声を聴かせて

文月 青

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好きになっただけなのに

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イベントに参加した翌日だったろうか。結果報告をするために坂井に会った際、彼は今村の体を心配していた。怪我をしたという噂を耳にしたからと。俺は精力的に動き回る今村の姿から、勝手に元気そうだと判断し、常に体を鍛えている奴はやはり違うと思った。

「やっぱり怪我をしたというのは…」

坂井が苦渋に顔を歪めた。

「本当だ。もう一年になる」

相原や陸に関わり始めた頃と時期が重なる。

陸上を極めるために入学した体育大学で、練習中に肝心の足を痛めてしまった今村は、通常の生活には何ら支障はないものの、アスリートとしての道は断たれてしまったのだそうだ。なまじ高校時代の記録ホルダーであったために、周囲からは悲劇のアスリートと揶揄されたという。

「しばらくは腐ってたよ。大学に通う理由はなくなったし、彼女は皮肉にも俺のライバルとつきあい出すし、もう何もかもどうでもよくなってな」

長い間目標としてきたものを失い、未来さきが見えなくなって家に引きこもりがちだった今村に、このサークルの活動を手伝わないかと声をかけたのは、同じように怪我で陸上を断念した一つ上の先輩だった。

「正直うざい、迷惑だと思った。放っておいてくれればいいのにって。でも直接指導をされたことはなくても、先輩アスリートには違いないから、顔を立てるつもりで一度だけ足を運んだんだ」

そこで陸や相原を始めとする、発達に悩みを抱えた子供と家族に出会った。これまで全く接したことがない子供達に、初めは右往左往するだけだった。何せ言葉が通じない。喋っても意味を為さない。おまけに他人を拒否する子や喚いているだけの子もいる。

「俺にとっては謎の集団だったよ。今まで培ってきたことが全く役に立たないうえに、行動原理もさっぱり分からない」

もう二度と関わりたくないと断った今村を、先輩は何度も引っ張り出した。そうして繰り返し繰り返し子供達と会っているうちに、彼らの僅かな心の動きを感じるようになった。相手が自分の存在を認めて、必要としていることが伝わってきた。

「何も分からない、できないわけじゃないって。相手も、自分も」

そしてまた理解が進まない故に、家族が晒され続ける苦しみも。自身も挫折を味わった今村は、周囲の無意識の言動がどれだけ刃になるかを身を持って知っている。そんな自分ができることを考えたとき、ある一つのこたえが点った。

「簡単なことではないだろうが、特別支援教育に携わりたいと考えてる」

「特別? 何だそれは」

首を傾げる俺の横で、坂井が閃いたように洩らした。

「もしかして今村、教師を目指しているのか?」

「ご名答」

難しい部分を端折ると特別支援教育というのは、陸のような子供の自立や社会参加を促すために、様々な取り組みを支援していくものらしい。

「悪い。俺にはよく分からん」

「当たり前だ。俺だって文字でしか知らなかったくらいだ」

頭を掻く俺に今村が苦笑する。

「俺だって同じだよ。たまたま聴覚支援学校の存在を知っていただけで、実際中身がどんなものなのかは、まるっきり分からない」

叔父さんがいなければ無知の塊だと坂井も神妙に頷く。やがて部室らしき建物が姿を現したところで今村が足を止めた。

「だから最後に手を離すなら関わるなと言ったんだ。特に海ちゃんは頑張り過ぎる嫌いがあるから」

初耳の話が続いて飽和状態の俺に、彼はしかつめらしい顔で説教を垂れる。

「りっくんは連れていくから、海ちゃんと二人できちんと話せよ」

「ああ、ちゃんと謝る」

「それはもちろんだが、他にも重要な事案があるだろう。せっかく馬鹿な女は追い払ったわけだし」

焦りにも似た今村の様子に俺は眉を顰めた。

「重要な事案?」

今村は息を呑んで、救いを求めるように坂井に視線を移す。

「無自覚なんだよ。俺も最近気がついたんだけど」

「マジか? こんな遊び慣れているような奴が? ありえない」

「だからこそじゃないの」

おかしそうに肩を揺らす坂井に今村は唖然とする。

「俺より酷いわ、こいつ」






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