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戦争編〜第二章〜
第140話 太陽に憧れた月
しおりを挟む──お金稼ぐから外出てくるな! 俺より
お留守番させていた筈の常識無し3匹の代わりに置かれた手紙を見て、グレンとリィンは膝から崩れ落ちた。
「大人しく出来ないのか!」
「大人しく出来ぬのです!?」
吐血。
常識無し2匹は極々普通に、そりゃもう用意されたシナリオをなぞるかのように。……──胃に穴を開けた。
==========
「……うーん」
リックは第二都市の貧民層、所謂『下町』や、言葉を悪くすれば『スラム』と呼ばれる様な地域に来ていた。
「『死体があったら回収する』って……。あのおばちゃん言ってたけど、死体なんてそんな簡単に転がってるわけないんだよなぁ」
第二都市の神使教の責任者であるグラセ・フューネルがリックに言い渡した仕事は死体回収。
死体を見つけたら放置せずに神使教や白華教に知らせるのが当たり前とはいえど、それでも見逃される場合はある。死体を放置すれば疫病の原因になったり、治安の悪化……要するに見栄えが悪かったり。人の多い街中はこうして職員が定期的に巡回して回収作業に勤しんでいた。
それに、この街では『死体を食うことがある』のだ。倫理的にも、鎮魂の鐘の存在意義的にも、流石に避けなければならない。
この任務がリックだけなのは力仕事にもなる上に、女子供に見せられる状況じゃないかもしれないからだ。
他にも街の外の探索なども視野に入れたが、リックがクアドラード人で土地勘が無いだろうという考えにより却下された。
「教えてくれるおっちゃんはエルとシャーナに付きっきりだし……。ま、貰った依頼はちゃんとこなすか!」
なお、この巡回中に国境基地で知り合った兵士とちらほら顔を合わせたのだが、神使教の制服を来ている事と、普段は前をかきあげ襟足を結んでいる髪を何もセットせず下ろしている状態なのが幸いして欠片も気付かれなかった。
──2時間後。
やや迷子になりながらスラムをウロウロしているリックだったが、入り組んだ道を入った先で地面に倒れてる人間を見つけたのだった。
「……っ!?」
人間なのか一瞬脳みそが判断を迷った。
リックが慌てて近寄るとそれは人と考えるにはあまりにも細かったのだ。
「大丈夫か!」
リックがその体を掴む。
手にがさりと言う感触。皮はピッチリと骨に張り付き、肌色の骸骨と言っても違いないほど。乾燥した肌は潤いなど一切なく、ひび割れた地面によく似ていた。
恐らく女の子だろう。服とも言い難い布切れに包まれたその体は想像以上に軽い。
「生きてるか!? なぁ、大丈夫か!?」
リックの声に存在意義を失った筋肉がピクリと動いた気がした。
「……ヒュー…………ヒュー……」
カサカサの唇の隙間から零れ落ちる呼吸音はあまりにも頼りない。でも生きている。
リックは迷わずその体を抱き上げた。こわれないように。
「生きてるな……。大丈夫だ、兄ちゃんが助けてやるから!」
安心させるようにリックは笑った。太陽のように。
==========
「グララ!」
「誰のことよ」
リックが神使教に慌てて駆け込むとタイミングのいいことにグラセがホールに出ていた。白髪の小さな子と話をしている。
「この、っ、この子、ぜぇ……ぜぇ……」
布に包まれた子供を抱えて息を切らしながらリックは助けを求める。
大丈夫だから、もう大丈夫だ。
息を整える為に息を吸っていると、グラセは緊急事態だと感じたのか会話していた相手に「少々お待ちください」と断りを入れる。
そしてリックの腕に抱いている子供を見た。
「餓死寸前、よく見つけたわね」
「おう……!」
「そう、なら……──」
リックが喜色に顔を染める。
そんな男を突き落とすように、グラセは指示を出した。
「──それは早めに供養……。あの扉から奥にある処理場に持っていきなさい」
「え……」
リックはその言葉を飲み込むのに大分時間がかかった。
「……は! あ、いや、違うんだ。この子まだ生きてるんだ」
「……? それがどうしたっていうの?」
「なん……っ!」
理解出来ない存在を見るような目で、グラセは更に言葉を続ける。
「なんで、と言いたいのかしら。当たり前じゃない、それは手遅れよ。それだけ弱ってて、生きてる方が不思議なくらい。今から流動食を食べさせたとしても消化する前に果てるわ。魔法なんかないんだから。そんな事より仕事はまだあるんだし……」
「そんな事ってなんだよ!」
リックは吠えた。
命の灯火が消えそうな子供を抱きしめて。
「この子はまだ生きてる! 少しでも可能性がある限り俺は諦めたくない! それにこの子の命は『そんな事』で片付けていい簡単な命じゃない! 頼む、俺に力を貸してくれ、この子を助けたいんだ!」
感情は、怒り。
一体何に怒っているのかはまだ分からない。ただ、リックは心からの叫びを吐いた。腕の中の子供はまだ弱々しくも心臓を動かしている。
「それで?」
グラセはそれと対照的に静かな声で怒りを含ませながら言葉を吐いた。
「それで貴方は一体どれだけの人間を助けるなんて傲慢なことを言うつもりなの? 街ひとつ? 国ひとつ? 目の前で倒れたら贔屓なく手を差し伸べるの? ──甘ったれたことを言わないでちょうだい」
「……!」
「誰かを救うって言うのはね、あんたみたいな甘ったれが語るよりずっと重たいことなのよ。人を殺すよりもずっと重たいんもんだ。そもそもあんた、誰かを助ける程の余裕があるって言うのかしら」
「……それ、は」
「あんたの目の前に落ちてくる命は決してそれだけじゃない。国の常識も違う場所で、誰かに助けを請わないと生きていけない人間が。誰かを助けるなんてわがままを言うんじゃないわ」
グラセは大人だった。リックよりもずっと。
それが羨ましいのか哀れなのか分からない。
「リック、貴方に好きな子はいるのかしら」
「え……?」
「大事な仲間は? 大事な子は? 家族は? 主は?」
「……い、る」
「そうね。在り来りな質問をしましょうか。──貴方の仲間と、見知らぬ誰かが海に溺れています。貴方はどちらを助ける?」
両方、助けたい。
でもリックはその言葉を口に出せなかった。
だって……。
「両方助ける、なんて物語みたいな言葉を即答しないだけまだマシね」
グラセはゆっくりと近付いた。
俯いたままのリックの頭をそっと撫でる。
「覚えておきなさい。誰かを際限なく救える人間は居ないの。救う人間が増えれば増えるほど、貴方、本当に助けたい人を助けられなくなるわ」
唇を食いしばり過ぎたのか口の中に血の味がした。
リックの脳裏に浮かぶのは月組だ。
そして──太陽だ。
……だってリックは昔から分かっていた。自分が月だと。ずっと知っていたから、名前を忘れるんだ。
「人の命は平等に死が訪れるけど、救いは平等じゃないわ。──ここは鎮魂の鐘、神使教。人の死を平等に扱う場所よ」
『…………こんにちは。ようこそ神使教へ。魂に問います。迷い人の導きですか、それとも輪廻回帰でしょうか』
神使教は最初から人を助ける場所じゃなかった。
輪廻回帰──死を与える場所だ。
死こそ救いとは言うが、それに似たようなものだ。人の終点が遠いか近いか、終わりに違いはない。
「分かってくれたかしら」
グラセのあまりにも優しい言葉に喉の奥が締め付けられる。もしかして、グラセもそうだったのだろうかと考える。自分のこの行き場のない苦しみを経験したことがあるのだろうか、と。
リックの瞼には燃えそうな程、熱を持っていた。
「……っ」
リックは腕の中の子供を見た。
助ける手段もない、誰かの力を借りないと救う手立てもない。例えこの子を助けられたとして、自分は誰かを守れるほど強いのだろうか。この子以外に、何人も、何十人も死にかけの人がいたら。力も魔法も権力もお金もない自分は、助けられない。見捨てなきゃならない。
そしてこの子とリィンがどちらも窮地に陥れば、自分は間違いなくリィンを助けに行く。
「(俺、何様なんだろ……)」
納得は出来ているのに、今この場にいる『この子』1人を助けられないかと思わず考えてしまう。
今の現状で、『荷物』を連れて行く程の余裕は、そもそも無いのだから。
「理解出来たのなら、それは供養場に」
「──わかった!」
リックは顔をあげてグラセを見た。
眉間に皺を寄せて葛藤したのだろう。泣きそうな表情でリックは結論を出した。
「せめて、この子が亡くなるまで。そばにいさせてくれ」
その言葉に虚をつかれたのはグラセだった。
『それでも助ける』か『指示通りにする』かのどちらかだと思っていたのだ。助ける、となった場合は神使教の管轄では無いのでリック1人で何とかせざるを得なかっただろうが。
まさか『死ぬまでそばにいる』という結論を出すとは。
「……わかった。許可するわ。右の通路に黒い扉の個室があるから、そこを貸してあげるわ」
「……! ありがとう!」
バタバタとリックは指示された場所へかけて言った。
その背を見送ったグラセのそばに、先程まで話をしていた白髪の小さな子が現れた。
「グラセ・フューネル、嬉しそうだね」
「だってあの子、ふふっ、私に『ありがとう』って言ったんですよ? 意地悪でとっても酷いことを言った私に」
その優しさに、もっと苦しくなる。自分が醜くなったように感じてしまうのだ。
グラセは額に手を当てて目元を隠した。
「あの子は新米なのかい?」
「……いいえ。それはきっと無理ですね。あの子はあまりにも、優しすぎるから」
ふぅん、とその子は少し考え事をする。
「……うん、ちょっと興味が湧いた。グラセ・フューネル、とりあえず最初の情報通りの場所にクアドラード兵がゴロゴロ転がってるから1人残さず拾ってね!」
「えぇ、分かりましたわ」
白髪の猫っ毛を風で揺らして、琥珀色の瞳がランランと輝いた。
「サルパ様」
──トリアングロ王国、伝令役、サルパ。
==========
リックは何時間も何時間も。死にかけの少女の手を握っていた。
一体いつからご飯を食べてないのだろうか。人の手を握っているとは思えない感触だ。
「ごめんな……。ごめんなぁ……」
救えなくて、ごめん。
見捨ててしまって、ごめん。
弱いから、力がないから、こんな世界だから。
助けてあげたかった。
どうにかしてあげたかった。
苦しいだろう。
そんな苦しい中なのに、早く殺して助けてあげられる度胸も無くて。
君より大切な人がいるんだ。
その人は今とても大変だから、俺は助けたいんだ。君を見捨ててでも。
なんて最低な人間なのだろう。
夢見るだけの子供では、無い。
リックは冒険者クランのリーダーで、他の冒険者よりも自分のクランの仲間を優先して助ける。
でも今まで命の取捨選択をした事が無かった。
「代われるのなら代わってあげたかった……」
でも、それが可能だとしてとリックは選ばない。
ここで何も出来ずに死ぬくらいなら生きて大事な人を守りたいから。
もしもの世界を想像しても良い未来に行ったり悪い未来に行ったりと落ち着かない。選択はとても難しい。特に命が絡むと。
「……………………」
ひゅ、と小さな空気の音が漏れた。
リックはガバッと顔を上げる。
「ぉ……に……ちゃ……」
小さな声で、小さな子供が、最後の力を振り絞っていた。
リックはそれを逃さないように全神経を集中した。
かさついた、震える唇で子供は。
「ぁ……ぃ……が……………と」
最期に救われた。
「ぁ……あぁ……」
なんで見つけたのが俺だったんだろう。
「ああぁ……!」
なんでこの子は死ななくちゃならなかったんだろう。
「ああぁぁああっ!」
なんで俺は、こんなにも無力なんだろう。
「──うわああぁぁああぁあッッ!!」
大粒の雨を流しながら、リックは怒りを向けた。
「なんで! なんで!! 俺は太陽になれなかったんだ!」
自分に。ずっと、怒っていた。
物語の主人公ならきっと奇跡みたいな事が起こせるだろう。でもここにいるのは主人公じゃなくてただの脇役でしかない自分だ。
昔は最強だった。自分が主人公だって信じていた。
こんなに無力で、弱い。苦しくてたまらない。
「……──キミってさ」
いつの間にか扉が空いていた。
溶けそうなほど熱い雨がこぼれ落ちるぼやけた視界の中、自分を見つめる宝石みたいな瞳に気付いた。
「大事な人がいるんだろ?」
「誰…………だ?」
「僕にもいるよ、大事な片割れ」
「………………俺にも、大事な太陽がいる」
「ふふん、そうだろうと思った。だってキミ、僕に似てるんだもん。肝心なところでカッコつけれない僕にさ!」
それは貶しているのか励ましているのかちょっとよく分からなかった。
「僕は片割れが生きていればそれでいい。たとえキミが死のうがキミの太陽が死のうが、どうだっていい。僕のことを誰かが助けても、しょーーーーじき、めちゃくちゃどうでもいい。僕の感情の大部分を動かすのは、片割れだけだから」
自分勝手に生きるこの国ならではの考え方。
サルパはリックに「ただし」と微笑んで言った。
「あの女の子にとって、キミは紛れもなく太陽だったと思うけどな」
キミ、頭悪いでしょ。周りからどう思われているかとか絶対考えてないんだろうから、教えてあげるよ。あー、僕ったらやっさしー!
1人うんうんと頷きながら別れの挨拶もせずにサルパは消えていった。
「…………そっかぁ」
穏やかに眠る少女の亡骸を眺めて、リックは泣きながら笑った。
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