黒猫彼氏

槇原まき

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1巻

1-3

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 父親からの話と聞いて、小町はタオルをいじる手を止めた。父親は心配性からくる過保護で、時々とんでもないことを言ってくる。
 高校時代、小町の門限は十八時だった。もちろん、決めたのは父親だ。部活で遅くなる日もあるというのに、十八時はあんまりだと抗議したら、逆に十七時に早められた苦い思い出がよみがえる。
 心配してくれているのはわかるし、ありがたいことなのだが、その心配が嬉しくない方向に向かうのが小町の父だった。

「お父さんが? なんて?」

 小町が尋ねると、母親は意気揚々いきようようと話し出した。

「小町ももう二十三歳。今、新しい仕事を探してるみたいだけど、この際だから仕事よりも、小町をお嫁さんにもらってくれる男の人を探したほうがいいんじゃないかって」
「え!?」

 小町は咄嗟とっさ驚愕きょうがくの声を上げていた。同じ「探す」でもではなくとはどういう理屈だ。めちゃくちゃすぎる。

「な、何言ってるの!? 意味わかんないよ! そんなの――」

 無理だと言おうとした小町の声は、母親の明るい声に打ち消された。

「お父さんの職場の同僚に、三浦みうらさんって方がいらっしゃるの。その方の息子さんが、これまたい~い人なんだって! 三浦慎太郎しんたろうさんっていってね、外資系の証券会社にお勤めの三十歳。とってもエリートなんですってよ。どう? 小町。お会いしてみない?」

 もう相手の目星まで付けているのか。
 聞けば父親同士の酒の席で、互いの子供が独り身なのを嘆き、じゃあ子供同士を会わせようとなったらしい。
 いきなりお見合いのようなことを打診されて、小町はもげそうになるほど強く頭を横に振った。

「え、な、そ、そんな無理! 無理に決まってるじゃない!」
「何を言ってるの! ああ、年が気に入らないのね? 男の人は三十歳からが一番いいの! 頼り甲斐があっていいじゃない。年上のほうが」

 年の差に文句を言いたいわけではなく、見合いそのものが無理なのだと言っているのに、母親にはまったく通じていない。

「ち、ちが――」
「慎太郎さんは本当に真面目な人なのよ。仕事一筋。営業のお仕事されてるんですって。忙しくて女遊びなんてする暇ないはずだし。あんたは世間知らずだから知らないかもしれないけれど、外資のフロントオフィスなんて稼ぎ頭、エリートよ。お給料もすごいし。そんな方と結婚してごらんなさい。一生安泰間違いなし。いいからお母さんの言う通りにお会いしなさい」

 初めは「お会いしてみない?」だったのが、いつの間にか「お会いしなさい」に変わっている。小町がなんと言おうと、その三浦慎太郎なる人物に会わせる気なんだろう。
 外資のフロントだから、お金持ちだからなんだというのか。愛はお金では買えない。それに、小町にだって夢がある。素敵な男の人と恋がしたいのだ。お見合いだなんて、恋を強制されているようでどうにも気乗りしない。しかも親の紹介だなんて、真っ平御免だ。
 小町は母親の迫力に押されながらも、抵抗した。
 小さな小さな声で――

「……い、いや……」
「小町。あんた、自分の立場をわかっているの?」

 打って変わって低くなった母親の声に、小町は身体を縮こまらせた。
 これは怒っている時の母親の声だ。もしも目の前にいたなら、正座でお説教コースとなるはず。

「お父さんとお母さんの反対を押し切って、あんな仕方のない会社に就職して! お父さんもお母さんも言ったでしょう? あの会社は業績が怪しいから入っちゃいけないって。なのにあんたはつまらない反発をして! 男の人もそうよ。あんたはどうせ見る目がないんだから、お父さんとお母さんがしっかり相手の方を見て、あんたを幸せにしてくれる人を探してあげます。年を取ってからお見合いしても、いい人に巡り会えるとは限らないのよ? 変な意地なんか張ってないで、お母さんの言う通りにしなさい!」
「……」

 もうこれ以上言い返す言葉が見つからずに、小町は押し黙ってしまった。
 そうなのだ。小町が就職した会社は大手ではあったものの、無理な店舗拡大があだとなって経営が悪化。それを粉飾決算で誤魔化していたのだ。しかしそれも発覚して、あっという間に倒産。メガバンクに勤めている小町の父は事前に経営難をにらんでおり、そこには就職しないようにと再三言っていた。でも、長年にわたって抑圧されていた小町は、「就職先くらい自分で決める!」と啖呵たんかを切って、そこに就職してしまったのだ。
 結果は言わずもがな……誰が正しかったかなんて、結果が熱~く物語っている。
 あの時、意地を張らずに両親の言うことを聞いて別の会社に就職していたら……今のような状態にはなっていなかったかもしれない。
 しかし男の人に対しても、見る目がないだなんてひどすぎるのではないのか? 小町はまだ一度も男の人とお付き合いをしたことがないのに。

「と、に、か、く! これも何かのご縁よ。会うだけ会ってみなさい。何も会ってすぐ結婚ってわけじゃないんだから。詳しいことが決まったらまた連絡するから! いいわね!?」

 ――よくない。という小町の気持ちは、はなから聞くつもりなんてないんだろう。母親は自分の要件だけを一方的に告げると、そのまま電話を切ってしまった。

「はぁ……」

 小町は大きなため息をつくと、背中からベッドに倒れて大の字になった。
 どうすればいいんだろう?

(どうするもこうするも……お母さんたちの言うこと聞かないといけないんだろうなぁ……)

 今まで両親の言うことに間違いはなかった。昔からそうなのだ。間違いがないから小町は従わざるを得ない。それに両親がああしろこうしろと口をっぱくして言うのは、小町のことを大切に思って、愛してくれているからなのだ。それはわかるのだが……
 もっと信用して選択権をくれてもいいんじゃないだろうか? 二十三歳なのだし、子供扱いしないでほしい。しかし両親はかたくなに小町を一人前と認めようとはしない。
 家を出ても、小町は未だに両親のいいなりだ。

(まぁ……無職じゃ認めろってほうが無茶だよね……)

 自分にそもそもの痛い心当たりがあるだけに、強く出ることができない。
 娘の無職こんな状態を脱却させようという親心なんだというのもわかる。今のご時世、再就職が難しいことも。

「ああああ~~っ…………結婚、か…………」

 二十三歳だ。結婚には早いのではないか。恋だってろくにしたことがないのに。それに親の紹介というのもいやだ。結婚までのレールが一本、真っ直ぐに敷かれているのが見えるようだ。乗ってしまえば最後、途中下車はできないだろう。
 小町にだって理想の結婚というのがあるのだ。優しい旦那様と、可愛い猫に囲まれた生活。
 料理は好きだから毎日旦那様にお弁当を作ってあげたいし、休日は旦那様と一緒に猫とたわむれたい。時々は外にお出掛けもしたい。
 ――愛する人と幸せになりたい。
 将来結婚した時、側にいてくれる男の人はどんな人だろう。ふとそんなことを考えながら目を閉じた時、まぶたの裏に浮かんできたのは、今日猫カフェで出会った男の人だった。

(え、いや、なんであの人を?)

 初対面の人を相手にと考えるなんて、さすがに飛躍しすぎだ。でも、確かにちょっと好みだったし、いい人に感じたのは事実である。
 一本しんが通ったようなりんとした雰囲気があった。猫に例えると、無駄な動きはしないで、じっと周りを観察している賢い猫――

(黒猫っぽい感じ)

 小町はころんと寝返りを打つと、網膜に映る人影を打ち消すようにリモコンで照明を落とした。
 こんなもやもやした気持ちの時は、とっとと寝てしまうに限る。親の紹介で男の人に会うことになったって、向こうが自分を気に入るとは限らないじゃないか。逆もしかり。会うだけ会って嫌なら、断ってしまえばいいのだ。
 さすがの両親も可愛い一人娘が嫌だと言えば、考え直してくれるはず――たぶん。
 小町はパジャマ代わりにしているスウェットの長袖ながそでの中に、指を引っ込めた。そしてレギンスを穿いた脚を縮めて、猫のようにきゅーっと身体を丸くし、目を閉じる。昼間たくさん歩いて疲れたせいか、眠気がじわじわとやってきた。
 明日は昼から花屋の面接がある。もう後がない。花は好きだし、ここで再就職を決めたいところだ。でも頭の中にはまだ、母親が話していたお見合いがある。

(お見合いとかやだ……でも……)

 お見合いが嫌だと思うこの気持ちは、さっき母親が言っていたように、親への反発心からきているものなのだろうか。自分はまた変な意地を張っているんだろうか。
 考えれば考えるほど何が正しいのかわからなくなってくる。
 嫌だ嫌だと言いながらも、実は会ってみたら好みのど真ん中で、案外意気投合しちゃったりする可能性もあるわけで。

(……あの人みたいな人だったら……わたし……)

 小町はうつらうつらと、浅い眠りに誘われていった。


 しばらくして背中を優しく誰かに撫でられた気がした。この部屋には小町以外に誰もいないはずなのに、いたわるような手の温もりを感じる。
 たぶんこれは夢なんだろう。不快感はまるでないし、怖くもない。むしろ心地いい。それにこのみ込んでくる温もりを、自分は昔から知っている気がする。

『小町……、小町は結婚するの……?』

 低く、ささやくような声が背後からする。男の人だ。
 覚えのないその声に問いかける。

『あなたは誰?』
『……そうか……小町からは俺がわからないんだ……』

 悲しそうな声の彼に申し訳なくなって、小町は身体を起こして目を開けた。
 自分に話しかける彼が誰なのか、確かめなくては。だが振り返って相手の顔を見る前に、背後から包むように抱きしめられる。
 夢だからという意識があるお陰か、いやな気はしなかった。

『いいよ、俺が誰かわからなくても。悲しいけど……仕方ないことなんだろう。でも他の奴と結婚するのは駄目だ。絶対に許さない』

 彼はそう言うと、小町の髪を左肩に寄せ、あらわになったうなじをちうと吸ってきた。普段人に触れられることのない場所のせいか、妙にゾクゾクして敏感に感じてしまう。
 喉の奥で小さく声を上げて眉根を寄せていると、耳に唇を寄せ、息を吹き込むようにささやかれた。

『小町……好きだよ』
『!!』

 突然の告白に驚く反面、勝手に身体が熱くなってしまう。彼は小町の胸の前で交差させた手の力を強めた。

『俺はずっと小町が好きだ。長く離ればなれだったけど、俺の気持ちは変わってない。……小町、好きだよ』

 ちゅっと首筋に口付けられて、ドキドキと申し訳ない気持ちが同時に湧き起こる。
 彼は好きだと言ってくれるのに、自分は彼が誰かもわからないなんて、とんだ薄情者だ。

『ごめんなさい、わたし……』
『謝らないで……何があっても俺が小町を好きな気持ちに変わりはないから』

 彼はそう言うと、首筋からうなじにかけてを、とがらせた舌でちろちろとめてきた。くすぐったいが、慰められているようで心地いいものを感じる。小町が少し力を抜くと、突然彼の手が胸を鷲掴わしづかみにしてきた。
 男の手で二つの乳房がむにむにとみ上げられ、ブラを付けていない乳房は大きく形を変える。それなりに大きさがあるせいで、そのいびつな膨らみは、スウェット越しにも卑猥ひわいに見えた。

『あ、あの……ゃっ……』

 小町はか細い悲鳴を上げながらうつむいた。
 彼は小町の二つの乳首をスウェット越しに摘まみ、くりくりとねてくる。きゅっきゅっと強弱を付けて摘ままれたり、ねじりながら引っ張られたりすると、いつの間にか乳首が硬くしこってしまった。

『……は、ぅんっ……』

 自分の吐息さえも、どこか悩ましげに聞こえてくる。この声が彼にはどんなふうに聞こえているのかと思うと、恥ずかしくてこれ以上吐息をらすのもはばかられた。
 でも不思議なことに、この人に触られるのは、恥ずかしいが嫌いではない。ただ下腹の辺りがじくじくしてきて落ち着かないのだ。こんなふうになるのは初めてだった。

『あ、あの……』
『小町、結婚したら相手の男にこんなことされるんだよ? それはわかってる? 小町のこの大きな胸もおもちゃにされる。恥ずかしいこともいろいろされるんだよ。身体中を好きに触られるんだ。結婚ってそういうことだよ』
『あ……わ、わたし……』

 動揺する小町をよそに、胸をいじっていた彼の右手がじわじわと下がって、レギンスの中に入ってきた。しかもショーツのクロッチまで下りてきて、誰にも触られたことのないそこを大胆にもこすり上げてくる。驚いて身を固くすると、彼はクロッチの下で二枚の花弁に包まれているつぼみを、こりこりと指先で引っ掻いてきた。

『他の男が小町に触るなんて――小町が他の男に好きにされるなんて耐えられない……! 俺はずっと会いたかったんだよ。君が好きで忘れるなんてできなかった。ずっと小町に触りたかった……。だから触ってもいい?』

 掠れ声の彼のささやきが切実で、胸が痛い。彼のことを覚えていない申し訳なさと合わさって、完全に彼を拒絶できない自分がいる。

(ど、どうしたら……)

 小町が動揺してまともな判断ができなくなっているうちに、クロッチを脇に寄せ、花弁に包まれた割れ目を指先でなぞられる。そしていつの間にか湿ってしまっていたそこを、人差し指でツンツンとつつかれた。その瞬間、ビクッと身体が硬直して動けなくなる。

『あ……小町のここ、濡れてる……小町も俺に触れられたかった?』
『ゃ……』

 そんなの知らない。わからない。今まで恋人の一人もいたためしがないのだ。こんなに身体を触られるのだって初めてなのに。
 彼は、顔を真っ赤にする小町の花弁を左右に広げ、濡れた蜜口を上下に擦りはじめた。蜜が伸ばされてすぐ上の蕾に塗り込められる。レギンスの中で行われるその行為は見えないけれど、目に浮かぶようだ。
 ベッドの上で両脚を前に投げ出し、背後から男の人に抱きしめられた状態で身体を弄られる――
 円を描きながら蕾を丁寧に愛撫されると、他のことが考えられなくなっていく。

『あぅ』

 こぼれたうめきと共に、蜜口に彼の指先が入ってくる。浅く、ゆっくりと、小町の反応を探るように抜き差しされ、彼の指が動く度にれったいうずきが溜まる。小町は唇を噛み締めてふるふると震えた。

『あ……小町の中だ……。ああ……あったかいよ。震えてるね……怖い? でもここを弄られると気持ちいいでしょう?』

 彼は親指で蕾を触りながら、中の肉襞にくひだを掻きわけるように優しくいじってくる。

『もっと?』
『ん……』

 曖昧な返事で誤魔化した小町の反応を、彼がどう受け取ったのかわからない。だが彼は左手をスウェットの中に入れ、直接乳房をみだした。そして右手の指を更に深く差し込む。しかも、いつの間にか指が二本に増えている。

『ん、っあ……!』

 みちみちと内側から広げられる重たい圧迫感が、小町をさいなむ。肉襞を掻きわけるようにしてお腹の裏を強めにこすられると、じわっと蜜がにじむ。その蜜が彼の指の滑りを助けて、くちょんくちょんと湿った音を鳴らした。彼は抽送ちゅうそうを速めて、小町の耳朶じだを吸ってくる。耳穴に湿り気を伴った彼の吐息が吹き込まれ、背中がぞわぞわして腰が浮き上がりそうだ。
 自分の身体が彼の指をしゃぶるようにうごめいてしまう。

『あ、あ……、ゃ……ふぁ……』
『すごいよ、小町。小町の大事なところに俺の指が二本も入ってるよ。あ、締まった。俺の指に中をぐちょぐちょに掻き回されて気持ちいいね? わかってるよ。ここがいいんだよね?』

 彼は耳朶から首筋をれろれろとめながら、お腹の裏を念入りに弄ってくる。そこは先ほど触られてヒクついたところだ。とてもいやらしい指使いだった。ぐにょぐにょと蠢きながら、蜜路を出入りして肉襞をとろけさせていく。そうされると目の前がちかちかして、いつの間にか声がれていた。
 ぐっしょりと濡れた太腿ふとももにレギンスが張り付いたのが不快で、脱ぎ去ってしまいたくなる。

『……奥までぐちょぐちょだ……素直でいい子だね……とても可愛いよ。俺の指で気持ちよくなろうね。いっぱい弄ってあげるよ』

 彼は小町の中にれた指を素早くピストン運動させながら、耳の裏をねっとりと舐めてきた。濡れた処女肉に快感を仕込むように、執拗に内部をまさぐられる。

『あ、あ、あっ、く……ひぁ……ぅ……あつい……』

 熱い。熱くてとても気持ちいい。身体の中を他人に触られているなんて、恐ろしいことのはずなのに、気持ちよすぎて腰が揺れる。舐め回された耳裏や首筋は、小町の汗と彼の唾液で濡れている。ねっとりと身体に巻きついてくる快感に、溶けてしまいそうだ。

『結婚したら指だけじゃ済まないんだよ、小町。ここに相手の男のものを挿れられるんだよ……』

 突然突き付けられた現実に、身体が強張る。そして同時に、自分の身体が中にある彼の指を締め付けた。

『結婚したら避妊してもらえないかもしれない。中にいっぱい出されちゃうよ。何度も何度も中に出されたら、小町はいつか妊娠するかもしれない。好きでもない男にそんなことされてもいいの?』
『あ……やだぁ……やだよ……』

 いやに決まっている。
 でも、今この人に触られるのは嫌じゃない。この人だから許している行為を、他の……好きでもない男の人にだなんて!

『嫌だよね。俺も嫌だよ。大好きな小町が他の男のものになるなんて、絶対に嫌だ』

 彼は中に沈めていた指を引き抜くと、小町をベッドへ押し倒した。驚いてきゅっと目を閉じると、唇に温かくて柔らかなものが押し付けられる。強張った唇をぺろりとめられて、キスされているのだとわかった。
 初めてのキス――夢とはいえ、心臓が破れそうになるくらい高鳴ってしまう。
 触れるだけのキスは、ゆっくりと何度もり返された。その度に、濡れたリップ音が辺りに響く。
 やがてゆっくりと唇が離れたその時、鼻頭を軽くツンとつつかれた。

『小町』

 呼ばれてドキドキしながらゆっくりと目を開ける。誰だろう。自分を好きだと言ってくれる人は。
 意を決して顔を見れば、目の前にあったのは今日猫カフェで会ったあの男の人で――

『小町、好きだよ。愛してる……今日はここまで。小町が俺を本当に好きになってくれたら、続きをしてあげる』

 熱を持った涼やかな目元のその人に愛をささやかれて、小町はぽーっとなってしまった。

『続き?』
『そう、続き。だからお見合いも結婚もしないで。俺以外の男を好きにならないで』

 彼は小町の上に自分の身体を重ねて、首筋から胸にかけて頬擦ほおずりしてくる。布の摩擦が、乳首と肌を刺激してれったい気持ちになるのは、どうしてだろう? 彼の言う〝続き〟が欲しくなる。
 あなたの言う通り、お見合いも結婚もしないから。あなた以外の人を好きになったりしないから。だから今、続きをして――そう言ってしまいたい。

『小町……愛してる……必ず迎えに行くから待ってて』

 ぎゅっと抱きしめられ、小町はその抱擁にこたえるように、彼の頭をそっと撫でた。
 指先に短くて柔らかな髪の毛の感触が伝わってくる。指に絡むというよりは、指からすり抜けていきそうなほどさらさらしている。心地よいその感触を楽しむように繰り返し撫でていると、身体の上にあったはずの重みがだんだん軽く、小さくなっていく。髪も更に短くなって――

『?』

 いぶかしんで首をもたげてみると、視界に入ったのはさっきまでいた彼ではなく、一匹の黒猫。

『えっ?』

 小町が驚きの声を上げると、黒猫はあわてたように身体を起こして腹から飛び降り、短い尻尾を一振りすると、そのまま淡い光に包まれてふわっと消えてしまった。


 暗闇の中でゆっくりと目を開けた小町は、しばしばと何度か目をまたたいて身体を起こした。ベッドの上にあったスマートフォンを取ってみると、深夜二時を表示している。

(中途半端な寝方をしちゃった……)

 春めいてきたとはいえ、朝夕はまだ寒い。布団を掛けずにうたた寝なんかしてしまったせいか、身体が冷えている。
 歯磨きをしていなかったことを思い出し、ベッドから下りて洗面所へと向かった。
 ピンクの歯ブラシに歯磨き粉を出して口に突っ込む。備え付けの鏡に映る、ぼけーっとした自分の表情を見ながらシャカシャカと歯磨きをしていると、頭の中に夢の内容がふつふつと浮かんできて、小町は一気に赤面した。

(わ、わたし、わたし! なんていう夢を!!)

 歯ブラシを口に突っ込んだまま、両手で赤くなった顔を覆ってその場にうずくまった。
 もう鏡で自分の顔を見るのもいやだ。どうしてあんな恥ずかしい夢を見てしまったんだろう? 処女をこじらせているところに自分好みの男の人に出会ったものだから、その人に愛される夢を見たんだろうか?

(あ、あ、あんな、あんなことを……やだもう……恥ずかしい……信じられない……! わたしのバカバカバカバカァ!)

 夢の中であの人にされた愛撫を思い出して、あれが自分の願望かと思うと、地中深くに埋まってしまいたくなる。
 あんな肉欲にまみれたことを男の人にしてほしいと思っているんだろうか? お見合いや結婚を止める言動までさせて、どれだけ自分勝手な夢なんだろう!
 小町が親にお見合いをするように言われたなんて、あの人が知るはずもないのに!! それどころか小町の名前すら知らないはずなのに。
 おまけにラストは黒猫ときたもんだ。なんで人間が黒猫になるんだ。今日、猫カフェで会った時の彼の印象で合成された夢だというのがわかりやすすぎる。
 ひと通りのたうち回った小町は、鏡を視界に入れないようにして口をすすぐと、いそいそとベッドへと戻った。せめてもの救いは、これが夢で、自分以外の誰にも知られないことか。他人に頭の中を覗かれるようなことがあったら、きっと生きていけない。
 ベッドに入って頭から布団を被る。しかし今度は、変に目が冴えて眠れない。頭の中に何度も何度もリフレインしてくるのは、低くてしっとりとしたあの人の声で――


『小町、好きだよ』


 (うわああ! もうやだぁああ! 恥ずかしい、恥ずかしい、なんかもうごめんなさいぃぃ~!)
 小町は頭を枕にうずめ、布団の中でジタバタした。明日は――日付が変わっているので今日なのだが――花屋の面接があるからよく寝なくてはならないのに、当然、眠れるわけがない。
 落ち着かない恥ずかしい気持ちのまま、小町は朝を迎えた。



   2


 翌日。やたらと清々すがすがしく晴れ渡った空の下を、花屋の面接を終えた小町は、リクルートスーツ姿でとぼとぼと歩いていた。
 ここは大江おおえ駅から十分ほど歩いた国道沿いだ。大江は、梓の占いで付き添った三笠港駅のすぐ西隣の駅だ。
 三笠港駅が港町なのに対して、大江駅は繁華街とオフィス街が一緒くたになっている。高層階の立派なビルが建ち並んだ街並みで、私鉄とJR、地下鉄が通る、かなり大きな駅だ。お陰でお昼をだいぶ過ぎた今でも人通りは多い。
 つい先ほど小町が面接を受けたのは、フラワーショップ大江という比較的大きな花屋だ。全国にチェーンがある。駅前などでの切り花の販売が主な事業だが、他にも店舗によっては植物のリース業務やブライダル装花、造園管理なども行っており、最近ではカフェ事業にも進出しているようだ。もちろんネット販売にも力を入れている。
 今度こそ倒産しそうにない手堅い会社を選んだつもりなのだが、小町の表情は暗かった。

(どうしよう……受かる気がしない……手応てごたえがまったくない……もう正社員は無理なのかも)

 そもそも小町が花屋の面接を受けたのは、高校を卒業した春休みに、短期間ではあったが花屋でアルバイトをした経験があったからだ。そのバイト先の系列が正社員を募集しているということで面接を受けてみたのだが、過去のバイト歴はさらりと受け流され、採点のプラスになったようには感じられなかった。
 この花屋に落ちたら、今のところマンションから通える範囲内での、正社員の求人はない。あとは派遣や契約社員だ。今まで正社員の面接ばかりを受けてきたが、今月末には失業保険給付が終わる。正社員にこだわっていられないのかもしれない。小町としては早く仕事を決めたいのだ。でないと家賃が払えない。


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