友達の恋人

文月 青

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コンビニの駐車場でコーヒーを飲んだ後、どこにも寄らずに真っ直ぐ家に帰った。私が夕食の支度をしている間、千賀さんはお風呂の準備等を率先して済ませてくれた。クリスマスには不似合いな和食を食べ、昨夜のように寝るだけの状態にしてから、私はシンプルなチョコレートケーキをリビングの折り畳みテーブルに並べた。

「また作ってくれたのか?」

小さくて何の飾りもないけれど、クリスマスの思い出があの崩れたケーキでは悲し過ぎるので、朝のうちにスポンジ生地のみを焼いておいたのだ。

「メリークリスマス」

インスタントの紅茶で乾杯して、ケーキにフォークを入れる。ほろ苦さが口の中に広がった。

「あの日のこと、よく憶えている」

ふいに千賀さんが柔らかな笑みを浮かべた。

「灯里ちゃんに初めて会った日」

今とは真逆のとても暑かった夏休み。抜けるような青空と白い雲。鳴き止まない蝉の声。拭っても流れ落ちる汗。千賀さんの存在を知ったのは、そんな中での夏期講習の帰り道。

「灯里ちゃん、実は逃げなかっただろう」

驚いてケーキをまるごと飲み込みそうになった。

「気づいて、いたんですか?」

静かに頷く千賀さん。絡まれていた彼の同級生から助けてもらった私は、急いでその場を離れて一番近い建物の陰に隠れた。たぶん運動部の部室棟だったと思う。

一人では身動きも取れなかったくせに、自分のせいで千賀さんに何かあったらと想像すると、足手まといだと分かっていても、逃げ帰ることはできなかった。

幸い千賀さんと彼らの間で上手く話がついたらしく、やがて談笑している姿を目にしたときは、今更ながら足が震えて立っていられなくなった。

「奴らと別れて改めて校門に向かったとき、とっくにいなくなった筈の灯里ちゃんが、またしてもすぐ前を歩いてた」

俯く私を余所に千賀さんは優しく続ける。

「この娘は何をしているのかと訝しく思ったが、俺のことを心配して残っていたのだと、今なら分かる」

いつの間に食べ終えていたのか、テーブルに空のお皿とフォークが置かれた。

「設楽さんに会うと決めたときから、灯里ちゃんが次に言い出すだろうことも」

私はそこではっと顔を上げた。

「自分だけ、何もなかったように俺の傍にいることはできないんだろう?」

例え直接の関わりや責任がなくても、設楽さんを苦しめる原因の一つだと思ってしまったから。設楽さんの笑顔を見たとき、安堵すると同時に、彼女からどれくらいの間この笑顔を奪っていたのだろうと、凄く胸が痛くなった。

千賀さんの結婚相手である私を、しかも彩華の友達だった人物を、少しも怖れなかった筈はないのに。

「また千賀くんと一緒に遊びに来てね」

どんな気持ちで言ってくれたのだろう。そんな人の悲しみの上に、胡座をかいて幸せになることは到底できない。

「灯里ちゃんは高校時代も前に出てくることはなかったよな」

千賀さんは懐かしげにあの頃を振り返る。

「体育祭でも文化祭でも、リレーの選手や劇の舞台にはいない」

これといった特技もなく、ただ大人しいだけの私は、華々しい場所には大抵選ばれない。自分でも裏方の方が似合っていると分かっている。

「でもいざ仕事が与えられると、どんなことでも手を抜かない。救護係で怪我をした生徒の手当てに走り回っていたのも、放課後の教室で遅くまで残って衣装を縫っていたのも、俺はちゃんと知っている」

昔も今も変わらない、情けない自分を暴露されたようで、私はじとっと千賀さんを睨んだ。

「再会して、辛い思いをさせることしかできなくて。けれど愚痴の一つも洩らさなくて。正直灯里ちゃんの本心が全く見えなかった」

千賀さんと彩華の過去で頭がいっぱいで、自分自身もこれからどうすればいいのか、何より彼が私をどんなふうに思っているのか、このままこの家にいてもいいのか、毎日不安で仕方がなかった。そしてそれを千賀さんに伝えることをしなかった。

「でも最後に俺達を叱り飛ばした灯里ちゃんは、記憶の中の君と重なった」

温くなった紅茶を飲み干した千賀さんは、迷いの吹っ切れた力強い表情で笑う。

「大人しいことと弱さは別だ。けれど灯里ちゃんは一人になることを選んだ。だから俺も引きとめない。これ以上苦しめるわけにはいかないからね」

「我儘で、ごめんなさい」

「謝るのは俺の方だ」

もっとも謝り続けるのはもうやめよう、と千賀さんが囁いた。

「好きになってくれて、ありがとう。言葉では言い尽くせない程嬉しかったよ」

自分から別居して欲しいと願いでながら、いざ千賀さんにそれを受け入れられると、胸が張り裂けてしまいそうになる。決して幸せな再会ではなかった。それでもこの偶然にだけは感謝したい。

「こちらこそ」

涙を堪える為に、私は小さく息を吐いて微笑んだ。

「ありがとうございました」

あなたの隣に立てる日が二度と来なかったとしても。

「本当にこんなときには泣かないんだからな」

どうしてそこまで一人で頑張ろうとするのと、困ったように頭を掻いて、千賀さんは悪戯っぽく口元を緩めた。

「灯里ちゃん、俺、これが別れだとは思ってないから」





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