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突然の追放
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海に囲まれ、海の神を主神とするフカン国には、古くからの取り決めがあった。
──海の神女は、最も高貴な者の妃とされるべし──
その日、フカンの国は例年になくにぎわっていた。
海の神女が十六歳の成人を迎え、"海神の大祭"が催されることになったからだ。
フカンにおいて、神女は海神の寵愛の徴として、鱗型の痣を持って生まれる。
その存在は、豊穣と繁栄の約束。
けれどもここ数十年ほど神女は無く。海難や凶作が続く中、やっと生まれた当代神女は、筆頭大臣の娘だった。
大臣の長女スザナが痣持つ神女として就任して以来、国は凶事もなく安寧。スザナも祭祀に公務にと、よく勤めを果していたが。
"大祭"前夜に、騒ぎが起こった。
「これより、偽の神女スザナの罪を問う!」
高らかに声を張り上げたのは、檀上に立つ第一王子。
前夜祭を任されていた王子は、王に代わるその夜の最高責任者であった。
彼の傍らには華奢で可憐な少女が、王子に抱き寄せられるように身体を預けている。
王子と少女の対面に佇むもう一人の少女は、たった今名指しされた神女。
彼女たちの名がそれぞれ、大臣の長女スザナと次女レンゲであることは、この場の誰もが知っていた。
王子の隣がレンゲ、視線の先がスザナ。
大勢の人出で溢れる祭り前夜に、不穏な発言。
一体何事が始まったのだと、人々はざわめいた。
広場には国の重鎮を始め、一般市民も多く詰めかけている。
彼らの注目を一身に集め、王子はスザナを睨みつけたまま、聴衆に聞こえるよう大声で続けた。
「今までよくも我らを謀ってくれたな、スザナ! 本当の神女は貴様の妹、レンゲだったと判明した。貴様が享受していた諸々の権利を、直ちに正統な神女へと返すが良い!」
ざわっ。
衝撃が走る。
"スザナ様が偽神女で、レンゲ様が本物?"
"どういうことだ? これまでスザナ様を神女として、国は安泰だった。王子は急に何を言い出したのだ?"
"そもそもレンゲ様には、神女の徴たる痣がないではないか"。
囁かれた声に、王子が応えた。
「皆の疑問はもっともだ。しかし、我々はずっと騙されてきた。国が平穏に保たれていたのは、真の神女レンゲの加護があったからに他ならない。さ、レンゲ、皆にそなたの徴を見せなさい」
優し気に促す王子に、俯いていたレンゲが顔を上げ、肩の着衣を滑らせる。
するとそこには、遠目にもはっきりと分かる、濃い鱗型の模様があった。
そこかしこに立てられた祭りの篝火が、煌々と痣を照らす。
「あれは……、神女の徴!」
「どういうことだ。当代の神女はスザナ様。神女は滅多に現れないはずなのに」
騒然とする会場に向かい、王子が言う。
「スザナの痣は自ら刻んだニセの徴だ。レンゲが彼女の嘘を明かしてくれた」
「なっ」
「それが本当なら大罪だぞ」
驚く人々の前で、レンゲが大きな瞳に涙をたたえ、姉に向かって訴える。
「ごめんなさい、お姉さま。秘密にするよう厳命されていましたが、これ以上海神様と皆様を欺くこと、私の良心が耐えれませんでした」
そんなレンゲを愛し気に抱き、王子が言葉を引き継ぐ。
「レンゲはずっとスザナに虐待されていたのだ。私が気づいた時、レンゲの肩は青く変色していた。本物の痣だと分からぬよう、スザナが日々レンゲを打ち据え、徴を隠していたのだ。痛みに苦しむレンゲを介抱した際、こたびの虚言が発覚した」
「まさかそんな」
狼狽えながらも聴衆は、儚げなレンゲと王子の話に説得力を得て、スザナを見遣る。
その眼差しには、すでに疑惑の念が宿っていた。
妹レンゲは誰もが認める、明るく華やかな美少女。
対する姉スザナは、栄えある神女の身でありながらいつも陰鬱。白い神女服が"死に装束"を連想させるほど、重い空気を纏った少女だ。
保たれる表情は常に無で、心のうちがまるで読めない。
これまでは神女らしい神秘さだと受け取っていたが。
"愛される妹を妬んで、根暗な姉が"神女の地位"を妹から奪い取ったのか?"
そう考えると辻褄も合う、気がする。
「何か申し開きはあるか、スザナ!」
苛烈な王子の声に責められ、群衆から非難の目を浴び、突然の事態に驚いたからだろうか。スザナの肩は震えている。
小さな唇から、微かに声がこぼれた。
「レンゲ、あなたは……」
ポロリ、とスザナの目から涙が落ちる。
「なんという……」
隠れた口元が、そっと緩んで弧を描く。
「愚かな……。神女の役目を、代わってくれるというのね……」
その呟きは誰にも届かず、王子は彼女を断じて言った。
「泣いたところで無駄だ、スザナよ。貴様の何倍もレンゲは辛い思いをしてきた。義理の姉に虐められ、折檻されてどれほど落涙したことか」
レンゲが大臣の妾の子であることは、知られた話である。
スザナとは同い年の十六歳だが、屋敷に引き取られた際、スザナを立てるために"妹"とされたことも。
「ぐすっ、殿下……。わたくし、お姉さまに逆らえず……申し訳ありません……」
周囲はすっかりレンゲに同情した。
人は近寄りがたいものより、親しみやすいものに庇護欲をかきたてられる。
"きっと妾の娘を目障りに思った姉が、憐れな妹を虐げていたのだ"。
"スザナ様の薄ぼやけた痣とは違い、レンゲ様の痣はこんなにも鮮明"。
"これまで健気に耐え忍んできたレンゲ様こそが、選ばれし神女に違いない"。
「兵士たちよ! すぐに偽の神女スザナをこの国から放り出せ! 与えて良いのは一艘の小舟と漕ぎ手、二日分の食料だけ。それ以外は持たせるな」
王子の沙汰は下った。
かくしてスザナは捕えられ、彼女の忠実な従者と共に放逐された。
夜のうちに速やかに。"海神の大祭"を明日に控え、スザナは祖国から追い出されたのだった。
──海の神女は、最も高貴な者の妃とされるべし──
その日、フカンの国は例年になくにぎわっていた。
海の神女が十六歳の成人を迎え、"海神の大祭"が催されることになったからだ。
フカンにおいて、神女は海神の寵愛の徴として、鱗型の痣を持って生まれる。
その存在は、豊穣と繁栄の約束。
けれどもここ数十年ほど神女は無く。海難や凶作が続く中、やっと生まれた当代神女は、筆頭大臣の娘だった。
大臣の長女スザナが痣持つ神女として就任して以来、国は凶事もなく安寧。スザナも祭祀に公務にと、よく勤めを果していたが。
"大祭"前夜に、騒ぎが起こった。
「これより、偽の神女スザナの罪を問う!」
高らかに声を張り上げたのは、檀上に立つ第一王子。
前夜祭を任されていた王子は、王に代わるその夜の最高責任者であった。
彼の傍らには華奢で可憐な少女が、王子に抱き寄せられるように身体を預けている。
王子と少女の対面に佇むもう一人の少女は、たった今名指しされた神女。
彼女たちの名がそれぞれ、大臣の長女スザナと次女レンゲであることは、この場の誰もが知っていた。
王子の隣がレンゲ、視線の先がスザナ。
大勢の人出で溢れる祭り前夜に、不穏な発言。
一体何事が始まったのだと、人々はざわめいた。
広場には国の重鎮を始め、一般市民も多く詰めかけている。
彼らの注目を一身に集め、王子はスザナを睨みつけたまま、聴衆に聞こえるよう大声で続けた。
「今までよくも我らを謀ってくれたな、スザナ! 本当の神女は貴様の妹、レンゲだったと判明した。貴様が享受していた諸々の権利を、直ちに正統な神女へと返すが良い!」
ざわっ。
衝撃が走る。
"スザナ様が偽神女で、レンゲ様が本物?"
"どういうことだ? これまでスザナ様を神女として、国は安泰だった。王子は急に何を言い出したのだ?"
"そもそもレンゲ様には、神女の徴たる痣がないではないか"。
囁かれた声に、王子が応えた。
「皆の疑問はもっともだ。しかし、我々はずっと騙されてきた。国が平穏に保たれていたのは、真の神女レンゲの加護があったからに他ならない。さ、レンゲ、皆にそなたの徴を見せなさい」
優し気に促す王子に、俯いていたレンゲが顔を上げ、肩の着衣を滑らせる。
するとそこには、遠目にもはっきりと分かる、濃い鱗型の模様があった。
そこかしこに立てられた祭りの篝火が、煌々と痣を照らす。
「あれは……、神女の徴!」
「どういうことだ。当代の神女はスザナ様。神女は滅多に現れないはずなのに」
騒然とする会場に向かい、王子が言う。
「スザナの痣は自ら刻んだニセの徴だ。レンゲが彼女の嘘を明かしてくれた」
「なっ」
「それが本当なら大罪だぞ」
驚く人々の前で、レンゲが大きな瞳に涙をたたえ、姉に向かって訴える。
「ごめんなさい、お姉さま。秘密にするよう厳命されていましたが、これ以上海神様と皆様を欺くこと、私の良心が耐えれませんでした」
そんなレンゲを愛し気に抱き、王子が言葉を引き継ぐ。
「レンゲはずっとスザナに虐待されていたのだ。私が気づいた時、レンゲの肩は青く変色していた。本物の痣だと分からぬよう、スザナが日々レンゲを打ち据え、徴を隠していたのだ。痛みに苦しむレンゲを介抱した際、こたびの虚言が発覚した」
「まさかそんな」
狼狽えながらも聴衆は、儚げなレンゲと王子の話に説得力を得て、スザナを見遣る。
その眼差しには、すでに疑惑の念が宿っていた。
妹レンゲは誰もが認める、明るく華やかな美少女。
対する姉スザナは、栄えある神女の身でありながらいつも陰鬱。白い神女服が"死に装束"を連想させるほど、重い空気を纏った少女だ。
保たれる表情は常に無で、心のうちがまるで読めない。
これまでは神女らしい神秘さだと受け取っていたが。
"愛される妹を妬んで、根暗な姉が"神女の地位"を妹から奪い取ったのか?"
そう考えると辻褄も合う、気がする。
「何か申し開きはあるか、スザナ!」
苛烈な王子の声に責められ、群衆から非難の目を浴び、突然の事態に驚いたからだろうか。スザナの肩は震えている。
小さな唇から、微かに声がこぼれた。
「レンゲ、あなたは……」
ポロリ、とスザナの目から涙が落ちる。
「なんという……」
隠れた口元が、そっと緩んで弧を描く。
「愚かな……。神女の役目を、代わってくれるというのね……」
その呟きは誰にも届かず、王子は彼女を断じて言った。
「泣いたところで無駄だ、スザナよ。貴様の何倍もレンゲは辛い思いをしてきた。義理の姉に虐められ、折檻されてどれほど落涙したことか」
レンゲが大臣の妾の子であることは、知られた話である。
スザナとは同い年の十六歳だが、屋敷に引き取られた際、スザナを立てるために"妹"とされたことも。
「ぐすっ、殿下……。わたくし、お姉さまに逆らえず……申し訳ありません……」
周囲はすっかりレンゲに同情した。
人は近寄りがたいものより、親しみやすいものに庇護欲をかきたてられる。
"きっと妾の娘を目障りに思った姉が、憐れな妹を虐げていたのだ"。
"スザナ様の薄ぼやけた痣とは違い、レンゲ様の痣はこんなにも鮮明"。
"これまで健気に耐え忍んできたレンゲ様こそが、選ばれし神女に違いない"。
「兵士たちよ! すぐに偽の神女スザナをこの国から放り出せ! 与えて良いのは一艘の小舟と漕ぎ手、二日分の食料だけ。それ以外は持たせるな」
王子の沙汰は下った。
かくしてスザナは捕えられ、彼女の忠実な従者と共に放逐された。
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