友達の恋人

文月 青

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どのくらいの間そうしていたのだろう。バタンという音で我に返ると、私はキッチンの床に一人で座り込んでいた。彩華はどこに行ったのか姿がない。やがて駆け込んできたのは千賀さんで、家の中なのに大声で私の名前を呼んでいる。

「灯里ちゃん、大丈夫か?」

のろのろと立ち上がった私に一旦は安堵したものの、足元にひっくり返ったケーキに視線を走らせて表情を険しくする。

「これは……」

その様子を眺めて、ああ、そうだ。ケーキを買って来なくちゃとぼんやり思う。室内はまだ明るく、千賀さんはずいぶん早く帰ってきたみたいだ。

「ごめんなさい。うっかり」

嘘をつこうとか、彩華を庇おうとか考える前に、口が勝手に動いていた。

「片付けたら新しい物を買ってきますね」

時計を確認したらまだ午後の一時を過ぎたばかり。味やお店にこだわらなければ、クリスマスの主役は充分揃えられる。

「いいから」

布巾に手を伸ばした私の肩を、千賀さんがそっと引き寄せた。

「彩華が来たんじゃないのか?」

その一言で唐突に耳にこだまする彩華の声。

ーー悠斗をらないで。

「灯里ちゃん、何をされたんだ!」

焦りに双眸を彩られた千賀さんが問う。過去はともかく目の前の彼を信じたい。なのに彩華との繋がりの深さと、自分に対する想いの曖昧さを見せつけられて、何が真実なのかが私には分からない。

「千賀さんはまだ、彩華が好きですか?」

それが愛情から変わっていたとしても、ずっと大事にしてきた相手だ。単純に「友達」になれる筈が無い。

「違うよ」

悲しそうに千賀さんが瞠目する。

「灯里ちゃん、俺は最初から君を知っていた」

やっと聞き取れるような声で、でもしっかりと私をみつめて呟くから、口元が歪んでゆくのを止められない。きっと凄く嫌な顔をしているに違いない。

「何の話ですか?」

「俺は高校時代の灯里ちゃんを憶えているんだよ!」

感情を剥き出しにした激しい物言いに、今度は私が目を瞠った。

「あの日、一人の女の子が俺の同級生に絡まれていた」

それは高校時代の暑い夏休み。青空がやけに眩しい日だった。

「悪い奴らじゃないがふざけ過ぎる一面があって、案の定女の子が困っているのが遠目にも見て取れた」

やはり夏期講習の帰りだった千賀さんは、女の子の数メートル後ろを歩いていたらしい。

「助けるつもりなどなかった。ただ揉め事に発展する前に止めに入っただけだった」

そのとき一瞬垣間見た、名前も知らない女の子の真っ赤な顔が、何故か脳裏に焼きついた。自分で逃がしておきながら、背中から去った女の子に淋しくなった。やがて校内で時々女の子とすれ違うようになった。友達と歩いていたり、一人俯いていたり。でもそのひっそりとした佇まいは、どこか自分と通じるものがあるようで、いつのまにか彼女を目の端に捉える癖がついた。

恋だったのかどうかは定かでない。よくある十代の類似体験かもしれない。ただ女の子に会えた日は、それだけで気持ちが晴れ渡るのを感じた。あの日の青空のように……。

「一度も話すことないまま卒業して、女の子は思い出になった。誰かとつきあっても、色褪せることのない」

千賀さんはゆっくりと目を細めてゆく。

「彩華に友達だと紹介された日、冗談ではなく、本当に息が止まりそうだった」

当時も今も、私は息が止まりそうだった。千賀さんは私の話をなぞっているのだろうか。後生大事に思い出を抱えている私を、揶揄っているのだろうか。

「記憶の中にしか存在しなかった灯里ちゃんと、生身の君と再会できてどれ程嬉しかったか……」

私だって同じだった。視線を合わせることも、おはようの挨拶すらも交わせないまま卒業した千賀さんが、時を経て自分の前に現れた瞬間の気持ちは、きっとどんなに言葉を尽くしても伝わらない。

「例えデートの付き添いであろうと、灯里ちゃんに会える日が待ち遠しくて」

千賀さんはどんなふうに話すんだろう。どんなときに笑うんだろう。何が好きなんだろう。何が苦手なんだろう。そして私をどう思っているのだろう。彼の一挙手一投足に神経を張り詰めていた。

「それなら何故、ずっと拒絶するような態度を取っていたんですか」

少なくともあの頃は千賀さんからの好意は微塵も感じなかった。むしろ彩華への深い想いが彼を占めていたから、上原さんから二人が恋人同士だと聞かされたときもすんなり納得した。

「だからこそ、だよ」

そっと瞼を伏せる千賀さん。もちろん照れ臭さもあった。少年に戻ったような気恥ずかしさに囚われて、素直に声をかけられなかった。けれどそれ以上にその気持ちを顕にするわけにはいかなかった。

「灯里ちゃんの為にも」

沈痛な面持ちで洩らされた一言に私は眉を顰めた。

「私の、為?」

最初はずっと千賀さんの本心が分からなくて、その言動の全てが私を蔑ろにしても、彩華が幸せであればよいのだろうと思っていた。気持ちを添わせてくれるようになってからも、何もかもが彼女に結びついているような気がして切なかった。なのに彩華ではなく。

「私の、為?」

繰り返す私に千賀さんも戸惑いを隠さない。今更何をとでも問いたげに双眸を鋭くする。

「それは前の彼女のように……上原から聞いていたんじゃないのか?」

前の彼女とは、彩華に嫌がらせをした上に怪我を負わせた人のことだろうか。まさか私がその人のように彩華に手を出すのではないかと、それを未然に防ぐ為に取った言動だというのだろうか。でも辻褄が合わない。だったら私の逆恨みを招いて、却って彩華の身が危険に晒されることになる。

ーー何をされたんだ!

そういえば千賀さんは咄嗟に叫んでいなかったか。

「どういうことだ?」

混乱の渦に落とされた私達は、ただお互いの顔をみつめることしかできなかった。





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