竜と水面に光る街

ひかり

文字の大きさ
上 下
21 / 30
4章・プリンセス・マーメイド

しおりを挟む
 礼一が深く反省していることが、少しは伝わったらしい。昼前には、3人の態度はいくらか軟化していた。

 とはいえ、ハオランは眉間に深くしわを刻んだままだったし、クリスは笑顔ながら明らかに機嫌を損ねたままだった。ターニャに至っては、礼一のそばを片時も離れようとしない。そんな3人の状態を一目で見抜いたらしい。客船内の会議室に足を踏み入れるなり、ダニエルは呆れたため息をついた。

 「君たち、まだそんなに拗ねているのか。」そして礼一に目を向け、やれやれと肩をすくめてみせる。「レーイチが困っているだろう。いい加減にしたらどうだい。」

 そう言いながら、テーブルの方へと歩み寄る。彼に続いてドアをくぐった長身の男が、そのままその重厚な造りのドアを音もなく閉め、鍵をかけた。

 半ば予測はしていたが、彼もまた関係者なのか。そう思いながらエリーを見上げていると、その視線を受け止めたターコイズブルーの瞳がかすかに緩み、礼一は何となく心が温まるのを感じた。昨晩の経験と、実は顔見知りだったという気安さから礼一は、涼(すず)やかな顔立ちながら無愛想な男に微笑みを返す。

 それにしても、会議室とは名ばかりの美しい部屋だった。この船にふさわしい、重厚で華麗、そしてなにより暖かみのある上質さ。

 作り手の趣味の良さが伺える、と思いながら、礼一はダニエルを見やると、彼がその視線に気づいて穏やかに微笑んだ。

 「改めて挨拶をさせていただこう、レーイチ。昨晩は、ろくに挨拶もできずに申し訳なかったね。」繊細ながらも、思わず居住まいを正したくなるような、美しいクイーンズイングリッシュ。それを、笑いを含んだ深みのある声で紡ぎながら、ダニエルは言った。「ハウスオーナーのダニエルだ。君に会えてとても嬉しい。」

 「こちらこそ、お会いできて光栄です、ダニエル。お忙しい中、時間を頂いて、ありがとうございます。」

 礼一の言葉に、ダニエルは理知的を通り越して、ほとんど哲学的な目を瞬かせながら言った。「わたしとしては、君にわざわざ足を運んでもらったという認識なのだがね。」流れるような動きで礼一と握手を交わしながら、ダニエルが続ける。「まあ、その話は追々させていただこう。」

 そう言って礼一の目の前の席に座る。その様子を、礼一はさりげなく見つめた。昨晩、ヨットで戻ってきた礼一とエドを出迎えてくれた時に軽く挨拶をかわしたのだが、月明かりの下でも、様々な地域の血を受け継いだのだろうと分かる容姿。クリスが言うには、彼にはアイルランド、インド、アフリカ等の血が流れているらしく、肌はきめの細かい褐色で、髪は緩やかなカーブを描く焦げ茶色だった。長い手足に、がっしりとしつつもしなやかな体躯、高い鼻梁。そしてエキゾチックな目元は、どこか憂いを帯びていて、どこまでも深い。その目が、紅茶の入ったカップ越しに再び礼一を見やった。

 「昨晩も思ったが......なるほど、君の言う通りだウィリアム。これは美しい。」

 「誤解を招くような言い方をするんじゃねえ。おれは美しいだなんて言ってないだろうが。」ダニエルの言葉に真っ先に反応したのはハオランだった。「それから、その名で呼ぶな。」

 「こちらが戸籍上の名前だろうに」と肩をすくめるダニエルに、礼一はさすがだな、と思う。年齢と経験の差だろう。そっぽ向いていたハオランを自然と引き込み、本人にそれと悟らせないダニエルはこの若者よりも数段、上手(うわて)のようだ。ダニエルが続ける。

 「さて、聞きたいこともそれぞれあるだろうし、わたしも話すべきことが色々とあるのだが――まずはレーイチ、君は何もかも分からないことだらけだろう。何か質問があれば先に答えよう。」

 突然名指しされて、礼一は思わず居住まいを正した。頭で質問のいくつかを整理しながら「ありがとうございます」と言い、今一番気になっていた質問を口にする。

 「昨晩保護された人々は、無事でしょうか。」

 礼一の質問に、ダニエルはやや面食らったようだった。「それが今一番聞きたい質問かい?」と聞かれたので、礼一は気まずさを感じながらも、素直にうなずく。

 「いま、この場ですべき質問ではないとは思うのですが――ええ、そうです。」

 恐縮しつつも質問は撤回しない礼一をしばし見つめ、ダニエルはそれまでとは心持ち趣きの違う笑みを浮かべる。「――いや、申し訳ない。今のはわたしの言い方が悪かった。するべき質問、など考えず聞きたいことを聞いてくれていいのだけれど......なんと言うか、わたしはただ君の質問が少し嬉しくてね。」ダニエルはそう言って笑みを深めると、礼一の質問に答えた。「彼らはこの船専属の医師に預けた直後に目を覚ましたようだ。診察の結果、異常はなさそうだが、念のため病院に行くよう伝えてから、今朝最寄りの港近くに下ろしたよ。」

 「よかったです。」心からそう言って、礼一はダニエルに笑い返した。「ありがとうございます。」

 「さて、他に質問はあるかな?」

 「ダニエル、正直に言うと、ぼくは本当に何も知らないから、あなたの話を1から聞いた方がこの状況を理解しやすいと思っています。ただ1つ、どうしても気になる質問を、先にさせてほしいのです。」

 ダニエルが促すので、礼一は続けた。「ハオランが、ぼくをあなたに見せることで、何かの確証を得たがっていました。あなたが何を確信したのか――いえ、何かを確信できたかどうかもよくわかりませんが、ハオランはあなたに何を主張し、あなたはその主張にどのような判断を下したのか、ぼくは知りたい。」

 礼一の質問に、ダニエルはふむ、と相づちを打った。「わたしが話すべきことの、本筋の部分をついてきたね。――細かい説明を始めると長くなるので、端的に答えだけ言おう。」そういって、ダニエルはちらりとハオランに視線を向けた。「彼は君が本当に人間なのかと疑っている。」

 礼一は仰天してハオランの方へと顔を向けた。普通に学校に通い、部活で汗を流し、会社で働いてきた自分の人生を振り返りながら「馬鹿なことを」と言いかけ――そしてふと思い出す。

 ――ダニエルはさきほど礼一を見て、「君の言う通りだウィリアム」と言わなかっただろうか。

 礼一は血の気の引いた顔を再びダニエルに向ける。オーストラリアに来て色々なことがあったが、本当に、心の底から人の話を聞きたくないと思ったのは初めてのことだった。

 「大丈夫、君はもちろん人間だよ。」礼一の顔色を見て、ダニエルがなだめるように言う。

 そして、ほっと息をついた礼一を見ながら付け加えた。「だが、君の両親は言わなかったかい?君が人魚マーメイドの血を引いているのだと。」

 その言葉に礼一は、オーストラリアに来て初めて、心の底から日本に帰りたいと思ったのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

国王の嫁って意外と面倒ですね。

榎本 ぬこ
BL
 一国の王であり、最愛のリヴィウスと結婚したΩのレイ。  愛しい人のためなら例え側妃の方から疎まれようと頑張ると決めていたのですが、そろそろ我慢の限界です。  他に自分だけを愛してくれる人を見つけようと思います。

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。

桜月夜
BL
 前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。  思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

悪役令息に転生したけど…俺…嫌われすぎ?

「ARIA」
BL
階段から落ちた衝撃であっけなく死んでしまった主人公はとある乙女ゲームの悪役令息に転生したが...主人公は乙女ゲームの家族から甘やかされて育ったというのを無視して存在を抹消されていた。 王道じゃないですけど王道です(何言ってんだ?)どちらかと言うとファンタジー寄り 更新頻度=適当

例え何度戻ろうとも僕は悪役だ…

東間
BL
ゲームの世界に転生した留木原 夜は悪役の役目を全うした…愛した者の手によって殺害される事で…… だが、次目が覚めて鏡を見るとそこには悪役の幼い姿が…?! ゲームの世界で再び悪役を演じる夜は最後に何を手に? 攻略者したいNO1の悪魔系王子と無自覚天使系悪役公爵のすれ違い小説!

皇帝の立役者

白鳩 唯斗
BL
 実の弟に毒を盛られた。 「全てあなた達が悪いんですよ」  ローウェル皇室第一子、ミハエル・ローウェルが死に際に聞いた言葉だった。  その意味を考える間もなく、意識を手放したミハエルだったが・・・。  目を開けると、数年前に回帰していた。

処理中です...