友達の恋人

文月 青

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番外編

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彩華の友達として灯里ちゃんを紹介されたとき、本気で心臓が口から飛び出るかと思った。記憶の中で自分の胸を温める、最早架空の人物にも近くなっていた高校時代の憧れの人が、いきなり予告もなしに目の前に現れたのだから、驚くなという方が無理だろう。

大人の女性の雰囲気を纏いつつも、高校時代と違わぬ透明感のある佇まい。決して前には出ないが、人の話に漏れなく耳を傾ける姿からは、友達を大事にしているのが伝わってくる。あの日俺の背中にいた女の子の、はにかんだような笑顔と小さな声に、俺は舞い上がりそうになるのを必死で抑えていた。

その日は彩華の短大時代の友達が集まり、女子が好みそうなレストランで食事会を催していた。当時彩華の彼氏であり、俺の同僚兼友達であった上原に、

「男は俺一人だから、千賀もつきあえ」

断ったにも関わらず引きずられていったのだが、後のよからぬ企みの為だったとしても、灯里ちゃんと再会できたことだけは感謝している。

「美味しい?」

プライベートな質問の多さに辟易し、一旦トイレに逃げ込んで戻ると、上手い具合に灯里ちゃんの隣の席が空いていた。彩華の目に不自然に映らぬようさり気なくそこに座る。おそらく俺は相当仏頂面だったろうが、内心では動悸が治まらずにドキドキしっ放し。で、ようやくかけた言葉がこれ。

「はい」

真っ赤になって俯いた灯里ちゃんに、すぐにも舌打ちしたくなった。大人しい彼女が自分から口を開くことはあまりない筈だ。必然的に食事に重きが置かれるだろう。女性に対する質問ではなかった。

「彩華の友達にはいないタイプだね」

焦って話題を逸らした。その慎ましやかさを褒めたつもりだった。

「はい」

けれど灯里ちゃんは間を開けてか細く答えただけだった。男の好みがすべからく彩華だと受け取らないで欲しい。けれど彼女は顔を上げてくれない。本当は同じ高校の出身で、俺は君を知っていたのだと伝えたいが、彩華の前で親し気に振る舞うのは拙い。

「そう」

結局俺は素っ気なく頷いて灯里ちゃんの元を離れ、場の中心で周囲を盛り上げている彩華と上原の所に移動した。ちらりと窺うと、灯里ちゃんは酷く傷ついた表情をしていた。それはほんの一瞬で彼女はゆったりと笑んだが、俺の取った態度が原因だったのではないかと、そしてそれを訊ねることもできない自身に無性に腹が立った。




もう会う機会もないだろうと落胆していた十日後、上原に呼び出されたカフェで再び灯里ちゃんとまみえた。しかも理由が彩華と上原のデートの付き添い。本人達はダブルデートだと言ったが、明らかに困惑している灯里ちゃんを前に、これが無理に仕組まれたものなのだと悟った。

「彩華に頼まれたんだよ。灯里ちゃんいい子なのに、大人しくて男に免疫がないから、数人で集まれば怖がらずに慣れるんじゃないかって」

いくら友達の為でも、当人が嫌がっているのでは話にならない。それに一対一ではないとはいえ、彩華が俺を他の女性と接触させようとするのも妙だ。

「断る。他を当たってくれ」

本当は喉から手が出る程、誰にも渡したくない役目だった。でも彩華が俺の元カノである設楽さんに、嫉妬が高じて怪我を負わせてから、俺は女性を遠ざけてつかず離れずの状態で彩華の傍にいる。俺の中に長いこと住んでいるのが灯里ちゃんだと気づかれれば、今度は彼女の身に何が起こるか分からない。

ーー大切だからこそ関わってはいけない。

そう自分を戒めた筈が、月に一、二度のペースでカップルのデートにくっついているのは、ひとえに灯里ちゃんに会いたくて仕方がなかったから。こんな偶然に次はない。俺はどうしても彼女と縁を切りたくなかった。少しも親しさを表さない俺を嫌っているかもしれない。それでも笑顔を見て、声を聴いていたかった。意志薄弱。

「あ、灯里ちゃん」

初めて彼女の名前を呼んだのは、何度目のデート(の付き添い)のときだったろう。新設された水族館に四人で行って、初めて館内で別行動をした日だ。高校時代からフルネームは知っていたが、どうしてもその名を音にしたかった。不自然にならぬよう前日自宅で一人練習したのに、情けないことに本番では噛んでしまった。

「は、はい」

群れを成す魚の水槽の前で、ほんのり頬を上気させた灯里ちゃんが可愛過ぎて、甘酢っぽいものが込みあげてくる。会話を続けなければいけないのに、頭の中が真っ白で何も浮かんでこない。まるで中学生のようだ。

「ああ、いきなりごめん。名字を教えられていなかった」

黙って首を横に振る灯里ちゃん。苦し紛れの言い訳が情けない。だが名前を唇に乗せただけでこの破壊力。俺は己がどれだけ灯里ちゃんに参っているのかを、まざまざと見せつけられたような気がした。

「大丈夫です」

灯里ちゃんが嬉しそうにしていると感じるのは俺の欲目か? 願望か?

「あの、せ、千賀、さん?」

動揺のあまり順路とは逆に進もうとしたところで、今度は灯里ちゃんがたどたどしく俺の名前を呼ぶ。更に赤味を増した彼女に俺の体まで火照ってくる。俺は慌てて踵を返した。

「悪い。こっちじゃな……!」

そのとき俺の手と灯里ちゃんの手が僅かに触れた。胸元でぎゅっと両手を合わせる彼女の手は、小さくて俺同様にぽかぽかしていて、何よりその恥じらうような仕草に完全に思考能力が奪われた。

いい大人二人のもじもじ具合に、泳ぐイワシも呆れているに違いない。ほんと、何やってんだろ、俺。




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