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第八話:運命の夜
しおりを挟むチェーヴァ家の食堂には、異様な静けさが漂っていた。ロウソクの光が揺れ、淡い橙色の明かりが石造りの壁を照らし出している。その光の下で、ベニアミーナ、ルイージャ、そしてフィデンツィオが夕食をとっていた。三人は黙々と食事を進めているが、いつもと違う緊張感が漂っているのは明らかだった。ベニアミーナは心の中で冷静を保とうと必死だったが、その手には微かな震えがあった。
テーブルの上には、フィデンツィオのために注がれたワインが並んでいた。そのうちの一つ、フィデンツィオのグラスには、ベニアミーナが密かに仕込んだ特別なものが混ざっていた。兄ジャンパオロが手に入れた阿片。それが、彼女たちの計画の要であった。
フィデンツィオはワインを口にしようとしたが、一瞬手を止めてベニアミーナを見つめた。
「何を見ているんだ?」
フィデンツィオの低い声が食堂に響いた。ベニアミーナは微笑みを浮かべ、父の疑念を払うように、そっと自分のグラスを手に取った。
「いえ、そちらの毒見がまだだったかと……飲んでみますわ」
ベニアミーナは、怪訝な顔をする父からグラスを受け取り、静かに一口飲んでみせた。体中が緊張で強ばるのを感じたが、それを表には出さず、あたかも普通の家族の食事をしているように振る舞った。
その姿を見てフィデンツィオは、しばらくの間何も言わずにベニアミーナをじっと見つめていた。そして、ルイージャがそれに続いた。
「私も飲みます」
彼女もワインを口に含み、その後、フィデンツィオに向かって頷いた。
「大丈夫です」
二人が毒見をしたことを確認したフィデンツィオは、大きく息を吐いた。彼は杯を掲げ、勢いよくワインを飲み干した。
その瞬間、ベニアミーナの胸に重く圧し掛かっていた不安が少しだけ和らいだ。
食事を終えたフィデンツィオが席を立ち退出すると、ルイージャが低い声で言った。
「ベニアミーナ、本当にこれでいいの? 父親殺しは……大罪よ」
ルイージャの顔には不安が滲んでいた。彼女は、フィデンツィオの暴力に日々苦しんでいるが、それでも最後の一線を越えることに対して強い恐れを抱いていたのだ。彼女の言葉に一瞬、部屋の空気が凍りついた。
しかし、ベニアミーナは冷たい目でルイージャを見返し、静かに、そして冷徹に言い放った。
「私たちはもう後戻りできないの。殺される前に、殺さなければ……」
その言葉には、揺るぎない決意がこもっていた。彼女の目には恐れの影は一切なく、ただ一つの目標に向かって進む覚悟だけがあった。ルイージャは、ほんとうの娘のように見ていたベニアミーナのその鋼の意志に圧倒され、何も言い返せなくなった。そして、ついに彼女も同調し、静かに頷いた。
計画は再び動き出す。
早朝、屋敷は静寂に包まれていた。遠くからは、風が木々を揺らす音が微かに聞こえるだけだった。時折、鳥の鳴き声が響く。フィデンツィオの寝室に向かう廊下を、オッターヴィオとジャンパオロがゆっくりと進んでいた。彼らの手には、それぞれ鉄槌とキッチンから拝借した麺棒が握られていた。
オッターヴィオがフィデンツィオの寝室の前に立つ。
彼はドアをノックしたが、応答はなかった。
慎重にドアを開け、中を覗くと、フィデンツィオは深い眠りに落ちていた。
ベッドの上で静かに寝息を立てるフィデンツィオ。その姿を見て、オッターヴィオの心は一瞬だけ揺らいだが、すぐに固い決意を取り戻した。彼はゆっくりと部屋に入り、慎重に鉄槌を構えた。
「すべてはお嬢様のために……」
オッターヴィオは心の中でつぶやきながら、ベッドのふちに鉄槌を振り下ろす。
「なんだ! どうした!」
突然の衝撃にフィデンツィオは飛び起きた。驚愕と怒りがその顔に表れたが、オッターヴィオはさっと間合いを詰め彼の胸ぐらを掴み、もう一方の手で鉄槌を振りかざし、容赦することなくフィデンツィオの頭を打った。
鉄槌の鈍い音が部屋に響き、フィデンツィオはその場に倒れ込んだ。
そして、立ち上がれないようにとジャンパオロが麺棒で足を打つ。
「なっ、お前ェ! やめろっ……!!」
自分の足を打つ息子の姿を、驚きと怒りとが籠った目で見るフィデンツィオ。ジャンパオロは、目をつぶってひたすら麺棒を打ち下ろしていた。
「おはようございます、ご主人様。ですがそろそろお休みの時間です」
驚愕し、目をかっ開いてオッターヴィオを見るフィデンツィオ。頭から一筋の血が垂れてきたことに気づき声をあげようとした瞬間、オッターヴィオの手が動いた。
二撃目の鉄槌を受けたフィデンツィオは床に転がる。
頭から流れ出た血が、床に広がっていき……
彼の命は、あっけなく終わった。
オッターヴィオは静かに立ち上がり、深い息を吐いた。そして、廊下で待っていたベニアミーナへ近づき、微笑みながら言った。
「終わりましたよ」
ベニアミーナはその言葉を聞き、静かに頷いた。計画が成功したことを確認した彼女の顔には、安堵と冷たい決意が混ざり合った表情が浮かんでいた。
ベニアミーナとルイージャは、フィデンツィオの部屋に入る。そしてオッターヴィオとジャンパオロがベッドから彼の体を引きずり下ろすと、ベニアミーナの指示のもと、彼の体をテラスの腐った手すりの近くまで運んだ。
そこから、彼らは無造作にすでにこと切れたフィデンツィオの体を、無理矢理手すりごと突き落とした。
「さようなら、お父様……」
ベニアミーナは心の中でそうつぶやいたが、その言葉には冷たい感情しか残っていなかった。フィデンツィオの体は鈍い音を立てて地面に落ち、そのまま動かなかった。
四人はすぐに、ベッドの上の血痕がついたシーツやマットレスを引き裂き、トイレに投げ捨てた。後始末を終え、すべてを綺麗に整えたその部屋は、まるで何も起こらなかったかのように、静けさに包まれていた。
そして朝の7時、キッチンメイドが出仕してきた頃、ベニアミーナは大きな声で叫び声をあげた。
「お父様が! お父様が、テラスから落ちて……!」
その声は、屋敷中に響き渡り、フィデンツィオ・チェーヴァの死は、ついに周知の事実となった。
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