童貞とイタチと缶ポタージュ

居間一葉

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公園の人影

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 清浄な空気を求めて逃げ込んだ先は、駐輪場の前の小さな公園だった。
 公園はテニスコート2つ分程度の広さだ。周囲を囲むように、常緑樹のクスノキが植えられている。以前は子供用の遊具が2つ3つ設置されていたが、いつのまにか撤去されて、今はもっぱら老人達のゲートボール場となっている。当然、この時間にやってくる人影などない。
 園内の端と端に向かい合うように、ベンチがいくつか置かれている。その一つに、僕は深く腰掛けた。
 夜空を仰ぎ見た。オリオン座が自信ありげに輝いている。
 自然と大きなため息がこぼれた。安物の革靴のかかとを、ガツガツと地面を削るように叩きつけたりもした。
 僕は苛立っていた。目を瞑ると、職場での一件の最後に、モニターに映っていた自分のアホ面が思い出される。
 果たしてあれで正解だったのだろうか。周囲にバレていないだろうか。
 僕が「童貞」だと。
 苛立ちは焦りを経て、やがて不安へと変わっていった。夜の無人の公園には、その不安のやり場はなかった。口から出る白い息のように、頭の中でもくもくと膨張を続ける。そして、それに反比例するように、元々ちっぽけな自尊心が益々小さく縮んでいく。
 いつのまにか、僕は心だけでなく、体をも小さく小さく丸めて、固くしていた。だから、その場に僕がいることに気づかないままに、この公園にやってくる人がいたとしても、それはあり得ることだったのかもしれない。
 何度目になるかもわからないため息をつこうと、顔を上げた時のことだった。
 反対側のベンチに、人が座っていた。暗くてよく見えないが、背格好は僕よりも一回り小さいように見える。
 上着の類を着ていない。茶色のトレーナーに、同色のズボン、足元に至ってはサンダルだけである。靴下すら履いておらず、むき出しの脛が白く、そこだけ浮かび上がって見えている。髪は短く、男女の区別もここからではつかない。ただ、はっきり言えるのは、見るからに、痛々しいほど、寒そうだということだ。両の手のひらを、固く閉じた太ももの間に挟み、揃えた両脚をしきりに擦り合わせている。
 この辺りの住宅街に住んでいるのだろうと、僕は考えた。何か事情があって、部屋着のまま家を飛び出してきたのだ。そして、この気温である。あの格好のまま、そう遠くから来たとは思えない。
 人影は、僕には気づいていないようだ。時折、ほんの一瞬顔を上げるが、その視線は僕の方ではなく、例のおでんの屋台の方へと向いている。寒いだけでなく、腹まで空かせている様子だ。金銭を持ち合わせているようには見えない。しばらくするうちに、顔を上げる回数も徐々に減り、やがて諦めたように、伏せられたまま凍りついていった。
 このままではいけない。体を温めなければ。
 不思議だった。職場の会話の波にも乗れず、おでんの屋台ののれんをくぐるのにも躊躇する、内気で小心な僕なのに、この人影をこのまま見過ごすことができなかった。
 何かできることはないだろうか。振り返ると、おでんの屋台からは客の団子虫の姿がなくなっていた。店主は店仕舞いの支度を始めている。今から走って飛び込めば、売れ残りの竹輪くらいは手に入るかもしれない。
 しかしそれはいけないと思った。あのおでんは汚い。匂いはたまらないが、実態は小便に塗れたおでんだ。
 僕は考えた。コートのポケットの中を探る。僕はよく使い捨てカイロを使う。だが今日に限って、それを持ち合わせていなかった。朝、母親の勧めるままに、モモヒキをズボンの下に履いてきたから、不要だと思って持ってこなかったのだ。
 畜生。モモヒキなんぞ履いてくるんじゃなかった。
 僕は舌打ちしながら、再度ポケットの中をまさぐった。安物の長財布が手に触れた。中の小銭が、シャラリと音を立てた。
 僕は一つの心当たりに行き着いた。そして、左右を見渡してみる。
 公園の隅に、自動販売機がぼんやりと発光していた。
 これだ。僕は立ち上がった。
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