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再会編
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朝のランニングを終えてお祖父ちゃんのアパートに戻ると、お祖母ちゃん達が狭いキッチンで、和気あいあいと食事の支度を始めていた。昨夜なるべく静かに酒盛りしていたじいさま組は、まだぐーすか夢の中だ。どこでも雑魚寝できるのがまた凄い。
「お祖母ちゃん、卵焼きの作り方教えて」
ちょうど卵を割っていたお祖母ちゃんの背中に、ぴたっと張り付いてお願いすると、彼女はいいわよと笑って場所を開けてくれた。
「分量をちゃんと計っているのに、私が作ると毎回違う味になるんだよね。大輔は文句言わないで食べてくれるけど」
あらあらと手を口元に持っていくお祖母ちゃん。板倉のお祖母ちゃんもぱあっと表情を明るくして、私の隣に並んだ。
「大輔と一緒にご飯を食べてるの?」
「夜は殆ど一緒に作ってるよ」
「なあんだ、そうなの」
きゅうりの漬物をリズミカルに切りながら、板倉のお祖母ちゃんはふんふんと鼻歌まで歌い出す。上福元のお祖母ちゃんがそれに合わせて、また全然別の歌を歌っているので、曲が何だか分からない。
「で、大輔は文緒ちゃんの部屋に泊まっていくの?」
味噌汁担当の小沢のお祖母ちゃんが、お玉を抱きしめて目を輝かせている。
「ううん、帰るよ。自分の部屋じゃないと眠れないんだって」
菜箸で卵をほぐしつつ、私は似たような動きで首を振った。お祖母ちゃんの指示で卵に出し汁、酒、砂糖、塩、醤油を加えて更に混ぜる。
「まあそうでしょうけど。つまんないわね」
がっかりする小沢のお祖母ちゃんに、そういえばとつけ足す。
「一回だけ泊まったことがあった」
「それでそれで?」
「お互い疲れてぐーすか寝てた」
私の返事に一斉に肩を落としたお祖母ちゃん達は、
「やっぱり板倉ヘタレだわね」
やれやれと洩らした上福元のお祖母ちゃんの一言に、今度は大爆笑したのだった。何がおかしいのか分からない私は、フライパンにくっつきそうな卵焼きを、フライ返しで突いては必死に巻き込んでいた。
「ねえ、文緒ちゃん。大輔には本当に他に彼女がいるの?」
朝食の準備が整うと共に、ぞろぞろと起きてきたじいさま達を座らせた後、板倉のお祖母ちゃんが訊ねてきた。和室に並べたテーブルが、村での朝食風景と重なる。
「はっきりつきあっているかどうかは聞いてないけど、大学でも野球部でも帰りも、いつもその人と一緒だよ」
自分が焼いた卵焼きを頬張りながら、これなら大輔も満足するかなと考えて、もうそれは私の役目じゃないことを思い出す。
この十日程はトレーニングも一人で、キャッチボールすらできない毎日は、やけに物足りなくて。
「でもあの二人がつきあったら、気軽に板倉とキャッチボールなんてできなくなるよ?」
石井さんの台詞をようやく理解した。
「あの野郎、お灸を据えんとな」
かぼちゃの煮物を口に放り込んで、小沢のおっちゃんが唸ったけれど、座椅子に寄りかかってご飯を食べていたお祖父ちゃんが、それをやんわりいなした。
「大輔に好いた人がいるなら仕方ないだろう。強制してどうにかなるわけでもない。ひ孫も一緒に野球をしてみたかったが」
この場合のひ孫とは、私と大輔の子供ということだろうか。気が早いというか、本人が全く想像できない。
「じゃあ試合の続きはどうなるの?」
ぽりぽりと漬物を齧って、上福元さんが誰にともなく呟いた。みんなそっと私の方を窺う。
「私も友達ならキャッチボールは続けられると、呑気に考えていたんだけど、彼女の立場になってみるように諭された」
お祖父ちゃん達のように、大輔とは一生つきあっていくものだと勝手に思っていた。でも二階さんが現れて初めて、それが不可能なのだと知った。もう乗り越えたつもりだったのに、やはり自分が男だったらと願わずにはいられない。
「大輔のお陰で大学にもすぐ慣れたし、野球部の人達とも仲良くなれた。お祖父ちゃんやお祖母ちゃん達との約束を守って、煩いくらい過保護だったけどね」
「約束?」
板倉のお祖母ちゃんが目を瞬く。
「あれ? 私の面倒をみるように言ってたんでしょ?」
聞き返す私にお祖母ちゃんは首を傾げた。
「悪い虫がつかないようにしっかり捕まえておきなさい。お盆には花嫁衣装の準備をするから、必ず連れ帰ってきなさい。私が申しつけたのはこれだけよ」
そこに怪訝な表情の板倉のお祖父ちゃんが口を挟んだ。
「まさか大輔は、文緒に何も言ってないのか?」
「何もって?」
おうむ返しに答える私に、その場にいた全員が昨日同様、「はーっ?」と声を合わせる。
「五年前から進展してねーのかよ、おい」
「本当に板倉ヘタレのままじゃないの」
食事中なのに騒然となった室内に、今度はチャイムが鳴り響く。悪戯のように繰り返されるピンポンに、お祖母ちゃんがドアを開けると、
「文緒! 何で黙っていなくなった!」
どこから走ってきたのか、汗だくの大輔がいきなり転がり込んできた。図らずもとうもろこし畑のメンバーが勢揃いした瞬間だった。
「お祖母ちゃん、卵焼きの作り方教えて」
ちょうど卵を割っていたお祖母ちゃんの背中に、ぴたっと張り付いてお願いすると、彼女はいいわよと笑って場所を開けてくれた。
「分量をちゃんと計っているのに、私が作ると毎回違う味になるんだよね。大輔は文句言わないで食べてくれるけど」
あらあらと手を口元に持っていくお祖母ちゃん。板倉のお祖母ちゃんもぱあっと表情を明るくして、私の隣に並んだ。
「大輔と一緒にご飯を食べてるの?」
「夜は殆ど一緒に作ってるよ」
「なあんだ、そうなの」
きゅうりの漬物をリズミカルに切りながら、板倉のお祖母ちゃんはふんふんと鼻歌まで歌い出す。上福元のお祖母ちゃんがそれに合わせて、また全然別の歌を歌っているので、曲が何だか分からない。
「で、大輔は文緒ちゃんの部屋に泊まっていくの?」
味噌汁担当の小沢のお祖母ちゃんが、お玉を抱きしめて目を輝かせている。
「ううん、帰るよ。自分の部屋じゃないと眠れないんだって」
菜箸で卵をほぐしつつ、私は似たような動きで首を振った。お祖母ちゃんの指示で卵に出し汁、酒、砂糖、塩、醤油を加えて更に混ぜる。
「まあそうでしょうけど。つまんないわね」
がっかりする小沢のお祖母ちゃんに、そういえばとつけ足す。
「一回だけ泊まったことがあった」
「それでそれで?」
「お互い疲れてぐーすか寝てた」
私の返事に一斉に肩を落としたお祖母ちゃん達は、
「やっぱり板倉ヘタレだわね」
やれやれと洩らした上福元のお祖母ちゃんの一言に、今度は大爆笑したのだった。何がおかしいのか分からない私は、フライパンにくっつきそうな卵焼きを、フライ返しで突いては必死に巻き込んでいた。
「ねえ、文緒ちゃん。大輔には本当に他に彼女がいるの?」
朝食の準備が整うと共に、ぞろぞろと起きてきたじいさま達を座らせた後、板倉のお祖母ちゃんが訊ねてきた。和室に並べたテーブルが、村での朝食風景と重なる。
「はっきりつきあっているかどうかは聞いてないけど、大学でも野球部でも帰りも、いつもその人と一緒だよ」
自分が焼いた卵焼きを頬張りながら、これなら大輔も満足するかなと考えて、もうそれは私の役目じゃないことを思い出す。
この十日程はトレーニングも一人で、キャッチボールすらできない毎日は、やけに物足りなくて。
「でもあの二人がつきあったら、気軽に板倉とキャッチボールなんてできなくなるよ?」
石井さんの台詞をようやく理解した。
「あの野郎、お灸を据えんとな」
かぼちゃの煮物を口に放り込んで、小沢のおっちゃんが唸ったけれど、座椅子に寄りかかってご飯を食べていたお祖父ちゃんが、それをやんわりいなした。
「大輔に好いた人がいるなら仕方ないだろう。強制してどうにかなるわけでもない。ひ孫も一緒に野球をしてみたかったが」
この場合のひ孫とは、私と大輔の子供ということだろうか。気が早いというか、本人が全く想像できない。
「じゃあ試合の続きはどうなるの?」
ぽりぽりと漬物を齧って、上福元さんが誰にともなく呟いた。みんなそっと私の方を窺う。
「私も友達ならキャッチボールは続けられると、呑気に考えていたんだけど、彼女の立場になってみるように諭された」
お祖父ちゃん達のように、大輔とは一生つきあっていくものだと勝手に思っていた。でも二階さんが現れて初めて、それが不可能なのだと知った。もう乗り越えたつもりだったのに、やはり自分が男だったらと願わずにはいられない。
「大輔のお陰で大学にもすぐ慣れたし、野球部の人達とも仲良くなれた。お祖父ちゃんやお祖母ちゃん達との約束を守って、煩いくらい過保護だったけどね」
「約束?」
板倉のお祖母ちゃんが目を瞬く。
「あれ? 私の面倒をみるように言ってたんでしょ?」
聞き返す私にお祖母ちゃんは首を傾げた。
「悪い虫がつかないようにしっかり捕まえておきなさい。お盆には花嫁衣装の準備をするから、必ず連れ帰ってきなさい。私が申しつけたのはこれだけよ」
そこに怪訝な表情の板倉のお祖父ちゃんが口を挟んだ。
「まさか大輔は、文緒に何も言ってないのか?」
「何もって?」
おうむ返しに答える私に、その場にいた全員が昨日同様、「はーっ?」と声を合わせる。
「五年前から進展してねーのかよ、おい」
「本当に板倉ヘタレのままじゃないの」
食事中なのに騒然となった室内に、今度はチャイムが鳴り響く。悪戯のように繰り返されるピンポンに、お祖母ちゃんがドアを開けると、
「文緒! 何で黙っていなくなった!」
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