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3章

懺悔

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たっぷりのお湯に久しぶりに浸かりながら片喰は立ち上ってカーテンに吸われていく湯気を呆然と眺めていた。
処理が追いつかなくなった片喰を見かねて、ルイは話を切り上げると湯を沸かして風呂を勧めてくれた。
もう夜も遅い。麻耶に簡単な処置を施して今日のところは休むからとルイに押されて片喰は風呂場に入れられた。
身じろぎをするたびに立つ波の音が耳に心地よく体だけでなく心まで温まる。

「はぁあ………」

ルイが数ヶ月ぶりに目覚めたことに始まり、ルイの家のこと、ルイとレイの関係、ルイの過去の恋人のこと、衝撃的な出来事が多すぎた。
濡れて落ちてきた前髪を払って首元まで湯につけて片喰は大きく息を吐く。
湯船でゆっくりと解れながら頭の整理をしていて、片喰は態度が悪かったという反省と自己嫌悪を始めていた。
どんなことも受け止めると、全てを救うと覚悟して宣言したのにこの狼狽振りといったら情けなくて仕方がない。
きちんと呑み込めていけばいくほど、風呂場へ片喰を押し込めるときに普段使いではなく来客用の新品のタオルを手渡してきたルイの悲しさを取り繕った表情が胸に刺さる。
ルイは狼狽する片喰の様子を見て、愛が冷めて毒が効くようになっていても仕方がないと判断したのだ。
そんなことを思わせてしまった自分が許せなかった。

「はぁー、ルイに悪いことをしたな」

「…片喰さん?」

「んっ、る、ルイ?」

天を仰いで充満する湯気に再び目を向けたとき奥からルイの声が聞こえた。
突然のことに片喰は驚いて滑って湯船の湯が大きく荒立って溢れる。
ルイの家の風呂は、シャワーのついた大きな猫脚のバスタブを水気を弾く魔力が込められたカーテンでぐるりと覆ったもので片喰がいた世界でいうと西洋風だ。
溢れた湯はバスタブの縁や脚と特殊な輝きを放つ大理石の床が、湿気や水気はカーテンが全て吸い尽くしてしまうためカーテンの外は普通の部屋が繋がっておりそこが脱衣所になっている。
最初は脱衣所と風呂場の間にカーテンしかないことが不思議でならなかったがもうすっかり慣れたものだ。
ルイは脱衣所部分に勝手に入ってきてカーテンの外から話しかけてきているようで、影が波打って映っていた。
今まで片喰が入浴している間にルイが脱衣所に入ってきたことはない。脱衣所には洗面台があるわけでもなく、本当に服を脱ぐところ以外の機能がないためルイが何をしにきたのか分からず片喰は戸惑った。

「どうした?」

「あ、えっと…湯加減、大丈夫?」

「え…?あぁ……大丈夫だ」

久しぶりに湯を沸かしたため確認に来てくれたらしい。なんとなく気まずい雰囲気を感じながら片喰は努めて明るく返事をした。
しかし、ルイは片喰が返事をしてもカーテンの前で沈黙したまま帰る気配がない。
訝しんだ片喰は湯船に体を沈めたまま手を伸ばしてカーテンを開けた。

「ルイ?どうし……え!?」

カーテンの向こうではふわふわの寝巻きをはだけて脱ごうとしているルイがいた。
真っ白なルイの鎖骨が目に焼き付いて片喰は慌ててカーテンを閉める。
今までのもやもやとした感じではない、心臓が全力で早鐘を打つ。

「す、すまん、着替えに来てたのか…」

「ううん…」

縮こまる片喰を気にも止めず、ルイは勢いよくカーテンを開いた。
そこに立っていたのは一糸纏わぬ姿のルイだ。
片喰は声にならない声を上げて叫んだ。
数日前に食べた白身魚よりも真っ白で滑らかな柔肌にはほんの少しだけ腹の傷が残っている。服の上から見るよりも数段に細く感じる腰や首周りとは対照的に太腿は肉がついていて幾分か幼く見えた。
見てはいけないと思いながら止めることができずに滑った視線はくっきりと見える鎖骨からほとんど色のない薄い乳首、ほんのりと筋のある薄い腹、そして前に邪推してしまった柔らかな毛までを捉えてしまった。
やはり、白銀なのか。
そんなことを思ってしまった自分を叱るように片喰は大きく仰け反って自分の手で目を隠した。

「る、る……っ!ルイ!?どうしたんだ!?なんで、脱い……!」

ルイは片喰の焦りを意に介さず、その場で何度も深呼吸をすると意を決したように静かに湯船に足を入れて体を沈めた。
いくらルイが小さくて湯船が大きいといっても、さすがに成人男性がふたりは窮屈だ。
ルイのきめ細やかな肌が脚に触れて片喰は真っ赤になって体を震わせた。

「さ、さ、さっき、入っただろ…!?なんで…」

揶揄われているのかと開けた片喰の瞳には目の前で小さくなって湯に浸かり、全身から湯気が出そうなほど真っ赤になっているルイが映った。
ルイは恥ずかしさと不安さを湛えた表情で片喰を見上げた。

「その………片喰さん…」

ルイがふざけているわけではなく、何か思い詰めて真面目な話をしようとしていることを察した片喰は高鳴る心臓をなんとか抑えながら真摯に向き合う。
なるべくルイの体を視界に入れないようにアメジストの瞳だけを一心に見つめる。
そこで、ルイの瞳が湯気のせいではなく潤んでいることに気が付いた。

「僕……か…片喰さんに……嫌われちゃったかと…思って……話なんか、しなければよかったかもって、どんどん後悔が押し寄せてきて………っ」

「え…?」

不思議な模様が浮かんだアメジストの双眸が水をいっぱいに張って揺れる。
ルイの声は迷子になった幼い子のように高く上擦って掠れ、震えていた。

「片喰さんに、嫌われたら……片喰さんに、毒が効いちゃったら…!僕、片喰さんのこと、殺してしまうかもしれない…どんなに気をつけても、片喰さん、死んじゃうかもしれない……」

ルイの瞳からぼろぼろと大きな涙が溢れて落ち湯船に混ざって消えていく。
この涙が湯に落ちて大丈夫な時点で、そもそもルイが全裸で湯船に入ってきて大丈夫な時点で片喰がルイのムータチオン・トレラントのままであることは証明されている。
それを知りたくてわざわざ風呂にまで入ってきたのだと思うと片喰は呆れるやら愛おしいやらで持ち上がる口角を下げられなかった。
大胆すぎるが、私のことまだ好き?の確認ということである。

「ルイ…大丈夫だ。俺は死なない。心配しなくても俺は…」

優しく声をかけるが、不安で涙するルイの気は晴れないようだ。
より一層泣きじゃくるルイは片喰の優しい手を払って自分の顔を手で覆った。

「僕のことがどうとか、そういうんじゃなくて…僕、僕……片喰さんに、僕の血を輸血してるんだよ…!ムータチオンじゃなくなったら、どんな効果が起こるかもわからないのに…!」

「は?」

「言えてなくてごめんなさい…医者として最低なんだ、あの時の僕は…その、それ以外に選択肢がなくって、頭も回ってなかった…!片喰さんを、いつ僕の毒で殺してもおかしくない体にして……!」

想像もしていなかった懺悔に片喰は目を見開く。
自分の中にルイの血が流れている。
ルイが、自分の血を輸血した。
そのことでルイは不安になって自分を責めて泣いている。過去を話したことで、片喰が自分を嫌いになって体に流れる血液の毒が効果を持つのではと考えている。
湯船に自分から入りにきたのはもちろんムータチオン・トレラントかどうかを確認するためだが、好意の確認のような甘えたものではない。
露出する粘膜の少ない肉体部分を湯を媒介することで試して、片喰に異常があれば既にムータチオン・トレラントではないが片喰は生きている、つまり輸血した毒は悪さをしないということだ。
ただ、湯に触れても涙に触れても片喰は問題がなかった。まだムータチオン・トレラントであるということだ。
つまり、輸血した毒が今後どうなるかはわからない。
片喰が自分のことを嫌いになるかもしれないと考えてしまったルイの不安は消えなかった。

「ごめんなさ………!」

泣いて謝るルイを、片喰は衝動的に抱きしめた。
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