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9.エマの長い夜②(成就)
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少し前、サミュエル・アーレ・トレモイユ伯爵──妻から"アーレ"と呼ばれる男は盛大に撃沈していた。
二か月前、16歳の花嫁を迎えた。
呪われた身であることを隠すため、夫として彼女に会ったことはなく、正体を隠し、常に"家令"として接していた。
それが変に作用した。
──エマが伯爵夫人という立場ながら、"家令"に恋して苦しんでいるかも知れない。──
この可能性に気づいた時、自分の軽い思いつきのせいで、エマを悩ませてしまったことを後悔した。
そして誠意を持って理由を話し、謝ろうと考えた。
受け入れて貰えない時は、別れなければならない。
もちろん十分な慰謝料を添え、その後彼女が幸せになるまでサポートするつもりではいる。
だが、この二か月、エマがいる暮らしは彩に溢れ、多忙ながらも満ち足りたものだった。
まだ手放したくない。
少しでも長くエマといるためには、彼女から許しを得なければ。
緊張に身を固め、深呼吸までしてのぞんだ室内に、彼女はいなかった。あろうことか、バルコニーから逃げようとして、危険な状態でぶら下がっていた。
大事には至らなかったものの、そうなった経緯を聞き、サミュエルは愕然とした。
逃げ出すほど、この結婚を嫌がっている。
そんなエマには、好きな相手がいるらしい。
この二つを結びつけたサミュエルは、新たな仮説を立てた。
借金の肩代わりを検討するにあたり、事前にカデュアール家の家族構成は調査していた。その家の子ども達はまだ幼く、長女にさえ婚約相手が決まってないことも。
けれど把握していたのはそこまで。
もしかしたら秘密の恋人が、いたかも知れなかったのだ。
出会ったエマはあどけなさの多分に残る少女だったので、うかつにもその可能性は想像出来てなかった。
恋はトレモイユで覚えたもので、その相手は勝手に自分だと。
(なぜエマの恋の相手が俺だなんて思い込んだんだ──。王都に恋人がいたかも知れないのに)
想う相手がトレモイユにいるなら、トレモイユから出ようとはしなかったはず。つまり、想い人が自分という線は消えた。
恋愛偏差値ポンコツの、サミュエルが出した結論だった。
恋しい相手と結ばれない辛さは、自分が一番知っていたはずなのに。
もしかしたら、自分のせいで、彼女にそれを強要していたかも知れない。
サミュエルの羞恥と悔恨の念はすさまじく、同時に途方もなく落ち込んだ。
(エマに他の想い人がいる)
ショックだった。
しかもその衝撃が、父親や祖父が感じるそれとは別の種類のもので、失恋の寂しさだと気づき、大いに戸惑った。
彼女の恋の相手を勘違いした根底にも、“エマに好かれていたい”という願望が混ざった可能性がある。
サミュエルは暗雲渦巻く空気を背負って、エマを前に長く黙り込み、自己分析と今後を検討した。
いつの間に心を奪われていたのか。
とんでもない話だ。年の差を考えろ。
速やかに別れて、エマを自由にしてやらなくては。
「すぐにでも離婚しよう」
必死に己に言い聞かせ、絞り出した言葉だった。
エマの指摘で自分がすべての話を飛ばしていたことに気づき、驚いた。
相当に動転していたらしい。
慌てて、今夜話すはずだった事柄を話して……、彼女から真っ先に聞かれたことに、サミュエルは耳を疑った。
「私、アーレのことを好きでいて、いいの? この想いは許される?」
「────!」
(勘違いでは、なかったのか?)
言葉を失ったサミュエルに、エマが重ねるように言う。
「アーレが好きなの。アーレしか愛せない。それに気づいたから、どこか遠くであなただけを想って生きて行こうと思ってた。でも、叶うなら、あなたのそばでずっといたい」
澄んだ青空色の瞳が、果てない深さを湛えてサミュエルを捉える。エマの空には、自分だけが映っていた。
湧き上がりそうになる歓喜を、それでも慎重に抑え込んだのは、年齢か性格か。
「呪い持ちの身で、ずっときみを偽っていた。おまけにきみの意思を無視してトレモイユに呼び込んだ挙げ句、大切な結婚を書類で済ませるという暴挙を侵した。きみが好きだと言ってくれた"家令"の正体は、そんな男だぞ? 考え直すなら、いまだ」
でなければ、自分の気持ちが止められなくなる。
「アーレがいい……っ。あなたが、大好きなの」
エマの可憐な唇が紡いだ言葉は、か細くも強く、サミュエルを打った。
(もう無理だ──!!)
好む女性から熱く伝えられ、サミュエルの自制は限界を迎えた。
もとよりエマの泣きそうな顔には、なぜかとことん弱いのだ。
呪いが解けてない!
エマと同じ時を生きれない!
だけど今だけは。今この時は、共有させてくれ!!
呪いが解けないままに想いを遂げると、悲しい未来が待っている。
サミュエルが取り寄せた《聖女の微笑み》は、彼のもとに届いていた。
しかし、発動の条件がわからなかった。なんの反応もないままに今日を迎え、先の落下でも《魔王妃の涙》だけが起動した。
おかげで助かったわけではあるが、"解呪"に関しては、ほぼ振り出しに戻ったようなもので、見通しが立っていない。無責任だとは承知している。
あとで詰られてもいい。どんな責めも負う。
「エマ……。俺もきみが好きだ」
「!!」
エマの目が見開かれた。「アーレ!」言うなり、彼に向って駆け寄ろうと立ちあがった彼女は。
「きゃあっ」
次の瞬間、転びかけた。ふたりを隔てていた、ローテーブルに足をぶつけて。
「エマ??」
サミュエルが即反応でエマを支え、流れるように自ソファ側へ引き寄せた。
ぽふり。
ふたりそろって、同じソファに着座する。
「…………」
「…………」
距離が、近かった。
なんなら、助けた時に手を添えたまま、密着していた。
サミュエルのすぐそばに、エマの横顔があって。
エマの体温に、柔らかな呼吸に、なめらかな頬に。誘われるように、サミュエルは口づけていた。
「~~!!」
耳まで朱色に茹だったエマが、はじかれたようにこちらを向く。
驚いて丸くなった目が、可愛らしい。
踊るような鼓動は、彼女の心音だろうか。
たまらなく、愛しく感じた。
もう一度。
次は頬ではなく、桜唇に触れた。
18の時に止まったサミュエルの恋心が、新しく動き始めた、その時だった。
彼の手にあった白石の指輪が、変化を見せた。
二か月前、16歳の花嫁を迎えた。
呪われた身であることを隠すため、夫として彼女に会ったことはなく、正体を隠し、常に"家令"として接していた。
それが変に作用した。
──エマが伯爵夫人という立場ながら、"家令"に恋して苦しんでいるかも知れない。──
この可能性に気づいた時、自分の軽い思いつきのせいで、エマを悩ませてしまったことを後悔した。
そして誠意を持って理由を話し、謝ろうと考えた。
受け入れて貰えない時は、別れなければならない。
もちろん十分な慰謝料を添え、その後彼女が幸せになるまでサポートするつもりではいる。
だが、この二か月、エマがいる暮らしは彩に溢れ、多忙ながらも満ち足りたものだった。
まだ手放したくない。
少しでも長くエマといるためには、彼女から許しを得なければ。
緊張に身を固め、深呼吸までしてのぞんだ室内に、彼女はいなかった。あろうことか、バルコニーから逃げようとして、危険な状態でぶら下がっていた。
大事には至らなかったものの、そうなった経緯を聞き、サミュエルは愕然とした。
逃げ出すほど、この結婚を嫌がっている。
そんなエマには、好きな相手がいるらしい。
この二つを結びつけたサミュエルは、新たな仮説を立てた。
借金の肩代わりを検討するにあたり、事前にカデュアール家の家族構成は調査していた。その家の子ども達はまだ幼く、長女にさえ婚約相手が決まってないことも。
けれど把握していたのはそこまで。
もしかしたら秘密の恋人が、いたかも知れなかったのだ。
出会ったエマはあどけなさの多分に残る少女だったので、うかつにもその可能性は想像出来てなかった。
恋はトレモイユで覚えたもので、その相手は勝手に自分だと。
(なぜエマの恋の相手が俺だなんて思い込んだんだ──。王都に恋人がいたかも知れないのに)
想う相手がトレモイユにいるなら、トレモイユから出ようとはしなかったはず。つまり、想い人が自分という線は消えた。
恋愛偏差値ポンコツの、サミュエルが出した結論だった。
恋しい相手と結ばれない辛さは、自分が一番知っていたはずなのに。
もしかしたら、自分のせいで、彼女にそれを強要していたかも知れない。
サミュエルの羞恥と悔恨の念はすさまじく、同時に途方もなく落ち込んだ。
(エマに他の想い人がいる)
ショックだった。
しかもその衝撃が、父親や祖父が感じるそれとは別の種類のもので、失恋の寂しさだと気づき、大いに戸惑った。
彼女の恋の相手を勘違いした根底にも、“エマに好かれていたい”という願望が混ざった可能性がある。
サミュエルは暗雲渦巻く空気を背負って、エマを前に長く黙り込み、自己分析と今後を検討した。
いつの間に心を奪われていたのか。
とんでもない話だ。年の差を考えろ。
速やかに別れて、エマを自由にしてやらなくては。
「すぐにでも離婚しよう」
必死に己に言い聞かせ、絞り出した言葉だった。
エマの指摘で自分がすべての話を飛ばしていたことに気づき、驚いた。
相当に動転していたらしい。
慌てて、今夜話すはずだった事柄を話して……、彼女から真っ先に聞かれたことに、サミュエルは耳を疑った。
「私、アーレのことを好きでいて、いいの? この想いは許される?」
「────!」
(勘違いでは、なかったのか?)
言葉を失ったサミュエルに、エマが重ねるように言う。
「アーレが好きなの。アーレしか愛せない。それに気づいたから、どこか遠くであなただけを想って生きて行こうと思ってた。でも、叶うなら、あなたのそばでずっといたい」
澄んだ青空色の瞳が、果てない深さを湛えてサミュエルを捉える。エマの空には、自分だけが映っていた。
湧き上がりそうになる歓喜を、それでも慎重に抑え込んだのは、年齢か性格か。
「呪い持ちの身で、ずっときみを偽っていた。おまけにきみの意思を無視してトレモイユに呼び込んだ挙げ句、大切な結婚を書類で済ませるという暴挙を侵した。きみが好きだと言ってくれた"家令"の正体は、そんな男だぞ? 考え直すなら、いまだ」
でなければ、自分の気持ちが止められなくなる。
「アーレがいい……っ。あなたが、大好きなの」
エマの可憐な唇が紡いだ言葉は、か細くも強く、サミュエルを打った。
(もう無理だ──!!)
好む女性から熱く伝えられ、サミュエルの自制は限界を迎えた。
もとよりエマの泣きそうな顔には、なぜかとことん弱いのだ。
呪いが解けてない!
エマと同じ時を生きれない!
だけど今だけは。今この時は、共有させてくれ!!
呪いが解けないままに想いを遂げると、悲しい未来が待っている。
サミュエルが取り寄せた《聖女の微笑み》は、彼のもとに届いていた。
しかし、発動の条件がわからなかった。なんの反応もないままに今日を迎え、先の落下でも《魔王妃の涙》だけが起動した。
おかげで助かったわけではあるが、"解呪"に関しては、ほぼ振り出しに戻ったようなもので、見通しが立っていない。無責任だとは承知している。
あとで詰られてもいい。どんな責めも負う。
「エマ……。俺もきみが好きだ」
「!!」
エマの目が見開かれた。「アーレ!」言うなり、彼に向って駆け寄ろうと立ちあがった彼女は。
「きゃあっ」
次の瞬間、転びかけた。ふたりを隔てていた、ローテーブルに足をぶつけて。
「エマ??」
サミュエルが即反応でエマを支え、流れるように自ソファ側へ引き寄せた。
ぽふり。
ふたりそろって、同じソファに着座する。
「…………」
「…………」
距離が、近かった。
なんなら、助けた時に手を添えたまま、密着していた。
サミュエルのすぐそばに、エマの横顔があって。
エマの体温に、柔らかな呼吸に、なめらかな頬に。誘われるように、サミュエルは口づけていた。
「~~!!」
耳まで朱色に茹だったエマが、はじかれたようにこちらを向く。
驚いて丸くなった目が、可愛らしい。
踊るような鼓動は、彼女の心音だろうか。
たまらなく、愛しく感じた。
もう一度。
次は頬ではなく、桜唇に触れた。
18の時に止まったサミュエルの恋心が、新しく動き始めた、その時だった。
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