声を聴かせて

文月 青

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好きになっただけなのに

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家に送っていった相原が自室に引っ込んだ後、俺は陸の看病のために仕事を休んでいた二人の母親に、彼女の身の上に起こった出来事を伝えた。もちろん自分の母親と姉の非道な行いも包み隠さず。どんな叱責を受けても言い訳はできないと項垂れる俺に、相原の母親は苦笑しながら頭を上げてと言った。

「考え方は人それぞれ。それをどうこうすることはできないわ。西崎くんのご家族の意見もまた然り。だから気にしないで」

和室のテーブルで膝をつき合わせる俺に、相原同様コーヒーを勧めてくれる。褐色の飲み物を眺めながら、俺は肩を落とした。

「でも」

「陸の父親はね。こんな頭のおかしな子を産んでと私を責めたの。それも陸本人の前でよ? 酷いでしょ。身内でもこうなのよ」
 
あっけらかんと話すお袋さんに息を呑む。

「自分の子が健常じゃないと知って、やり切れなかったんでしょうけど、当時は私も余裕がなくてね。子供を守らない父親なんて要らないって啖呵切っちゃった。で、母子家庭ね」

相原の自宅は市営住宅の一室。収入に応じて家賃が算定されると聞いた。民間の住宅を借りるよりは安いにしても、子供二人を抱える生活は決して楽ではないだろう。それでも三人の暮らしを選んだ。悩んだ末の決断に違いない。少なくとも堪え性がなかったなんて甘い理由じゃない。

「ただ子供達には悪かったと思ってる。自分だけが苦労を背負うならいいけど、結局海も陸も苦しむんだものね」

お袋さんは一瞬表情を歪めたが、でもと言ってまたすぐに笑みを浮かべた。

「今日のことは辛かっただろうけど、溜め込んでいたものを吐き出せた点については良かったかも」

やはり気づいていたのだろう。相原が抑え続けてきたきた本音に。

「海はね、我儘も愚痴も不満も何にも言わないの。いつもにこにこ笑って、例え自分が悪くなくても頭を下げて、もっと好き勝手していいのに周囲との軋轢を生まないようにしてる。きっといい子じゃないと私が困ると思っているんでしょうね」

ーーそんな親の子供だから障害なんか持っているのね。

さっきの姉の言葉が脳裏を過ぎった。だからいつも必要以上に周囲に気を使って、相手のために頭を下げて。母親や陸に迷惑がかからぬよう、相原は必死で笑っていたのだ。まだ十代の高校性だというのに。

「夏ぐらいからかな、あの子家で西崎くんの話をするようになってね。最初は不機嫌なお兄さんだと怖がっていたのに、陸のことを知っても自分達から離れていかなかったって嬉しそうに笑ってた。作り物じゃない海の笑顔、そのとき久し振りに見た」

不機嫌なお兄さん…。まあ事実ではあるが、第一印象は相当悪かったんだな。ちょっと落ち込む。

「海は西崎くんのことが好きみたいね。気づいてた?」

俺はのろのろと首を振った。

「全く。ただ相原が覚えているかどうかは分かりませんが、さっきぽろっと」

好きになっただけなのに。何にも望まない、会えるだけでいいと。こんな好きになり方哀し過ぎて心が折れそうになった。

「西崎くんは? 今村くんが自覚無しの初恋だって言ってたけど」

あの野郎、余計なこと洩らしやがって。お袋さんじゃなく俺に教えてくれればいいものを。俺はがっとコーヒーを煽った。腹を括って口を割る。

「さっき同時進行で自覚しました」

「海には?」

「まだ」

声を殺して泣いている相原を抱き締めながら、他の誰でもない自分が彼女を守りたいと心底思った。想うだけでよかったと零した相原を、同じくらい、いやそれ以上に想ってやりたかった。初めて相原を可愛いと感じた日から、きっとあいつに惹かれていたんだろう。

「でも俺が傍にいてもいいのかと」

お袋さんは目を瞬いた。

「俺と一緒にいると、逆に辛いことばかりじゃないかと」

母親も姉も彩も、相原を傷つけるのは全て俺の周囲の人間だ。二人がつきあったら、ますます相原を追い込む結果になりそうな気がした。

「そこは海と西崎くんの問題だから、私が口を挟むことじゃないけど、海が望んでいるのは君が傍にいることじゃないのかしらねえ」

何にも望まない相原の望みが、俺の傍にいること…。考え込む俺にお袋さんはふふっと相原によく似た顔で笑った。

「先週のお弁当、美味しかった?」

唐突な話題の変換に戸惑いつつ、慌ててお礼を伝える俺。

「はい。すみません。いつもありがとうございます」

「違う違う。それは楽しみでやっていることだからいいの。でも先週はね、海が一人で作ったのよ」

今度は俺が驚いて目を見開いた。不安げに美味しいですかと訊ねた相原と、美味いの一言に顔を輝かせた相原が重なる。俺が無意識に放った言葉だけで、あいつ…!

「答えは自ずと出たかな」

俯く俺にお袋さんは優しく囁いた。






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