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第二章

第65話 枢機卿

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ヒロイン拉致事件の翌日、朝一番の学院の講義室で、私はラン司祭を掴まえていた。
「ちょっと話があるのだけれど」
「グラールのことかな。なら、ここではまずいよね。学院が終わった後、教会に来てくれるかな」
「わかったわ、教会に行けばいいのね」
「それでよろしく」

その後私は、学院でのヒロインの様子をそれとなく観察していたが、普段と変わった様子はなかった。
キース=ヨークシャが欠席していることに触れる者もなく、話題にも上らなかった。

放課後、教会への道すがら街の様子を窺ってみたが、これといった混乱やトラブルはないようだ。ヨークシャ商会がランドレース商会に変わったが、住民たちは何の疑問もなく受け入れているようだ。

教会で出迎えてくれたのは、ラン司祭だけではなかった。枢機卿までもが私のことを待っていた。
「聖女様、お待ちしておりました」
「枢機卿、聖女はやめて、イライザと呼んでください」
「ではイライザ様、こちらへどうぞ」
私は、応接室に通された。

「それで、本日はグラールのことでお越しいただいたと伺っていますが」
「教会は、グラールの力の詳細を知っているの?」
「そうですね、力の詳細については、教会でも知っているのは私だけだと思います」
「枢機卿は知っていたの。ならなぜ教えてくれなかったの」
「それは、イライザ様が『世の理』の守護者だからです」

「『世の理』の守護者とはなに。私はそんなものになった覚えはないわ」
『世の理』、前にラン司祭も言っていたことがあった。私はそれの守護者だというの。
「『世の理』とは、世界の行く末を選択するもの。現在のところサーヤ=ランドレースさんが務めていると思われます。これを守るのが守護者、イライザ様のことです」

アレ。私は『世の理』であるヒロインを虐める悪役令嬢だったはず。いつのまにか守護者になったのだろう。
「さっきも言ったけれど、私はそんなものになった覚えはないわ」
「それについては、『世の理』がサーヤさんであることも、あなた様が守護者であることも教会の推測です。ですが状況証拠からほぼ間違いないと確信しております」

教会の推測なのか。
まず、『世の理』がヒロインであることは間違いないだろう。これは納得する。だが私が守護者はどうだろう。
確かに最近はよくヒロインを助けているし、助けようと気を回している。そうしないとゲームが進まない。もしかすると、これはゲームのイベント強制力だったのだろうか。
知らない間に悪役令嬢の称号が消えていたし、守護者の称号が付いたりしてないよな。後で確認してみないといけないな。

「納得はいかないけれど理解はしたわ。それで『世の理』の守護者であることと、グラールの力の詳細を教えてもらえなかったことがどう繋がるの」
「それは、教会は神の指示がない限り、『世の理』とその関係者に干渉してはいけないことになっています」
「それが情報をもらえなかった理由なのね」

「それもありますが。伝えなかったのは私の考えでもあります」
枢機卿の独断なの。

「聖杯の力は絶大です。いざという時大変役に立ちます。しかし、それが周りに及ぼす影響も計り知れません。もし詳細を知った場合、あなた様が聖杯の力を使えるとは思えませんでした。いざという時、あなた様はその影響の大きさに、聖杯の使用を躊躇ってしまうでしょう。それでは、神があなた様に聖杯を授けた意味がなくなってしまいます。神の思し召しに反することはできません」

枢機卿にしてみれば、グラールは神が『世の理』を守護するために必要だと認めたため、私に授けられたものなのか。そのため、その使用を妨げるようなことはしたくなかったということか。

確かに私はヒロインを助けるためにグラールを使用した。もし、その力の影響力を知っていたら私はグラールを使用できただろうか。
いや、あの状況ではむしろ積極的に利用したかもしれない。
私が考えるに、グラールの力は過去改変。現状大した問題は起きていない。確かに人間二人を消してしまったことは、私にとって精神的に大きな負担だ。だがこれは剣や魔法で殺しても同じことだ。むしろ剣で殺した方が来るものがあるだろう。
もしかすると、私が考える以上の力がグラールにはあるのかもしれない。

「それでも、周囲への影響を最小限にするためにも、詳細が知りたいわ」

「そうですか。そこまでおっしゃるならお話しします。ですがこれは、私個人として知っている情報であって、教会が持っている情報ではありません」
「どういうことですか」
「つまり、教会のどこを探しても、いや、世界中のどこにも聖杯の力の詳細に関する記録はないのです」

「それは代々枢機卿だけが口頭で受け継いでいるということなの」
「いいえ、違います。枢機卿であることは関係なく、私個人として知っているのです。端的に言ってしまえば、私が聖女様の弟だったので、知ることができたということです」
「聖女様ですか? どなたのことです。歴代の聖女様と枢機卿が兄弟だったなんて初耳です」
ラン司祭が話に割って入った。

「それはそうでしょう。記録は一つも残っていませんから。それどころか、私以外誰もその聖女様の、姉の記憶を残していないのですから」
そう言って枢機卿は話を始めた。

「姉は聖杯の力が使える本当の聖女でした。グラールのように擬人化するまでには及びませんでしたが、姉が聖杯に触れた時、聖杯は神々しく光り輝き、悪を滅せよと声がしたのです」
そうか、枢機卿は一度、聖女様の光を見ているのか、それであの時断言したのだな。

「そんな姉を教会は聖女様として祭り上げました」
まあ、そうなるな。私もそうなりかけたし。
「最初のうちは、聖杯の力を使うような機会もなく、象徴の聖女として姉は大過なく過ごしていました」
枢機卿は遠い過去を思い出して、遠くを見つめる。

「それがある時、殺人事件が起きたのです。一家六人が殺される強盗事件でした。そこで聖女は初めて聖杯の力を使いました。強盗犯を悪とし、聖杯で滅したのです」
枢機卿は視線を落とし、なおも言葉を続けます。

「その結果、強盗事件はなかったことになり、殺された筈の一家も何事もないように普段通りの生活を取り戻したのです」

「生き返ったのですか?」
「そうです。その後、姉は何人かの殺人犯を聖杯で滅して、亡くなった被害者を生き返らせました」
「それは大騒ぎになったでしょうね」
「いえ、その行いは、聖女自らだけが知るのみで、誰にも知られることがありませんでした」
「なぜです」
「事件自体が起きなかったのです。誰も気づきません」
そうか、元々なかったのだ。誰も気付きようがない。

「この時点で、ことの重大性に気付き、聖杯の使用をやめていればよかったのです」
やはり何か重大な問題点があるのか。

「聖杯は、事件そのものを起きなかったことにするのではなく、事件を起こした犯人をいなかったことにしていたのです。それも、過去に遡り、始めから生まれなかった、この世界に存在しなかったことに」

うん。これは私の考え通りだ。
「それはつまり、その犯人が行った全ての行為がなかったことになるのですね」
「そうです。そして、姉はそれに気付かず聖杯を使い続けました。その結果、姉は取り返しの付かないことをしてしまったのです」
グラールに私が考える以上の力があるわけではなく、使い方に問題があったのか。

「その男は医者でした。普段善良な顔をして患者を治療する一方、裏で人体実験をしていたのです。その犠牲者は三桁に上るものでした」
「人体実験ですって、なんて酷いことを」

「姉は迷わず聖杯を使い、その医者を消し去りました」
当然そうするわね。何せ犠牲者は三桁。小さな村に匹敵する。

「その結果、生き返ったのは僅か数名。その代わりに、王都に住んでいた住民の半数が消え去ったのです。しかも、その残された半数も、大半が疫病に掛かり、まともに動けるのは一部の裕福な貴族のみ。正に地獄のような状態でした」

「そんな。どうして」

「一見、悪逆非道なその医者の人体実験は、疫病の対策のため必要だったのです。それを消してしまったため、国中、いや大陸中に疫病が蔓延してしまったのです」

「そんなことが」
「いや、そんな記録はどこにもないぞ」
頷く私に、ラン司祭は首を傾げる。

「そう、そんな記録はどこにもない」
「……。なかったことにしたのですか」

「流石公爵令嬢、頭の回転が速いですね。その通りです」
そう私を褒めると枢機卿は話を続けた。
「姉は悩んだ、どうにかしないといけない。悩んだ末思いついた。自分を悪として滅してしまえばいいと。そうすれば、少なくともこの地獄からは抜け出せる。そして、それを実行に移しました。姉は消え。後は元通りの世界が戻ってきたのです。聖女様がいたという。その記録も記憶も奇麗さっぱり消し去って」

しばし、沈黙がその場を覆いつくした。

この話を予め聞いていて、私はグラールを使用できただろうか。ヨークシャ商会が無くなったことで、誰かの人生が台無しになったかもしれない。もしかしたら亡くなった人もいるかもしれない。
過去改変を甘く見過ぎていたようだ。今現在の考えでは、グラールはもう使用する気になれない。
そう思うと、枢機卿が私にグラールの力の詳細を黙っていたのは正しかったのかもしれない。
枢機卿としても、姉の聖女の件が絡むことである。言うべきか、言わざるべきか大変悩んだことだろう。

長い沈黙が続いた。その沈黙を破ったのは私だった。
「一つだけ腑に落ちないことがあるわ。なぜ枢機卿はそのことを覚えているの」
「それは、私の魔法のせいです。私が使える魔法は『絶対記憶』、知覚系の魔法ですからイライザ様も同じようなことができるでしょう」

確かに私は鑑定を使えばすべての記憶を思い出せる。似たようなものなのだろう。とすると。
「そうですか、でしたら13回目についてはお分かりですか」
「分かっているつもりですよ。今日まで来られたのは初めてですね。これも守護者様の活躍のおかげだと思っています」

枢機卿には死に戻りの記憶があるようだ。
「そのことを、他に知っている人はいるのですか」
「私の他にはラン司祭が、ここ何回かは知っています。私が話したので」
「そうですか」
私はラン司祭を見る。

「枢機卿から聞いたときは、神託の伝言の意味が分かって胸のつかえが下りた気分だったよ」
「神様は詳しく話してくれないの?」
「そうだね。僕には話してくれないね」
「そう」
ここで得られる情報は他にないかしら。

「そういえば、今日は、グラールはどうしたの」
「今は寝てるよ。起こしてこようか」
「その必要はないわ」
「そうだね、君はいつでも呼ぶ出せるものね」

「いつも寝ているの?」
「そんなことはないよ。今日は試験を受けていたから、疲れたんじゃないかな」
「試験? いったい何をしているの」
「今は内緒、そのうち分かるよ」

「余り無理はさせないでね」
「分かっているさ。教会にとっても大事な聖女様だからね」
「それならいいけれど」

今、教会から得られる情報は聞き尽くしたようなので、枢機卿とラン司祭に別れを告げ、私は教会を後にして屋敷に帰ったのだった。


数日後、ラン司祭の言った内緒の内容が分かった。
グラールが学院に編入してきた。

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