友達の恋人

文月 青

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「引越しでもする気か?」

開口一番そう言ったのは上原さんだった。隣の彩華も呆然と突っ立っている。リビングに通されるなり、家財道具が数点消えているのを目の当たりにした二人は、あった筈のソファに座ることもできず、さっさと床のクッションに座った千賀さんを眺めた。

「おまけに雰囲気が違う」

「何が」

食事の際に不便なので購入した折り畳みテーブルに、四人分のお茶を並べている私に視線を走らせてから、千賀さんが素っ気なく返す。

発熱から三日後の月曜日の夜。千賀さんから私が寝込んだと聞いた彩華と上原さんは、仕事帰りにわざわざ揃ってお見舞いに訪れた。ところが室内があまりにも変わり果てていたので、冒頭の台詞が飛び出したのだ。

「壁が薄くなった。第一」

そこで彩華と共に床に腰を下ろした上原さんが、にやりと口の端を上げた。

「お前の表情が穏やかだ。何かあったな?」

「何もない。な?」

千賀さんに同意を求められて、こくこくと頷く私。お茶を配り終えて彼の横に収まると、上原さんは少し背を反らせてこちらを見やり、楽しげにそれだよと指摘した。

「以前だったらそんなふうに灯里ちゃんに相槌を求めなかったぞ?」

「そうか?」

「そうだ」

その件に関しては上原さんに一票。金曜日から千賀さんが別人のように変わって、私も困惑している最中だ。土、日も付きっきりで世話を焼きまくり、熱も下がって咳も落ち着いたと主張しても、布団から出してくれなかった。

さすがに今日は仕事なので、仕方なく出勤するのは認めてくれたが、朝食と自分のお弁当を作っていたら、

「俺にも、作ってもらえないかな?」

これまで何を食べても反応がなかったのに、いきなり所望してくる。

「私のご飯、口に合わなかったんじゃないんですか?」

「灯里ちゃんの作るものは美味いよ、全部」

挙句の果てにはそんなことまで呟く始末。気恥ずかしそうに頬を掻く仕草に、絆されるなと唱えつつも、しっかり千賀さんのお弁当を用意した私。

「お別れして下さい」

私がそう切り出し、千賀さんもそれを呑んだ筈だった。

「どうしても灯里ちゃんが辛いなら、もう俺の顔も見たくないなら、そのときは諦める努力をする」

なのに何故つきあいたての男女のようなやり取りを重ねているのか。

「もう遅いかもしれないけど、判決が下るまで嫌われない努力をするから」

穏やかに語る千賀さんに、私は嬉しいのか悲しいのか分からず、いろんな意味で胸が苦しいのである。

「悠斗が女の子に態度を柔らげるなんて、ほんと珍しい」

両手で湯呑みを包んだ彩華が、湯気の奥で小さく微笑む。いつもならここで千賀さんも極上の笑みを浮かべていただろう。そして二人にしか通じない空気が流れる。

「そんなことはない」

ところが千賀さんはぼそりと否定した。その場にいた彼以外の三人が固まった。

「悠斗?」

驚いて問いかける彩華を、にこりともせずに凝視している姿は、今までの千賀さんとは違和感があり過ぎる。上原さんも戸惑っているのか、ちらっとこちらを一瞥したが、私にも心当たりがないので首を振るしかない。

「ところでこれ、お見舞いのプリン。冷蔵庫に入れた方がいいよね? ついでにお茶のおかわり貰えるかな?」

場の雰囲気を和ませるように、テーブルに乗せていた箱と空の湯呑みを手に上原さんが立ち上がった。

「すみません、ありがとうございます」

受け取ってキッチンに向かうと、彼は悪いねと苦笑しながら着いてくる。

「千賀は一体どうしたの?」

屈んだ姿勢で黙り込んでいるリビングの二人をみつめ、上原さんはこっそり訊ねた。

「それがさっぱり」

「そっか。心境の変化でもあったかな」

ため息と共に洩らした後、悪戯をする子供のような表情になる。

「上手くいっているみたいだね」

「全然です」

口説いようですが、説得力もないですが、離婚協議中の夫婦ですーーと内心でぼやく。

「でも灯里ちゃん、今日千賀に弁当作ってあげたでしょ?」

「ただの気紛れです」

「あいつね、皆に羨ましがられていたよ」

腑に落ちなくて眉根を寄せる。会社の同僚を自宅に招いたときから、私は料理下手の気遣いができない奥さんであろう。

「かなり控えめではあるけど、灯里ちゃんが作ったって見せびらかしてた」
 
「ありえません」

人に自慢できるようなお弁当ではないし、そもそも千賀さんが見せびらかしている姿が想像できない。

「灯里ちゃんが料理上手だと知って欲しかったんじゃないかな」

まだ会話をしない二人を余所に、上原さんはしみじみと呟いた。

「彩華を貶めることなく、灯里ちゃんの名誉も挽回。千賀なりに反省したんだろうね。あのときのこと」

よかったねと上原さんは締め括ったけれど、俄かには信じられなかった。






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