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1章
片喰の気持ち
しおりを挟む小さな背中が片喰の左腕にもたれかかる。
食事の世話よりも心臓が疾走する事態に片喰はルイの意図するところをはかりかねてただ体を強張らせた。
「…目を覚ましてよかったよ。血液が足りなかったから」
やましい気持ちが膨れ上がっていた片喰はルイの真面目なしみじみとした声で我に返ってそっと粥をテーブルに置いた。
ルイの星屑が散らばった銀髪がスカーフの結び目を押し上げている。後頭部しか見えずどのような表情をしているかはわからない。
「アスクから、エクリプサーのことと、お前の…双子の兄のことも聞いた。それから手術のことも」
ルイの身体がぴくりと反応する。
「傷も残さないように丁寧にしてくれたって…ルイも寝込んでたんだろ」
「あれは…大掛かりな手術だったから。別に片喰さんがどうとかじゃないから気にしないでいいよ」
棘のあるような言い方のルイにアスクの茶化したような言い方が被る。
目の前の柔らかな銀髪を注視しながら片喰は愛おしさと同時に意地悪な気持ちが湧いてきて抑えることができなかった。
「でも、泣いてくれたんだろ?」
「だってあの時はぁ、…うっ…」
否定ではなく言い訳をしようと振り返ったルイがバツの悪い顔をする。これでは肯定になる。
自分のために推しが泣いてくれるなどこれほど感激なことはない。
片喰のオタクな側面が心の中でペンライトを必死に振る。一方でその顔を見て、光栄だという以上の気持ちを強烈に抱いた側面の片喰が体を支配し衝動的にルイを抱きしめた。
「え、あ、片喰さん、こらっ!」
小さく本気を出せば折ってしまいそうなほど細いが、確かに男の体だ。
柔らかい温かさに薬品が混じったルイの匂いが耳の裏からふわっと香る。
死にも生にも実感がなかった片喰はようやく、死にかけて、一命を取り留めたという安堵を感じた。
窓から差し込んでいた夕陽はとっくに暮れてしまい枕元の間接照明だけがぼんやりと明るいようで薄暗い。
腕の中のルイが美しい、可愛いと普段のようにそう見えず、ただ一人の人間としてその腕に抱いていたいと思った。
「ルイ、ありがとう。本当に」
「い、いや、医者として当然のことだよ。気にしないで。それより離し…」
なるべく顔を離そうと身を捩って暴れるルイを力一杯抱きしめる。
片喰自身も驚くことではあるが、急に好きだという気持ちが溢れてきて仕方がなかった。
好きだというのは今まであったようでなかった感情だ。
片喰はルイにガチ恋はしていたもののどうこうなりたいというものではなかった。ただルイに焦がれてルイを愛していただけだ。
敬愛であり我が子のような愛であり、無償の愛で、神聖的なものに抱く憧れでもあった。それでいて慰みにしたり性的な目で見たりとそういう側面もあり、恋だと思ったことが全くなかったわけではない。
ルイのために死んでもいいと思った。ルイに殺されるなら本望だとも思った。でも、恋愛ではない。
矛盾していて、複雑で、ガチ恋で、それでも推しは推しだった。
愛してはいても好きだと安直で陳腐で俗な感情が燃え上がることなどなかった。
しかし、今ルイを抱きしめながら片喰の身体を燻っているのは好きというシンプルで熱烈な想いだった。
「ちょっと…か、片喰さ…、え…」
視界が歪む。ルイの慌てた声で片喰は自分が涙を流していることに気が付いた。
「ど、どうしたの?どこか痛む?苦しいところは…」
腕を振り解き首にかかった聴診器を掴みながら片喰を心配するルイを呆然と見つめる。
孤独だった片喰の唯一の拠り所。命の恩人。
いつから好きだったのだろうか。いつから救われていたのだろうか。
「ルイ…」
「ここにいるよ。大丈夫?落ち着ける?」
急に取り乱した片喰に優しく声をかけながら背をさするルイは女神でもなんでもない。ただの一人の人間で、それが愛おしかった。
片喰はくしゃりと顔を歪めてルイの頬に手を伸ばし口元のスカーフを下ろした。
「あっ…!」
「ルイ」
「!!!」
口元があらわになって驚くルイの胸ぐらを掴み引き寄せ、逃げようとするのを押さえて強引に口付ける。
ただ触れるだけの口付けをして、すぐに片喰は固まってしまったルイを解放した。
「ルイ」
ルイは放心し、その場で動けない。ピンクの聴診器が地面に落ちてからからと音を立てた。
「寂しいからとか、お前の全てを救いたいとか、そんな複雑なんじゃなくて…俺、お前が好きだ」
片喰は迷子の幼子のような顔で困ったように微笑んだ。
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