泥りんご

茶柱

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泥りんご

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彼女はずるい。

彼女は付き合った初日に、僕に告白したんだ。
「私は精神疾患者です。今後あなたには迷惑しかかけない。あなたに覚悟がないのであれば、付き合わずに私を切っていただきたい。」
そう彼女は下を向き、震えながら右手の拳に力を入れて言うんだ。
そんな姿を僕は抱きしめる。
彼女の溢れる悲しみは、僕にもしみわたってきて、彼女の頭を撫でながら「大丈夫」と言い聞かせるんだ。

彼女は満員電車に乗れない。
いつもドア付近で息を吸い、人が入ってくるたびに、僕を掴む力が強くなる。
次第に目が合わなくなって、右手の拳が震えだすんだ。
彼女の顔は青白くなり、僕に一言謝ると、次の駅で飛び降りるんだ。
人にぶつかりながら走り倒れこむ彼女を、追いかける僕。
僕のため息は彼女には聞こえない。
必死に自分しか見えてない彼女の姿を、周りは避け、汚物を見るように冷ややかだ。
背中を丸めしゃがみこみ、拳で耳を塞ぎ、前後に揺れている彼女が僕の彼女。
彼女は涙をポロポロ流しながら、
「ごめんなさい ごめんなさい」と何回も言う。
僕は震える右手を掴んで抱き起し、「大丈夫」と言い聞かせるんだ。

僕は僕の中にある物ほとんどを彼女に捧げ、そして捨てた。
生きがいを感じていた旅行も、押し合いながら頭を振るライブも、大好きなお酒も、全て彼女と共有しあいたかった夢。
僕は彼女を好きだけど、
だけど、
ため息しかでないんだ。
自由に息ができなくなって、もがき苦しんでる彼女は、とても傲慢で。
できないことを武器にしているようにしか見えなくて。
「僕だって」って。
そう思う時があるんだ。

彼女は下を向きまた泣く。
僕は彼女に謝ってもらいたいわけじゃない。
泣き顔を見たいわけでもない。
変わってもらいたいんだ。
病気がすぐ治るなんて思ってない。
ただ、治す努力をしてもらいたいんだ。

「努力?」

彼女はある日、僕の好きなバンドのライブチケットをとってきた。
僕は単純に嬉しかったし、彼女なりの「努力」として受け取った。

ライブが始まる前に彼女はまた僕に言う。
「もしダメだったらごめんね」と。
彼女のずるさを感じながらも、彼女の努力を酌むことにしたんだ。

大きい音は大丈夫なのだろうか。
席がないこの小さなライブハウスは息ができるのだろうか。
厚い扉を見て、この人数を見て、彼女は・・・・。

明かりが消えた。
隣の女が悲鳴をあげる。
ステージに明かりがつくと、四方八方に女たちが奇声をあげだした。
ドラムの音が鳴った瞬間に、後ろの女達がドッと走り出し、僕の彼女は押し倒された。

ダメだった

彼女を引きずり出し、心優しい男性が手をかしてくれた。
僕は頭を下げ、彼女を外へと連れ出す。
すぐそこでは大好きな曲が爆音で流れている。
厚い扉を開け、全身硬直した彼女を椅子に座らせた。

彼女の目はまんまるで、どこ見てるか何を考えてるのか、わからない放心状態だ。
いつもだったら僕は彼女に触れて、彼女をなだめる。
しかし僕は聞こえてしまう距離で、ため息をついてしまったんだ。

「もう帰ろう」と僕が言う。
「ご、ごめんなさい」といつも通りに彼女が謝る。
「やっぱりダメじゃん」
「ごめんなさい」
「ほら もう出よう」
「お、落ち着くから。だ、大丈夫だから。」
「大丈夫じゃないじゃん」
「ちょっと待って」
「待つも何も無理じゃん」
「ご、ごめんなさい」

僕はイライラしていた。
いや、もう怒りが爆発しそうで、どうしようもなかった。
扉の向こうでの生音が、生声が、目の前の彼女が、どうしようもなくもどかしくて、どうしようもなく怒りが込み上げてきたんだ。

気付けば僕は、彼女を殴っていた。
抱きしめるはずの手は、彼女の頬を、彼女の眼球を殴ってしまっていた。

震える右手拳。

タイミングよく流れる曲は、一緒に初めて聞いたラブソング。

床に零れ落ちる涙。

ご・・・ごめんなさい。


帰り道、怒るべきはずの彼女は怒らなかった。
それどころか、謝り続けていた。
ごめんなさい
ごめんなさい
・・・ごめんね
そうずっとずっと、何もかもを震わせて。


今の僕なら、彼女を抱きしめてあげられたのだろうか。
彼女の心の病気に、付き合い続けられたのだろうか。
支えに、励みに、特別な存在に。なれたのだろうか。

僕はあの夜浴びるように酒を飲み、記憶をなくして朝を迎えた。
お酒を一滴も飲めない彼女は何を飲んだのだろうか。

僕はずっと彼女を思い出す。
電車のドアの角で僕の袖を握り顔をうずめる姿。
僕の部屋で必ず作ったサラダパスタ。
結局最後まで見ないくだらない映画。
彼女が持ってきたゴミ箱。
二人で買ったお揃いのマフラー。
トンネルを避けて遠回りする帰り道。
一駅先まで歩いて話し合った喧嘩。
僕のポケットにはいつもミントチョコを。彼女はいつもミルクティを。

エレベーターに乗って彼女と展望台から夜景を見たかった。
新幹線で遠出してみたかった。
飛行機に乗って船に乗って、旅行してみたかった。
なにも気にせず、ただどこでもいいから出かけたかった。

僕はずっと後悔をし続ける。
あの時彼女を抱きしめてたとしても。
「大丈夫」と言い聞かせてたとしても。
二人で潰れあって壊れていくだろう。
そして殴った昔の僕もまた、いまだにずっと、壊れたまんまなんだ。
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