた。私はその力のない球を捕って、自分もやんわりと返す。肩慣らしをするように、しばらく無言でやり取りを続けた後、お祖父ちゃんが徐に口を開いた。
「野球が好きでも、始めることすらできない人がいると、昨日言っていたな」
大学の女子軟式野球サークルの人達のことだ。
「まだ本人達の気持ちは確かめていないけど、やる気があって入会したのに、指導者がいなくなって活動できなくなったって聞いたの。そんなの勿体ないじゃん?」
肩が温まったのか少し強めの球を投げてくるお祖父ちゃん。でも息は上がっていないし怠そうでもない。ばしっという響きに口元が綻んでしまう。
「文緒は岸監督のようになりたいのかもしれんな」
同じように力を込めた私のボールを受けて、お祖父ちゃんが皺だらけの顔でにっと笑った。
「岸監督?」
それは指導者という意味なのだろうか。監督のことは尊敬しているけれど、そんな大それたこと考えたこともなかった。
「きっと闘う以前に、野球の楽しさを教えたいのだろう。性別や年齢や経験や上手下手を問わず、誰にでも」
再び投げ返されてきたボールが、ずしっと手の中で重みを増す。私はグローブをそっと開いた。最後にでこぼこの球場を転がっていたかつて白かった球。
「たぶん私の原点はお祖父ちゃんととうもろこし畑だよ」
お祖父ちゃんは嬉しそうに目を細めた。
「お前が根を下ろした場所が、きっととうもろこし畑になる」
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