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「どうした?」
つんつんとほっぺたを突かれて我に返った。今日は二人とも残業がなく、早めに帰宅できたので、お風呂上がりに洋画のDVDを観ていたのだが、どうやら上の空だったらしい。千賀さんの心配そうな顔が目の前にあった。
「すみません。ぼーっとしていました」
「何かあった?」
「何も」
一応内緒だと念を押されたので、青木さんから千賀さんの秘密(?)を聞いたとは言えない。内容も内容だし。
「灯里ちゃん」
ベッドに背を預けて並ぶ私の肩を掴んで、千賀さんは自分の方に向かせた。
「どんなことも包み隠さず話すのが、夫婦の正しい在り方だとは思わない」
彩華との関係を振り返ったとき、私も友達の在り方について同じことを考えた。
「でも困っているときや悩んでいるときは、打ち明けてもらえないかな? 頼りにならないだろうけど、二人なら解決できることもあるかもしれないよ?」
「そんな大層なことでは」
視線を泳がせて答えると、千賀さんはじとっと私を睨んだ。子犬モードに入るのはやめて欲しい。
「ではお訊ねします。彩華や設楽さんと体の関係がなかったというのは本当ですか?」
青木さんごめんなさいと胸中で謝りつつ、お望み通りにずばっと切り込む。いきなり派手に咽せた千賀さんは、聞いちゃったのかとバツが悪そうに頭を掻いた。
「あのね、俺も男だから少しもってことはないよ。手を繋いだり、キスも……」
台詞が尻すぼみになっているところを見ると、おそらく事実なのだろう。仰る通り大人の男なんだし、そのくらいは当然だと分かっているけれど、いざ千賀さんの口から出ると、正直ちょっと面白くない。
「ふーん」
「いや、でも、最終的には! だから彩華と上原の結婚を祝福したんだ」
全然別の所で知り合ってしまったならいざ知らず、同じ会社に勤務する友達と、自分が関係を持った女性がつきあうのは、その後のことを考えるとさすがに複雑だ。常に二人と顔を合わせるのだから。
「どうして彩華とは?」
「可愛い後輩の感覚が抜けなかったのと、会社のアイドルだったせいかな」
うーんと唸りながらも、ちらちらと私を窺う千賀さん。他に疾しいことでもあるんですか?
「設楽さんの場合は?」
容赦なく尋問する私に、千賀さんはこれは裁判かと嘆く。
「今でもそうだけど、尊敬する気持ちが強くて。向こうも弟みたいに接していたから、お互い納得の上で円満に別れたんだ」
設楽さんの家を訪ねたときの様子と照らし合わせると、当時の二人の関係に納得できなくもない。ご主人の大和田さんにも嫉妬めいたものはなく、本当に私達を歓待してくれていた。
「もしも彩華と体を重ねていたら、俺は灯里ちゃんと結婚しなかったと思う」
いつのまにか終わっていたDVDをケースにしまっていると、静かになった室内で千賀さんが呟いた。緩い風がついでのように窓をかたっと鳴らす。
「彩華と問題なく別れて、先輩後輩としてつきあっていたとしても、彼女を抱いた手で友達の灯里ちゃんには触れられない」
「私に悪いからですか?」
「それもある。でも一番苦しむのは灯里ちゃんだろう? 君は彩華のことが好きだった。嫉妬や罪悪感を抱いても口にはしづらいだろうし、何より同じ男となんて嫌な筈だ」
「じゃあそうなっていたら、私が千賀さんを想っていたとしても、こうして一緒にいることはなかったと……」
「おそらく」
千賀さんのことだ。青木さんの指摘通り、真っ先に私の気持ちを考えた結果に違いない。それ自体は凄く嬉しい。けれど。
「千賀さんにとって、私は一体何なんでしょう」
「何って」
「実は簡単に切り捨てられる相手とか」
「傷つけても手に入れたい存在だ!」
珍しく千賀さんが憤慨している。
「結婚しなかったって、たった今」
「それは!」
「嫌かどうかを決めるのは私です。なのに千賀さんは確かめもせず、勝手に諦めるんですよね? ついさっき二人で解決しようと言っていたのに」
片手で口元を押さえながら、千賀さんは気まずそうに視線を逸らした。
「遠慮、してますか?」
私だけじゃない。自分が彩華と恋人同士だったからこそ、千賀さんにも彼女の影がつきまとう。どうしていいか分からなかったのは、二人きりに慣れていなかったと同時に、きっと私の本音が見えなかったせいもある。
「私の為であっても、私が望まないことならば、それは思いやりとは呼べませんよ?」
私はあなたに触れられることを望んでいる。そう言外に込めて。
「灯里ちゃん……」
己に対する悔いだろうか。千賀さんが俯いて唇を噛み締める。
「もう! しっかりして下さい!」
ばしっと勢いよく額を叩いてやると、千賀さんは捨てられた子犬の如く、縋るような目で私をみつめた。
「ずっと心のどこかで、灯里ちゃんが欲しくて仕方がなかった。他の人といても。ごめん」
変なところで律儀な人だ。そのとき彩華や設楽さんが好きだったのなら、私に引け目を感じる必要はないのに。
「俺、全力で灯里ちゃんに向かっても、いい?」
笑顔で頷くなり、千賀さんはいきなり私を抱き寄せてキスを落とした。
「やり方、思い出した」
びっくりして目を閉じることができなかった私に、照れ臭そうに笑って再び唇を合わせる。
「灯里ちゃん、俺、朝まで、いや、朝が来ても離してやれないかもしれない」
優しくて長いキスの後、背中に回されていた腕の力が強まり、子犬が成犬になったような気がした。
「仕事があるから駄目です」
「もう無理。自分でもどうなるか予測がつかない」
「社会人ですから、そんな理由で遅刻も欠勤も」
「今日は伏せは効かない」
既に狼の耳と尻尾を生やした千賀さんは、あっさり私を抱えてベッドに横たわらせ、すぐに自分も覆い被さってくる。
「せめて土曜日にして下さい!」
叫んだ声すらも、あっさりと封じられてしまう。明日の朝、私はどうなっているのだろう……。
つんつんとほっぺたを突かれて我に返った。今日は二人とも残業がなく、早めに帰宅できたので、お風呂上がりに洋画のDVDを観ていたのだが、どうやら上の空だったらしい。千賀さんの心配そうな顔が目の前にあった。
「すみません。ぼーっとしていました」
「何かあった?」
「何も」
一応内緒だと念を押されたので、青木さんから千賀さんの秘密(?)を聞いたとは言えない。内容も内容だし。
「灯里ちゃん」
ベッドに背を預けて並ぶ私の肩を掴んで、千賀さんは自分の方に向かせた。
「どんなことも包み隠さず話すのが、夫婦の正しい在り方だとは思わない」
彩華との関係を振り返ったとき、私も友達の在り方について同じことを考えた。
「でも困っているときや悩んでいるときは、打ち明けてもらえないかな? 頼りにならないだろうけど、二人なら解決できることもあるかもしれないよ?」
「そんな大層なことでは」
視線を泳がせて答えると、千賀さんはじとっと私を睨んだ。子犬モードに入るのはやめて欲しい。
「ではお訊ねします。彩華や設楽さんと体の関係がなかったというのは本当ですか?」
青木さんごめんなさいと胸中で謝りつつ、お望み通りにずばっと切り込む。いきなり派手に咽せた千賀さんは、聞いちゃったのかとバツが悪そうに頭を掻いた。
「あのね、俺も男だから少しもってことはないよ。手を繋いだり、キスも……」
台詞が尻すぼみになっているところを見ると、おそらく事実なのだろう。仰る通り大人の男なんだし、そのくらいは当然だと分かっているけれど、いざ千賀さんの口から出ると、正直ちょっと面白くない。
「ふーん」
「いや、でも、最終的には! だから彩華と上原の結婚を祝福したんだ」
全然別の所で知り合ってしまったならいざ知らず、同じ会社に勤務する友達と、自分が関係を持った女性がつきあうのは、その後のことを考えるとさすがに複雑だ。常に二人と顔を合わせるのだから。
「どうして彩華とは?」
「可愛い後輩の感覚が抜けなかったのと、会社のアイドルだったせいかな」
うーんと唸りながらも、ちらちらと私を窺う千賀さん。他に疾しいことでもあるんですか?
「設楽さんの場合は?」
容赦なく尋問する私に、千賀さんはこれは裁判かと嘆く。
「今でもそうだけど、尊敬する気持ちが強くて。向こうも弟みたいに接していたから、お互い納得の上で円満に別れたんだ」
設楽さんの家を訪ねたときの様子と照らし合わせると、当時の二人の関係に納得できなくもない。ご主人の大和田さんにも嫉妬めいたものはなく、本当に私達を歓待してくれていた。
「もしも彩華と体を重ねていたら、俺は灯里ちゃんと結婚しなかったと思う」
いつのまにか終わっていたDVDをケースにしまっていると、静かになった室内で千賀さんが呟いた。緩い風がついでのように窓をかたっと鳴らす。
「彩華と問題なく別れて、先輩後輩としてつきあっていたとしても、彼女を抱いた手で友達の灯里ちゃんには触れられない」
「私に悪いからですか?」
「それもある。でも一番苦しむのは灯里ちゃんだろう? 君は彩華のことが好きだった。嫉妬や罪悪感を抱いても口にはしづらいだろうし、何より同じ男となんて嫌な筈だ」
「じゃあそうなっていたら、私が千賀さんを想っていたとしても、こうして一緒にいることはなかったと……」
「おそらく」
千賀さんのことだ。青木さんの指摘通り、真っ先に私の気持ちを考えた結果に違いない。それ自体は凄く嬉しい。けれど。
「千賀さんにとって、私は一体何なんでしょう」
「何って」
「実は簡単に切り捨てられる相手とか」
「傷つけても手に入れたい存在だ!」
珍しく千賀さんが憤慨している。
「結婚しなかったって、たった今」
「それは!」
「嫌かどうかを決めるのは私です。なのに千賀さんは確かめもせず、勝手に諦めるんですよね? ついさっき二人で解決しようと言っていたのに」
片手で口元を押さえながら、千賀さんは気まずそうに視線を逸らした。
「遠慮、してますか?」
私だけじゃない。自分が彩華と恋人同士だったからこそ、千賀さんにも彼女の影がつきまとう。どうしていいか分からなかったのは、二人きりに慣れていなかったと同時に、きっと私の本音が見えなかったせいもある。
「私の為であっても、私が望まないことならば、それは思いやりとは呼べませんよ?」
私はあなたに触れられることを望んでいる。そう言外に込めて。
「灯里ちゃん……」
己に対する悔いだろうか。千賀さんが俯いて唇を噛み締める。
「もう! しっかりして下さい!」
ばしっと勢いよく額を叩いてやると、千賀さんは捨てられた子犬の如く、縋るような目で私をみつめた。
「ずっと心のどこかで、灯里ちゃんが欲しくて仕方がなかった。他の人といても。ごめん」
変なところで律儀な人だ。そのとき彩華や設楽さんが好きだったのなら、私に引け目を感じる必要はないのに。
「俺、全力で灯里ちゃんに向かっても、いい?」
笑顔で頷くなり、千賀さんはいきなり私を抱き寄せてキスを落とした。
「やり方、思い出した」
びっくりして目を閉じることができなかった私に、照れ臭そうに笑って再び唇を合わせる。
「灯里ちゃん、俺、朝まで、いや、朝が来ても離してやれないかもしれない」
優しくて長いキスの後、背中に回されていた腕の力が強まり、子犬が成犬になったような気がした。
「仕事があるから駄目です」
「もう無理。自分でもどうなるか予測がつかない」
「社会人ですから、そんな理由で遅刻も欠勤も」
「今日は伏せは効かない」
既に狼の耳と尻尾を生やした千賀さんは、あっさり私を抱えてベッドに横たわらせ、すぐに自分も覆い被さってくる。
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