わるいむし

35

　自分の鼓動の音がやけに大きく聞こえてくる。
　気配でも感じているが、鏡越しに見える兄は新汰のすぐそばにいて、その距離は指一本分ほどだ。
　「どうしたの？な、なんでいきなﾘ？」
　新汰は緊張を悟られないよういつもの口調で訊ねようとした。
　だが、唇が渇いているせいか上手く言葉が紡げない。
　「新汰がどう思ってるか聞きたいんだよ」
　兄はそう言うと、新汰の肩に両手を乗せてきた。
　体温が伝わり、そこから全身にカッと火が燃え移っていく。
　奏汰が兄でよかったかと訊かれたら、間違いなくイエスだ。
　奏汰は新汰にとって最高の兄であり理想的で完璧な人間。
　自慢の兄であることは間違いない。
　だが最近は、もしも自分たちが兄弟でなかったらどうなっていただろうかと考える事もたびたびあった。
　血の繋がりがなければ、友人…もしくは升谷のような恋人同士の関係もあったかもしれない。
　恐らく新汰はどんな状況においても奏汰を素通りすることなんてできないはずだから。
　もしも恋人同士になれたら兄はどんなふうに新汰に接してくれるのだろうか。
　優しく抱きしめて目を見つめてキスをしてくれる？
　好きだよ、と愛の言葉を囁きながら新汰を激しく求めてくれる？
　そう考えていると、血の繋がりのある兄弟という壁が大きく思えて仕方がない。
　「新汰…？」
　「…兄さんがもし兄さんじゃなかったら…俺は兄さんの何になれるのかな」
　新汰はポツリとこぼした。
　それは自分も意識してないうちにこぼれた言葉だった。
　肩に乗せられた手がぎゅっと骨を掴んでくる。
　新汰はハッとした。
　「あ…お俺、何言ってんだろ、ごめん兄さん…朝だから寝ぼけてるのかも、はは」
　慌てて取り繕うとその場から離れようとする。
　ところが、そんな新汰の行動を阻止するかのように強く引き戻された。
　足元がもつれ、よろけた新汰はふわりと何かに包み込まれる。
　気がつくと、新汰は背後から抱きしめられていた。
　「にい…さん？」
　まるで現実味のない状況に頭が大パニックを起こしている。
　なぜ、自分が兄に抱きしめられているのか理由が全くわからない。
　だがふーっ、と吐いた奏汰の息が耳にかかるとたちまち身体が反応してこれが現実に起こっていることだと告げてくる。
　どうしよう…
　どうしたらいい？
　抱きしめられる事自体は初めてじゃないのに、まるで人生で初めて経験した時のように心臓が高鳴っている。