竜と水面に光る街

ひかり

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3章・船上の邂逅

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 長い胴体と力強い手足。それらをこれ以上ないほどの優雅さと滑らかさで動かしながら、その生き物が礼一の方へと顔を寄せる。動くたびに月明かりを受けて輝く鱗はまるで、その一枚一枚が上質な宝石のような美しさだった。

 そして何より、その目。おそらく礼一の体積よりも大きいその眼球は淡く発光しており、その光は蛍火のように、およそ熱というものを感じさせない。その幻想的な青白い光が礼一の目前まで迫り、そのまま静かに礼一を照らし出す。

 その光に照らされながら、礼一は心拍数が徐々に落ち着いてくるのを感じていた。呼吸をゆっくりと意識して行う余裕が生まれる。だが一方で、目の前の雄大な生き物に対する畏敬の念が、心の落ち着きに反比例するように、緩やかに深まっていくのも感じていた。

 「レーイチ、何か見えるのかい?」礼一の尋常ではない様子に息をのんでいたクリスが、そっと尋ねる。礼一はその不思議な光を見つめたまま、うなずいた。

 「日本語でリュウ、中国語でロンと呼ばれる伝説上の生き物です。西洋ではドラゴンと訳されるようですが。」3人の間にぴりっと緊張が走ったのが分かったので、慌てて付け加える。「そのイメージとは違うものです。東洋では神様としてあがめられています。」

 目の前の光が、興味深そうな色を帯びる。そう、不思議なことにこの竜の意思や感情を、礼一はごく自然に感じ取ることができていた。そして、おそらく相手もまた、礼一の感情を正確に感じ取っているのだろうということも分かる。竜はさらに顔を近づけようとするが、何かに阻まれて、それ以上は近づけないようだった。

 そのまましばらく礼一をまじまじと眺めた後、竜はやってきた時と同じような優美な動きで船に背を向けた。このまま立ち去るのか、と安堵と名残惜しさにため息をついたその時、黒い、羽虫のようなものが次々と竜の首あたりから浮き上がり、かの生き物を苛み始めたのが見えた。途端、それまでの滑らかな動きがぎくしゃくとした、苦しげなものに変わる。

 心拍数が再び上がり始めたのを感じた。どうやら、ひどく不吉で嫌なもの見ているらしい。じわじわと嫌悪感が競り上がってきて、指の先から頭のてっぺんまで鳥肌が立つ感覚に身震いをする。

 竜が、先ほどとは打って変わった荒々しい動きで振り返ると、その力強い腕を船に向かって振り下ろした。いーちゃんはほとんどパニックを起こしたように尾びれをはためかせながら礼一を船の中へと入れようとし、礼一は驚きに目を見開いたままその足を見つめることしかできなかった。

 だが、その足は船に届くことなく、再び何かに阻まれ、その表面を滑り降りる。その時、竜の目に浮かんだ安堵を見て取り、礼一はかっと血が燃えるのを感じた。これは、けしてこの生き物の意思ではない。こんなにも深い知性を持つ生き物を、あのような羽虫がコントロールしようとしているとは。

 自分でも驚くほどの深い憤りに突き動かされて、礼一は自分の回りを泳ぎ回るイルカに向きなおった。

 「いーちゃん、ぼくをあの竜のそばに連れて行ってもらうことってできないかな?!」

 かぷ、と腕をかまれた。つぶらな瞳が、なんてことを言うんだと訴えかけている。

 「いーちゃん、このスーツ結構高かった......。」

 値段を思い出して情けない声を出す礼一の肩を、焦れたようにハオランがつかんで振り向かせた。

 「おい、一体何が起こってるんだ。説明しろ!」

 「すみません。」礼一は3人の存在を思い出し、慌てて言語を英語に切り替える。

 「黒い虫が竜をコントロールして、なぜかこの船を襲わせようとしているように見えます。」

 文法が多少乱れるのは仕方がないだろう。礼一は必死に続ける。

 「黒い虫は竜の首から浮かび上がってきました。竜は虫に抵抗していますが、1度虫のコントロールによって船を攻撃しようとしました。でも竜は船に近づけないようです。」

 まさかそのようなことが起こっているとは思っていなかったのだろう、ハオランが息を飲み、ターニャは戸惑ったように竜のいるらしい方向へと目を向けた。クリスが顔をこれ以上ないほど厳しく引き締めながら素早く――おそらくダニエル相手にだろう――電話をかける。

 竜が身悶えながら再び船に近づき――その拍子に、虫の1匹が見えない壁に張り付いたのが見えた。そしてその時初めて、礼一は黒い虫だと思っていたものが何であるのかに気づく。

 「クリス待って、虫じゃない。文字です。」聞き取り困難なスピードで、静かに何かをまくしたてているクリスの腕を掴んで、礼一は言った。「漢字か、おそらくそれに近い言語圏の文字がまとわりついている。ものすごい数です。」

 そしてハオランの肩を借りながら船のヘリに登り、その文字をつかむ。文字はジュワッという音を立てながら礼一の手の中で溶けて消えた。

 「うわ、気持ちわる......。」思わずげんなりとつぶやく。虫のような文字は、1つ1つはそんなに強いものではないのかもしれない。礼一は再び竜の動きに注視した。

 しばらく苛立たしげに身を震わせていた竜の瞳が、海上の1点をとらえたのが分かったので、礼一もその方向に目を向ける。白く揺らめく大型のヨットが荒れた波の間で見え隠れしているのが見えて、礼一は身をこわばらせた。

 「......クリス、まずいです。おそらく竜は別の船を使ってこの船を攻撃するつもりです。」礼一は英語でそう伝えた後、今度は心配そうにこちらを覗き込んでいるイルカに向かって言った。「......いーちゃん、これが少しでも君に負担をかけるなら、無理は言わない。でも、いまぼくが船の中に逃げたところで、危険なのは変わりないんだ。」イルカがぷいっとそっぽ向く。「お願いだ、いーちゃん。もしできるなら、ぼくに手を貸してくれないかな。」
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