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二か月後
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あの夜からもうすぐ二か月になるが、イタチとはまだ再会していない。
僕の生活も、(スマホが最新機種になったことを除いて)大方従来通りである。自宅と職場の往復だ。
ただ、いくつか変わったこともある。
まず、年明けの、ギョロ目と主任の飲みに加わった。声をかけてきたのは例によってギョロ目の方だったが、半ば社交辞令的に誘ったのだろう、僕が応じたことにかなり動揺している様子だった。元々大きい目を更に見開いた顔が、少し愉快だった。
酒の席で話してみると、二人ともそれなりに気のいい連中だった。
聞いたところによると、あの夜、主任は結局、「夜のサンバ」には出かけなかったそうだ。お目当ての女の子が急きょ店を休んだらしい。
「しょうがないから、久しぶりに家で一人でしたよ。手元が狂ってこたつ布団汚しちゃったんだ」
主任の自虐話に、僕は「ばかですね」と笑った。
「そういう時は、空き缶を使うと具合がいいんですよ」
僕が身振り手振りしながら言うと、主任は目をしばたたかせた。
「君、意外と面白い奴だな」
やがて鼻をふんと鳴らし、自分も大いに笑いだした。
ギョロ目だけが、少しきまり悪そうに、あいまいに笑っていた。
公園の近くに出ていたおでんの屋台は、昨日の帰り道に見たらなくなっていた。
春が近づいて客足が減ったためなのか、それとも地権者にとうとう退去するように言い渡されたのか、理由はわからない。
昨日で最後と分かっていれば、一度くらい、のれんをくぐってみてもよかったと思った。
僕は、屋台に集まっていた団子虫達のことを思った。ねぐらを失い、今どうやって夜を過ごしているのだろうかと。
屋台のあった場所からは、当然だがおでんの出汁の匂いは消えている。
ただ、かすかにアンモニアの匂いが、気のせいかもしれないが感じられた。
匂いの元を辿ると、枯れ草の中にタンポポが葉だけを広げているのを見つけた。
イタチが公園のベンチの下に置いた、缶ポタージュの空き缶は、なんと今もそこにある。
恥ずかしながら、気になって気になって、ほぼ毎日、遠目ではあるが、通りすがりに行方を見守っていた。
そして今、僕はあのベンチに再び座り、缶の中を覗き込んでいる。
予想に反して、中は澄んだ水で満たされていた。枯れ葉のかけらが、幅広の口から見える水面に浮いている。
元旦に降った雨が中身を洗い流したのかもしれない。いずれにせよ、僕の恥ずかしい体液は、みじんも残されていないようだった。
僕は、土埃で汚れた空き缶を拾い上げると、ゆっくりと傾けた。透明な水が、糸となって零れだしていく。
僕の生活も、(スマホが最新機種になったことを除いて)大方従来通りである。自宅と職場の往復だ。
ただ、いくつか変わったこともある。
まず、年明けの、ギョロ目と主任の飲みに加わった。声をかけてきたのは例によってギョロ目の方だったが、半ば社交辞令的に誘ったのだろう、僕が応じたことにかなり動揺している様子だった。元々大きい目を更に見開いた顔が、少し愉快だった。
酒の席で話してみると、二人ともそれなりに気のいい連中だった。
聞いたところによると、あの夜、主任は結局、「夜のサンバ」には出かけなかったそうだ。お目当ての女の子が急きょ店を休んだらしい。
「しょうがないから、久しぶりに家で一人でしたよ。手元が狂ってこたつ布団汚しちゃったんだ」
主任の自虐話に、僕は「ばかですね」と笑った。
「そういう時は、空き缶を使うと具合がいいんですよ」
僕が身振り手振りしながら言うと、主任は目をしばたたかせた。
「君、意外と面白い奴だな」
やがて鼻をふんと鳴らし、自分も大いに笑いだした。
ギョロ目だけが、少しきまり悪そうに、あいまいに笑っていた。
公園の近くに出ていたおでんの屋台は、昨日の帰り道に見たらなくなっていた。
春が近づいて客足が減ったためなのか、それとも地権者にとうとう退去するように言い渡されたのか、理由はわからない。
昨日で最後と分かっていれば、一度くらい、のれんをくぐってみてもよかったと思った。
僕は、屋台に集まっていた団子虫達のことを思った。ねぐらを失い、今どうやって夜を過ごしているのだろうかと。
屋台のあった場所からは、当然だがおでんの出汁の匂いは消えている。
ただ、かすかにアンモニアの匂いが、気のせいかもしれないが感じられた。
匂いの元を辿ると、枯れ草の中にタンポポが葉だけを広げているのを見つけた。
イタチが公園のベンチの下に置いた、缶ポタージュの空き缶は、なんと今もそこにある。
恥ずかしながら、気になって気になって、ほぼ毎日、遠目ではあるが、通りすがりに行方を見守っていた。
そして今、僕はあのベンチに再び座り、缶の中を覗き込んでいる。
予想に反して、中は澄んだ水で満たされていた。枯れ葉のかけらが、幅広の口から見える水面に浮いている。
元旦に降った雨が中身を洗い流したのかもしれない。いずれにせよ、僕の恥ずかしい体液は、みじんも残されていないようだった。
僕は、土埃で汚れた空き缶を拾い上げると、ゆっくりと傾けた。透明な水が、糸となって零れだしていく。
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