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提案
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私は野上さんのマンションに連れ返された。
「とりあえず風呂。それから寝る。」
「…自分でやります。」
ノロノロと身体を動かして、浴槽から昨夜のお湯を抜いた。
ゴボゴボと音を立てて立てて流れていくのをただ見つめた。
最後に排水溝に渦を巻いて流れていくお湯を見ながら、
「北半球は右回りだったっけ?」
とどうでもいい事を考える。
泣きながら浴槽を洗い、浴槽給湯のボタンを押して、浴室から出た。
「コーヒー淹れた。」
「すみません。」
渡されたマグを口には付けず掌に包み込んだ。
「拓郎と約束したんです。別れるって。」
「うん、だからいいよって言ったよ。」
あっさりと受け入れられた事に驚いた自分に驚いている。
どうせ直ぐに捨てられる、って思っていたのは自分なのに、おかしいの。
「だけど、約束して。必ずここに戻ってくるって。」
「それなんですけど、おかしくないですか?」
「おかしいことはないよ?」
コテンっと首を傾げた。
野上さんは私の目を見ながら、同じくらいクビを傾げてみせた。
「ユキはさぁ、あの撮影の日の気まぐれで俺が声を掛けたと思ってるだろう。」
「違うんですか?」
「違うよ。」
野上さんはあの最終予選の時、私の存在を知った。
健太というツテが出来て、私の事を聞いた。
拓郎との事も知り、芽生えかけた思いに蓋をしたという。
「ユキが好きというよりは、ユキみたいな存在がいいなぁ、と思ったのかもしれない、って。
大学2年の時から今までいろんな女の子が俺に想いを寄せてくれたけど、ユキみたいに見守ってくれる子はいなかった。」
健太から見せられた私のSNSはニセモノの私で溢れていた。そこに野上さんは全く興味はなかったという。
ただ、セボンという雑誌でモデルをしている事はそれで知っていた。
私にというよりは、拓郎と私の関係に興味があった野上さんは、それから5年経って、私が特別なんだという結論に至った。
拓郎は野球を辞め、私は拓郎からは離れている。
もし、私が野上さんの存在を認知すれば、拓郎の位置に自分がすり替われることができれば、と。
「セボンの取材を受けた時、もう一度だけ会ってみようと思ったんだ。会って話してそれで決めようって。
少しだけ話して、変わった部分も変わってない部分もある事に気付いて。
だからもう少し考えたくて付き合おうって言った。
…だから5年ユキを意識して、8ヶ月ユキと一緒にいた事になる。
拓郎くんには勝てなさそうだけど、俺もそれなりにユキを見てきたと思っているよ。
だから、ユキと拓郎はくんを引き離そうとは思わない。無理だってわかったし。
時々拓郎くんに会いに行く程度でいいんなら、残りの日は俺を見てて欲しいと思った。
これが俺が出した答えなんだから、仕方がないよ。」
「そんなの…出来ません。」
「なんで?それくらい甘えて、そして甘えさせてよ。」
えっ?
「それがユキなりの甘え方なんだろ?なら、そうするしか無いじゃないか。」
拓郎の自由のために「彼」がいるユキで在り続ける。そのためにならなんでもする。
ただ、そんなことを強いられる「彼」の方は耐えられる関係じゃない。
優希にとっては付き合うことそのものが「甘え」だった。
だからそれ以上は望まないようにしてる。
「いろんな事をごちゃ混ぜにしないでひとつひとつ考えて欲しい。」
と野上さんは言う。
「俺のことは嫌いになった?顔を見たくもないほどの事を俺は何かした?」
ううん、と首を振る。
野上さんはなにも悪い事はしていない、酷いのは悪いのは私だ。
「でも…拓郎と約束しちゃったんです。」
「うん、それは聞いたよ。だから別れる。その時だけ。
なあ、拓郎くんはもしユキと俺が直ぐにヨリを戻したらどうする?怒るかい?それとも殴るかい?」
「拓郎はそんな事しませんよ。」
拓郎は…。
きっと怒らない。拗ねる…かもしれない。
殴ったりはしない、これは絶対!
無視したり居ないように扱ったりもしないと思う。
はあ、とため息を吐いて、それでもこういうだろう。
わかった、仕方ないよな。
それかなにもなかったかのように振る舞うかもしれない。
「拓郎くんが彼女とキッパリ離れるから、ユキと向き合いたいって言うかな?」
「言えない…と思います。」
絶対に揺るがない残酷な現実がここにある。
拓郎は恵美さんから離れられない。少なくても今は。
「俺はユキといたい。ユキは側にいてくれる人が欲しい。
拓郎くんはユキに支えて欲しいし、何かあれば駆け付けて欲しい。
結構いいやり方だと思うけど。
俺はいいよ、だから提案してる。
それくらいならお安い御用だよ。
でもその分だけ俺を甘やかしてよ、野村優希さん。」
この人は何を言っているのか、本当にわかっているのだろうか。
「そんなに甘やかさないで…下さいよぉ。
でないと、私…私。」
私は子供みたいにわんわんと泣いた。
「とりあえず風呂。それから寝る。」
「…自分でやります。」
ノロノロと身体を動かして、浴槽から昨夜のお湯を抜いた。
ゴボゴボと音を立てて立てて流れていくのをただ見つめた。
最後に排水溝に渦を巻いて流れていくお湯を見ながら、
「北半球は右回りだったっけ?」
とどうでもいい事を考える。
泣きながら浴槽を洗い、浴槽給湯のボタンを押して、浴室から出た。
「コーヒー淹れた。」
「すみません。」
渡されたマグを口には付けず掌に包み込んだ。
「拓郎と約束したんです。別れるって。」
「うん、だからいいよって言ったよ。」
あっさりと受け入れられた事に驚いた自分に驚いている。
どうせ直ぐに捨てられる、って思っていたのは自分なのに、おかしいの。
「だけど、約束して。必ずここに戻ってくるって。」
「それなんですけど、おかしくないですか?」
「おかしいことはないよ?」
コテンっと首を傾げた。
野上さんは私の目を見ながら、同じくらいクビを傾げてみせた。
「ユキはさぁ、あの撮影の日の気まぐれで俺が声を掛けたと思ってるだろう。」
「違うんですか?」
「違うよ。」
野上さんはあの最終予選の時、私の存在を知った。
健太というツテが出来て、私の事を聞いた。
拓郎との事も知り、芽生えかけた思いに蓋をしたという。
「ユキが好きというよりは、ユキみたいな存在がいいなぁ、と思ったのかもしれない、って。
大学2年の時から今までいろんな女の子が俺に想いを寄せてくれたけど、ユキみたいに見守ってくれる子はいなかった。」
健太から見せられた私のSNSはニセモノの私で溢れていた。そこに野上さんは全く興味はなかったという。
ただ、セボンという雑誌でモデルをしている事はそれで知っていた。
私にというよりは、拓郎と私の関係に興味があった野上さんは、それから5年経って、私が特別なんだという結論に至った。
拓郎は野球を辞め、私は拓郎からは離れている。
もし、私が野上さんの存在を認知すれば、拓郎の位置に自分がすり替われることができれば、と。
「セボンの取材を受けた時、もう一度だけ会ってみようと思ったんだ。会って話してそれで決めようって。
少しだけ話して、変わった部分も変わってない部分もある事に気付いて。
だからもう少し考えたくて付き合おうって言った。
…だから5年ユキを意識して、8ヶ月ユキと一緒にいた事になる。
拓郎くんには勝てなさそうだけど、俺もそれなりにユキを見てきたと思っているよ。
だから、ユキと拓郎はくんを引き離そうとは思わない。無理だってわかったし。
時々拓郎くんに会いに行く程度でいいんなら、残りの日は俺を見てて欲しいと思った。
これが俺が出した答えなんだから、仕方がないよ。」
「そんなの…出来ません。」
「なんで?それくらい甘えて、そして甘えさせてよ。」
えっ?
「それがユキなりの甘え方なんだろ?なら、そうするしか無いじゃないか。」
拓郎の自由のために「彼」がいるユキで在り続ける。そのためにならなんでもする。
ただ、そんなことを強いられる「彼」の方は耐えられる関係じゃない。
優希にとっては付き合うことそのものが「甘え」だった。
だからそれ以上は望まないようにしてる。
「いろんな事をごちゃ混ぜにしないでひとつひとつ考えて欲しい。」
と野上さんは言う。
「俺のことは嫌いになった?顔を見たくもないほどの事を俺は何かした?」
ううん、と首を振る。
野上さんはなにも悪い事はしていない、酷いのは悪いのは私だ。
「でも…拓郎と約束しちゃったんです。」
「うん、それは聞いたよ。だから別れる。その時だけ。
なあ、拓郎くんはもしユキと俺が直ぐにヨリを戻したらどうする?怒るかい?それとも殴るかい?」
「拓郎はそんな事しませんよ。」
拓郎は…。
きっと怒らない。拗ねる…かもしれない。
殴ったりはしない、これは絶対!
無視したり居ないように扱ったりもしないと思う。
はあ、とため息を吐いて、それでもこういうだろう。
わかった、仕方ないよな。
それかなにもなかったかのように振る舞うかもしれない。
「拓郎くんが彼女とキッパリ離れるから、ユキと向き合いたいって言うかな?」
「言えない…と思います。」
絶対に揺るがない残酷な現実がここにある。
拓郎は恵美さんから離れられない。少なくても今は。
「俺はユキといたい。ユキは側にいてくれる人が欲しい。
拓郎くんはユキに支えて欲しいし、何かあれば駆け付けて欲しい。
結構いいやり方だと思うけど。
俺はいいよ、だから提案してる。
それくらいならお安い御用だよ。
でもその分だけ俺を甘やかしてよ、野村優希さん。」
この人は何を言っているのか、本当にわかっているのだろうか。
「そんなに甘やかさないで…下さいよぉ。
でないと、私…私。」
私は子供みたいにわんわんと泣いた。
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