友達の恋人

文月 青

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パチンという軽やかなものではなく、どちらかといえばベタッという鈍い音だった。さっき彩華が振るったものとは格段の差だ。経験がないので、ドラマのように上手くいかないのはご愛嬌。そんな悠長に構えている私を、他三名は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で眺めている。

「あ、灯里が、ビンタ……?」

痛みよりも私の行動に呑まれたらしい。彩華から不穏な気配が消えている。

言葉通り私はたった今彩華の頬を叩いた。相手に怒りを表すこともあまりない私にとって、誰かに手を挙げたのは生まれて初めてのこと。上手な叩き方があるのかどうかは知らないが、正直右手がじんじん痺れている。座ったままなのが悪かったのだろうか。

「な、何、するのよ。灯里のくせに」

呆然と呟く彩華に力はない。

「自分がしたことを分かっているの?」

「だから灯里が悠斗と拗れたのは私のせいじゃないわよ」

「確かに私は自分から何かを働きかけたりしなくて、いつも誰かの助けを待っているだけだった。今回も最初から千賀さんを信じることができていれば、彩華と上原さんに惑わされなかったと思う。全て私の弱さ、自信のなさが引き起こした結果」

「自覚があるんじゃない」

反省する私に調子を取り戻したのか、彩華は赤く染まった頬をわざとらしくさする。

「だったらさっさとあやま」

「彩華が謝りなさい!」

勢いよく遮った私に、再び彩華はぽかんと口を開ける。

「大好きな千賀さんを困らせて、無関係の上原さんに迷惑をかけて、友達の私を裏切って」

「また勝手に被害者ぶる」

「何より設楽さんにお詫びしなさい!」

びくっと身を竦ませる彩華に、私はこれも生まれて初めて人を怒鳴りつけた。

「誰だって不安にもなれば嫉妬もする。醜くもなる。仕方がないこと。でも不用意に相手を貶めて傷を負わせるなんて言語道断」

目を見開き、悔しそうに唇を噛む彩華の横から、こっわーと楽しげな野次が飛ぶ。今度は私はそちらに焦点を移した。

「いってえ」

彩華のときよりも派手な音を立てて、上原さんの頬に平手打ちが炸裂する。二度目で慣れたのか右手も痺れない。

「無関係の上原さんに迷惑かけて。灯里ちゃんそう言ってたのに」

何で俺までとぼやく上原さんと私を、またまた彩華と千賀さんが驚いて見比べている。

「お控えなさい」

じろりと睨め付けられて、黒幕の一人は口を尖らせる。

「迷惑をかけたのは彩華であって、私じゃありません。そもそもあなたはこの場にいる全員の気持ちを弄んだ、言わば諸悪の根源」

「それはないよ」

「友達の千賀さんを謀り、誤った方向に進む彩華を諌めもせず、苦しむ私を面白がっていたのは何処のどなたです」

「だから終わりにしようと思って、ここまで彩華を引っ張ってきたのに。とんだ薮蛇」

項垂れつつ上原さんは千賀さんを一瞥する。

「千賀さん」

呼ばれただけで何故かいきなり正座する彼と真顔で向き合う。

「あなたを信じなくてごめんなさい」

深々と頭を下げると、おろおろと答えが降ってきた。

「いや、俺の方こそごめん。こちらの思惑は伏せて、嫌な目に合わせて、それでも傍にいてくれなんて」

「全くその通りです」

私はゆっくり面を上げる。ごくりと息を呑む千賀さん。そうして私は夫にも怒りの鉄拳ーー気持ちの上ではーーを叩き込んだ。

「嘘……」

同時に洩らした上原夫妻を無視して、こんこんとお説教を始める。

「元々は彩華ときちんと決着をつけなかった千賀さんも悪いんです」

「はい」

「いくら報復を恐れたとはいえ、彩華を野放しにしておいたから、事態をここまで大きくしたんじゃないのですか?」

「ごもっともです」

「野放しって人を野生動物みた……」

煩い外野を一睨みで黙らせる。

「彩華は千賀さんが好きでした。ならば間違いを犯したことを認めさせ、できる償いをさせ、その気持ちに幕を引いてあげるべきでした」

設楽さんが受けた傷がどれ程のものか分からない。けれど体に付いた傷は消えても、心に付いた傷は簡単には癒えない。時を経て更に深くなる可能性もある。現に数年経っても彼女の人生は犠牲になったまま、この先元気に生活できる保証すらない。

そして彩華も止められない、誰かを傷つけなければいられない程のここまで燻った自分の想いを、今日まで長い間抱えなくて済んだかもしれない。例え一度は病んでしまっても、設楽さんへの償いをする傍ら、新たな一歩を踏み出せたかもしれない。

「千賀さんには出来た筈です。少なくともその頃、あなたは彩華が好きだったのだから」

他の誰でもない、千賀さんにしか出来ないこと。皮肉なことに小細工の為に用意された写真が、当時の二人の想いが重なっていたことを証明している。あの写真の頃の二人だけは真実だった筈だ。

「そう……だね」

まるで懺悔するように、千賀さんはそっと肩を落とした。設楽さんの願いを受け入れ、彼も様々なことを堪えてきたのだろう。見張りという表現を使ったけれど、想いを寄せた相手にそんな真似をするのは辛かっただろう。けれど目を逸らしてはいけなかったのだ。逃げてばかりだった私のように。

「これが灯里の本性なの?」

ようやく緊張を解くと、静まりかけたリビングに彩華の開き直った高笑いが響いた。

「性格悪過ぎ」

抑えようとした千賀さんを制し、私はさっきとは反対側の頬を引っ叩く。懲りずに周囲は目を剥いた。

「性格が悪い? 上等だわ。性悪彩華の友達なんだから、同等のレベルで結構よ」






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