うつし世はゆめ

ねむていぞう

文字の大きさ
上 下
1 / 5

手をつなごう

しおりを挟む
「俺、いつも人と手をつないでいないと、不安でしかたないんだ」
 小学生のころ、そんなことを言う男子生徒がいた。
 彼の名前はタミオ。クラスでもあまり目立つ存在ではなく、特に目を引く容姿でもない。だからいつでもその存在は皆から忘れられることが多かった。だが私だけは妙に彼のことが気になっていたから、いつも彼の行動を見つめていたのである。
 見つめていても何か変わったことがあるわけではない。教室に入るとそのまま自分の席に座って地蔵のように動かない。 
 ただ昼休みになると彼は急変し、おかしな行動をとる。
 誰彼かまわず、
「手をつなごう」
 と、追い立てるのだ。
 当然、皆は逃げるのだが、彼はそれを見て嬉しそうに笑う。逃げる方もそれをどこか楽しんでいるようにも見えた。
 以来、彼は皆から変態扱いされるようになった。
 タミオのことを観察していて気付いたことだが、どうやら彼は同じクラスのリョウコという女子に気があるようだ。暇さえあればいつも彼女の方を見ている。
 まあ、彼女はクラスの中でもひときわ輝く存在であったから、それも不思議なことではないだろう。
 しかし、あるとき彼女は何らかの事故に巻き込まれたらしく、学校に来なくなってしまった。何でも右手を負傷したということである。担任の先生もそれ以上のことは何も言わない。
 タミオもさぞかし悲しんでいるだろうと思えば、けっしてそうではなかった。
 彼は教室の中だというのにダウンジャケットを脱がずに、右手だけをいつもジャケットのポケットの中に突っ込んでいる。そして、あたかも幸福そうな顔をしているのだ。
 何だ、別に彼女に気があったわけじゃなかったのか。ある種の期待が裏切られたような気持ちだった。
 そんなある日の放課後のことだった。
 生徒たちはいっせいに立ち上がり、我先へと教室から出ていった。
 タミオは皆よりも後に立ち上がり、ランドセルを背負おうとしている。ジャケットのポケットから右手を出した。
 そのときだった。
 私の視界に飛び込んできたのは彼のジャケットのポケットから覗ける白いものである。見間違いでなければ、それは人の手だ。実際には何本かの指先だけしか見えなかったが、確かに人の手だった。
 いつの間にか教室の中には私とタミオの二人しかいない。
 タミオはふいに私の顔を見てニヤっと笑った気がした。
 私は怖くなってその場から走って逃げた。
 もう、無我夢中で走っていた。頭の中には先ほど見たポケットから覗けた人の手が鮮明に焼き付いていた。
 タミオはポケットの中で、あの白い手を握っていたのかもしれない。あたかも幸せそうな顔をして。
 そうだ。リョウコは右手を負傷したと先生は言っていた。もしかして私が見たあの白い手は……。
 私はひたすら走り続けた。立ち止まったらすぐ後ろにタミオがいるような気がしたから。
 これだけ怖い体験をしたにもかかわらず、私はその後のことをまったく覚えていない。いや、何もかも覚えていないというわけではない。その後のタミオに関することはすべて私の記憶から消えていたのだ。
 私だけではない。クラスの皆はタミオという生徒がいたことさえ分からないようだった。皆の頭からタミオの記憶が削除されたように。
 ただ、右手を負傷したリョウコはあれから学校に来ることなく、どこかへ引っ越したということだった。

 あの出来事から既に三十年が過ぎようとしている。
 私は十年間勤めた広告代理店を退社して今はフリーのコピーライターだ。都心から少し離れた場所にマンションを借り、そこで一人暮らしをしている。
 仕事が一段落つくと冷蔵庫から缶ビールを取り出して飲む。それが日課である。
 その日も買い溜めしている缶ビールを飲んでいるとドアをノックする音がした。ここにはめったに人が訪ねてくることはない。いったい誰だろうと思いながらドアを開けると、そこには見知らぬ男が立っていた。
「あのう、私、隣に越してきた者ですが、ご挨拶に伺いました」
「ああ、わざわざすみません」
「あのう……」
 男は私の前に右手を差し出して、
「握手、いいですか?」
 と、言った。
「握手、ですか……」
 少し戸惑いながら私は男の顔を見た。
 そのとき一瞬だが呼吸を忘れてしまった。
 何故なら、その男の笑顔にタミオの面影を見たからである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

迷探偵ごっこ。

大黒鷲
ミステリー
これは、中学生同士のまだ子供っぽさが残ってるからこそ出来る名探偵ごっこである。 日常のくだらないことをプロのように推理し、犯人を暴く。 「「とても緩い作品である」」 だが...

顔の見えない探偵・霜降

秋雨千尋(あきさめ ちひろ)
ミステリー
【第2回ホラー・ミステリー小説大賞】エントリー作品。 先天性の脳障害で、顔を見る事が出来ない霜降探偵(鎖骨フェチ)。美しい助手に支えられながら、様々な事件の見えない顔に挑む。

真正なる道のり

etoshiyamakan
ミステリー
神奈川県に出向の刑事と彼を取り巻く警察仲間 のストーリー

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

どうかしてるから童話かして。

アビト
ミステリー
童話チックミステリー。平凡高校生主人公×謎多き高校生が織りなす物語。 ____ おかしいんだ。 可笑しいんだよ。 いや、犯しくて、お菓子食って、自ら冒したんだよ。 _____ 日常生活が退屈で、退屈で仕方ない僕は、普通の高校生。 今まで、大体のことは何事もなく生きてきた。 ドラマやアニメに出てくるような波乱万丈な人生ではない。 普通。 今もこれからも、普通に生きて、何事もなく終わると信じていた。 僕のクラスメイトが失踪するまでは。

処理中です...