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「頭おかしいんじゃないの」
林檎ほっぺを忘れたかのように、彩華は目をまん丸くして肩を怒らせた。これまで小さな諍いはあっても、まともな喧嘩をしたことがなかった私達だ。しかも地味で大人しい私に二度も叩かれたとあっては、彩華のプライドもズタズタであろう。
「何が同等よ。性悪よ。あんたなんか友達じゃないわよ。泥棒猫」
「あら、私が先に千賀さんを好きになっていたんだから、その道理で行けば泥棒猫は自分よね」
「うっわ、マジで性格悪!」
「だから彩華もね」
にっこり微笑んでやると、彩華は地団太を踏む代わりに拳を床に打ち付けている。やっぱり女はこえーとぼやいた上原さんは、その女二人に容赦なく射抜かれて千賀さんの後ろに隠れた。きっと私もこんなふうに彩華の陰に逃げ込んで、本当は自分も隠れたかったかもしれない彼女に、ずっと守ってもらってきたのだろう。
「ごめんね、彩華」
「何よ、今更」
「助けてあげられなくて」
きっと彩華は眉を釣り上げた。
「灯里なんてはなから当てにしてないわよ。馬鹿にしないで」
一から十まで何でも打ち明け合うのが友達だとは思わない。でも私はいつも人の輪の中心にいる、明るい彩華しか見ていなかった。自分は彩華を頼ってばかりいたのに、彼女が悩んでいることにさえ気がつかなかった。
怪我をしていたとき、どうしたのかと親身になって聞いていれば、誰かに話すことで鬱屈した思いを吹っ切れたかもしれない。設楽さんを突き落とすまで追い詰められる前に、何とか止められたかもしれない。
千賀さんを紹介されたとき、二度目の恋の相手だと話していれば、上原さんから二人がかつて恋人同士だったと教えられたときも、きちんと彩華本人に確かめていれば、その後の彼女の言動はここまで酷くはなかったかもしれない。
「友達を守れなくて、泣かせてあげることもできなくて、ごめん」
表に出せないだけで悩みのない人なんていないのに、ただ謝るしかできない自分が不甲斐ない。
「本当におめでたいわね、灯里は」
そうかもしれない。でも彩華に出会ったから、引っ込み思案だった私に手を差し伸べてくれたから、今の私がいるのは嘘じゃない。どうでもいいことではしゃぎ合った、楽しかった日々までなかったことにはしたくない。
「別れた後も私はずっと悠斗が好きだった。友達としてのつきあいは続いていたけど、悠斗はその距離を決して縮めようとはしなかった」
千賀さんの背中から顔を出した上原さんを、彩華は面白くなさそうに一瞥する。
「業を煮やしていた二年前、慶彦が困っているなら相談に乗ると言ってきたの」
ちょうど私に千賀さんを引き合わせる少し前のことだ。千賀さんを想いつつも、自分の為に身を引いた(と信じていた)彼にアプローチできず、苛立つ彩華に上原さんが協力を申し出たのだそうだ。上原さんは千賀さんの同僚で、彩華も社内ですれ違えば世間話くらいはする仲。設楽さんの一件を知らないなら、被害者として僅かながらも同情を引ける。味方にするならこれ程心強い存在はない。
実際上原さんは彩華の手足として、予想以上に働いてくれた。二組の結婚が整ってしまったことだけは失敗だったが、千賀さんが何も語らないのをいいことに、私に嘘を吹き込み、哀れな同志だと思い込ませ、自滅に追い込んだ。全て上原さんが考えた心理作戦。
「これも悠斗が私に想いを残している、復縁を望んでいると、仮定すればこそだったのに。身内に騙されるとはね」
「だってお前ら面倒臭いんだよ。彩華は嫌がらせなんかするくせに、いつまでも手をこまねいているし、千賀も設楽さんにこだわって、うだうだ鬱陶しいし。だからはっぱをかけてやったんだろ」
得意げな上原さんに、千賀さんが容赦なく拳骨を落とす。彼はもう口を開く気力もないようだった。
「全く馬鹿みたいよね。私もだけど灯里も」
そこで再び彩華は私を睨んだ。
「よもや灯里と悠斗が同窓生だったなんて。灯里から悠斗が好きだったと聞かされたときは、はらわたが煮えくり返ったわ。何としても二人を引き裂いてやろうって。なのに」
呆れたように肩を竦める彩華。
「まだ友達だなんて、お人好しにも程があるわ」
「勘違いしないでよ? 私は怒っているんだからね。ろくに反省もしていない今、ごめんなんて言っても絶対許さないわよ」
ふんと鼻を鳴らす彩華の頬を、両側から引っ張ってあかんべえをする。
「設楽さんに償いをして、千賀さんと上原さんに謝って、骨の髄まで反省して治療を終えたなら、往復ビンタを食らわせて一日中説教した後に許してやれるかもしれない。そのときは私の好きなお菓子を忘れないでよ」
正直彼女がしたことを許せるのか、私自身も分からない。もしかしたら一生蟠りが残って、二度と会わない可能性もある。でも少なくとも今はこれでいい。
「ほんとどっちが性悪よ。馬鹿馬鹿しくてやってられない」
毒づいて彩華が立ち上がった。スタスタと玄関に向かい、一人ドア外の人になる。慌てて追いかけると、敷地を囲む垣根の陰に彩華が蹲っていた。
林檎ほっぺを忘れたかのように、彩華は目をまん丸くして肩を怒らせた。これまで小さな諍いはあっても、まともな喧嘩をしたことがなかった私達だ。しかも地味で大人しい私に二度も叩かれたとあっては、彩華のプライドもズタズタであろう。
「何が同等よ。性悪よ。あんたなんか友達じゃないわよ。泥棒猫」
「あら、私が先に千賀さんを好きになっていたんだから、その道理で行けば泥棒猫は自分よね」
「うっわ、マジで性格悪!」
「だから彩華もね」
にっこり微笑んでやると、彩華は地団太を踏む代わりに拳を床に打ち付けている。やっぱり女はこえーとぼやいた上原さんは、その女二人に容赦なく射抜かれて千賀さんの後ろに隠れた。きっと私もこんなふうに彩華の陰に逃げ込んで、本当は自分も隠れたかったかもしれない彼女に、ずっと守ってもらってきたのだろう。
「ごめんね、彩華」
「何よ、今更」
「助けてあげられなくて」
きっと彩華は眉を釣り上げた。
「灯里なんてはなから当てにしてないわよ。馬鹿にしないで」
一から十まで何でも打ち明け合うのが友達だとは思わない。でも私はいつも人の輪の中心にいる、明るい彩華しか見ていなかった。自分は彩華を頼ってばかりいたのに、彼女が悩んでいることにさえ気がつかなかった。
怪我をしていたとき、どうしたのかと親身になって聞いていれば、誰かに話すことで鬱屈した思いを吹っ切れたかもしれない。設楽さんを突き落とすまで追い詰められる前に、何とか止められたかもしれない。
千賀さんを紹介されたとき、二度目の恋の相手だと話していれば、上原さんから二人がかつて恋人同士だったと教えられたときも、きちんと彩華本人に確かめていれば、その後の彼女の言動はここまで酷くはなかったかもしれない。
「友達を守れなくて、泣かせてあげることもできなくて、ごめん」
表に出せないだけで悩みのない人なんていないのに、ただ謝るしかできない自分が不甲斐ない。
「本当におめでたいわね、灯里は」
そうかもしれない。でも彩華に出会ったから、引っ込み思案だった私に手を差し伸べてくれたから、今の私がいるのは嘘じゃない。どうでもいいことではしゃぎ合った、楽しかった日々までなかったことにはしたくない。
「別れた後も私はずっと悠斗が好きだった。友達としてのつきあいは続いていたけど、悠斗はその距離を決して縮めようとはしなかった」
千賀さんの背中から顔を出した上原さんを、彩華は面白くなさそうに一瞥する。
「業を煮やしていた二年前、慶彦が困っているなら相談に乗ると言ってきたの」
ちょうど私に千賀さんを引き合わせる少し前のことだ。千賀さんを想いつつも、自分の為に身を引いた(と信じていた)彼にアプローチできず、苛立つ彩華に上原さんが協力を申し出たのだそうだ。上原さんは千賀さんの同僚で、彩華も社内ですれ違えば世間話くらいはする仲。設楽さんの一件を知らないなら、被害者として僅かながらも同情を引ける。味方にするならこれ程心強い存在はない。
実際上原さんは彩華の手足として、予想以上に働いてくれた。二組の結婚が整ってしまったことだけは失敗だったが、千賀さんが何も語らないのをいいことに、私に嘘を吹き込み、哀れな同志だと思い込ませ、自滅に追い込んだ。全て上原さんが考えた心理作戦。
「これも悠斗が私に想いを残している、復縁を望んでいると、仮定すればこそだったのに。身内に騙されるとはね」
「だってお前ら面倒臭いんだよ。彩華は嫌がらせなんかするくせに、いつまでも手をこまねいているし、千賀も設楽さんにこだわって、うだうだ鬱陶しいし。だからはっぱをかけてやったんだろ」
得意げな上原さんに、千賀さんが容赦なく拳骨を落とす。彼はもう口を開く気力もないようだった。
「全く馬鹿みたいよね。私もだけど灯里も」
そこで再び彩華は私を睨んだ。
「よもや灯里と悠斗が同窓生だったなんて。灯里から悠斗が好きだったと聞かされたときは、はらわたが煮えくり返ったわ。何としても二人を引き裂いてやろうって。なのに」
呆れたように肩を竦める彩華。
「まだ友達だなんて、お人好しにも程があるわ」
「勘違いしないでよ? 私は怒っているんだからね。ろくに反省もしていない今、ごめんなんて言っても絶対許さないわよ」
ふんと鼻を鳴らす彩華の頬を、両側から引っ張ってあかんべえをする。
「設楽さんに償いをして、千賀さんと上原さんに謝って、骨の髄まで反省して治療を終えたなら、往復ビンタを食らわせて一日中説教した後に許してやれるかもしれない。そのときは私の好きなお菓子を忘れないでよ」
正直彼女がしたことを許せるのか、私自身も分からない。もしかしたら一生蟠りが残って、二度と会わない可能性もある。でも少なくとも今はこれでいい。
「ほんとどっちが性悪よ。馬鹿馬鹿しくてやってられない」
毒づいて彩華が立ち上がった。スタスタと玄関に向かい、一人ドア外の人になる。慌てて追いかけると、敷地を囲む垣根の陰に彩華が蹲っていた。
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