童貞とイタチと缶ポタージュ

居間一葉

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おでんの屋台と団子虫

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 職場のある新橋駅から、自宅の最寄り駅までは、電車でちょうど1時間だ。最寄り駅は比較的小さな駅で、乗降客もそれほど多くはない。改札口を出て、線路沿いに5分歩けば、もう平屋の一戸建ての並ぶ住宅街である。その住宅街の入り口に、僕がいつも自転車を置いている駐輪場がある。自転車を15分も漕げば、もう自宅である。温かい母の手料理と、2匹の飼い猫が炬燵で待っているに違いない。妹とこの連休に遊ぶために、新しく買ったゲームソフトもある。
 ただ、なんとなく今日は、そのまま駐輪場に向かう気がしなかった。理由は分からない。
 この先は先ほども言ったとおり、住宅街が続いているだけだ。行くべきあてなどどこにもない。かと言って、寒い中、元来た道をただ戻って行くのも馬鹿馬鹿しい。
 前に進みたくはなし、戻りたくもなし。惰性のままノロノロと牛歩を進める僕の顔を、師走の冷たい夜風が切りつけていく。
 ふと、その風の中に、一片の優しさのようなものがあるのを、僕は嗅ぎつけた。文字通り、鼻で、である。
 線路沿いに設置された防護柵の傍に、おでんの屋台が出ている。
 この屋台の存在は、当然以前から知ってはいた。冬になると、毎日のようにこの場所に出店している。おそらく土地は鉄道会社の敷地だろう。果たして、ちゃんと営業の許可を得ているのか、疑わしいところだ。その店主と客とが、だいぶ酒も進んでいるのだろう、大声で笑いあっている。還暦も近そうな中年の男達が、ダウンを着込んで着膨れした体を、植木鉢の下に住み着く団子虫のようにモゴモゴさせながら、おでんをつついている。なんともたまらない、出汁のいい匂いが鼻をくすぐる。
 こんな時、もし僕が物語の登場人物であったなら、躊躇わずその団子虫の群れに加わっていくのだろう。実際に、今日の僕は、すんでのところでそんなありがちな人物に成り下がるところだった。
 僕を冷静にさせたのは、聴覚だった。近くから、ぢょぼぢょぼという生暖かい音がしたのである。
 何の音かとそちらを見やると、団子虫の一人が、枯れた草むらの中で豪快に立ち小便をかましていた。先程来の音は、彼の小便が地面を穿ちながら、モコモコと泡立つ音だったのである。その禿頭の団子虫は事をすませると、手も洗わずに再び群れの中へと戻っていった。あとには、濡れた地面とそこから立ち上る白い湯気が残された。
 さっきまで感じていた、情緒も風情も皆吹っ飛んでしまった。そういえば、屋台の客はもちろんだが、夜に一人で屋台を構えている店主は、一体どこで用を足しているのだろうか。そして、手はどこで洗っているのだろうか。
 まさか。最悪な事実に、僕は吐き気を催した。脳裏に浮かんでいたおでんの煮汁のイメージが、目の前でホワホワと湯気をあげる小便のそれへと、すり替わっていく。今も鼻に感じるおでんの匂いは変わらないはずだが、それすら中年男性の、検査をすれば糖が混じっているのが判明するであろう、甘ったるい小便の匂いのように感じてしまう。
 僕は全力でその場を立ち去った。
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