友達の恋人

文月 青

文字の大きさ
上 下
20 / 55

20

しおりを挟む
「灯里ちゃん?」

軽く腕を引っ張られて我に返ると、隣に心配そうな千賀さんの顔があった。いつのまに寝室に来たのか、ここ数日同様二つ敷かれた布団に、それぞれ横になっている。ほんの少しの隙間が、何故かいつもより冷え冷えとしたもののように感じた。

「ぼうっとしてました」

「仕事が忙しかった?」

「あ、はい、そうですね」

曖昧に答える私に、千賀さんは優しい笑みを見せる。それを合図に忘れていた光景が脳裏に蘇った。

「灯里ちゃん、欲しい物はない?」

どくんと脈打つ鼓動。この質問が数時間前なら、私は少しくらい喜んでいたかもしれない。

「せ、千賀さんこそ、欲しい物はないんですか?」

さっきまではイブをどう過ごそうか憂えていたのに、本人に向かって平然と馬鹿なことを訊ねている。

「今は……灯里ちゃんがいてくれたら、それでいい」

天井に顔を戻してぼそっと呟く千賀さん。私を一瞬にして幸せにも不幸せにもできる。嘘つきな上に何と罪な人だろう。

「最初はそんなこと、なかったんだ」

街の中をふらつきながら、上原さんは独り言のように語り出した。誰かに聞いて貰いたいというより、吐き出さないと自分を保てないといったふうだった。

「灯里ちゃんと千賀が上手く行き始めた頃からかな。彩華の様子が変わったのは」

それは彩華と上原さんが、私のお見舞いに来てくれた日を境に始まった。部屋の模様替えをしたり、近所を散策して知人を作ったり、新婚生活を楽しんでいた彩華が、毎日塞ぎ込むようになったのだという。

苦手とはいえ持ち前の前向きさで、あれこれ試しながら取り組んでいた家事も、掃除や洗濯を怠ることが増えた。仕事から帰ると食事の用意もせずに、真っ暗なキッチンに彩華が突っ立っていたこともあった。

「俺は彩華が家事が苦手だと知っていて結婚したから、ちゃんとこなせなくても別に構わないんだ。むしろ体調が悪いのかと懸念していた」

けれど熱もなければどこも痛くない。薬も治療も必要としていないのに、日々口数は減り笑わなくなってゆく彩華。訳を聞いたところで濁すばかり。

「千賀が原因なんだろうと当たりをつけてはいたが」

三日前の夜。愛し合っているときに、無意識に彩華が洩らした。

ーー悠斗。

「本人も自覚がなくてさ。その名前を呼んで俺にしがみついていた」

淡々と事実を述べる上原さんに、彩華を責める素振りはなく、ただ悲しそうに笑っていた。

「そのときは聞き流した。一度だけのことだったし」

でも昨日の夜。ベッドの中で彩華にキスをしようとした上原さんは、彼女の双眸に映っているのが自分ではなく千賀さんに見えて、甘える声が千賀さんを呼んでいるように聴こえて、求める腕が千賀さんを探しているような気がして。唇すら重ねることができなかった。

「情けないよな」

私にも覚えがあった。千賀さんが彩華の名前を呼ぶときの、ただただ慈しむ声色を知って以来、自分はいまだに彼の名前を呼べずにいる。

「ごめんな。俺がこんなんじゃ、灯里ちゃんと千賀にも影響するのに」

でもすべきこともしたいことも分からない。一時的なものなのか、この状態を引きずって行かねばならないのかさえ。

恋人同士だったならば、彩華と千賀さんには当然それなりのつきあいがあっただろう。今更それをどうこう突くつもりはもちろんない。けれどなまじ相手が友達なだけに、何もかもがリアルで生々しい。

別々に寝ていたからあえて考える必要がなかった……無意識のうちに避けていた友達と夫の閨事。もしも私達が離婚を回避しても、真の意味で夫婦になるなら、その事実を受け入れなければならない。

千賀さんはどうなのだろう。私と触れ合いたいと思っているのだろうか。それらしい雰囲気にならないようにしているのは、私への配慮なのだと疑わなかったけれど、もしもそれが上原さんと同じ理由だったら。

私が千賀さんに向ける動作の一つ一つが、こうしてただ傍にいるときでさえ、彩華に見えているのだとしたら。例え私とキスをしようとしても、目を閉じた瞬間や唇が触れた瞬間、彩華のことが蘇るのだとしたら。

「灯里ちゃん?」

千賀さんに再び現実に呼び戻される。

「すみません。眠くなってきました」

わざとらしく欠伸を一つする。千賀さんは私を選んだと、私と結婚したかったと言ってくれた。その言葉を丸ごと信じられるわけではない。けれどいつか信頼の気持ちが宿って、二人の心の距離が縮まったとしても、彼の傍らに私にも彩華が見えてしまったら。

二人の隙間を埋めて、千賀さんが私に身を寄せた。

「何があった」

決めつけるような口調で千賀さんが問う。私は黙って首を振った。帰宅が遅かった彼に夕食のときに訊ねた。寄り道でもしていたの、と。返った答は残業だった。

「彩華を幸せにしたい。でも彩華の望みが千賀と共に在ることなら、俺にできる唯一はあいつを手放すこと」

それができるくらいならと、上原さんは一人葛藤していた。そして上原さんが彩華を手放す覚悟をしたときには、私という枷を必要としなくなった千賀さんが、心のままに彩華への想いを解放してしまうかもしれない。そうなったら私にも自分の意思とは関係なく、千賀さんとの別れが訪れる。

「彩華の、ことなんだね」

切なげに断定する千賀さんに、私はそれでも首を振るしかなかった。まだ彼のことが好きなら素直に縋ってしまえばいいものを、何処かで信じ切れない自分が嫌だった。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。 真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。 そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが… 7万文字くらいのお話です。 よろしくお願いいたしますm(__)m

彼の友だち

菅井群青
恋愛
彼氏の浮気で部屋を飛び出した女の前に現れたのは彼ではなく……彼氏の友だちでした。 「あんた……ここでなにしてんの?」 「……買い物」 いつも冷たい男とボロボロの女の話

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……

希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。 幼馴染に婚約者を奪われたのだ。 レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。 「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」 「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」 誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。 けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。 レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。 心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。 強く気高く冷酷に。 裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。 ☆完結しました。ありがとうございました!☆ (ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在)) (ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9)) (ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在)) (ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

処理中です...