修道院に行きたいんです

枝豆

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オマケ

ピアノ3

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それからしばらくしてエルが師匠が見つかったと教えてくれ、さらに数日を要してから、私はオリゾンテという漁村にある小さな教会にエルと2人で向かった。
オリゾンテという地名を聞いて、間違いなく師匠がいるという確信が持てた。

私を迎え入れたのは、老年の司祭と深い皺をたたえたシスターがひとりだった。

「突然押しかけてすみません、司祭。」
エルが親しげに話しかけたのは司祭様だった。
衆目のある場所で師匠との過去の縁を匂わせる事はできない、私はあくまでエルの添え物に徹していた。
シスターも心得た様子で聖職者らしい礼節のある微笑みのままで黙って司祭の後ろに立っている。

元気そうだ、少し老けたけれど、優しそうな目元のシワが増えただけにも見える。

抱きつきたいと込み上げてくる思いに必死に蓋をして、溢れそうな涙を堪える。

「滅相もございません。とても光栄な事でございます。」

会話はエルと司祭との間で続けられる。それを聞きながら、シスターを潤んだ瞳で見つめていると、師匠と視線が絡みあう。

「手紙に書いた通り、ピアノを寄附をさせて頂きたいのだが。」
「ありがとうございます。ですが…なぜこのような辺鄙な教会に?」
訝しがる司祭に対して本当の事を伝えられはしない。
その答えはきちんと用意してある。それは私から伝えた。

「私が好きなピアノ曲にオリゾンテの夕陽というものがありますの。思い出深い曲なんです。オリゾンテって水平線って意味ですよね。この教会の名前と同じですね。」
「ああ、なるほど。」
司祭に向けて話してはいるけれど、心の視線は師匠に向かっていた。
シスターの瞳が微かに潤む。

「私が子供の頃の手習に使ったピアノなんです。…とても大切にしていたのですけれど。受け取っていただけますか?」

「光栄な事で御座います。もちろん大切にさせていただきます。」
と司祭は答える。
その傍のシスターは黙って微笑んだままだった。

教会にピアノはかなりの贅沢な品だからかもしれないし、また違うのかもしれない。
俗世を捨てたシスターに俗世を思い出させるものを渡すのだ。
司祭様は優しそうだけれど、厳格さも持っていそうな気がする。
不用意なひと言でシスターに俗世を思い出させる縁を手渡す事に気付かれたら、どう反応するかわからない。

司祭はエルと私をもてなす為に司祭室へと案内すると言ってくれる。
エルはそれに応え、私はもう暫くピアノの側にいたいと伝えた。

司祭は快く応じてくれ、側のシスターに私を託した。
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