声を聴かせて

文月 青

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番外編 それぞれの思い

相原涼子 7

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私や陸に気を使い、周囲にも気を使い、愚痴も文句も吐かず、かといって楽しいこともないのに、痛々しい程にこにこしていた海が、心からの笑顔を見せるようになったのは、高校二年生の夏休み以降だった。それまで一見打ち解けたようでも、本音を洩らすことのなかった海を心配していた高槻くんと直樹くんも、その変化に目を瞠らんばかりに驚いていた。

「何があったんですか?」

高槻くんのサークルのイベントに参加した際、直樹くんと陸と三人でボール投げを楽しむ海を、彼は不思議そうにでも嬉しそうに眺めた。高槻くんにとっては後輩の直樹くんが、陸上を断念して苦しんでいた状態を抜け出し、一年かけて陸と手を繋げるようになったことを喜ぶ姿にも、胸に来るものがあったらしい。

「たぶん、恋、でしょうねえ」

十月初めのまだ暑さが微妙に残る頃、大学の構内で各々が好きな遊びを楽しむ中、私は海の笑顔にひとりでに眦が下がる。

「もう誰も好きにならない」

そんなふうに他人を拒絶する言葉を口にした海が、夏休みからこっちたった一人の青年の話ばかりしている。陸を遊ばせるために連れて行った公園で、何度か顔を合わせただけの相手だというのだが、第一印象は「不機嫌なお兄さん」だった。

「一体どんな人なんでしょうね。あの海ちゃんの心を溶かすとは」

感心したように呟く高槻くんに、私はくすくす笑いながら首を振った。

「それがいきなり注意されたそうよ。挨拶をしない陸を見て、こんにちはくらいちゃんと言わせた方がよくない? って」

「これはまたストレートな。事情を知らなかったにせよ」

「でしょう? 稀有なタイプよね。真正面から言ってくるなんて。その後も大きなサイレンの音に、陸がパニックを起こしている最中に行き合わせたみたいだけど、騒いだ原因を問われたんですって」

ところが収拾がつかなくなった陸を、どうやって落ち着かせたらよいか分からなかった海が、弟にも公園にいた人達にも迷惑をかけたと、しばらく落ち込んだことを吐露すると、彼はそこは笑うところじゃないと突っ込んだそうだ。

「落ち込んでるならしょんぼりしてれば。いちいちへらへらする理由が不明だと、舌打ちされたとか」

「ユニークな男ですね」

堪えられなくなった高槻くんも苦笑する。

「大学生でしたっけ? 後学のためにも一度会ってみたいところですが」

「私も同意見なんだけど、海も名前と大学くらいしか知らないそうよ。たぶんあの子は自分から相手の懐には飛び込めないでしょうから」

「そうでしたか」

「でもね、彼に会うときは伊達眼鏡をかけなくなったのよ、海。いつも黒いゴムで結んでいる髪も下ろして。無意識なんでしょうけど、きっと素の自分を見て欲しいのかもね」

そこで私達はどちらともなく口元を緩めた。




私が初めて海の想い人である西崎剛くんに会ったのは、何と彼の恋人だった女の子に海が絡まれた日だった。しかも西崎くんは偶然にも直樹くんの高校時代の同級生だという。世の中狭い。海は振られた腹いせに暴力を受けたとのことだったが、自分ではなく娘が敵意に晒されたことで、海以上に西崎くんがへこんでいた。

「自覚無しの初恋ですよ、あれ」

念の為迎えの連絡をくれた直樹くんは、西崎くんの海に向ける気持ちに気づいていたようで、含み笑いを洩らしつつこっそりそう教えてくれた。実際ぶっきら棒に振る舞う外見とは裏腹に、海をみつめる双眸には優しさが溢れていて、身内の欲目は抜きにしても、娘が大切にされているのは一目瞭然だった。

「それなりに女の子とつきあってきた奴が、海ちゃんには何もできずにいるんだから、正直おかしくて仕方がないですよ」

そういう直樹くんの表情も明るい。陸に相手にされないと不貞腐れる西崎くんは、どうやらその嘘のない心のままの言動で、海のみならず直樹くんの傷も癒しているようだ。腫れ物に触るでもなく、無駄に親切にするでもなく、けれど噂に惑わされず、自分の目で相手を知ろうとする姿勢は、一度は大事なものを諦めた二人の胸に響いたのだろう。

「俺のごたごたに相原を巻き込んでしまい、すみませんでした」

帰り際西崎くんに頭を下げられた。確かに周囲との軋轢を生まぬよう、常に良い子に徹してきた海が、あからさまに悪意をぶつけられたのだ。そのショックは計り知れないし、また繰り返されるのではという懸念も残る。けれど海はそれでも西崎くんとの縁を切りたいとは微塵も思っていない筈だ。

「西崎くん、これからも海をお願いね」

だから私も真剣に答えた。今の私にできることは一つ。二人を見守ることだけだ。



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