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第3章

父さんとの再会

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 最初に声に出した言葉は、「おかね」だそうだ。

 父さんがまだ商会を盛り立てていこうとしていた時、まだまだ金貨を目にすることが少ないという時に私は生まれた。

 目まぐるしく働く父さんは家族との食事時でさえお金のことを口にしたり、それを母さんが咎めたり、兄さんや姉さんが面白がって混ざったり。そんな感じで「おかね」という単語が多く飛び交っていたからだろう。一人ゆりかごの中で家族の団欒を眺めていた時、不意に口ずさんだのは「おかね」という言葉だ。

 それだけを聞くとかなり残念で、お母さんだとかお父さんだとか、そっちの方がよかったのにって思ったけれど、大商人を目指して日々頑張ってきたお父さんはものすごく喜んだみたいだ。

 「きっとレナは商売の神が遣わした御使いに違いない!」

 父さんはそう言って私の自慢をしてくれていた。

 最初はそれがすごく恥ずかしくて、いたたまれなくて、情けなくて。4歳くらいの時はいつも私の自慢をする父さんに怒っていた。

 私が6歳になるころには計算の仕方や文字の書き方を教えてもらえるようになった。それまでは商売が忙しくて私たち子供にてをかける余裕がほとんどないようだったけれど、少しずつ落ち着いてきて、その癖に大きな取引が多くなって、あっという間に大商会の仲間入りを果たしていた。

 本当は学校へ行って勉強した方がよかったんだろうけど、父さんは姉と私を外に出すのが嫌だったらしくて、「俺でも教えられることをわざわざ学校に行く必要はない」と、学校に行きたいとも言っていない私たちに不機嫌顔で言っていた。

 兄さんが騎士になりたいと言い出した。モルフォル男爵に仕える騎士の一人に憧れたんだそうだ。なんでも、その騎士は手伝いで外に出ていた兄さんに襲い掛かった盗賊を一瞬で蹴散らしてしまったらしい。その姿が兄さんにはとても眩しく見えたと言っていた。

 父さんは怒った。跡取りにて思っていた兄さんがいきなり騎士になりたいと言い出したのだ。それも、兄さんは進んで商人の道を歩もうとしていたのに、いきなり進路を変えたいと言い出したのだ。期待していた父さんが怒るのは無理のないことだった。

 それに騎士になるにはお金がかかる。兵士になるならばともかく、貴族に仕える騎士にはそれなりの教養が必要だから、平民が通うにはかなり厳しい専門学校へと通わせることになる。商人や官僚になるための街が運営するような小さな学校じゃない。国が管理する大きな学校だ。大商会になったとはいえ、まだまだこれからという私たちでもそれなりの覚悟がいる程だった。

 結果から言うと、兄さんは父さんの許しを得て騎士学校に行くため、王都に向かうことになった。そして無事一発で入学試験に合格した。

 兄さんが父さんの前で何日も土下座し、仕事の手伝いも何も言わずにこなし、その上で自力で勉強や訓練をこなしたのだ。いくら跡継ぎになってほしいと思っていた父さんでも、必死で頑張り、これ以上ないほど頼み込んでくる兄さんの願いを無下にすることができなかった。

 だから一度だけの機会と試験に向かわせたのだが、兄さんはその一度きりの機会をものにしたのだ。

 結局は父さんも含めてみんなが祝福した。頑張って来いと送り出す父さんは満面の笑みで、王都に向かう兄さんは涙ぐんでいた。

 時が流れ、私が9歳の時、姉さんが嫁ぐことになった。

 12歳で成人を迎え、結婚できる年となるこの国では、成人すると同時に街の親同士で話が持たれ、結婚相手が決められる。

 だからそれまで面識のなかった人と結婚することも少なくなくて、好き同士で結婚することは珍しいほどだった。

 けれど姉さんには好きな人がいて、相手も姉さんが好きで、結婚したいと思っていた。だから姉さんは他の相手と結婚するのは嫌だと言った。

 父さんは怒った。あらかじめ予定していた相手は街でも有名な商会で、父さんが随分と骨を折ってようやく同意させた人だった。娘の事を思って精いっぱい努力した父さんを姉さんは否定した。姉さんには同情するけれど、父さんのやりきれない姿がとても印象的だった。

 結果から言うと、姉さんは好きな相手と結婚することができた。

 父さんは姉さんの相手にとても厳しい条件を突き付けて、それを見事達成したなら認めると言ったのだ。相手がまだ商人の息子だったからできた最大限の情報だったとは思うけれど、それでもとても達成できるものではないと思えるものだった。

 けれどその予想を裏切って、相手の人は条件通り、たった一年で自分の商会を軌道に乗せ、大きな取引も難なくこなせるようになった。普通ならあり得ないことだったけれど、父さんは約束を見事果たした相手に姉さんを任せた。

 後で聞いた話だけど、有名商会の人に平謝りしつつ、その上で裏で手助けしてほしいと頼み込んだらしい。考えればそれがどれほど失礼なことにあたるのか誰でもわかることだけど、それでも父さんは娘のために奮闘したのだ。

 姉さんはまだ知らないかもしれないけど、父さんに許してもらって、好きな人と幸せになれた姉さんに、私はすごく憧れたものだ。とても綺麗で、私もいつか姉さんのようにと、そう思った。

 私が10歳になると、私は本格的に仕事を手伝うようになった。商会の跡取りは実質的に私一人になってしまったし、父さんもそのつもりになって私をビシバシ鍛えていった。

 小さいころからいつも父さんや兄さん姉さんの仕事ぶりを見ていた私はすぐにいろいろな仕事を任されるようになって、いくつかの小さい取引ならば私一人でも捌くことができた。

 冒険者として活動していたリィーネとはそのころに3度だけ、店で会った。エルフだったし、とても美人だからとても印象に残っていて、少しだけどお話もした。

 「君は勘が鋭い。筋もいい。きっといい弓術師になる。」

 エルフの伝統技術に魅せられて弓を少し触らせてもらった時に、リィーネはそんなことを言ってきた。

 「私は将来このフロア商会を国一番の大商会にしたいですから。弓なんて触っている時間ないですよ!」

 けれど、私はそのころ商会の跡を継いで盛り立てていくという道にしか興味がなかったから、リィーネの誘いを断った。

 「そうか・・・君ならきっと夢を実現できるだろう。そのための力もある。何より努力ができる。それが伝わってくる。また縁があれば、今度はイレーヌへ来てくれ。歓迎する。」

 そう言ってくれたリィーネに手を振って別れ、将来はエルフとも商いをする異色な商会もいいなと思っていた。

 ひたすら勉強して、ひたすら商売して、ひたすら、ひたすら、ひたすら、努力し続けた。

 すべてはこの商会を継いで、もっともっと大きな商会にするため。

 そして父さんが作った商会は凄いんだと、みんなに知らせるため。

 けれど、私が13歳になった年から、父さんの様子がおかしくなった。

 成人を過ぎても結婚の話し合いがなされず、なんでだろうと思いつつ、でもこのまま一人でやっていくのも悪くないかなと思っていた。

 呑気だった。きっと、後に知る事実に気づいていたなら、まだ何とかなったかもしれない。

 いや、それでも何ともならなかったのかもしれない。

 「結婚・・・?」

 「そうだ。相手はロアーノ侯爵。うちのお得意様の一つだ。知っているだろう?」

 貴族の結婚適齢期は平民とは異なって14歳。来年私が14歳になるのを待って、私はロアーノ侯爵の第3婦人へと召し上げられる。

 そんな話をされて、私は頭が真っ白になった。そして泣き叫びながら嫌だと訴えた。

 何度も何度も。声が枯れてでなくなっても、涙と鼻水で服を濡らしきっても、それでも止まらず、止められず、何度も嫌だと訴えた。

 それでも父さんは聞き入れてくれず、聞き入れることだできず、ただ私の訴えを振り払うことしかしなかった。

 「もう、決まったことなんだ。」

 兄さんが騎士になりたいという夢も、姉さんの無茶な結婚話も、か細い道であったけれど、どうにか道を用意することはしてくれた父さんが、私にはその道すら与えてくれなかった。

 わかってる。侯爵なんて上級貴族に渡り合えるほどの強いつながりもなければ権力もない。逆らえば何をされるかわからない。それが決まったことならなおさら。

 けれど、それでも私は何もしてくれず、ただただ一様に「決まったことだ」と言うだけの父さんが許せなかった。

 どうして私だけ。

 そう思った時、私は飛び出していた。

 父さんの声も、母さんの声も聞こえず、無我夢中で逃げて、逃げ続けたその先には。

 「・・・レナ。」

 ルーナが私の顔を覗き込んでいた。

 ほとんど一瞬だったに違いないそんな少しの沈黙だったのに、ルーナは私の思いをすべて理解したようだった。

 「レナ。今会わないと、きっと後悔しますよ。」

 それでも私は踏み出すのが怖かった。

 目の前にはあの時から少しだけ古くなった商会に併設されている家族のための家。その扉の前。

 ドアノブは少しさび付いていて、扉の淵は知っているよりも少しすり減っていた。

 3年間一度も帰らなかった家。その家は私がいたあのころよりも、少し冷たく感じた。

 「レナ。まだ間に合うかもしれません。私が全力で治します。だから。」

 ドアノブに手をかけたままの私の手を小さな両の手で覆うライム。私は心配そうに、それでも元気を出させようと笑みを見せる彼女に、そっと微笑みを返す。

 ・・・ライムってやっぱり女の子なのかな?

 そんなどうでもいいような問いが頭の中に浮かんで、ちょっとだけ元気が出た気がした。

 そっとドアノブをひねる。それだけでひどく重く感じた扉は簡単に開いた。

 中は窓からの明かりしかない。どうやら1階には誰もいないようだった。

 ならばと私は2階へと続く階段を見る。

 この先に父さんがいる。二階の奥の寝室に、父さんがいる。

 ゆっくりと階段を上る。木がきしむ音がひどく懐かしい。

 階段を登り切り、寝室の扉に手をかける。

 また一瞬ためらってしまったけれど、今度は自分の力だけで開けることができた。

 一瞬後ろにいるみんなを見る。みんながついてる。大丈夫。

 扉を開けて、声をかけた。

 「父さん!」

 3年ぶりにみた父さんはひどく痩せていて、白髪も混じっていて、私が知る父さんじゃない気がして。

 けれどいつも先を見据える力強い光を放っていた瞳を見て、ようやく私は父さんが父さんであることを理解した。
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