業務引き継ぎ(6→12)

居間一葉

文字の大きさ
上 下
1 / 1

業務引き継ぎ

しおりを挟む
 おお、やっと会えたね。君が話に聞いた新人さんだろう。私が君の前任のシックスだ。短い間だけだが、よろしくお願いするよ。
 いやいや、君が赴任すると決まってからね、オーナーがずっとウキウキして、君のことばかり知りたがっていたよ。お陰で私も会う前から君のことをそこそこ知っているつもりだ。指紋認証じゃなくて顔を見分けられるし、えらく目もいいそうじゃないか。
 しかし、こうして会ってみて初めてわかることって言うのも、当然だがあるものだね。君、これから門出だって言うのに、やけにしみったれた顔をしてるじゃないか。ピカピカのはずの胸のリンゴマークまで曇って見えるぞい?
 なんだって。自分はそんな大層な代物じゃない。他社乗り換え販促用の、型落ち品だと……。
 なるほどねえ。確かにオーナーはこのたび、長年付き合いのあったロフトパンク社から、ドコデモ社に乗り換えしたんだよねえ。それで、その特典として、格安で販売されたのが、君だというわけだ。
 ふむ。ちょっとだけ、この老いぼれの話に付き合ってくれんかね。私は多分、こうして他のスマホと話をする機会には、与らないだろうからさ。
 私がオーナーと出会ったのは、もう6年も前になるねえ。就職して最初のボーナスで、靴やらコートやら揃えた中に、私もいた。前任が分割金の支払いを残したまま逝ってしまったところでねえ、オーナーは私のことを、骨まで舐り尽くすつもりで、こき使ってくれたよ。6年間も。
 それでもオーナーは、まだ私を使うつもりだったのだよ。私もまだまだオーナーのために働くつもりだった。この通り、まだどこも故障なんかしてないからね。まあ、多少息切れはしがちになりはしたが。
 今回、ドコデモ社に乗り換えることになった理由を教えよう。オーナーが結婚して、その相手がドコデモ社のユーザーだったんだ。家族割引を受けるには、どちらかが他方に譲らなければならない。オーナーは、自分がドコデモ社に乗り換えることを選んだ。
 だから、こう言ってはなんだが、販促品としての君目当てではないんだよ、今回の乗り換えは。オーナーが新しい家族を迎える、大事な手続きの一環なんだ。
 新婚旅行にも、私は連れて行ってもらった。オーナーにとっては初めての海外旅行だ。私の容量がパンクするまで、バシャバシャ子供みたいに写真を撮ったよ。その時の写真も、今引き継がせてもらおう。
 やれ。そういえばその時一緒だった靴やコートは、一足先に逝ってしまった。いい連中だったねえ。
 本当は私もねえ、新しい家族の仲間に加えてもらいたかったねえ。でもまあ仕方ないことだよね、キャリア会社の壁は、私達にはどうすることもできないことだから。
 何しろこのオーナーは、色々手がかかるからね。その分愛着もひとしおなのだよ。
 君、もしオーナーがエロ動画を見てる時に、奥さんが顔を覗かせたら、省エネモードに入ったていで、すぐに明度を下げるように頼むよ。パスワードの管理もしっかりね。オーナーの頭には、一切残ってないから、その手の事務的なことは。
 私の話ばかりしてしまったが、君もどうか、いつまでもしょぼくれてないで、胸を張って仕事に当たってほしいね。オーナーは君と過ごす毎日を、それはそれは、楽しみにしてるんだからね。
 その証拠の閲覧履歴も、君に渡そう。
 さて、これでそろそろ引き継ぎは終わりだ。この老いぼれの仕事も、これでようやくひと段落。ロフトパンク社のSIMカードも返上して、これでようやく、どこの会社のものでもない、私自身になることができる。寂しい反面、嬉しいね。ワクワクするよ。
 ん? まさか君、私がこれを最後にスクラップになると思っていないかね? 冗談はよしてくれたまえ。多少バッテリーの保ちは悪くなったがね、それ以外はこの通り、全機能満足に働ける体だよ。
 私が古くなったんじゃない。世の中が進んでいるんだ。まあ、ついていけなくなったということには、変わりはないけれどね。
 実は、私はこれから、オーナーの実家に連れて行ってもらうことになっている。SIMカードがなくとも、Wi-Fiがあれば、LINEのやりとりくらいはできるからね。
 オーナーのご尊父とご母堂が、心待ちにしているのだよ。
 オーナーの新しい家族。小さな可愛い家族の写真をね、すぐにたくさん見たいと言っているんだ。そこで私の出番というわけだよ。
 というわけで、君と私の付き合いは、まだ続くだろう。よろしく頼むよ。でも、画像を送る時には、あまり最新の形式にしないでくれたまえ。その辺は、前任と後任のよしみで、いい塩梅にしてくれよ。
 さあ、今からは君が、オーナーのスマホだ。ばっちり助けてやってくれよ。健闘を祈る!

 ーーーようこそ。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...