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執念
しおりを挟むお仕事の帰りに寄ったスーパーでの買い物の最中、バッタリと偶然出会ったひと。私の家に行くつもりだったらしく、岡崎さんは夕飯のための材料を籠に詰めているところだった。
ついでだしということで、今日の晩御飯はあれが食べたいこれが食べたいと隣でべらべらと話す岡崎さんが時々、それどこの国の料理だと突っ込みたくなる長い料理名を言う。イメージも沸いてこないので、それは流石に無理ですと主張すると、「まだまだ修行が足りねぇな」と鼻で笑われてしまった。く、くそう。
なんと、私の分の買い物のお会計も一緒に払ってくれようとするので遠慮するも、こういうときは素直に甘えとけと強行突破されてしまう。出会って間もないころに出くわしたスーパーで、私の籠に勝手に鶏肉入れて買わせようとしていたひとが随分と成長したものだと、何目線からかわからないが感心してしまった。
荷物も全部持ってくれようしたが、それは流石に遠慮した。半分こにしましょうと既に岡崎さんが持っていた買い物袋を貰い受ける。
私の家までの道のり、隣を歩く岡崎さんがこんなことを話し始めた。
「お前さぁ、ズバズバ発言してくる男が苦手って香澄から聞いたけど、ほんと? ビクビクオドオドな小心者ってことはわかってるから違和感はねぇけどよ」
「いちいち一言多いな……! 男性に限った話じゃないですけど、相手の気持ちも考えずズケズケと傷付くことを言う人は得意ではないです」
「俺、どっちかってーと結構ハッキリもの言うタイプだけど。大丈夫なの、お前」
「もんのすごい今更なこと聞いてきましたね。まぁ、比較的平気です」
「比較的かよ」
「だって、岡崎さんって、ほんとにきついところ的確に突っついてくるんですよ。チクチクダメージが蓄積されてってるんですよ。ゲージが黄色になってても容赦なく、あ……そこ指摘してくる……? って絶妙なところを追撃してくるから簡単に赤点滅ゾーンに入っちゃうんです」
「モン●ターボール投げるチャンスだな」
「いやそういう話じゃなくて」
「やべえじゃん。イケメンのことも、目と目合わせてお喋りできな~い! やだ~! とかで苦手って言ってなかったっけ。岡崎さんドンピシャじゃん。一緒に居るとドキドキが止まらないやつじゃん」
「え……それ私の真似ですか……やだ……。そうやって鼻ほじりながらプラスの部分だけをピックアップして受け取ることが出来る岡崎さんのことほんと尊敬します。ハイ」
「それが人を敬ってる顔!? んだその人を憐れむ様な小憎たらしい表情は!」
「まぁまぁ、話を戻しましょ。きついっちゃきついこともあるんですけどね。私、岡崎さんの言うことはちゃんと受け入れたいって思ってるんですよ」
「は?」
「だって、あなたは厳しいこと言ったって、ちゃんと相手の為になるからってわかって発言してるでしょ? 駄目なところをちゃんと指摘してくれるから、ちゃんとしなきゃって思えるきっかけになるんですよ」
「……いや、あの、なに? 俺そんな良いひとに思われてんの? 違うからね? たまに思うんだけど、志紀さん俺のことちょっと美化し過ぎてね? 俺、そこまで考えてもの喋ってないからね? 中身はスッカラカンよ」
「そんな意地張んなくても。私ちゃんと知ってますから」
「何をだよ」
「香澄ちゃんに失言しちゃったことあったでしょ? 平手打ちされちゃったときの」
「あ、あ~……あれな。ハリセンかよって思うほどすげえいい音したやつな。腕力は紛うとなき漢だって実感させてくれてやつな」
「(そんな痛かったのか……)実は物凄い落ち込んだんでしょ。それからも香澄ちゃんのこと、なにかと気にかけてましたもんね」
「そりゃあ、誰だってやらかしちまったら気も遣うだろ」
「それでいいんですよ。その気持ちが大事なんです。岡崎さんは言い過ぎてしまっても、ちゃんと反省できる子ですから。頭撫でてあげましょうか。おうち帰ったらいい子いい子してあげましょうか」
買い物袋を持ってない手を広げてひらひら振ってみるが、岡崎さんの様子は芳しくなく、困ったように眉を寄せ、唇を結んでいた。赤い瞳は戸惑いの色が浮かんでいる。
岡崎さんはぽりぽりと灰色の頭を空いている手でがしがしとかき、ため息を漏らし、私を横目で悔しそうに睨んだ。
「な、なんですか」
「……お前ってさぁ、ちょいちょいこう、ひとのツボを抉ってくるよな。クリティカルヒットさせてくるよな」
「や。ちょっと何言ってるかわかんない」
「サンド●ッチマン?」
「違います。ま、まぁとにかく! 物言いがキツいのが不得意っていっても、その発言内容にもよるっていうことですよ。それに、ハッキリしたひとが駄目ってなったら、私、香澄ちゃんも苦手ってことになっちゃうでしょ? そんなの、天地がひっくり返ってもありえませんもん」
「お前、香澄ちゃん好きすぎだろ。ちょっと複雑になるわモヤモヤするわヤキモキするわ色んな意味で」
「そりゃあ大事なお友達ですから。あ、それにほら。岡崎さんと香澄ちゃん、ちょっと似てるとこありますし。お二人とも特別枠ってやつですよ!」
「……」
「え、な、何ですか。その興醒めですって顔は」
「あーーもうほらな! それだよそういうとこだよ! ひとに期待させといてそれだよ! 良い感じにツボ押してきたと思ったら鳩尾にグーパン仕掛けてくる感じよ! ひとのこと舞い上がらせて速攻地に突き落としてくるよな。的確に苛つかせてくるよな!」
「え。ええ?」
「もうほんとさ~~なんなのお前……。俺の純朴な心弄ぶのやめてくんない。練り消しじゃねーんだからさぁ……手のひらでコロコロ転がすのやめてくんない……」
「あ。デザートにお団子も買って帰ろ」
「志紀ちゃん? 聞いてる? ねぇ聞いてる? 傷心してる岡崎さんの話聞いて? 食い気優先させないで?」
後ろで何やら私に訴え続けていた岡崎さんも何やかんやで羊羹をリクエストしていた。さっきスーパーで一緒にまとめてお会計してもらったので、ここは私がご馳走すると絶対に譲りはせず、自分の納得する形でみたらし団子と羊羹をゲットした。せっかくだから新作のお饅頭を試食していきなさいというおばさんのお誘いに甘え、お店の椅子に座り、もぎゅもぎゅと岡崎さんとお饅頭を咀嚼する。
先に食べ終えた岡崎さんが温かいお茶を啜りながら、もぐもぐとお饅頭の美味しさに夢中になっている私を見て、私の後ろ向きな生き方について突然語り始めた。何を言われても受け入れたいとは言ったが、遠慮のかけらもなくぐだぐだと私のダメなところを指摘し始めるものだから、流石にぷすぷすと頭から煙が出始める。
「だから言ってんだろ。お前は何でもかんでもマイナス中心に考えすぎ。それか色々深刻に捉えすぎだな」
「そ……そんなこと……なくはないですね。それでご迷惑もかけたし、いろんな人に……」
「だろ? カー●ィみてぇに見境なく全部吸い込むからそうなんだよ。そんなとこまで食い意地張ることねぇだろうが。消費期限切れたもん腹に入れて、食あたりになって自爆起こしてんのと同じだっつの」
「う……」
「周りの同世代見てみろ。基本、マジとヤバいだけで会話が成り立っちまうぐらいにおめぇの年代のJKなんざ頭スッカスカだぞ。イン●タ映えと自撮りのことしか考えてねぇぞ。DKに関してはエロしか頭にねぇ猿だしな」
「な、なんてこと言うんですか! 皆、日々テスト勉強だとか恋だとかお受験だとか進路への不安の荒波に揉まれてるんです。溜まりきった鬱憤をそういったことで晴らしてるだけですよ!」
「青春ドラマの見過ぎじゃね。ま、おめぇみたいなマセガキが最近多いのも確かだけどな。もう少し肩の力抜いて、気楽にもの考えて生きてみろってことだよ」
「……」
「お前が心底頼りにしてた香澄も、今は自分の道進んで行っちまったんた。なんかあったら、腹ん中に溜まったもん、俺に全部吐き出してみろ。どうしようない状況になっても、俺がゲロの中から引っ張り上げてやるよ」
ゲロは要らなかったなぁ……。ほんと言葉選びがたまに下手というか、肝心なとこで格好良く締まらないひとだ。 頭をわしわしと撫でられ、ぐちゃぐちゃになってあちこち跳ねた髪を押さえつける。
岡崎さんは厳しいことを言えども、最後はきっちりアフターケアをしてくれる。瀕死の相手にちゃんとポー●ョンを分け与えてくれる。そんな締まりない、けれど、絶妙な塩梅の効いたこのひとの言葉ひとつひとつに、いちいち惑わされて赤くなる自分を見られたくなかった。……ひとのこと、コロコロ転がしてるのはどっちだ。
家に到着して私が鍵を取り出すのと同時に、岡崎さんの携帯が鳴った。
「んだよ、タイミングわりーな」
不満げに岡崎さんが画面を見る。あーーという顔をして、岡崎さんはスマホを耳に当て、こちらに背を向け電話をかけてきた相手と話し始めた。……シラユキさんかな。このひとは誰に対しても平等に、繕うことなど一切なく、砕けた調子でお話しするので確信はないけれど、そうに違いないと思った。
玄関の鍵を開け、先に中に入って荷物を置いていたところ、通話を終えた岡崎さんも家に上がってきて、私の荷物の隣に自分が持っていたものを置いた。
「わりぃ、志紀。俺戻るわ」
「え、あ……はい」
誰からだとか、何かあったのかなどの詮索はしない。このひとの所属している組織のことや立場を考えると、深入りはしてはいけないということはきちんと理解していたから。
それならと、岡崎さんが持って帰る用に買ったものを分けようとすると、岡崎さんが私の行動を必要ないと止めた。
「いーって。元々お前に作らせたいもんがあって買ってきたもんだし」
「じ、自分で作りましょうよ。岡崎さんの方がお料理上手なんですから」
「出来る料理のレパートリーが少ねぇって嘆いてんのはお前だろ。岡崎さんはなぁ、まだまだ女として半人前の志紀さんの経験値を少しでも上げる為に鍛えてやってるんですーー」
「うぐ。でも、私だって岡崎さんの美味しいご飯食べたいんです。そろそろTETSUYA'Sキッチン開催してください」
「俺だって隣で手加えてんだろうが」
「全部いちからの岡崎さんお手製が食べたいんです。全然クオリティ違うんですもん」
「作ったら作ったで食いすぎて、体重計乗って悲鳴上げて、俺のせいだーって理不尽に責任押し付けてくるのはどこのどいつですかー」
「ゴメンナサイ」
「とりあえず分けなくていいから。そのままにしとけ。あー、お前明日の夜仕事?」
「いえ、今日と同じで、明日も早番で夕方までです」
「じゃあ明日またくるわ」
「えっ」
「えってなに。仕事帰りなんか用事あんの。女子会でも行くの。パンケーキでもつつきに行くの。パンケーキとホットケーキの違いってなんなの」
「いやそうじゃなくて……」
「あ? なに、もしかして……男?」
ピキリと瞬時に空気が凍る。北極かなと思うほどの冷え切った空気に何故だか私の方が焦り、慌てて違うと首をぶんぶん振る。
「ちっ、ちがいます!」
「じゃあ何」
「その……岡崎さん、ほんと頻繁に来てくれるようになったなぁって……」
「……え。め、迷惑? 実は嫌だったやつ? ひとりになる時間がほんとは欲しかった感じ? うぜぇとか思われてた? え、マジで?」
「なっ、そ、そんな訳ないでしょ! 嬉しいですよ! すごく嬉しいですけど!」
「……」
「……って……あ、いや、今のはその」
全力で否定する私を見てぽかんとした表情をした岡崎さんに、しまったと血の気が引く。どさくさに紛れてなんてことを口走ってんだ私。かぁああ、と顔に熱が集まり、あぁあああと内心叫びながら、こっ恥ずかしい気持ちを落ち着かせるため顔を手で覆い俯く。熱い、熱くて仕方ない。
岡崎さんのことだ。今の私の失態を見逃す訳がないし、「へーえそう、そうなのー。そんなに嬉しいんだぁ? へぇええ?」とニヤニヤ笑ってからかってくるに違いない。やだよ、ほんとに恥ずかしいからあんまりいじめないで!
しかし予想に反して、岡崎さんはとても静かだった。あれ? と指を少しずらし、隙間から岡崎さんを見上げる。岡崎さんは私から少し顔を背け、大きな右手で目元を覆い、 今の私と同じように珍しく顔を俯かせていた。彼にしてはえらく静かで、何を考えているのか全く読めない。
「お、岡崎さん?」
不安になって名前を呼ぶと、岡崎さんは両手を腰にあて顔は俯かせたまま、はぁああと見せつける様に大きくため息をついた。そして、岡崎さんはいつもどおりの何ともなさげな表情の顔を上げ、何故か私にチョップをかました。いやなんで!
「いたっ! な、なにゆえ!?」
「うっせ。俺の抱えるもやもやした説明し難い心情を物理的にお前も喰らいやがれ」
「い、意味わかんないですよ。あいたっ、ちょ、そんなぽこすかチョップしないで!」
意図の読めない岡崎さんからのチョップを受けるも、どうしてこんな仕打ちを受けねばならないのかわからない。もう一度、しかし今度は小さくため息をついた岡崎さんが、ぐちゃぐちゃに乱れた私の頭を嫌がらせかなんなのか知らないが、更にぐしゃぐしゃにしてしまう。寝起きみたいにあちこち跳ねた髪を手櫛で整えていると、岡崎さんは刀を引っ提げているベルトが緩んでいたのか直し始めた。
正直、刀を身につけている岡崎さんはとても様になっているし、お世辞抜きで格好良いとも言える。けれど、このひとが携えているのは模造品などではなく、人を斬る為の本物の刀という事実が重たい。そして、今からその刀を振るいに行くのかなと考えると、とてつもなく嫌だった。このひとに、誰かを傷つける様な真似はしてほしくない。
行かないで。頑張って美味しいもの作るから、テレビでも見ながら一緒に暖かい御飯たべましょって引き留めたかった。けれど、私にはそれが出来ない。権利もない。このひとが選んだ道に口出しなど出来ない。
玄関まで見送り、扉に手をかけた岡崎さんに、はいと持っていたものを差し出す。岡崎さんはきょとりとして、私が差し出したものを見下ろした。
「お団子と羊羹。シラユキさん一緒に召し上がって下さい」
「そこまで気回す必要ねーよ。食いたかったんだろ。お前が食えよ」
「いいんです。お二人には色々お世話になってますから。こういうことでちょこちょこでも返していかないと」
「冗談抜きでさァ、そんなひとに気ィばっか遣ってて疲れねぇ?」
「何もしないで居る方がストレスになるんですよ。私には」
理解し難いという顔をしつつ、そんじゃありがたく、と受け取ってくれたことにほっとする。何か言い忘れたことないかな、大丈夫かなと思考する私に、岡崎さんはじゃーなと声をかけ、今度こそ部屋を出ていった。バタンと閉じた扉を暫く見つめて、躊躇しつつもノブに手を添えた。
夕暮れに染まる町、家から少し離れた距離をのんびりとした歩調で歩いている岡崎さんの後ろ姿がまだ見えた。対面すると眩しいだろう夕陽に向かって歩く岡崎さんの灰色の髪は、ほんのり紅に染まってきらきらして綺麗だった。
「おっ……おかざきさん!」
その姿にたまらなくなって引き留めてしまったのは、殆ど衝動的のものだった。目だけでなく耳もいい岡崎さんが立ち止まり、こちらを振る返るのはわかったが、逆光でどんな顔をしているのかはわからなかった。
お呼び出しされた彼をわざわざ引き留めてまで言いたいことなど本当は無かったというのに、無意識に近い状態から彼の名前を叫んでしまったのでどうしようと惑うも、何か言わなければと頭をフル回転させ、そして吐き出した。
「その……またミイラ男にならないように怪我には気をつけて下さいね! いってらっしゃい!」
また明日! と付け加える。岡崎さんからの反応はなかった。
暫く謎の時間が流れ、立ち止まっていた岡崎さんはぽりぽりと頭をかき、こちらに背を向けて再び夕日に向かって歩き始めた。そんなこと言うためにわざわざ引き留めんなとか思われてないかな。うざかったかな……。不安になったが、こちらを振り向きはしないものの、後ろ手で手を振ってくれたので、ほっとした。
どんなに強いひとでも、怪我をすれば誰だって痛いし、辛い。全く平気な人なんて居ない。生傷絶えない生き方が当たり前なひとに怪我しないでなんて、何を甘っちょろいことを言っているんだと自分でも思う。でも、頼りがいのある大きな背中でも、どこか小さくも見えるあのひとの後ろ姿に、そう言わずにはいられなかった。
四肢を枷と鎖で雁字搦めにベッドに固定され、死んだように眠っているそのひとに触れても大丈夫だろうかと躊躇しながらも、目元にかかった伸びた灰色の髪を震える手で除ける。瞼は固く閉ざされていて、その下に潜んだ印象的な色を持つ瞳を拝むことは出来ない。
ほんの少し、線が細くなった気がする。憎まれ口ばかり達者に紡ぐ口には、いくつものチューブがついた呼吸器が装着されている。狼と称されていた岡崎さんに取り付けられたそれは、噛みつくのを防止するために口輪を嵌められた犬を連想させる。機械音と共に小さく呼吸する音が耳に入ってくる。ダース●イダーかな、なんて口に出したら、ちげーよって突っ込みながら起き上がってくんないかな。
ねえ、なんでこんなところに居るの。どうしてこんなに痛々しい姿で、こんな危ない人達しか居ない場所で寝てるの。
ボロボロと洪水みたいに涙が流れる。あいたかった。すごく、あいたかったけれど、このひとの状態を見て、予想していた以上にショックが大きかった。あんなにも、あっちこっちをふらふらと渡り歩いていたひとが、こんな何もない場所でこんな形で眠っていることがやるせなくて。それでも、このひとがちゃんと生きてくれていたことが、こんなにも私の心を歓喜させる。……生きていてよかった?
そもそも、このひとにいったい何があった。なんで岡崎さんはこんな状態に、風来組に身柄を拘束されているんだ。シラユキさんは?
そういえば、朝倉さんが天龍の本家にやってきたとき、そこで大事なことを話していた。思い出せ思い出せ思い出せ。何だった。頭を整理しろ。時系列はバラバラに、急速なスピードで頭の中を流れる映像がぐちゃぐちゃに乱れる。脳内を一気に襲いかかった凄まじい情報量に頭がぐらつき、縋るようにして、だらんと力なく置かれた岡崎さんの大きな手を取る。一見死んでる様にも見えるのに、その手は変わらず暖かった。
そっと、壊れ物を扱うのと同じ感覚で岡崎さんの手を包み込む。このひとに言いたいことはたくさんあるのに、涙で言葉が詰まってしまってうまく出て来てくれない。
一目会うだけでもいい、そう思っていたのに、人間というのは欲張りで罪深い生き物だ。いざ想い人の顔をこうして目にすると、すらすらと言葉を紡ぐ低い声が聞きたいだとか、お喋りしたいだとか、次々と願望が生まれてしまう。
「なぁ土師ェ、煙草吸ってもいいか。ヤニが足んねぇや」
「ははは。いいですよと言ってあげたいですけど、流石に駄目ですよ。デリケートな機材が揃ってるんでね。絶妙な匙加減で彼の命を操作してますから。何らかの原因で調整が少しでもズレたら、そのままポックリ逝かれちゃうかもしれないんで」
「酷なもんだな。ギリギリ死なねぇ程度に殺し続けるってのはよぉ。意識がねぇってのが、この兄ちゃんにとっちゃ幸いだったな。下手な拷問受けるよりキツいだろ」
「想像するのも勘弁させてもらいたいなぁ。常人なら、まず耐えられやしませんよ」
「へへっ、よく言うじゃねぇか。それを嬉々として相手に味あわせる生粋の嗜虐趣味野郎がよぉ」
「酷い言われようだなぁ~。僕は尊嶺くんに頼まれてることをそのまましてるだけなのに」
土師さんと瀧島さんの会話を耳にして、涙でぐちゃぐちゃになった顔をゆっくりと上げる。頭の中を駆け巡る記憶たちに頭が混乱していても、今のが聞き逃してはならないものだということはすぐにわかった。
殺し続けてる? 調整ってなに。太刀川さんに頼まれた? 握り返されることのない岡崎さんの手は離さないまま、後ろにいるお二人を振り返る。
「い、今の、どういうことですか。何のお話をされてるんですか? 岡崎さんに何があったんですか?」
「落ち着いて、志紀ちゃん。そんなに泣いたら目が溶けちゃうよ」
土師さんが肌触りのいい緑色のハンカチを取り出し、涙に濡れぐしゅぐしゅになった私の頬を拭ってくれた。ぐす、と鼻を啜る。岡崎さんに顔を向けた私の頭を土師さんが撫でながら、そばに控えていた白衣の男性を呼び寄せた。
「そろそろ投与の時間かい?」
「はい、間もなく。あと二分で開始します」
「その前に、昼の回診の結果だけ見せといてくれる?」
「ええ。こちらです」
「あれまぁ。ついこないだ取り入れた新作の薬、リストから消えてるじゃないか」
「耐性がついてしまった様で。迅速に試験を行って、ひとまず代替になるものを用意させてます」
「もうかい? 末恐ろしいなぁ。どんどんペースが早くなってるじゃないか。いたちごっこだね。そろそろ新しいネタを拾う前に、パックリ後ろから噛みつかれそうだ」
岡崎さんを囲む大仰な機械の一部を弄り始めた研究員の行動に、言いようもない焦りが生じる。いやな予感がした。後ろに立った土師さんは私の両肩に手を添え、心電図を見るように促した。決して高いとはいえない数値と弱々しい波形が続いている。
「始めていいよ」
土師さんの指示に研究員が頷き、機械に備えてあるキーボードをカタカタと操作し始めた。
変化はすぐに訪れた。心電図の波形が異常なまでに乱れ始め、バグでも起こしたかと思うほど、数値が忙しなく上がったり下がったりを繰り返す。それらが岡崎さんの身体に尋常でない負担をかけていること、そして危険極まりない状況に彼が今追い込まれていることも、よくわかった。
荒れる波形と数値に連動するように、暖かった岡崎さんの手の温もりが急速に冷えていく。ただでさえ血色の悪い顔色もより白くなって、生の色が喪われていく。
「やめて」
震えながら呟いた私の声は誰かに聞こえている筈なのに、誰にも届かない。
「や、やめて……おねがい。このままじゃ死んじゃう。このひとに何もしないで! おねがい!!」
泣き叫んで懇願し訴える。立ち上がろうとするも、肩に置かれた土師さんの手がそれを許さない。抵抗するも、温厚そうな土師さんからは想像できない程にその力は強い。土師さんは私に、目の前で執り行われていることを何もせず、しっかりと目に焼き付けることだけを強要した。
「はなして、はなしてください!」
泣きながらもがいても、土師さんはにこにこと笑い、私のことを見下ろすばかりだ。
岡崎さんの身体の異変を示していた異常波形は波を弱まらせ、落ち着きを見せ始めた様に見えたがそうではない。死の方向に、向かい始めただけだった。波形も小さな山が続き、どんどん平らな線に近付いていく。0を目指して下がっていく数字。弱まっていく岡崎さんの心音に反して、ドクドクとうるさく鳴る私の心臓。
誰か、このひとの心臓と私のものを今すぐ取り替えてくれ。そうじゃないと、岡崎さんが。また、あの時と同じことが起きてしまう。そんなのイヤだ、いやだ。死なせたくない。死んでほしくない。いやだ、死なないで。おいていかないで。
ピーーーと無機質な機械音が広い部屋に響き渡った。
呆然として、頭が真っ白になる。その音が何を告げているかなんて、言葉にしたくない。口の中も喉も乾ききって、うまく息が出来ない。全身の力が抜けて、膝から崩れ落ちる。目の前で起こった現実に声も出ない。
「……っあ、ぁ」
息が苦しい。こんなにも側にいたのに、何も出来なかった。絶対に死なせてはならないひとを、また見殺しにしてしまった。カタカタと唇が震え始める。鈍色の感情が私の中で複雑に渦巻いて、声も嗚咽も上げることなく、ただただ目から水分が抜け落ちていく。
一切の暖かさが喪われ、岡崎さんの手が氷みたいに冷たくなってしまったことが、私の絶望に拍車をかける。ただ俯き、頭は虚ろになって、ピクリとも動くことが出来なくなった。
「志紀ちゃん」
とんとん、と人差し指で軽く右肩を叩かれる。無気力にゆっくりと顔を上げると、土師さんが優しく笑っている。
「よく見てごらん」
土師さんが岡崎さんの死を無情に告げた機械を指差した。現実を直視したくなくて、見たくないと首を振ろうとしたが、ぎゅ、と唇を結び、土師さんが指すものを見る為に緩慢に顔を上げる。そこには予想し難い光景があった。
波立つことを止め直線を描いていた筈なのに、波形が蘇っている。力の抜けていた足が活力を取り戻し、勢いよく私を立ち上がらせる。そんな馬鹿な、確かにさっき。
決して高くはない、この部屋にやってきたときよりも格段に下がりはしているが、一定の数字を刻み続けている画面を信じられない気持ちで凝視する。岡崎さんを見ると顔色は青白いままではあったが、機械的な呼吸音が蘇り始めた。
岡崎さんの胸あたりにそっと手を添えてみると、微かだが上下していていた。嬉しさよりも先に驚きが私を襲う。先ほどの出来事と目にした光景が白昼夢だったのではないかと疑いたくなる。また私は自分に都合の良い夢を見ているんじゃないかとも思ったが、そうじゃないと土師さんが否定した。
「ここに備えてある機械は医療用だけじゃなくてね、それらに相対する機具も設置してあるんだ」
「相対……?」
「生かす反対、殺す為の装置だよ」
さらりと軽い口調で発言された内容に目を見開き、言葉を発することが出来ない。呆然としたままでいる私を、土師さんは何が面白いのか、笑みを浮かべながら続けた。
「彼自身の治癒能力が想像してたより凄まじくって。心臓の穴も1ヶ月位で塞がっちゃってねぇ。ほんと同じ人間とは思えないよ~。それから物凄いスピードでめきめき回復の方向に向かっちゃってねぇ」
「……」
「これじゃあマズいってなってね、『定期的に殺せ』って指示を受けたんだ。文字通り、このワンコくんには今見てもらったみたいに何度も何度も死んでもらったよ。本当に死なせちゃあ駄目だからギリギリ仮死状態に留めちゃいるけど、その加減の難しいこと。毎度、そこから無理やり蘇生させてるんだ。死んでるところを無理矢理叩き起こしてる訳だし、身体にかかる負担はかなり大きい。それでもって、彼の回復の足留めをしてるって訳だよ~」
「……」
「それでもこのお兄さん、風来が売りにしてる致死性の強い毒物だけじゃなかなか死んでくれなくって~。かなりヤバめの薬なんかも併用して使ってるんだけど、すーぐ耐性つけられちゃって。数回使っただけで効果切らしちゃうんだよ。ほんと参っちゃうね。殺すのは生かすより簡単っていうのが僕の持論だったんだけど、あっさり覆えされちゃった。生かすにも殺すにも、こんなに苦労させられるとはねぇ」
ピ、ピ、と岡崎さんが生きていることを知らせる音が再び鳴り始める。
「このお兄さんも、苦しくて仕方ないだろうにねぇ。いくら意識が無いってったって、奥底に生きようって意思がないと身体はついていかないんだよ。もう一年以上も僕らに殺され続けてこの調子だから、先に気力が尽きてもおかしくないんだけど。逆にどんどん死に辛くなってきててね。使命感からかなぁ。敵さんながら、たまげたもんだよ」
「どうして」
「今だって、少しでも油断して観察を怠ろうもんなら、目を覚ましかねない状態……って、ん? なんだい?」
「どうして、そこまでして。なんのために……」
「……」
「だれが、こんな酷いこと」
誰が岡崎さんの命を弄んでいるんだ。無抵抗で動けない相手を殺して生き返らせて、また殺す為に息を吹き返させて、もう一度殺しての繰り返し。残酷で非人道極まりない所業。拷問を通り越して不道徳だ。赦されていいことじゃない。
ぎゅうと岡崎さんの手を握る両手に力が入る。やるせなさと行き場のない怒りと、これを命じたのが誰なのかわかってしまったからこその悲しみが私を苦しめる。土師さんに、岡崎さんをこんな形で追い詰めるよう命じたのは彼じゃないと信じたい馬鹿で哀れな心と、ああやっぱりなと彼の異常性を認めてしまう自分が戦っている。けれど、あっさり負けたのは前者の私だった。
「土師、暫く席を外しちゃくれねぇかい。部下のあんちゃんも連れて行ってくんな」
今まで黙っていた瀧島さんが口を開いた。私の問に答えようとしてくれていた土師さんはいったん口を閉ざし、眼鏡をかけ直しながらへらりと笑った。
「はいはい。そろそろ嗅ぎつけてきそうな頃合いですしね。足留めしてきますよ。あぁでも、僕があとで怒られるような、取り返しのつかない真似はしないでくださいよー? 白鷹との取引も先に控えてるんだから」
「そりゃあちょっと約束出来ねぇなぁ。志紀ちゃん次第なもんでよ」
「も~、またそんなこと言ってぇ。僕、首斬り落とされるのは嫌ですからね」
のほほんとした口調で文句を訴える土師さんから緊張感は毛程も感じられない。それどころか現状を楽しんでいるようにも見えてしまう。ヤクザとは思えない程穏やかな男性という、土師さんに抱いていた印象がガラリと変わった瞬間だった。
瀧島さんと私、そして岡崎さんだけになった空間では、岡崎さんの命を繋ぎ止めている機械たちの作動音が響き、とても静かだった。
岡崎さんの手を握りしめたままベッドの傍に立っている私の反対側に瀧島さんが寄り、近くにあった椅子を引き寄せ、岡崎さんの顔を眺めながら腰を下ろした。そして、本来土師さんから貰える筈だった回答を、瀧島さんが代わりに答えてくれた。
「なんの為、ねぇ」
「……」
「まぁ、怖いんだろうよ」
「……怖い?」
「この兄ちゃんに、志紀ちゃん取られるのが」
「……」
「そりゃあねぇ。怖がりな志紀ちゃんが躊躇なく、この兄ちゃんの後追いしようとするもんだから、嫉妬やら何やら爆発しちまったんだろうなァ」
「後追い……私が?」
「そうだよ」
頷く瀧島さんだが、私には覚えがなくて疑問しか湧いてこない。
そもそも、岡崎さんはいつからこんな状態になっていた? 私が岡崎さんの後を追って自死しようとしたということは、岡崎さんがこんな状態になる要因である場面に私も居合わせていたということになる。じわりと嫌な汗が流れる。
思い出せ、思い出したくない。確か、雨が降りだして。場所は? 廃墟になったお寺。それで、誰かの腕が斬り落とされて、それから。
バラバラだったパズルのピースが徐々に嵌め込まれていく。完成に近づくにつれて、自分に対しての嫌悪感が溢れていく。辛いことからも悲しいことからも目をそらして、よりにもよって一番忘れてはいけないひとを頭から消し去っていたことに。穏やかな日々を過ごすその裏で、私の大事な人を傷つけ続けていた太刀川さんと、心地いいとすら思える日々を過ごしていた自分に。なんてことだ、と口を押さえる私に瀧島さんは続ける。
「つっても、この行き詰まった状態もそろそろ終わらせて、スッパリ殺しちまおうって話も出てたとこだったんだよなァ。志紀ちゃんがこのワンコロのこと全部すっきり忘れてくれんなら、ズルズルこの兄ちゃん生かしておく理由も必要も、アイツにゃ無いからね」
「……っ」
「安心しなよ。白鷹との会合の話が出て頓挫になったから。志紀ちゃんだけのことじゃなくて、うちの界隈の事情でも、岡崎徹也の息の根を止める訳にいかなくなっちまったんだよ。へへっ。大人しく返すなんて選択肢は、アイツも持ってないとは思うけどね」
「なぁ、志紀ちゃん」と呼び掛けられ、俯いていた顔を上げる。瀧島さんは口元に笑みを浮かべ、私に残酷な提案をした。
「楽にしてあげたら? 志紀ちゃんが」
「……え……?」
「奇跡か間違いなんか起こって、この兄ちゃんが目覚めたとしても、ろくな現実なんざ待ち受けちゃいねぇんだ。なんなら、グースカ寝てられる現状のがマシなんじゃねえかって思える位にはね。安楽死ってのかなぁ? 生きながらの死を延々と味あわせて、それでも生かしとくよりも、志紀ちゃんの手で楽にしてあげたんなら岡崎さんも本望なんじゃない?」
「何、言って……」
「簡単だよ。ついさっき殺したはっかだから、まだ蘇生段階の治療中だろうしねぇ。今ならたぶん、しばらく呼吸器外しっぱなしにしてたらポックリ逝ってくれんじゃねぇかな」
「で……出来る訳ないじゃないですか!!」
「どんな形でもいいから生きててほしいって相手に強要するのは、そいつぁ自分のエゴでしかねぇんだよ。志紀ちゃん」
「……っ」
「今の岡崎の状態は、病床の死にかけ老人と同じなんだよ。苦しみながらでも生きててくれって家族が我が儘突き通して、本人が望みもしねぇのに、きつく辛い延命治療を老体に鞭打って強要してんのと変わりゃしねぇ。本人にとっちゃ、もう生きているだけでも苦しいってのに。おいちゃんの言ってることわかる?」
「……」
「岡崎徹也に苦しみながらの生を押し付けてんのは土師でも太刀川でもねぇ。他でもねぇ志紀ちゃん、アンタだよ」
岡崎さんの命をこの世に繋ぎ止めるための一部である、彼の口元を覆う器具を、ぐらつく視界の中で見つめる。
「大事な大事な岡崎さんのことを想うなら、志紀ちゃんの手で殺してあげるのが、せめてもの手向けってもんじゃねぇかい?」
楽にしてやんなよ、という瀧島さんの慫慂に返事も出来ず、長い沈黙が続く。岡崎さんの手を握っていた両手がガクガクと葛藤で震える。今、私がどうするべきなのか、何が岡崎さんの為になるのかわからなかった。
そっと手を離し、岡崎さんの青白い顔をぼんやりと見つめる。目が隠れてしまう位に伸びた灰色の髪を撫で、頬あたりのそれを掬い、そして少し痩せた頬に軽く触れる。その手を少し左にずらすと、岡崎さんが呼吸する手助けをする呼吸器に当たる。いつ爆発してもおかしくない、ドクドクと忙しなく鳴る心臓。過呼吸かと思う程荒くなる息。
震える手で呼吸器に触れる。これを外してあげれば、岡崎さんはこの地獄から解放される。楽になれる。もう何にも背負わずに済む。
目を固く閉じ、カタカタ震えの収まらない手で呼吸器に手に添える。添えたけれど、ぎゅ、と目をつぶり、そして、すぐに手を離した。
「できない……」
「……」
「私にはっ、出来ない」
ぶんぶんと頭を何度も振り、嗚咽しながら岡崎さんの枕元に顔を伏せる。無理だよ、岡崎さんを死なせたくない。殺すなんて以ての外だ。生きていてほしい。声が聞きたい。もう一度お話ししたい。
「志紀ちゃん」
「な、何とでも言ってください……!」
「……」
「私には無理です。出来ません。このひとにこんな形で、こんなところで死んでほしくない。ダメです、ここじゃ駄目なんです」
もっともっと生きて、たくさん生きて、幸せになってほしいと、心の底から一切ブレることなく願ってる。 一緒に生きていきたいけれど、その隣に居るのが私でなくたって構わないから。このひとが生を全うして最期を迎えるときは、こんな場所じゃなくて、岡崎さんのことを大事だと思ってくれる、暖かいひと達の側であってほしいと願うのはいけないことなのだろうか。
「融通の効かん子だなぁ」
「……」
「まぁいいや。俺はこれで、アイツが野生の牙を取り戻してくれんなら何だっていいんだよ」
突然、頑丈なセキュリティで固められていた扉が大きな音を鳴らした。ビクリとその音に体が驚いて跳ねる。それから何度も何度も何度も、扉を殴りつける音が延々と続く。簡単に打ち破られることはないとわかってはいる。扉の向こうで殴り続けているだろう相手もそれは理解しているだろうに、それでも絶え間なく続く殴打音が私をどん底へ叩き落とす。
岡崎さんを隠す様にして庇い立ち、椅子に着席している瀧島さんを見下ろすと、彼はこの異常事態に動じることはなく、それどころかこうなることがわかっていたかの様な緩い笑みを浮かべていた。まさか、と気付いてしまった私をニヤニヤと見ている瀧島さんにゾッとした。天龍の名に恥じない、とんだ蛇だった。
延々と続いていた、扉を殴りる音が収まる。しかし、次の瞬間、砂埃と共に砂塵と瓦礫が吹き飛び、厳重を謳っていた筈の扉がたったひとりの男の手によって破壊されてしまった。
静かな病室が物々しい戦場の空気に変化し、ピリピリとした雰囲気に身体が気圧され震えが止まらない。彼の後を追ってきたのだろう、粉砕された扉の惨状を見て、土師さんがあちゃあと言いながら困ったように顔をこちらに覗かせていた。
砂埃の中、崩れ落ちた扉の破片を踏みながら、青白い刃が美しい刀を手にしている男性がこちらに近付く。刀を握るその手は傷だらけのボロボロで、血をだらだらと流していた。
絶対零度の冷徹を纏った男性、太刀川さんは、その鋭く光る青い瞳で岡崎さんと私を視界に収めた。
私達が初めて出逢い、そして大切な約束をした思い出深い天龍寺で、隠れ鬼はお終いだと太刀川さんに言われたときの出来事が頭の中で明確に蘇る。太刀川さんが握った刀が、岡崎さんの心臓を貫いたことも、全て。
無表情で私達を見つめる太刀川さんの姿に、涙が頬を伝う。だけどそれは、恐怖からではなかった。
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