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第11話 がら空きの背後から……

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 さっそく川の水を汲んで……これでよし。水が満杯になったバケツを両手で支えるのは、かなりの苦行だったが、ステータス値が上がったおかげで、なんとか山を登れそうだった。
 
 このまま急いで訓練場に戻ろう。そう思い、振り返ろうとした瞬間。
 
 ……カリ、カリカリィ。
 
 水の入ったバケツが、ぽちゃん、と揺れる。
 
 ……噓だ。まさか、そんな筈はない。俺はたしかに、ゴブリンを倒した。その証拠に、視界に討伐を確認した旨の文字が浮かび上がってきたではないか。
 
 ……カリ、カリ、カリカリィ。
 
 ああ、俺は、確認しなければならない。確認して、世にも恐ろしい疑いを、綺麗サッパリ晴らさなければならない。
 
 眼前の川は、俺の不安など露知らず、ゴーと轟音を立て白々しい水しぶきを上げている。
 
 俺は、意を決して、振り返った。
 
 そこに立っていたのは……全身緑で、俺の膝下くらいの身長、大きな耳に、ひどく醜い顔をした生物。
 
 ああ、前のヤツよりも少しだけ身長が高い、おそらく年寄りのゴブリンだ。
 
 それも一体ではない。どれも似通った外観をした、十体ほどのゴブリンが、俺のことを不思議そうに凝視しながら、小首をかしげてぼうっと突っ立っているではないか!
 
 ああ、渓流に生息するゴブリンは、一体ではなかったのだ!!

「ク、ク、クレエェ……」

「は?」

 先頭に立ち、手に持ったバケツを指先で小突くゴブリンが、なにやら俺に語り掛けてきた。

「ツッタ、サカナ。クレッ! クレエェッ!!」

 たしかに今、目の前のゴブリンは、『釣った魚、くれ』と俺に言い放った。

 ……ああ、そうか。そういうことだったのか。

 ゴブリンは、なぜだか、ふんどし一丁の俺を、釣りをしに来た人間だと思い込み、採った魚を横取りしようと企んでいるのだ。

 ゆえにあの時、バケツに魚が入っていないことを知ったゴブリンは、俺に利用価値がないと判断して、躊躇なく襲い掛かってきたのだ。

 後ろに控えるゴブリンたちの、その試すような、薄汚い小豆の目、目、目、目。

 襲おうと思っていれば、俺はとっくに引き裂かれていることだろう。自らの餌を採ってくれる人間は、あえて殺さず、そのまま逃がすつもりなのだ。

 だが、バケツに魚が一匹もないとわかった時は……それまでだ。堰を切ったように流れ込んでくるに違いない。

 クソッ、小賢い奴らめ。

 この土で汚れて汗まみれのふんどしの中に、釣り竿が隠されているとでも思っているのか?
 ああ、すっかり萎びてしまった、別の竿ならあるけどなっ!!

「ヨコセッ。オレサマニ、ソレヲヨコセッ!!!」

 そう捲し立てるゴブリン。その声色や表情から、徐々に苛立ち始めているのが分かる。

 どうする? 当然、バケツに魚など入っていない。そのことが知られたらば……。
 
 ピンと張りつめた緊張の糸が切れ、一触即発の均衡は、たちまち崩れ去る。
 
 ああ、計十一体のゴブリンが一度に襲ってくれば、こちらに勝ち目は、万が一にもない。
 
 額に一筋、冷や汗がツーと垂れる。両に抱えた、水の張ったバケツが、プルプルと震える。
 
 考えろ。考えるんだ。なんとかして、この絶体絶命の状況を抜け出す方法を、考え出すんだ。
 
 ……すると、ふいに、眼前のゴブリンの、小豆のような潤んだ瞳が目に入った。
 
 『音と匂いには、十分に注意するんだぞ……』
 
 音と、匂い。正一爺から授かった、なんらかのヒント。

 ここで、ある考えが、紫電のごとく神田の脳内に閃く。

「まさか……」

「ドウシタッ。キサマハ、サカナヲ、モッテイナイノカッ?」

 俺は、ゴブリンの言葉をフル無視して、とっておきの変顔をかましてみた。

 フニャアァァーー。頬を摘まみ上げて、目を細くへの字に曲げて見せる。

「……」

 のっぺりぃ……。こんどは、舌をベロベロ垂らしながら、顔全体の肉を下に引き下げる。

「……」

 無反応。たとえ言葉は通じなくても、馬鹿にされていることくらい、わかるはずだ。
 俺の変顔が見えていれば。
 
 そうだ。奴らは、見えていない。あの小豆みたいな目は、長らく洞窟に住んで退化してしまったように、まったく機能することのない飾りに過ぎないのだ。
 
 では、奴らはどのようにして、周囲の環境を感知しているのか?
 
 ━━音と匂い。それこそが、正一爺の伝えたかった、ヒントの真意だったのだ。
 
 奴らは、暗い視界の代わりに、あの巨大な耳と鋭い嗅覚で、あたりの様子を知覚している。
 注意を払うべきなのは、俺が放つ音と匂いの方だったのだ。
 
 ああ、思い出した。最初、ゴブリンに襲われた時。俺が川に流された途端、ゴブリンは俺の姿を見失った。
 川の水に揉まれ、水の流れる轟音によって、匂いと音が打ち消され、ゴブリンは俺を追うことが困難になったのだろう。
 
 ……コロン。
 
 ゴブリンの群れから漂い始めた濃厚な殺気に、俺は思わず後ずさりし、小石を一個、蹴り転がしてしまう。
 
 ピクンと大きな耳を震わせ、ゴブリンたちの視線が一斉に、転がる小石の方へ注がれた。
 
 奴らの殺気は、見る見るうちに増している。硬直の均衡が崩れ始めていることを、肌身で感じる。 
 
 ……ここは一か八か、奴らの特性を利用して、賭けに出てみるしかないか。
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