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戦では然もありなん
しおりを挟む西園寺さんに抱き上げられ、後方へと寄せられたその直後、先に動き出したのはジェイさんとフォックスさんだった。
西園寺さんがジェイさんに縄の様なものを投げ渡し、彼女が難なく手にした瞬間、撓り弾き叩く嫌な音がした。3メートルはあるだろうか。細長い、しかし重みの感じさせるそれが、まるで演舞の様に空間を自在に舞う。長髪の黒髪も制服のスカートも、ジェイさんの動きに合わせてたなびいている。ひゅんひゅんと、風を切る音が留まらない。
鞭を回すジェイさんの周りの襖や天井は傷つき崩れ、彼女の間合いを詰めることが至難であることを示していた。フォックスさんは日本刀を構え、じりじりと近付いてくるジェイさんを薄桃の瞳で真っ直ぐに見つめ捉えている。
自身の周りを防御で固めていたジェイさんが仕掛ける。フォックスさんのふわふわとした身体に鞭を奮おうと、変則的に鞭を回すジェイさんの動きをキョロキョロと薄桃色の瞳が素早く動き、間一髪ギリギリのところで柔軟に身体を動かし避けている。
動きの激しい二人とは対照的に、太刀川さんと衣笠さんはとても静かだった。お互い相手の目を瞬き一つせず視界に捉え、腰に差した刀の柄に手を添え、僅かに刃を覗かせた構えの姿勢のまま、未だ動かない。しかし、緊張感と圧迫感が尋常じゃない。
一瞬たりともの隙を見せることが許されない。こちらが息をすることも躊躇う程に。油断などすれば、どちらかの命が簡単に落ちる。
ごくり、と生唾を呑んだ瞬間、ギンと眼光を鋭くさせた鈍色に息が止まったのと同時に、瞳孔を限界まで開いた衣笠さんが畳の上を滑る様にして距離を詰めてから素早く抜刀し、太刀川さんに剣先を向ける。目に留まらない一瞬のことだった。
太刀川さんが斬られる。彼の身体から深紅の血が溢れる一寸先の未来を想像して肌が粟立つ。彼の名前を思わず声にしかけたらば、刃がぶつかる音が大きく響いた。青白に光る刃が衣笠さんの日本刀を受け止めていた。
う、嘘でしょ、いつ抜いたの? 牽制と力の押し合いで両の刀がカタカタと揺れている。
「ほぉ、おいちゃんの初撃を受け止めるたァ。中々の手練れだなぁ、若大将」
感心した様に渋く笑う衣笠さんだったが、太刀川さんが妖しげに綻んだのを見て、その笑みはすぐに失せた。衣笠さんの横面に勢いよく向かってきたのは黒く細長いもので、直ぐ様衣笠さんが右腕で庇うと凄まじい殴打音がした。衣笠さんの顔を殴り付ける、あるいはそのままの勢いで首の骨を叩き折ろうとしたのは、太刀川さんの刀を納めていた鞘だった。
ぶつかり合っていた刀を引き、太刀川さんが衣笠さんの腹部に刀を素早く突き立てたが、初老の男性は刃が下を向くように持ち変えることで太刀川さんの剣技に抗う。そのまま上を向いた柄の頭で太刀川さんの側頭部を殴ってから、一旦距離を置いた。
頭部に衝撃を受けた太刀川さんは微かによろめきつつも、左手に持つ鞘を一度振ってみせた。ヒュ、と風を切る音が静かに響く。そして右手に青白く光る刃の日本刀を、左手に鞘を持ち、態勢を整える。その表情は苦しげなものではなく、むしろ愉しげだった。
太刀川さんと対峙する衣笠さんはというと、鞘で思い切り強打されたことで赤く腫れた自身の右腕を眺め、「はえェなぁ」と呟く。
一息つく間もなく、すぅっとお二方が息を吸うと、再び刃同士の激しい攻防が始まる。とにかく早い。目が追い付かない。太刀川さんの動きには、ひとを殺すということに対しての一切の迷いも躊躇も無い。だからこそ、あそこまでの動きが出来るのかもしれない。しかし、人智を超えているといってもいい太刀川さんの剣速に反応出来ている衣笠さんも、感覚の鋭さが人の域を越えている。
アクション映画でも見ているみたいだった。本当は型が全て決まっていて、打ち合わせでもしていたんじゃないかと疑いたくなるほどの攻防戦。だけどこれはフィクションでも娯楽映画でも無い。本物の殺し合いだとわかっているから、見ているこっちは気が気でない。口許を震える手で覆って、息をすることを忘れてしまう。
フォックスさんは自身の顔に向かってきた鞭に刀の柄をかざし、あえて巻きつけさせる。ジェイさんの鞭の動きを止め、一気にぐいと引いた。しかし、早々にジェイさんは相手の武器そのものへと標的を変える。引っ張られたことによりバランスを崩されながらも、黒髪の女性はその反動を利用し、橋の様にピンと伸びた鞭の上に身体を横たえ、その重みでフォックスさんの握る刀を床に落とさせることで武装を解除させた。カランと音を立てて、畳の上に衣笠さんのもう一本の刀が転がる。
「やばっ」
声を漏らしたフォックスさんの反応に、黒曜石の瞳をぎらつかせ、にんまりと歯を見せて嗤うジェイさんがその隙を逃す訳もなく、フォックスさんの身体についに鞭を当てた。肉を打つ痛々しい音に、思わず顔を歪ませ耳を塞ぐ。
鞭を食らった左肩を押さえるフォックスさんはチッと舌打ちをし、笑ってはいるものの、やはりその痛みに汗を滲ませている。そして次の鞭が奮われようとしたその瞬間、太刀川さんと一進一退の闘いの最中であるにもかかわらず、衣笠さんが剣技を繰り出しながらも、今はもはや遺体と化した黒服が持っていた、すぐ側で転がっていたごつごつしい銃をフォックスさんの方に蹴飛ばすと、彼女は宙に浮いた中位の大きさの銃を受け取り、ジェイさんに向けて発砲した。連射による大きな銃撃音が鼓膜を刺激し、耳鳴りに苛まれる。弾丸を避けるため後方転回したジェイさんの動きはマト●ックスみたいだった。
「余所見たぁ、えらく余裕ぶってくれるじゃあねぇか」
フォックスさんのフォローに入った衣笠さんだが、太刀川さんとの打ち合いの真っ只中だ。ほんの一瞬出来てしまった隙に、太刀川さんの日本刀が衣笠さんの頬を掠め、一筋の赤い線をつくる。衣笠さんもすぐに屈んで反応したことで、顔が刃によって半分になることはなかった。
二、三歩後退した衣笠さんに合わせ、太刀川さんも動きを止め、刃についた微かな血を払う。衣笠さんは自身の頬から垂れる血を人差し指と中指を揃えて拭い、首を掌で擦った。
「やれやれ。あと一歩遅れてりゃあ、今頃首飛んでるとこだったな。首切りの異名は伊達じゃあねぇな。こいつぁ、思った以上に手のかかる野郎だ」
「それは俺も同意見だな。あんたを冥土に送るにゃあ時間がかかりそうだ」
「オイオイ、おっかねぇなぁ。死神みてぇなことを言わねぇでくれや。おい、フォックス。次はぁねぇぞ」
「はーい」
のほほんと返事をするフォックスさんは弾の尽きた銃をぽいと放り投げる。転がっていた刀を拾い上げたフォックスさんの左肩は鞭で叩かれたことで服が破れ、鞭の痕を残す痛々しく切れた皮膚から血が流れ始めていた。
私は、そんな静と動の入り混じる攻防戦を、心中落ち着きなく見ていることだけしか出来ない。そんな私を抱き上げている西園寺さんが声をかけた。
「お嬢。此処に居ては巻き込まれます。安全な場所へ移動しましょう」
「で、でも」
「この場は更に荒れます。それに、貴女にはお役目を果たして貰わねば」
役目? 私の? 疑問符を浮かべ戸惑う私に、西園寺さんが厳かに頷く。太刀川さんを見ると、彼は僅かにこちらに振り向き、流し目で私を見つめていた。青い瞳と目が合い、たちかわさん、と小さく呟いた私に、彼は一言も返さない。そして再び衣笠さんの方を向いて、西園寺さんに「行け」とただ一言、低い声で伝えた。その指示を受け、私を抱える西園寺さんが障子に手をかける。こちらを見ようとしない太刀川さんの頑な後ろ姿に堪らなくなって、彼を此処に置いていくのが嫌で、死に横たわる彼の姿を想像してしまって。
「た、太刀川さ……太刀川さん!」
離れていく彼との距離が恐ろしくなって、必死に西園寺さんの腕の中から彼の名前を叫ぶ。けれど、彼は一度として振り返ってくれない。なんで、どうして。こっちを向いてよ。
しかしその思いが彼に届くことなく、そのままピシャリと襖は閉ざされてしまった。
広間を離れてからも、物騒な銃撃音があちらこちらから聞こえてくる。私を安全地帯へ連れていこうとしてくれている西園寺さんに抱き上げられ、太刀川さんの指示通り、所謂ドンパチの真っ最中の本拠地からどんどん距離が開けていく。
しかしながら、物騒な音はここまで聞こえてくるので、その音を不審に思ったお客様方が何人か遊女と一緒に和室から顔を覗かせていた。なんだなんだというどよめきのなかを女ひとり抱えた西園寺さんが突き進んでいると、柱の影から現れた金髪の男性が、歩く西園寺さんの隣に並ぶ。浩然さんは西園寺さんと私に一瞥もくれることなく、足を進めながら事項を確認し始めた。
「始まったか」
「はい。敵の増援は如何か」
「攻めてきたが少数、それも白鷹単騎だ。玄関で応戦している。白鷹と同盟を結んでいた各組織は手筈通り出てきていない。今のところはな。心配無用だ。鼠が増殖したとて、嶺上の兵が迎え撃つ。天龍の兵隊が出るまでもないというに、四方八方に配置させおって」
「頼もしい限りですな。しかし慢心召されるな。今は静かでも、必ず鬼柳の連中も出てきます」
「言われずともわかっとるわ、たわけ。太刀川の方はどうだ。白鷹の老いぼれを始末する流れに上手く持ち込めたんだろうな」
「ジェイも応戦しています。滞りなく」
「ならいい。相手取るのは、所詮死に損ないの翁だ。多少手練れだろうと、太刀川なら何の問題無い。性根はいけ好かん男だが、腕は確かだ」
「……」
「なんだ、浮かない顔だな」
「いえ。あの衣笠という男、相当な剣の達人と見ました。おそらく奴はまだ、本気で若頭と命の取り合いをしてはいない」
「……」
「白鷹組長……衣笠南雲を見ていると、悪い予感がしてならんのです」
「何を弱気なことを。素人の感など当てになどならん」
「しかし、妙だとは思いませぬか」
「何がだ」
「果たして、これ程までに事が上手く運ぶものでしょうか」
「どういう意味だ」
「あまりにも上手く行きすぎています。白鷹がこの状況をすんなりと受け入れていることもおかしい。長年の同盟相手の裏切りに対し、動揺の気を多少なりとも見せても良い筈。しかしあの衣笠という男、余程肝が座っているのか……いや……まるで、こうなることがわかっていたかの様に見えてなりません」
「まどろっこしい言い回しはよさんか。つまりはこう言いたいのだろう。我等の策も何もかも、奴等には全て読まれていると」
「でなければ、この状況は些か不自然。彼奴等を手引きしている者が身内に在るやもしれませぬ」
「無礼千万極まるぞ貴様! 嶺上に奴等の様な下等と内通した者が居るとでも言いたいのか!」
「あくまで可能性です。内通者は天龍に居るのやもしれません。あるいは風来か、この談合に関わる別の関係者か……」
「下らん! 妄想も大概にしろ。大体、戦力も後ろ楯も大幅に失せたとわかっていて尚、敵の陣地に頭自らが赴く理由はなんだ!」
「岡崎徹也の奪還が第一であることには間違いはないでしょう。しかし仰る通り、この取引が白鷹の望む形で収まる訳もない。そのことは白鷹も承知の上だった筈。しかし、兵力を多大に削られていると知って尚、彼らは自分達から我々との交渉を持ちかけた。それも、こちらの条件を全て呑んだ上で」
「……」
「そこまで強気に行動出来るのは、この戦争での勝機を確信しているからとしか俺には思えない」
西園寺さんが立ち止まったことで、先を歩いていた浩然さんが怪訝そうに振り返る。眉間に皺を寄せ、難しい顔をして考えている様子の西園寺さんは、やがて何事かの答えに辿り着いたのか、浩然さんを一瞬見た後、更に皺を深くさせた。
ゆっくりと地面に降ろされ、西園寺さんは私の背中を浩然さんの方へ軽く押す。ふらつく足で体勢を整え、西園寺さんを見上げた。
「お嬢、事が終わるまで鏡花さんと待機していてください。あとで必ず迎えに参ります。浩然殿、お嬢を西の別館へ」
「さ、西園寺さんは?」
「太刀川のところに戻って加勢でもするつもりか? 下らんことを。俺は白鷹潰しに頷きはしたが、子守りの役まで担った覚えは……おい! 西園寺! 話は最後まで聞かんか、貴様!」
「俺は玄関にて応戦している若衆の助太刀をしにいきます。そのあと直ぐに若頭の元に」
「下らん! 此処まで来て駒の心配をするなど。強きものは残り、弱者は勝手に死ぬ。惰弱な駒は捨て置けばよいのだ。いちいち構っている暇など俺達には無い」
「……」
「貴様は何処までも非道になりきれん男だな、西園寺。だから太刀川に若頭の座を奪われたのだ」
奪われた? 横に居る西園寺さんを見つめる。つまり、西園寺さんは昔、太刀川さんの地位についていて……でも今は。西園寺さんは一度目を閉じ、再び浩然さんを見るも、そのことに関して何も口に出すことはなかった。
「座を取り戻す好機位に思わないのか。万が一、太刀川が白鷹の一刀に伏すことがあれば……とな。太刀川には及ばんが、俺はこれでも貴様を評価して……」
「浩然殿。くれぐれも油断ならさぬよう」
既に私達に背を向け、刀に手を添え、歩き出していた西園寺さんがこちらを振り向くことなく忠告する。発言を遮られ、青筋を浮かべていた浩然さんは溜め息をついてから口を閉ざし、その背中を静かに見つめた。
「どういう意味でものを言っている」
「敵は思わぬところに居たのやもしれません。地下の様子を今一度確認願いたい」
「奴の周りは完璧に固めてある。心配せずとも、そう簡単に打ち破られはせん」
「いいえ。それを潜り抜けられる者が我々の他にもう一人居たことを失念していました」
「なに?」
「それでは一旦失礼を。一時お嬢を宜しく頼みます」
訝しげな顔をする浩然さんに私を預けた西園寺さんは、刀の柄に手をかけたまま急ぎ足で、言っていた通り玄関に足を運んでいってしまった。
取り残された浩然さんは如何にも面倒臭そうなオーラを纏い、壁に手をついて立っている私にうざったそうな視線を寄越した。
「おい、女」
「は、はい」
「手は貸さんぞ。貴様なんぞにそこまでしてやる義理など俺には無いからな。己の足で歩け」
「わ、わかってます。すみません」
銃撃、悲鳴などの不穏な音が聞こえてくる廊下を先陣を切り、宣言通りスタスタと浩然さんは歩いていってしまう。私も壁伝いに精一杯足を動かすが、やはりゆっくりでないとズキズキと足が痛む。そのせいで早く歩くつもりが、どんどんと歩みが遅くなってしまう。浩然さんの姿もどんどん小さくなってしまい、待ってくださいと呼び掛けることも出来ずに、よろよろとふらついてしまう。
それでも進まなきゃ。前に進まないと。浩然さんの言った通り、自分の足で。例え導いてくれるひとの姿が見えなくなってしまっても。ゆっくりでも時間をかけて足を引きずる。
転ばない様に床をよく見て暫く進んで、ふと顔を上げると一定距離離れたところで、金髪の男性がちらちらとこっちを振り返っている。しかし私と目が合うと顔を逸らし、再び長い足をアピールするかの如く大股で前へ進んでいく。疑問は湧きはしたが、とにかく必死に足を進める。距離を確かめる為に顔を上げると、また目が合って逸らされて……。
き、気が散る。なにこれ、だるまさんが転んだ? そんな謎のやりとりが五、六回続き、いつまでたってもタッチしてこない相手に鬼さんが痺れを切らした。
サラサラの金髪を揺らし、憤怒の表情で踵を返してきたのでぎょっとする。ドスドスという効果音でもつきそうな足取りに思わず顔がひきつる。案の定、私の元まで戻ってきた浩然さんに雷様の如く怒号を浴びせられる。ひぇ。
「気が散るな貴様! さっさと歩かんか、このノロマ! どれだけ俺の時間を無に帰するつもりだ!」
「す、すみません」
「太刀川の女でなかったら、とうに斬り伏せているところだ!」
「すみません……」
「とんま! 愚図! 足手纏いめ!」
「す、すみません……!」
「さっさと乗れ!」
「す、すみませ……え?」
怒りマークを顔中あちこちに貼り付けた浩然さんが私に背を向けて屈んでいるのを見て、ぽかんとしたのは言うまでもない。そして、さっさとしろとまた怒鳴られてしまって、太刀川さんや西園寺さんとは違い、あまり頼りがいは感じられない背中に慌てて手を添えた。
どういう状況なんだろう、これ。先程よりも格段にペースが上がり、移り行く景色。目の前で揺れる金髪を半分死んだ目で見つめる。浩然さんが階段を駆け下りればその動きに合わせ、私の体も上下に揺れる。
所謂、おんぶをされている状態だった。ちょ、出来れば、も、もうちょっとゆっくり下りて欲しい。三半規管が元々強い方ではない為に軽く酔ってしまった。
申し訳なさやら気恥ずかしさやらが渦巻く心中を紛らわすため、私を担ぐひとの髪を再び眺める。中国の方では珍しい金の髪は人工的に染められたものではなく、自然なものだった。奥さんである霧絵さんと並ぶと金、銀の髪色が並んで……なんかそんな名前のおばあちゃんの二人組が居たっけか……。
先程から和室から顔を覗かせているお客様や、物騒極まりない物音に対し、明らかに何かおかしいと感じ取ったお客様がちらほらと進行方向に現れる。しかし浩然さんは彼らに対しては微塵も気に留めず、ひたすらに前に進み続けるのみだ。
ひとつ、気掛かりなことがある。意を決して、この土地を支配する領主に尋ねてみた。
「あ、あの浩然さん、あ、いや、浩然……さま?」
「なんだ、その取って付けた様な敬称は」
「従業員の皆さんやお客様方はどうなさるおつもりなんですか? ここも安全じゃないんですよね。避難経路とか案内する様になってるんですか?」
「ひとの背中でごちゃごちゃと喧しい女だ。太客はおらん。小物がどうなろうと俺の知ったことか」
「は? え、な、なんにもしないつもりですか?」
「そう言っている」
「いや、冗談ですよね」
「この場は捨てるつもりだ。死骸の散らばる旅籠は曰く付きになる。売り物にはならん」
「な……」
「鼠に荒らされた地など、全て終わった後で塵一つ残さず焼き尽くしてくれる」
同じ人間とは思えない無情の言葉を放った男を信じられない気持ちで凝視する。見捨てるっていうのか。たまたま居合わせた、ヤクザとは何の関わりもない民間人も居るだろうに。何それ、おかしい。絶対おかしい。そんなの許されるわけない。
一階まで階段で降りた先に、綺麗に着飾った小さい女の子がひとり、今にも泣き出しそうな顔でエレベーターから降りてきたのが見えた。かつて時雨で働いていたとき、私が勝手に親しく思っていた咲ちゃんとそう変わらない年頃の女の子。此処で遊女として働いているのだろう。
女の子は雇い主である浩然さんに気づき、慌てて頭を下げた。その様子を見て確信する。限られた関係者以外、この場で今何が起きているのか何も知らされていないのだと。こちらの勝手で、彼らの安寧が理不尽に屠られる。何も悪いことはしてないのに。
見捨てるのか。このまま、私もこのひとたちと同じ共犯者として。あんなにもちいちゃな女の子を危機に晒し、もしかしたらトラウマになるかもしれない位に怖い思いをさせて、ひどければ死へと至らしめてしまうのか。
『志紀。優しく、気高く、聡明に、他人に馬鹿にされても、自分自身に恥じないひとになりなさい』
そんなの、駄目だ。
「ぐぁっ!? きっ、貴様何をする!」
「ちゃ、ちゃんと、に、逃がしてあげてください……っ!」
「は!? 何を言ってるんだ貴様! 無礼な! 離せ!」
衝動的に掴んでしまったのはサラサラとした金色。ぎゅむっと思い切り鷲掴んでしまったので、顔を歪めた浩然さんが私を非難し怒鳴り付ける。目前で己の上司とその上司に背負われている女がぎゃいぎゃいと騒ぎ始めたことに女の子はぽかんとしている。周囲の人も私たちに注目し始める。
「ええい離せ! 離さんか馬鹿女!」
「は、はなしませんからね! 絶対離しませんから! 禿げても離しませんから!」
「ふざけるな! いい加減にしろ! こやつらの粗末な命なんぞ俺が知ったことか!」
「ああああなた組長さんなんでしょ! 組織のお偉いさんなんでしょ! だったら自分のシマで根を張って生きてくれてる人達の命はちゃんと守ってあげて! そ、そんなことも出来ないで組の長なんか務まる訳ない!」
「このっ、太刀川に飼われているだけの家畜風情が何を生意気な!」
「ええそうですよ、家畜ですよペットですよ! な、なんとでも言ってください! とにかくだめです絶対だめです! あなたたちの……私たちの勝手で、こんなちっちゃい子の未来を潰すなんてだめです!!」
「うぐぇっ!? し、絞まっ、絞まっとる絞まっとる! これ以上首を締めるな馬鹿女!」
私を助けようと手を伸ばし、腸を斬り裂かれ命を潰えたひと。天龍で不安いっぱいに過ごす私の心を和らげてくれた喜助さんが犠牲になってしまったあの日をもう繰り返してはいけない。繰り返したくない。
「館内放送とかやり方はある筈です!」
「こちらの居場所を奴らに知らしめるようなものではないか! 自殺行為だということがわからんか、馬鹿者が! こんなところで立ち往生してる場合じゃないというに!」
「け、けど……っ!?」
落とされない様に浩然さんの首も腰もがっちりと手足を巻き付けホールドし、絶対にてこでも離さない意思を身体で示していた最中、これまで一番の銃撃、いや、爆撃音と共に地鳴りがした。飾ってあった花瓶がカタカタと揺れて落ちる。じ、地震? キーーンと耳鳴りがして、気持ち悪くなる。
自分を締め付けていた手足が緩んだことを見逃さず、浩然さんが私を容赦の欠片なく地面に叩き落とす。尻餅をつき、じんじんと痛むお尻を擦る私の傍らで、浩然さんはそんな私の様子など知ったことかと、あるいは既に眼中になく、眉を寄せた真剣な表情で膝をつき、床に手を当て何かを確かめている。
再び爆発音と共に地面が揺れ、綺麗に着飾った女の子もバランスを崩してよろめき、地面にぱたりと倒れてしまったのを見て、未だ続く耳鳴りに気分を害しながらも、女の子の元へと体をひきずる。
「大丈夫?」
声をかけると不安でいっぱいだった緊張の糸がついにほどけてしまったのだろう、女の子は涙で目を潤ませて私の身体にしがみついてきた。カタカタと震えている小さな背中が可哀想だ。手を添え撫でてあげると服を掴んでより抱きついてくるから、余計にこんなことに巻き込んでしまったことに対する罪悪感が増していく。
「俺だ。今すぐそちらの状況を聞かせろ。なんだ、今の爆発音は」
スマートホンを取り出し、耳に当てた浩然さんが、険しい顔つきで電話の相手に何事かを確認している。そして、その顔色はどんどんと歪んでいった。
「突破されただと? そんな馬鹿なことがあるか! 有り得ん! あの部屋は限られた者にしか通れないようになっていた筈だ! ……セキュリティの暗号が解除されていただと? そんなこと有るわけが……っおい! なんだ、聞こえないぞ。返事をしろ! おい!」
応答が無くなったらしいスマートホンを見て、再度浩然さんが電話を掛け直す。しかし、いくら待てども繋がらない様で「畜生!」と苛立たしく通話を切っていた。
「女ァ!!」
「は、はい!」
「今から地下へ向かう! 貴様もついてこい!」
「は……」
「貴様を別館へ送る時間は失せた! ただでさえ時間を喰わされたのだ! 文句は受け付けん! 大人しく付き合ってもらうぞ!」
「え、で、でも、ひっ!?」
右腕を掴まれ、強制的に女の子と引き剥がされた私は、再び浩然さんに背負われることとなる。慌てて下を見ると、おろおろと女の子が私を涙目で見上げ、右往左往していた。浩然さんは女の子に一度足りとも視線をくれず、背を向けてスタスタと突き進んでしまう。
「ま、まって……!」
か細く震える声が私達を追い掛けてくる。着物で走りづらいのだろう、とてとてと追い掛けてくるその姿を見て、どうして置いていくことなど出来ようか。
「は、浩然さん! 先にあのこを安全な場所に」
「知ったことか! 捨て置け!」
爆発音が再び連発して、どこからか地鳴りがした。大きく揺れた地面に私を背負ってる男性の身体が僅かにふらつく。いくら女ひとり背負ってるといえども、大の大人でも足をふらつかせるのだ。子どもなど身動きが取れたものではない。案の定、転けてしまった女の子は鼻の頭を赤く擦りむけてしまっている。
次の瞬間、私達の真上の天井が大きな音ともにひび割れを起こし始めた。浩然さんが危険を察知し、すぐさま後退したその直後だった。
女の子は丁度ひび割れを起こし始めた箇所の真下に居た。綺麗な衣装を着た女の子はその場で立ち止まり、恐怖で足が震えて動けなくなってしまったのか、呆然とした顔でヒビの広がっていく天井を見上げる。ミシミシと嫌な音がして戦慄する。
「にげて……逃げて!!」
叫び、女の子に駆け寄ろうと浩然さんの背中から降りるためにジタバタともがくも、がっちりと足を掴まれびくともしない。浩然さんは目の前の光景を黙って見据えるばかりで動こうとはしない。
女の子が私を見て、おねぇちゃんと涙混じりの声で呟いたのがわかった。やめて、そんな、いやだ。
支えの限界を迎えた天井が崩れ、砂埃が舞い、瓦礫が女の子の頭上に落ちる。白い煙が舞い、崩壊音に掻き消されたのか悲鳴も聞こえてこない。
浩然さんは舌打ちをして、飛んできた破片を手で払いのける。私は、今はもう瓦礫の山となってしまった、女の子が居た場所から目が逸らせない。がくがくと唇が震える。
吐きそうだ。助けられなかった。目の前に居たのに。自分だけは安全な場所を確保して。小さな子どもが下敷きになって。
「……うっ……」
戻しそうになって、口を手で押さえる。やばい、ほんとに吐きそうだ。このままでは浩然さんの肩にぶちまけてしまう。バシバシと浩然さんの肩を叩くと、私を背中に負ったひとは顔を青くした私の様子を見て何事かを察したのだろう、容赦もなく手を離した。
ドスンと地面に叩きつけられた私は顔を上げ、身体を引きずり、煙が引き、積み重なった瓦礫の下を確認する。赤黒い血が徐々に面積を広げ、床に広がっていく。その血溜まりの上では、こちらに向けて伸ばされたこどものちいさな左手があった。まだ崩れそうな余韻を残している中でも気にせず、よろよろと身体をひきずりその手に近づく。女の子を組み敷くものを退けようとしても、重みのせいでびくともしない。
血の池に浮かんだその左手にそっと触れ、血で汚れるのも構わず、ぎゅっと握り締める。まだ、ほんのり暖かかった。
ぼろぼろと涙が、鼻水が、嗚咽が止まらない。怖かったよね。びっくりしたよね。ごめんね、助けてあげられなくて、ごめんね、ごめんなさい、ごめんなさいと罪悪感に苛まれた心臓が痛い程、金切り声に近い悲鳴をあげる。
どれだけ謝っても許されることじゃない。取り返しなどつく筈もない。どれだけ握り締めてあげても、ちいちゃな手が握り返されることはない。
ぐすぐす泣き、ついにはみっともなく声をあげて泣き始めた私の肩を引っ付かんで後ろへ引っ張ったのは、私と同じく今の光景を見ていた男のひと。行き場のない怒りと悲しみが浩然さんへと向かってしまう。でも、責め立てる言葉を紡ぐ余裕は毛ほどもなかった。
穴の空いた天井から瓦礫の山の上に何者かが降ってきた。上から落ちてきたのはべっとりとした血で身体を纏った傷だらけの二人の女性。
頭から血を流しながらも、愉しそうに嗤い、ジェイさんが手にしていた筈の鞭を振り回すフォックスさんと、こちらも身体のあちこちに傷を受けながらも薄ら笑いを浮かべ二丁拳銃を相手に向けているジェイさんだった。
銃弾が飛び交い、鞭のしなる音が響き渡る。自分達の周りを破壊しながら戦う様はまさに鬼神と言っても過言ではなかった。おふたりが暴れているその下で、たった今ちいさな命がひとつ犠牲になったことなど、闘いに夢中になっている彼女らは知らないのだろう。
「無茶苦茶だな」
「……」
「アレに巻き込まれては敵わん。さっさと行くぞ。立て」
ぐい、と腕を引かれても立ち上がることが出来ない。足が鉛みたいだった。俯いて完全に座り込んでしまった私に対し、浩然さんが深い溜め息をつく。放心状態の私を気付ける為にバシンと右頬を打たれた。いたい。
私が立ち上がらないとすぐに見切りをつけた浩然さんが私の首根っこの服を掴み、床を引きずられる。首が締まって息が苦しい。
けほ、と何度も咳き込んでも、浩然さんは歩みを止めてくれなかった。
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気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…
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