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ティバルの葛藤
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我が娘の寝所に男を送り込む夜が来るとは思わなかった。
今日ほど酒がまずい夜も、今日ほど飲み足りない夜もおそらくはない。
フーシンが付き合い酒を申し出てくれたのが救いだ。
ひとりではおそらく悪い酒にしかならなかっただろう。
「…男色か。」
鳳の宮に仕えるようになって、フーシンが見たのは衝撃的な光景だったそうだ。
「あれほど乱れているとは思いもしませんでした。」
「…相手は。」
「側小姓は全員です。」
合点するところもあった、とフーシンは言った。
「ジンシはいずれは継承権放棄を願ってもいました。それでもジンシを次の帝に推す声が消えなかったのです。」
「…知っていた、ということか。」
「…はい。おそらくは。」
外国から来た妃の子は要らぬという声は確かにあった。普通ならそこに側女や妾を当てがう。
しかしそこに色小姓を当てたうつけ者がいた。
「男色を手引きしたのは奥宮大夫のようです。」
「側女の親…だったな。」
「はい。」
「…帝はご存知のはずだ。」
影からの報告はあったに違いない。
「奥の宮に通っているうちは大目に見ていたようです。」
…馬鹿な奴だ。
娘以外に子種がいかないようにしたつもりが、娘にすら子種がいかなくなり、帝の逆鱗に触れた。
「帝から叱責を受けたのがあの日の前の夜、おそらくその時より帝の宮は皇太子により制圧されていたと思われます。
翌朝何も知らぬままジンシは使者となり遣わされました。」
そして皇太子はそのまま龍の宮を閉じた。
「朱病」と偽られたことで、殆どの府は対応に追われ、右往左往している間に足場を固めてしまったに違いない。
ティバルの率いる軍務府も脱走者を出さない為に警備に追われた。
ティバルもまた帝と龍の宮の者と一切の接触を禁じられてしまった。
山荘に赴いたジンシ殿下の危篤の知らせを受けて城を離れた僅かな間。
ディバル不在の間に全ては皇太子によって整えられてしまったのだ。
皇太子の謀にまで目が届かなかったのが、悔やんでも悔やみ切れない。
特に龍の宮の混乱は想像出来た。
なにせ主がいないのに、探しに出たくても出られない。次の日には崩御と公布される始末だ。
閉じ込められた期間、ひたすら龍の宮の者達は情報を集め策を練った。
それは帝の宮の者達も同じだっただろう。
役に立ったのが「影の一族」だった。
「影の一族は一族の長の判断で積極的に宮を往復しつつ、フェイに全権が渡ったかのように装いました。影の一族はたったひとりの皇族の命令で全てを動かしますから、帝からフェイに指揮権が移ったと思わせた事でフェイの周りに隙が出来ました。」
フーシンの前に「影」が現れたのはその時が初だったそうだ。
皇太子から孕ったリーエンかホンを所望すると聞かされた時、リーエンはともかく「ホン」の存在を知っているということに驚いた。ホンの事を知っている者は少ない。全てが山荘に在住している腹心の者たちばかりなのに。
そして「影」や「草」の存在を思い出した。
味方なのか敵なのか、本当にあの2つの存在はよくわからない。
後先考えずに、目の前の皇太子を蹴り飛ばしてやろうかとすら思ったが、それを止めたのは、「掌中の珠を国を割る不吉な姫にしたいか?」あの予言のことに触れた皇太子の言葉だった。
リーエンをそうはさせないために生きてきたと言ってもいい。
しかし黙ってホンを差し出す事もしたくはない。
父として、臣下として、将軍として、決断を迫られた。
込み上げた苦い何かを無理やりに嚥下して、とりあえず下がってきた。
…このまま泣き寝入りはしない、と決めて。
「…策は?」
「リーエン様次第です。」
世継ぎが見込めない皇太子と、世継ぎを孕んだリーエンならば、忠臣であればある程にどちらに加担するかは明白だ。
「ジンシは既に崩御とされているのだ。表には立てん。」
ジンシを表に出せば、宮中の混乱は避けられない。
「ええ。ですから…。」
フーシンは一旦口籠もる。
「今一度ジンシには死んで貰わねばなりません。」
「…そうか。それしかないか。」
ティバルは天井を仰いだ。
「国を割る…か。」
言霊とは恐ろしいものだな。
そうならないようにと抗っていた者が、その決意を立てる道へと追いやられた。
あのフキという占い師はペテンだと思っていた。おそらく誰かの手引きで嘘を並べ立てたのだろうと。
遠いサルザックからではなかなか首謀者まで手が出せなかった。
頼みの綱のハンジュ様は早世されてしまった。
…わかるわけがない。初めからそんな者はいなかったのだ。
「奥宮大夫だったか…。」
確か当時はまだただの女官だったはずだ。
…違う。まだ上がいるはずだ。
浮かび上がる顔をひとつひとつ吟味して、それを酒に浮かべて呑み干してきた。ひとつ打ち消してまたひとつ思い浮かべて…。
「あの日、サルザックへ赴く日、ハンジュ様は泣きながら誓ってくれた。」
…決して国を割るような皇子にはさせない、と。
そしてジンシはその言葉のまま育ってくれた。
国を割ることのないように、自身の死さえも飲み込もうとした。
「…好きに呼べ。」
そう呟いた時の、あの顔は諦めの顔だった。
兄がそれを望むなら…、そう考えたに違いない。
そのジンシが、国を割る決意を立てた。
誰でもない、我が国、我が娘の為に、だ。
なんとしてでもこの恩に報いなければならない。
今日ほど酒がまずい夜も、今日ほど飲み足りない夜もおそらくはない。
フーシンが付き合い酒を申し出てくれたのが救いだ。
ひとりではおそらく悪い酒にしかならなかっただろう。
「…男色か。」
鳳の宮に仕えるようになって、フーシンが見たのは衝撃的な光景だったそうだ。
「あれほど乱れているとは思いもしませんでした。」
「…相手は。」
「側小姓は全員です。」
合点するところもあった、とフーシンは言った。
「ジンシはいずれは継承権放棄を願ってもいました。それでもジンシを次の帝に推す声が消えなかったのです。」
「…知っていた、ということか。」
「…はい。おそらくは。」
外国から来た妃の子は要らぬという声は確かにあった。普通ならそこに側女や妾を当てがう。
しかしそこに色小姓を当てたうつけ者がいた。
「男色を手引きしたのは奥宮大夫のようです。」
「側女の親…だったな。」
「はい。」
「…帝はご存知のはずだ。」
影からの報告はあったに違いない。
「奥の宮に通っているうちは大目に見ていたようです。」
…馬鹿な奴だ。
娘以外に子種がいかないようにしたつもりが、娘にすら子種がいかなくなり、帝の逆鱗に触れた。
「帝から叱責を受けたのがあの日の前の夜、おそらくその時より帝の宮は皇太子により制圧されていたと思われます。
翌朝何も知らぬままジンシは使者となり遣わされました。」
そして皇太子はそのまま龍の宮を閉じた。
「朱病」と偽られたことで、殆どの府は対応に追われ、右往左往している間に足場を固めてしまったに違いない。
ティバルの率いる軍務府も脱走者を出さない為に警備に追われた。
ティバルもまた帝と龍の宮の者と一切の接触を禁じられてしまった。
山荘に赴いたジンシ殿下の危篤の知らせを受けて城を離れた僅かな間。
ディバル不在の間に全ては皇太子によって整えられてしまったのだ。
皇太子の謀にまで目が届かなかったのが、悔やんでも悔やみ切れない。
特に龍の宮の混乱は想像出来た。
なにせ主がいないのに、探しに出たくても出られない。次の日には崩御と公布される始末だ。
閉じ込められた期間、ひたすら龍の宮の者達は情報を集め策を練った。
それは帝の宮の者達も同じだっただろう。
役に立ったのが「影の一族」だった。
「影の一族は一族の長の判断で積極的に宮を往復しつつ、フェイに全権が渡ったかのように装いました。影の一族はたったひとりの皇族の命令で全てを動かしますから、帝からフェイに指揮権が移ったと思わせた事でフェイの周りに隙が出来ました。」
フーシンの前に「影」が現れたのはその時が初だったそうだ。
皇太子から孕ったリーエンかホンを所望すると聞かされた時、リーエンはともかく「ホン」の存在を知っているということに驚いた。ホンの事を知っている者は少ない。全てが山荘に在住している腹心の者たちばかりなのに。
そして「影」や「草」の存在を思い出した。
味方なのか敵なのか、本当にあの2つの存在はよくわからない。
後先考えずに、目の前の皇太子を蹴り飛ばしてやろうかとすら思ったが、それを止めたのは、「掌中の珠を国を割る不吉な姫にしたいか?」あの予言のことに触れた皇太子の言葉だった。
リーエンをそうはさせないために生きてきたと言ってもいい。
しかし黙ってホンを差し出す事もしたくはない。
父として、臣下として、将軍として、決断を迫られた。
込み上げた苦い何かを無理やりに嚥下して、とりあえず下がってきた。
…このまま泣き寝入りはしない、と決めて。
「…策は?」
「リーエン様次第です。」
世継ぎが見込めない皇太子と、世継ぎを孕んだリーエンならば、忠臣であればある程にどちらに加担するかは明白だ。
「ジンシは既に崩御とされているのだ。表には立てん。」
ジンシを表に出せば、宮中の混乱は避けられない。
「ええ。ですから…。」
フーシンは一旦口籠もる。
「今一度ジンシには死んで貰わねばなりません。」
「…そうか。それしかないか。」
ティバルは天井を仰いだ。
「国を割る…か。」
言霊とは恐ろしいものだな。
そうならないようにと抗っていた者が、その決意を立てる道へと追いやられた。
あのフキという占い師はペテンだと思っていた。おそらく誰かの手引きで嘘を並べ立てたのだろうと。
遠いサルザックからではなかなか首謀者まで手が出せなかった。
頼みの綱のハンジュ様は早世されてしまった。
…わかるわけがない。初めからそんな者はいなかったのだ。
「奥宮大夫だったか…。」
確か当時はまだただの女官だったはずだ。
…違う。まだ上がいるはずだ。
浮かび上がる顔をひとつひとつ吟味して、それを酒に浮かべて呑み干してきた。ひとつ打ち消してまたひとつ思い浮かべて…。
「あの日、サルザックへ赴く日、ハンジュ様は泣きながら誓ってくれた。」
…決して国を割るような皇子にはさせない、と。
そしてジンシはその言葉のまま育ってくれた。
国を割ることのないように、自身の死さえも飲み込もうとした。
「…好きに呼べ。」
そう呟いた時の、あの顔は諦めの顔だった。
兄がそれを望むなら…、そう考えたに違いない。
そのジンシが、国を割る決意を立てた。
誰でもない、我が国、我が娘の為に、だ。
なんとしてでもこの恩に報いなければならない。
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