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命あればこそ
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それから月日が流れた。僕と家族は相変わらず平穏な毎日を過ごしていた。そんなある日、店長の奥さんが破水したとの知らせを受けた。僕は妻と一緒に、産院へ向かった。到着した頃には、店長夫妻は分娩室に入っていた。やがて、オギャーという産声が扉の外まで響いて来た。店長のジュニアが誕生したのだ。
しばらくすると、店長がこれまで見せたことのないほどニンマリした表情で出てきた。
「店長、おめでとうございます!」
僕たち夫婦は祝福の言葉を述べた。
「ありがとうございます、女の子でしたよ~。そのうち『わたしパパのお嫁さんになる』とか言ってくれるんでしょうかね~。うわ、彼氏とか連れてきたらどんな顔したらいいかな」
とわけわからずしゃべりまくる店長。
「まだ気が早いですわよ」
と苦笑する妻。その時、マナーモードにしていた僕の携帯が震えたので、僕は携帯電話スペースに移動して、通話ボタンを押した。
「お待たせしました、吉永です」
「先日面接試験を受けていただいたO社の太田ですが……」
「あ、その節はどうもお世話になりました」
僕は面接時の太田の辛辣なコメントを思い出した。どうせ「ご活躍をお祈りします」とか言うのだろうと思って斜に構えていたが、
「実は……吉永さんの採用が決まりまして、つきましては正式な雇用手続きのために弊社までご足労頂けますでしょうか……」
店長の奥さんと娘さんが退院した日、僕たちは彼ら一家を夕食に招いた。出産祝いと、僕の就職を兼ねて祝うためであった。
「乾杯!」
出産直後の奥さんはウーロン茶で乾杯したが、他はみなビールだった。店長はあまり酒が強くないのか、すぐにほろ酔い加減になった。
「正直に言って、最初に吉永さんが来た時はなんて役に立たない人が来たんだろうって思っていました。ぶっちゃけいるだけ迷惑でしたよね。でも、何だかそこにいるだけでホッとするというか、いつの間にかあの店には必要な存在になっていたんですよ。だから……吉永さん、行かないで!」
と店長は僕に抱きついてきた。戸惑っていると、奥さんが苦笑して言った。
「ごめんなさいね。ウチの人、酒グセが良くなくて……」
とその時、輝と恵がやって来て、新聞紙で作った刀で店長をバンバン叩き出した。
「こらお前たち、何てことするんだ!」
僕が叱ると、子どもたちはキャッキャと騒いで立ち去った。
「すみません、本当にヤンチャな息子たちで……」
「ははは、子どもがあれくらいの年齢になったら、僕も苦労しそうだ。でも吉永さん、あなたが本当に子どもたちに愛情を持っていることがヒシヒシと伝わってきます」
店長は彼らが僕の実の子ではないことを知っている。その上でこう言ってくれているのだ。そんないい感じで宴もたけなわ……と思いきや、店長の悪酔いが思わぬ方向へ行った。
「ぼかあね、気障なことを言うようですが、人間、命あればこそ、平たく言えば食べて飲めこそすれだと思うんですよ」
僕はヒヤッとした。僕が言うのもなんだが、横にいる妻は愛する者を亡くした経験があるのだ。酔っているとは言え不謹慎だ。だが店長の暴走はさらに加速する。
「だからね、粗食を美徳とする坊主なんてのは信用ならんのです。そこへ来てあの千々岩って牧師ですけどね、コロッコロッ太っていて、かなり飲み食いしているクチですよ……まあ、ああいうのを生臭坊主って言うんでしょうな。でも、ぼかあ、清貧を信条とするような輩よりも、ああいう人間臭い奴の方が、よほどついて行きたいと思えるんですよ。妻さんの前の旦那さんだって、きっとそうでしたでしょうよ」
僕は顔面から血の気が引いた。妻は勘のいい方だ。僕たちの調査のことがバレてしまう。恐る恐る妻の方を見ると、何一つ顔色を変えている様子はない。バレずにすんだと思って安心していると、彼女は淑やかに口を開いた。
「良かった……千々岩先生、お元気になられたのね」
「……え?」
「千々岩先生はご病気でかなりお痩せになっていました。生田は生前、先生にある療法を薦めていたのです。その頃千々岩先生は、療法についてお疑いでしたが、生田が亡くなってからその療法を採り入れたと聞きました。今、先生が肥えられたと聞いて本当に良かったと思いました」
妻は何かホッとしたような笑顔を浮かべた。だが、しばらくして僕はハッとなった。妻は、店長が千々岩と会ったことを話しても、何の反応も示さなかった。まるでそれがわかっていたかのように……。
店長一家が帰ってから、鼻歌まじりに後片付けをする妻に、僕はそっと聞いてみた。
「もしかして、気づいていた?」
だが、妻はそれに答えずに微笑み続け、
「命あればこそ、本当にその通りよね」
と言ってほうじ茶をそっと出した。その熱さは、喉を通じて腹の底までじんと染み渡った。
終
しばらくすると、店長がこれまで見せたことのないほどニンマリした表情で出てきた。
「店長、おめでとうございます!」
僕たち夫婦は祝福の言葉を述べた。
「ありがとうございます、女の子でしたよ~。そのうち『わたしパパのお嫁さんになる』とか言ってくれるんでしょうかね~。うわ、彼氏とか連れてきたらどんな顔したらいいかな」
とわけわからずしゃべりまくる店長。
「まだ気が早いですわよ」
と苦笑する妻。その時、マナーモードにしていた僕の携帯が震えたので、僕は携帯電話スペースに移動して、通話ボタンを押した。
「お待たせしました、吉永です」
「先日面接試験を受けていただいたO社の太田ですが……」
「あ、その節はどうもお世話になりました」
僕は面接時の太田の辛辣なコメントを思い出した。どうせ「ご活躍をお祈りします」とか言うのだろうと思って斜に構えていたが、
「実は……吉永さんの採用が決まりまして、つきましては正式な雇用手続きのために弊社までご足労頂けますでしょうか……」
店長の奥さんと娘さんが退院した日、僕たちは彼ら一家を夕食に招いた。出産祝いと、僕の就職を兼ねて祝うためであった。
「乾杯!」
出産直後の奥さんはウーロン茶で乾杯したが、他はみなビールだった。店長はあまり酒が強くないのか、すぐにほろ酔い加減になった。
「正直に言って、最初に吉永さんが来た時はなんて役に立たない人が来たんだろうって思っていました。ぶっちゃけいるだけ迷惑でしたよね。でも、何だかそこにいるだけでホッとするというか、いつの間にかあの店には必要な存在になっていたんですよ。だから……吉永さん、行かないで!」
と店長は僕に抱きついてきた。戸惑っていると、奥さんが苦笑して言った。
「ごめんなさいね。ウチの人、酒グセが良くなくて……」
とその時、輝と恵がやって来て、新聞紙で作った刀で店長をバンバン叩き出した。
「こらお前たち、何てことするんだ!」
僕が叱ると、子どもたちはキャッキャと騒いで立ち去った。
「すみません、本当にヤンチャな息子たちで……」
「ははは、子どもがあれくらいの年齢になったら、僕も苦労しそうだ。でも吉永さん、あなたが本当に子どもたちに愛情を持っていることがヒシヒシと伝わってきます」
店長は彼らが僕の実の子ではないことを知っている。その上でこう言ってくれているのだ。そんないい感じで宴もたけなわ……と思いきや、店長の悪酔いが思わぬ方向へ行った。
「ぼかあね、気障なことを言うようですが、人間、命あればこそ、平たく言えば食べて飲めこそすれだと思うんですよ」
僕はヒヤッとした。僕が言うのもなんだが、横にいる妻は愛する者を亡くした経験があるのだ。酔っているとは言え不謹慎だ。だが店長の暴走はさらに加速する。
「だからね、粗食を美徳とする坊主なんてのは信用ならんのです。そこへ来てあの千々岩って牧師ですけどね、コロッコロッ太っていて、かなり飲み食いしているクチですよ……まあ、ああいうのを生臭坊主って言うんでしょうな。でも、ぼかあ、清貧を信条とするような輩よりも、ああいう人間臭い奴の方が、よほどついて行きたいと思えるんですよ。妻さんの前の旦那さんだって、きっとそうでしたでしょうよ」
僕は顔面から血の気が引いた。妻は勘のいい方だ。僕たちの調査のことがバレてしまう。恐る恐る妻の方を見ると、何一つ顔色を変えている様子はない。バレずにすんだと思って安心していると、彼女は淑やかに口を開いた。
「良かった……千々岩先生、お元気になられたのね」
「……え?」
「千々岩先生はご病気でかなりお痩せになっていました。生田は生前、先生にある療法を薦めていたのです。その頃千々岩先生は、療法についてお疑いでしたが、生田が亡くなってからその療法を採り入れたと聞きました。今、先生が肥えられたと聞いて本当に良かったと思いました」
妻は何かホッとしたような笑顔を浮かべた。だが、しばらくして僕はハッとなった。妻は、店長が千々岩と会ったことを話しても、何の反応も示さなかった。まるでそれがわかっていたかのように……。
店長一家が帰ってから、鼻歌まじりに後片付けをする妻に、僕はそっと聞いてみた。
「もしかして、気づいていた?」
だが、妻はそれに答えずに微笑み続け、
「命あればこそ、本当にその通りよね」
と言ってほうじ茶をそっと出した。その熱さは、喉を通じて腹の底までじんと染み渡った。
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