運命のひと。ー暗転ー

破落戸

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人間失格

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 京都にある遊郭旅館で起こった抗争から約一ヶ月が経ち、世間はクリスマスのイベントを終え、来る年末と年越しを準備する時期になっていた。しかし世間から隔離された私には、もはや縁遠い話で、それどころではなかった。

 しとしとと、先程まで降っていた雪によって白に染まった日本庭を見つめ、そしてお布団の中でも固く目を閉ざし、弱々しく息をして眠るひとを見下ろす。私のすぐ側では「よかった、本当によかった」と女将さんが涙を流し、鼻を啜っていた。いつも気丈に振る舞い、凛としている女将さんが狼狽している姿は滅多にない為に、この現状が如何に天龍組にとってもイレギュラーなものであったかを証明している。


「もう、ほんとにビックリしちゃったよ~。まさか尊嶺くんがここまで傷を負わされちゃうとはねぇ。前代未聞なんじゃない? 西園寺くん、なーんにも知らせてくれないんだもの」


 涙を拭った女将さんは、温かいお茶を淹れてくると言って出ていくのを見送ったあとに、お客様である男性が話し出した。


「久々に来てみたらこれだもんね~」


 のほほんと笑うのは土師さんで、眠る太刀川さんの姿を、あららぁと覗き込んだ。そして縁側の方に移動し、土師さんが座り込む。その正面には、庭に立つ西園寺さんが土師さんに頭を下げていた。


「報告が遅れまして申し訳ありません」

「あぁいやいや、責めてる訳じゃないよ。天龍若頭が手負いの状態にあるだなんてトンデモ情報、たとえ同盟相手でも容易には流せないしね」

「……」

「でも大丈夫なのかい? こんなに早く病院から連れ戻して。救命室運ばれて、なんとか一命取り止めてからは、ずっと集中治療室ICUにぶちこまれてんたんだろう? まだ一ヶ月そこらしか経ってないってのに」

「何かあれば、すぐに救急の措置が出来る様、医者は常時控えさせています。ああいった医療施設内ですと、もし何らかの奇襲があった際に動きにくい。堅気の皆さんにも被害が及びますので」

「被害って、今更何を気にしてるの。今回の件だって、京の民からは中々の不信感煽っちゃったじゃないか。暴動が起きてもおかしくないレベルだよ~?」

「……そうですね」

「まぁ、これに関しては嶺上リャンシャン組の若君が責を取る……というか対処するでしょう。彼も無茶するというか、思いきりがいいよね~。まさか、あの通り一帯まるごとを火の海にするとは。尊嶺くんが如月組の山を焼いたとのことを思い出しちゃったよ。浩然ハオランくん、何かしら尊嶺くんの影響を受けてるかもしれないねぇ、悪い意味で。彼にも用事あったんだけど、此処にはもう居ないのかい?」

「はい。現在は一旦中国に戻っておられます。日本こちらでの後処理があるので、すぐに戻るとのことですが」

「そっかそっか。じゃあ奥さんの調査結果はその時でいいか」

「やはり行方は掴めず、ですか」

「うん。結構頑張ったんだけどね。綺麗に雲隠れされちゃった。元々ひとつの国に留まってるのは好まない奔放な女性ひとだったみたいだし、どこかしらの組織……もしかしたら白鷹の残存勢力と行動を共にしている可能性も無きにしもあらずかな。や~、ほんと何でこんなことしたんだろうねぇ。お陰で、天龍と嶺上の損害も予定よりもひどくなっちゃって、額を計算したら目玉飛んでっちゃったよ」

「申し訳ありません」

「あぁいやいや、ホント責めてる訳じゃないよ。あ、そうそう。報告といえばね、今日はこれ届けに来たんだよ。お見舞いの品代わりだと思ってくれれば。ハイ、どーぞ」

「拝見します。……これは」

「他の組員に関しては、まだ炙り出しの最中なんだけどね。取り急ぎ優先で、その人物と他数名。経歴ぐらいは把握しておかないとねぇ。まぁ相手は女だから、そこまで気にすることは無いと思うんだけど」


 そう言いつつも、土師さんは渡した資料に目を通すよう西園寺さんを促す。


「約十年前かな? 天龍と同盟結んでた柊組って西園寺くん覚えて……あ、大丈夫? 読めるかい?」

「はい。問題ありません」

「本当かな~。まだ本調子じゃないだろうし、日常生活にだって支障を来してるでしょ、ソレ。慣れないことや戸惑うことだって多いだろうに。あっそうだ、僕が声に出して読んであげようか」

「いえ、自分で読めますので」


 ちらりと西園寺さんの様子を横目で伺う。あの抗争で出来た身体中の怪我の細かい傷痕は残るものの、既に回復している西園寺さんだったが、今後の彼の生活に大きな影響を与える多大な傷は残ることとなった。

 右目の失明。頭に巻かれ、患部を覆う包帯は今も取り外されることはない。……回復の見込みは無い、らしい。

 西園寺さんの片目の視力が喪われた、そう女将さんから聞いたあと頭が真っ白になった。

 離れで過ごす私の様子を見に来た西園寺さんに、なんと声をお掛けしたよいかわからず、結局半泣きになって「やすんでくだざい」と涙と鼻水まみれの顔で訴えた。見るからに必死な私に、西園寺さんは苦笑しながらハンカチを差し出してくれた。泣きたいのは西園寺さんの方だろうに。

 今まで見えていた世界が半分になってしまう。片目でも光を失うということは、相当に精神的なダメージが大きく、辛く悲しいことであることは想像に難くない。いや、私の想像を遥かに越えた絶望であるに違いないのに。

 遠近感が掴めなくて壁や柱に身体をぶつける西園寺さんを、時々見かけるようにもなった。それを目撃する度、きりきりと胸が締め付けられる。けれど、彼はそのことについて自分から一切として言及することはない。弱味や隙を一瞬たりとも見せはしない。重傷を負い、未だ意識を取り戻すことなく、床に伏せている太刀川さんの穴を埋めんと、あの日から1日たりとも、その身体を休息させることはなかった。

 土師さんは、渡した資料に黙々と目を通している西園寺さんの姿に苦笑している。


「休めるときには休んどきなさいよ」

「お気遣い感謝します」

「いや気遣いとかじゃなくて。まぁ、命あっての物種とはいうけれどもねぇ」

「そこまで柔な身体はしておりません。これまでも、これ以上の修羅場は潜り抜けて参りました。生きているという事実のみで俺は十分に動けます」

「いや、そんな締め切り間近の漫画家みたいなこと言われてもね。そもそも、君ら元々オーバーワークが過ぎるんだよ」

「上が怠けては下の者はついてきません」

「その台詞、是非とも瀧島さんの前で言ってあげるといいよ。ん~、流石におっかなくて無理か~、あっはっは。あのひとはこんなときまで、どこをふらついてらっしゃるんだろうね」

「……」

「尊嶺くんがこんな状態だから、やること沢山で大変だってのはわかるけど、君まで倒れたら元も子も無いじゃあないか」

「此度の戦、覚悟していたとはいえ、大勢の組員が多くのものを失いました。腕や足、耳に頭、胴体、その命、そして血の繋がりはなけれども兄弟と呼び合った戦友を」

「……」

「それらを考えましたら、俺など。片目だけで済んで良い方です。なにせ、天の龍を護る為に振るう腕が、まだ二本も残っているのですから」


 強い意思を持った左目に迷いは一切感じられない。しかし、その眼力を真ん前で受け止めている土師さんは少しばかり困った顔をして息をつき、頬杖をついた。そしてぽりぽりと白髪混じりの髪の毛をかき、「西園寺くん」といつものんびりとした声色の土師さんにしては珍しく、少しばかり真剣なものを感じさせた。


「前々から思ってはいたけれど、些か情に厚すぎるよ、西園寺くん。敵にまで情けをかける様なことはしないから、あんまり問題視してはいなかったけど」

「その様なことは」

「あるよ」

「……」

「その侠気きょうきが、君の力を最大限に引き出す動力になっているのはわかるんだけどね、同時にそれは弱味にもなる非常に危ういものだよ。それはいつか、君を容赦なく殺すんじゃないかと僕は思えてならなくてね」

「もしも貴方の仰るとおり、その弱味によって足を掬われ来るときが来たらば、俺は俺の運命を甘んじて受け入れましょう」

「潔すぎやしないかい。本当に西園寺くんは生まれる時代を間違えたね~。天龍の若衆たちが君を兄貴分として慕うのもわかるよ。西園寺くん、侍って知ってるかい?」

「さむらい、ですか。申し訳ありません。学は無いもので」

「あぁうん、いいんだ。相当古い歴史だから、今時知ってるひとの方が少ないよ。まぁでも、機会があれば調べてみるといいよ。君が共感するだろう生き方をする人種だから」

「……はい。……そろそろ本題に入らせていただいてもよろしいですか。ここに記載されている情報について」

「あー、そうだったそうだった。ごめんごめん。えらい脱線しちゃったねぇ。そうなんだよ、白鷹組が弱体化した証拠か、やぁっと尻尾を掴ませてくれてねぇ。うちの情報システム部、この機会を逃すまいと血眼になって頑張ってくれたんだ。様々なネットワークを駆使して、ありとあらゆる情報を洗ってくれて、そこまで辿り着いた。とりあえず、さっきも言ったけど、白鷹幹部の女の経歴を優先して取り急ぎね。他の組員についても順次調査中」

「ここに記載されてあることは若頭から聞いていた情報と一致しています。聞いたといっても、ほんの少しばかりですが」

「僕も俄には信じ難い話だなぁと思ってたんだけど、吃驚だよね。あのシラユキって美人さん」

「まさか、柊組の反乱での生き残りが居たとは」
 
「反乱?」


 シラユキさんの名前に反応し、思わず聞こえてきた単語を口に出してしまった。慌てて急ぎ口を両手で覆うも、西園寺さんと土師さん両名の視線がこちらに集中する。うっと言葉に詰まり、話の腰を折ってしまったことに居たたまれなくなり「すみません」と小声で謝る。

 再度、実は死んでいるのではないかと疑いたくなるほど寝息をたてず、静かに眠り続けている太刀川さんの綺麗な寝顔を見下ろす。


「そんなに堅くなることはないよ、志紀ちゃん」


 優しくのんびりとした声色で私に声をかけてくれたのは土師さんだった。恐る恐る顔を上げると、土師さんは柔らかい笑みを私に向けていた。

 そんな中に、入室の挨拶をしてから障子を開いて、湯呑みセットを乗せたお盆を手にした女将さんが戻ってきた。お化粧も直してきたのだろう、綺麗に整えられた横顔はとても美しいが、その目は充血し赤くなったままだった。

 女将さんが急須を手にし、優雅な所作で湯呑みに温かいお茶を淹れる。ふわりと湯気があがると、茶葉のよい香りがした。女将さんはまず一番近くに居た私に湯呑みを差し出してくれたので、お礼を言ってから受けとる。そのまま女将さんは土師さんにもお茶をお渡しし、西園寺さんにも勧める。最初遠慮して首を振りかけていた西園寺さんだったが、せっかく注いだのだから冷めない内に飲めと女将さんが先手を打ったので、西園寺さんは「それでは一杯だけ」と湯呑みを受け取った。


「志紀ちゃんは、あのシラユキさんと懇意にしてたんだってね。そりゃあ気になりもするでしょう。極道の世界に足を踏み入れながら、何でああまで僕達ヤクザを、特に尊嶺くんに対して異常なほどの憎悪を抱いてるのかってね」

「土師殿」

「いいじゃないの。志紀ちゃんをここまで巻き込んだのは僕らじゃないか。彼女にだって話を聞く権利はある筈だよ」

「しかし」


 私の顔を見て渋い表情かおをしている西園寺さんに申し訳がなくなる。本当は、彼の意図を汲み取った時点で遠慮すべきところなのだろう。なによりもまず、シラユキさんがひた隠しにしておきたいだろう、あるいは胸にしまっておきたいであろう秘密を覗こうとしている様な気がしてならず、罪悪感が込み上げている。

 留まるべきか退出すべきか決めかねている私だったが、女将さんにお茶のおかわりを要求する土師さんが、ごくごく自然に語り出してしまうものだから、出口を塞がれた私の腰が上がることはなかった。


「さっきもちょびっと口にしたけど、約十年前かな。シラユキさんの名字と同じ名前を持つ柊って組があってね。当時、天龍と同盟関係にあった中で一、二を争う有力な組織だったんだ。なんなら天龍を凌ぐんじゃないかって程でね。この柊組長が見事な手腕の持ち主でねぇ。その内、天龍すらも呑み込むんじゃないかと言うほど勢いに乗ってた組織だったんだ。……あ、茶柱」


 顔を綻ばせる土師さんの前では、西園寺さんが難しい顔をして黙ったままだ。お盆を手にし私の隣まで戻ってきた女将さんが、太刀川さんのお布団をかけ直しながら口を開いた。


「せやけど、決して嶺上のおろちはんみたいに横暴な方やなかったと聞いたことがあります」

「お、懐かしい名前が出たね~。そうだね、鏡花さんの言う通り、柊組は各会や組からの評判も良かったし、柊のシマに住む堅気の皆さんにも親しみを持たれてたらしい。僕はお会いしたことないんだけど、組長さんは極道らしからぬ正義感の持ち主だったらしくってね。彼に会ったことのある会や組の頭領に話を伺ってみたけど、ヤクザっていうより、善良な政治家的な性質が強かったそうだよ。ちなみに、西園寺くんは会ったことないの?」

「一度だけ組長の同伴で会合に同席し、そこでお顔を拝見したことが」

「あぁそっか。柊が潰される前は、君はまだ若頭だったもんねぇ」

「……あちらは、ご家族で出席してらっしゃいました。陽気で冗談なども言う、家族思いな人物という印象を抱きました。しかし」


 西園寺さんは手にしていた冊子をパラパラと捲り、難しい顔をしている。


「幼いご子息が居たことは存じていましたが、まさか令嬢が居らっしゃったとは」


 ずずず、と小さく音を立てて土師さんがお茶を飲む。側に置いてあったお茶菓子のお饅頭に手を伸ばし、もぐもぐと口に含み、飲み込んだ風来の組長は「これ美味しいね」と感想を述べる。
 

「娘さん……シラユキさんの存在は、あんまり公にしないで、ひた隠しにしてたんだって。本当に親身な間柄の相手でないと紹介もしないってね。ただ、反発心の強い子で、親子関係はあんまり上手くいってなかったとも聞いた」

「それは何故」

「ん~、考えてみたら案外すんなり答えは出るもんだよ」

「?」

「はっはっは。わからないか。西園寺くん、君は兄弟だけでなく、家庭も持ってみるべきだったねぇ」


 眉間に皺を寄せ、疑問符を浮かべている西園寺さんだが、土師さんはその反応を見て、ふんわりとした笑みを浮かべるばかりだ。

 私も西園寺さんと同じように考えていたが、勘の鈍い私にしては珍しく、その答えはすぐ頭の上に降ってきた。


『アタシ、憧れだったのよ。女の子と服一緒に選んだり探したりするの』

『だから、シキティみたいに何がいいのかなって一緒に悩んでくれる子が居てくれて嬉しいし、スゴく楽しいわ』


 あの夏の日、露出度の高い水着を見て、何にすればよいのか、ひいひいと迷いあぐねている私のために、色々と手にとって、あれでもないこれでもないと吟味してくれたシラユキさんの姿。美しい顔は爛々と輝き、若々しく、大人の女性である筈なのに、どこか少女らしさも感じた。これなんかどう? と私に尋ね、私がうーんうーんと悩んでいると嬉しそうにして、「じゃあ、こっちはどーお?」と嫌な顔ひとつせず、それどころか頬を染め、にこにこ笑い、次の水着を見繕い差し出してくれた。


「どれだけ隠し遠そうとしたって、ヤクザの娘というレッテルは、こびりついて離れることはない。同年代の子達からも敬遠されて遠巻きに見られるだろうし、学校でも腫れ物扱いだったことでしょう。思春期真っ盛りの女の子にはキツイ話さ」

「……」

「文句のひとつも垂れたくなるだろう。周りに居る普通の女の子達に溶け込むことは出来ない。常に誰かの目に見られ護られ、なんとも息苦しい生活の毎日を強いられる。充足感の得られない日常を淡々と過ごすなかで、何故なにゆえ自分は、こんな生き方を強いられねばならないのか。そう考えたときに、その原因は何かと、憎しみをぶつける相手を人間は探してしまう。彼女にとっては、それが生みの親だったんだろう」


 ふと母の姿を思い出した。ごめんねごめんね、と泣きながら私を抱き締め、謝り続ける母を。お母さんは、私が喘息持ちの弱い身体であったことを、ひたすら自分のせいだと己を責め、小さい私に謝罪を繰り返していた。

 正直に告白すると、口には出しはしなかったが、時折、幼心に母を責める真っ黒な感情が渦巻く瞬間があった。

 どうして私を強い子に生んでくれなかったの? 私も、外を自由に思い切り走り回りたい。遊んでいる皆についていけるだけの十分な体力が欲しい。どうして、なんで私、こんなに中途半端なんだろうと、やるせなくなって。

 けれども、それを一度ひとたび口にしてしまえば、私に謝り続ける女性が深く傷つくことはわかっていたから言えなかった。だって、お母さんと私はよく似ている。言われたことを錨の如くズルズルといつまでも引きずってしまう。

 しかし、果たして私は、母を責めたい気持ちは少なからずありはしたけれども恨みなどしただろうか。否、母親ではなく、やがて私は私自身の存在を恨み責める様になったのだ。お母さんを泣かせることしか出来ない子どもに生まれてきてごめんなさい、と。


「親というのはね、異例を覗けば、基本的に子を想わずにいられない厄介な生き物だ。どれだけ反発されようとも、なるべく極道の世界から遠ざけてあげることで、少しでも愛娘にかかる負担を軽くさせたかったんだろうねぇ。それも無駄に終わってしまったけれど」

「柊が天龍に対し行った謀反。原因は極道としての存在の在り方や考え方に大きな齟齬が生じてのことでしたが」

「価値観の違いで別れる夫婦じゃあるまいしねぇ。でも、戦争になるきっかけなんてそんなものだよ。天龍はヤクザらしく、恐怖と強さでを圧政する道を突き進もうとしたけれど、柊はその暴力的な支配を良しとはせず、天龍組長相手に強く進言してしまった。そりゃあ瀧島さん怒るよねぇ。自分のやり方に口出しされるの、あのひとすごく嫌うし」

「……あの方には珍しく、柊組長とは懇意にされていましたから。その分、憤りは凄まじいものだったのでしょう」

「可愛さ余って憎さ100倍ってやつかな。そういえば、尊嶺くんが若頭の地位についたのって、丁度戦争が始まった時期じゃなかったっけ。西園寺くん、もしかして、このことで瀧島さんの不興を買っちゃった?」


 西園寺さんは、その問いに黙ったまま何も言わない。土師さんは西園寺さんの様子を見て肩をすくめ、深く追及することを止めた。


「そのことについてはいいとしよう。さて、多大な犠牲を互いに出した末、ギリギリの攻防で相手を追い詰めたのは天龍だった訳だけど。いやぁほんと、瀧島さんは慈悲ってものを知らないのか。一度見限ると容赦の無いもんだねぇ。柊の組長さんは勿論のこと、その奥さん。そして将来は柊を継ぐことになっていただろう、まだ赤ん坊の長男にも刀を振り下ろし、纏めて粛清させた。……尊嶺くんにね」


 女将さんが息を呑むのが空気でわかった。動揺が見られることから、そこまでの事実を把握していなかったのだろう。抵抗など出来る筈もない、いたいけな赤ちゃんまでも手にかけたという太刀川さんを、私はただ虚無感に襲われながら、ぼんやりと見つめることしか出来ない。


「このとき確認されている遺体はみっつだけ。柊の令嬢は」

「若頭曰く……執行の現場には居たそうです」

「あれま」

「棚の中に隠れていたのだとか」

「親御さんと弟さんが斬られるところ、全部見て聞いちゃった訳だね」

「おそらく」

「そりゃあ恨まれても仕方ないよねぇ。親が子を想う話と同じで、いくら憎まれ口叩いても、子供にだって親に対して持つ情は特別強いものさ。小さい弟まで手をかけられたとあっちゃあねぇ」

「……」

「それにしても、尊嶺くんはシラユキさんが居ることに気付いていながら、命は取らずにいてあげたのかい。どんな気紛れだか知んないけど、それはまたぁ酷なことをしたもんだね。家族と一緒に仏様のところに送ってあげた方が彼女も此処まで苦しまずに、何よりも私怨を持たれずに済んだろうに」


 一度抱いた憎悪は、胸中にこびりついてしまうと中々取れるものではない、と土師さんが語る。ひとりの人物に向けられた憎しみは日に日に強さを増し、やがてそれは相手に関わるもの全てに対して憎む様になるのだと。


「天龍との戦によって、自分の組も家族も帰る家も完膚なきまでに潰されてしまい、何もかもを憎んで復讐心に駈られちゃったうら若き彼女はその後どうしたのか。資料に目を通してもらった西園寺くんはもうわかってると思うけど、そりゃあもう凄まじいったらないよ。苦労されてることは勿論だけど、あちこちの暴力団組織を転々として、武器の扱い方やら勢力関係やらを知識として吸収していくその執念。女性とは、いや、ヤクザの血筋とはいえ、少女とは思えない並外れた行動力だよ。そう思わないかい、志紀ちゃん」


 私に同意を求める土師さんは、ほんの少し加虐的だ。おそらくこのひとは、当時のシラユキさんの年頃に私はどうしていたのかと、元の時代では普通の中学生だった私の生き方とシラユキさんを比べようとしている。人生を理不尽に叩き潰されても尚、自分の足で立ち上がり、苦しみも何もかもを背負って、ひたすら前へ進むシラユキさんと、ことあるごとに簡単に傷つきへこたれて、成長どころか後退してしまう私はとても対照的だ。ただただ自分が情けなくて、恥ずかしかった。


「比較する様なものやありまへん、土師はん」


 肩を落とした私を見た女将さんが、土師さんを諌め、助け船を出してくれた。慌てて私は「大丈夫です」と顔を上げる。女将さんを見つめると納得いかない顔をされていて、女将さんに気負ってほしくなかった私はもう一度「本当に私は大丈夫ですから」と軽く表情を緩ませてみせた。

 女将さんから注意を受けた土師さんは「いやでもねぇ」と話を続ける。


「ただでさえ、おっかなくて物騒な大人社会の中、女の子がひとり、この世界をそこまで渡り歩けるのは、女性に使う表現ではないけれど神童としか言いようがないと思うんだよねぇ、僕」

志紀このこを引き合いに出すのはお門違いちゃいますか」

「え、あー、うーんまぁ、そうだねぇ。ちょっと意地悪しちゃった。ごめんね、志紀ちゃん」

「い、いえ」

「ん~~、そんなに睨まないでよ、鏡花さん。美人が怒ると迫力あるんだから」

「べ、別にわては腹立てたりなんかしとりません」

「またまたぁ。すっかりお母さんだねぇ」


 土師さんの発言に女将さんは目を丸くした。そして私の方を見て少しだけ頬を染め、軽く咳払いをしてから、すぐに視線を反らされる。私もなんだか照れ臭くなって、身体の温度が少し上昇したのがわかった。土師さんは私達ふたりを眺め、うっすらと笑い、話を戻した。


「その後のシラユキさんは文武両道な才女だってもんで、あちこちの組織で重宝されてたみたいだ。ただし、属しはせず、雇われという形でね。時に戦術家として、時に暗殺者スナイパーとして貢献してたんだって」

「その才が衣笠南雲の目に留まり、白鷹に引き入れたというところでしょうか」

「ヤクザ嫌いな彼女を、どう言いくるめたかは知らないけどね。色々と細かい条件をつけはしたでしょう。相当可愛がられてたのは確かだと思うよ。なんせ女の身でありながら、あの白鷹の幹部クラスにまでなってしまうんだ」

「それだけの役を担える実力の持ち主であったということでしょう」

「かもしれないね。今度は彼女が白鷹を率いる長になるかもしれないってんだから」

「……それは真ですか」

「まことまこと。でも心配することはないよ。天龍にも白鷹にも、どちらにも痛みが残る結果にはなったけれども、衣笠さんの首も落として白鷹の組織体制をあれだけ壊滅させたんだ。一番脅威とされてた彼らの持つネットワーク……国内外の勢力も、尊嶺くんの地道な尽力のお陰で機能もしなくなった。白鷹組としての再始動が切れるかどうかは怪しいし、望みも薄い。今は亡き衣笠さんだからこそ纏め上げられた組織を、実力はあれど、まだまだ未熟の経験の浅い子に、ましてや女性に引き継ぎが出来ると思わないしね」

「……」

「事実、こうして衣笠さんが討ち取られた途端に、あれだけ強固に守られていた情報がここまで掠め取られちゃってるんだから、今の彼らに余裕は微塵もない筈」

「だといいのですが」

「今はあんまり気負わない方がいいよ。天龍だって無傷で済んだ訳じゃないんだから。とにかくも体制を整えることを優先しよう。尊嶺くんもきっとそうする」

「はい」

「今後警戒するべきは鬼柳組の方だよ、西園寺くん。同盟相手が満足に動けないなら、それをカバーしようとするのは、未だに白鷹との関係を切らずにいる鬼柳の朝倉さんだろう。あのひとも人情家だからねぇ」

「何が攻めてきたとて、迎え撃つ準備は常に万全に整えています」

「流石だね。頼もしい限りだ。だからこそ尊嶺くんは君を傍に置くんだろう」

「……」

「他にも経歴の判明した白鷹組員は死亡者も含めリストアップしてあるけど、中々掴ませてくれない人物も多くってね。一応軽く目を通しといてもらえば。またわかったことが有ればすぐに使いを寄越すよ」

「本日はご足労頂き有難う御座います」

「いいよいいよ。美味しいお茶とお菓子も食べさせてもらったし」


 立ち上がった土師さんに、西園寺さんは庭から頭を下げる。女将さんもお見送りのため腰を上げたので私もそれについていこうとしたが、女将さんに此処に居なさいと肩を押され、立ち上がりを防がれる。

 土師さんは帰る前にもう一度、眠る太刀川さんの前に膝をついた。そして彼の寝顔を見て、土師さんは優しく笑んだ。あの研究所で残虐非道な行いを統率している人とは思えない程、その表情は柔らかいものだった。


「それにしても、ちょっと安心しちゃったなぁ」

「?」


 ポツリと呟かれた土師さんの発言に、女将さんが首をかしげた。いやぁと頭を掻きながら、土師さんはその言葉の意味を語る。


「いやね、最近ずーーっと僕、白鷹のわんこの面倒見てたわけじゃない。普通の人間なら大きな負荷がかかる実験もしてみたりだとかしてね。でも、彼、すぐ回復しちゃうし、簡単には死なないもんだから。変な話、人間の生命力に対してのハードルが上がっちゃったというか、基準が僕のなかでおかしくなりつつあってね。あのワンコくんが目覚めたってだけでも驚きなのに、言葉を発して身動きを取ってたって聞いて、思わず嘘でしょ? って疑っちゃった位さ。そりゃあ麻痺もするよねぇ」


 さらりと、とんでもないことを言う人だと思った。けれども憤りの情が中々芽生えてこないのは何故だろう。土師さんの柔らかい物腰がそうさせてしまうのだろうか。岡崎さんに非道極まりない行為をしていたこのひとの所業をこの目でしっかりと見たというのに、声を荒げることも出来ないなんて。


「もし此処で尊嶺くんまで、あの白鷹のわんこくんと同じように、すぐに目覚められでもしたら、僕の中の人間への定義を考え直さないといけないところだったよ」

「土師はん」

「見てごらんよ、鏡花さん。本当に綺麗な顔をして寝てるよ。眠り姫の様じゃないか」


 よかったよ、と土師さんは小さく呟いた。


「ひとの並を外れてはいるけど、ちゃんと人間なんだねぇ。尊嶺くんは」


 気のせいか、いや、気のせいじゃない。尊嶺くんは、とわざと強調した土師さんの言葉を聞いて、私の頭に浮かんだのは赤い目をした男性ひと

 あのひとだって人間だ。お腹が空けばご飯を食べたがるし、怪我をすれば痛がる。ひとを傷つけたらわかりやすく気にするし、反省もする。傷つけた罪滅ぼしに、そのひとの尊厳を必死に守ろうとする。ただ、ひとより力が強くて頑丈というだけなのに。

 化け物だなんて言わないであげてほしい、化け物扱いしないであげて。そとみだけではわからない、ひょうきんなあのひとの中身は誰よりも強いけれど、誰よりも繊細なのだから。

 土師さんは、ほんの少しずれていた眼鏡をかけ直してから立ち上がり呟いた。


「ほんと僕らって、良い死に方はしないだろうねぇ」


 西園寺さんも女将さんも、勿論私も何も答えない。答えられなかった。土師さんは、はははと緩く笑う。


「黒川さんと似たような死に目を迎える覚悟を改めておこうかな、僕も」


 土師さんも女将さんも、西園寺さんも離れを去り、お布団のなかで眠り続ける太刀川さんと室内に二人だけになる。宝石箱オルゴールの仕掛けを解き、聞き慣れた音楽を奏でる柔らかい音色が流れる。

 握り締めていた、上品な模様の描かれた缶の蓋を開け、中に入っていた紅茶袋ティーバッグをひとつ取り出す。別れ際に土師さんに渡されたのは、睡眠の質を良くする効果があるらしい特別な紅茶だった。

 目の下にクマがある、最近よく眠れていなんでしょう、と去り際の土師さんに指摘された。眠っている間に太刀川さんが死んでしまったらどうしようと考えてしまい、よく眠れない。眠ってもすぐに目が覚めてしまうんですと答える私に、土師さんは苦笑する。これでも飲んで君も体を休めなさいと差し出されたものは、不眠解消・疲労回復に効果があるという紅茶。人体に影響を及ぼす様な怪しいものは一切入れてないからね、と土師さんはこの缶ごと私に渡す。この間は怖いものを見せてしまってごめんね、と謝りながら。

 取りだした紅茶袋を鼻に近づけ、すんと匂いを嗅いでみると、いい香りがした。宝石箱オルゴールの音色に、紅茶の香り。目を閉じれば、そこに懐かしい空間が広がる。しかし、目を開ければ悲しい現実だけが待ち受けている。

 お布団の下に隠れた太刀川さんの手を手探りで探し、冷たいそれを確認する。手を繋ぐ、包み込むといったことはせず、そっと、ただ添えてみた。

 暫くその状態を続けていると、長い指がぴくりと動いた気がした。寝ている筈の太刀川さんが意識を取り戻したのではないかと、慌ててその顔を見つめる。未だその瞳は閉じられたままだった。

 無意識なのだろうか、太刀川さんの長い指が、添えているだけだった私の指に絡んでくる。いつもみたいな、決して厭らしい触れかたではない。寧ろ真逆で、指を差し出された赤ん坊が、ぎゅっとその指を掴んでくるような無垢なものだった。

 ゆっくりと長い時間をかけて、太刀川さんの手が私の手を徐々に包み込んでいく。最初は指、手の平、甲といった風に、太刀川さんの大きな手が私のものを覆い、そして段々と力が込められる。

 一時間が経った頃には、もうとっくに宝石箱オルゴールも音色を奏でるのを止めてしまった。カサカサに乾燥し、ささくれもある、美しいとは形容し難い私の手は、すっかり太刀川さんの手に捉えられ、固く握り締められている。

 太刀川さんの瞼が微かに震え始める。その様子を、私は、微かに高鳴り始める心臓を感じながら、じっと見つめていた。

 そして、日本人には珍しい青が微かに覗き、緩慢に開かれた。数秒間だけ天井に向けられていた気怠るげな目が、こちらを向いた。そして彼は私の顔を見て、僅かに掠れた声で約一ヶ月ぶりの第一声を発した。


「……酷ェ面だな」

「誰のせいですか」


 鼻を啜り、涙混じりの声で責めると、太刀川さんは「俺だな」と返してくる。それ以上の言葉はいらなかった。

 きゅ、と太刀川さんの手を緩く握り返すと、生を感じさせてくれる力強さで、彼は私の手をしっかりと捕まえた。



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