友達の恋人

文月 青

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声を発することもできずに、上原さんを振り仰いでいた彩華だったが、我に返った途端彼に掴みかかった。上原さんは友達の行動も妻の反応も予測していたのか、余裕綽綽といった体でのらりくらりと攻撃を躱している。この状況で一番黒い人が決定したように思うのは私だけだろうか。

「本当なの? 慶彦」

「まあね」

「知ってて、私を唆したの?」

「企画実行は彩華だろ。脚本は俺だけど」

にやにや唇の端を釣り上げる上原さんを、彩華は怒りに染まった顔で睨む。

「裏切り者!」

彩華が繰り出す拳を悠々と受け止め、彼女が疲れて項垂れるのを待って、上原さんは千賀さんの背中から顔を出している私に笑いかけた。

「ここは一つ、千賀を見習って俺も訂正を入れるかな」

わざとらしく咳払いをして続ける。

「まず結婚式の前に灯里ちゃんにした話は、千賀と彩華が恋人同士だったということ以外、全部嘘」

覚悟はしていたがさすがに腹が立った。彩華の同僚の存在も、彼女が写真を送りつけてきた件も、上原さんが二人の過去を知らなかったということも、全て彼のでっち上げだというのだ。ちなみに写真は彩華のものを拝借したそうだ。

「それから千賀が彩華との過去を白状した、という経緯もね」

会社の同僚を招いた数日後の出来事だ。私が千賀さんに本音をぶちまけ、ぎくしゃくしていたときに上原さんから電話でそう告げられた。

「灯里ちゃん、千賀の高校時代の後輩なんだって?」

おそらくは彩華から聞いたのだろうが、確かめるようなこの台詞のお陰で、疑問にすら思わなかった自分が情けない。

「君達が拗れていたおかげで、信憑性が増したよね」

千賀さんが渋い表情で眉間を揉んでいる。私達はまんまと上原さんの策略に嵌り、彼の手の平で転がされていたのだ。

「要するに俺は味方の振りをしながら、君達の仲をぶち壊す片棒を担いでいたわけ」

裏切り者のくせにと彩華が横槍を入れると、上原さんは冷たいなあと苦笑した。何でも上原さんと彩華の間に恋愛感情はなく、あくまで協力者というポジションだったのだそうだ。当然寝室も別なら夫婦の営みも皆無。彩華と千賀さんの過去に悩んだのも、私に同士だと見せかけたのも、閨事の悩みも全部真っ赤な嘘。

そして設楽さんに嫌がらせしていたことが、千賀さんに知られていないと思っていた彩華に、それを上手く使って美談を捏造させ、二人の絆の深さを悟った私が身を引くよう仕向けさせたのも。さっきから嘘だけが場を蔓延していて、段々真実との境目が無くなってくる。

「少し考えたら分かりそうなもんでしょ。千賀とよりを戻そうとしている女なんか抱けるか。気持ち悪い」

「だったら何故結婚なんかした」

憮然として問う千賀さんに、上原さんは手でピストルを真似て銃口を向ける。

「お前のせい」

そもそも上原さんと彩華はつきあってもいなければ、結婚の予定もなかった。いつまでも見守り役に徹する千賀さんに痺れを切らした彩華が、彼を振り向かせる手段として一計を案じたわけだが、千賀さんは一向に嫉妬の気配を見せない。さすがに結婚を匂わせればと偽りの宣言をしたら逆に祝福され、あろうことか私との結婚に飛び火した。

「見張りを未練故の見守りだと勘違いしていたことが敗因だな」

千賀さんが彩華の怪我に自責の念を抱き、好きなのに距離を置いていたのだと、二人は現在でも想い合っているのだと、信じて疑わなかった彩華。上原さんは事実を知っていながら、その彼女を止めもせずに手を貸し続けた。

「灯里ちゃんを巻き込む必要はなかっただろ」

「妬かせる為に千賀を連れ回そうにも、一人じゃお邪魔虫だと遠慮されるだろ? 面子が必要だったんだよ」

「どうして私だったんですか?」

素朴な疑問を口にした私に、彩華はくすりと笑みを洩らした。

「灯里なら地味で悠斗の目に止まらないと思ったからよ」

ところでこの家はお客にお茶も出さないのかしらと、気が利かない私を一瞥する。

「勝手に侵入する輩は客とは認めない」

すかさず千賀さんが切り捨てたら、今度は上原さんがフォローに入った。

「飲み会で会ったとき一番大人しかったからね。彩華と千賀の間に割り込みそうになくて、適役というか安心出来たんだ。もっともそれが大誤算だったけどね」

よもやお互いが高校時代の憧れの君だったとは、と上原さんがおどけて見せる。

「引っ込みがつかなくて結婚したけど、まさか二人まで纏まるとは予想してなかったよ。で、慌てて情報操作をさせてもらったわけ」

「酷い……」

いくら彩華が千賀さんとの復縁を望んでいたとしても、目的を遂行する為だけに好きでもない者同士が結婚し、嘘を並べて私達を破局に追い込んでいた。

「被害者ぶらないで」

彩華の鋭い声が飛んだ。彼女は憎々しげに私を睨みつけている。

「私も慶彦も揺さぶりをかけただけで、直接手を出したわけじゃない。そもそも灯里が悠斗を信じていたら、何の問題もなかった筈よ」

一理あるなと上原さんが加勢した。

「芝居をしていた千賀は仕方ないけど、灯里ちゃんは最初から奴に不信感を顕にしていたからねえ」

俺の作り話をあっさり信じるあたり、騙しやすかったのは確か、と悪びれずに頷いている。

「自分は悠斗を信じず、事実を問うこともせず、そのくせ勝手な想像で苦しんで。まるで悲劇のヒロイン。灯里はいつだってそう。自分からは何もしないのに、人から手を差し伸べられるのを待っている」

すぐには言い返せなかった。悔しいけれどあまりにも的を射ていた。

「灯里といるときの悠斗はちっとも幸せそうじゃなかった。あれは演技じゃない。灯里が不幸そうな影を引きずっていたからよ」

それにひきかえ私はどうだろう。千賀さんが自分を振り向かない不安から、彩華を好きなのだと決めつけ、上原さんの嘘を疑いもせず鵜呑みにし、私を守る為に辛い役目をしていた千賀さんを、少しも信じようとはしなかった。

「それは違う!」

千賀さんが私を庇う。ああ、そうだ。この人は常に私の身を案じてくれていたのに、私は好きだと口にしながら彼の本質を見ようとはしなかった。千賀さんが私の前でずっと笑うことがなかったのは、私が笑っていなかったからだ。

真実を確かめもしない。自分の想いも伝えない。一人で悩んで傷ついて、その実大切な人を傷つけている。それが私。でも。

「やって良いことと悪いことはあるのよ」

カップに残っていた冷めたコーヒーを飲み干した後、ゆっくりと彩華を睨み返し、私は右手を頭上に振り上げた。





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