運命のひと。ー暗転ー

破落戸

文字の大きさ
上 下
57 / 124

廓から伸ばした手

しおりを挟む




 暖かい昼下がり。私の膝の上で眼を閉じ、静かに寝息をたてている太刀川さんの頭を一定のリズムで撫でる。昼寝するから膝を貸せと言われ、おばあちゃん受け売りのハンドパワーで太刀川さんを秒で寝かしつけるのはもう慣れたものだった。

 この館に来る前には、眼の下にびっしりとあったクマも、ここに来てからきちんとした生活を送るようになって随分色も薄まった。なかなか懐かない猫が自分だけに気を許したみたい。

 洋装から覗く刺青をじっくりと見つめる。太刀川さんの身体中に刻まれた、龍を主体にした刺青。女性が好みそうな豪華な華模様の描かれた腕の刺青をすっとなぞってみる。どうしてヤクザというならず者は、自分の身体をこういった彫り物で目立たせるのだろう。太刀川さんは慣れたらなんともないと言っていたけれど、慣れるまではさぞ痛かっただろうに。

 太刀川さんが私の膝を占領し始めて一時間が経とうとしている。寝過ぎると頭が痛くなっちゃうし、そろそろ起こした方がいいか。


「たちかわさん」


 肩を揺すろうとしたとき、先程まで穏やかだった太刀川さんの寝顔が少しばかり歪んだ。いつもはすっと起きるのに。まだ寝てたいのかなと手の動きを止めるも、どうやら違うらしい。眉を寄せた太刀川さんは顔に僅かに汗を滲ませ、少し息を荒くしていた。


「……太刀川さん?」


 信じられない、太刀川さんが魘されてる。い、いや、太刀川さんだって人間なんだし、夢くらい見るに決まってるんだけど。それにしたって、太刀川さんがというだけで意外すぎる面に思わず凝視してしまう。

 いつも余裕綽々なひとが、歯を食いしばり何かに耐えている。表情が悲哀に満ちていている。太刀川さんの手が微かに震え、何かを掴むために手を伸ばそうと腕を上げようとしている。その姿に、心臓が締め付けられるようだった。


「太刀川さん、起きて。起きてください」


 ぎゅ、と冷たくて大きな手を指を絡めて握り締める。すると、こちらの手が潰されるのではないかと思うほど強くぎゅうっと握り返され、痛くて顔を歪める。ミシミシと私の手の骨が軋む。折られそうだったけど、それでも私も太刀川さんの手を握る力を弱めることはなかった。


「ったちかわさん」


 もう一度呼び掛けると、藍の瞳がカッと見開かれる。脂汗を顔中に浮かばせた太刀川さんが私の顔を見て、はぁと熱い息を吐いた。ごくり、と動いた喉仏がとても厭らしい。

 状況を掴もうと辺りに視線を向け、すぐさま落ち着きを取り戻し、胸を上下させながら呼吸をする太刀川さんの額の汗を拭ってあげると、太刀川さんは私の顔を視界に収め、私の顔に穴が開くんじゃないかと思う程じっと見つめてきた。


「……志紀」

「……大丈夫ですか? お水、持ってきましょうか?」


 それに対しての返事はなく、未だ強く握られた右手を離してくれないから、水を取りに動くこともできない。


「悪い夢でも見ました?」

「……」

「その、珍しいですね。太刀川さんが魘されるなん、て……ッ」


 起き上がった太刀川さんにきつく抱き締められる。いや、縋られると言った方が正しいのかもしれない。私を包み込む抱き方ではなくて、こどもが母親に慰めを求めるみたいなそんな感じだった。背中に腕を回され息が少しし辛い。一切の身動きが取れない。

 手は離されたものの、行き場のなくなった両手をどうしようかと迷った末、胸元にある太刀川さんの頭に添えてゆっくりと、それこそ子供を慰める様にして髪を撫でる。すり、と頭を押しつけてくる太刀川さんの行動が本当に子供されらしくて、不覚にも胸をくすぐられる。

 変なの、相手は私よりも一回りも年の離れた大人の男性なのに。可愛い、だなんて。普段の私なら、明らかに様子のおかしい太刀川さんにあたふたして戸惑うところだろうに、いやに落ち着いていた。


「志紀」

「はい」

「……しき」

「そんなに嫌な夢でした? なんか甘えたさんですね。……っ?」


 首を這う太刀川さんの舌にびくりとする。子供みたいだった太刀川さんの雰囲気は打ち消され、一気にアダルティなものに切り替わる。そのまま座っていたソファに押し倒され、着物の前合わせをバッと開かれる。胸元に唇を落とされ、性急な手つきで下着も剥ぎ取られ、露わになった胸を掴み揉まれてしまう。突然のことに吃驚して声も上げれれなかった私の手を、全部覆うようにして太刀川さんの大きな手に握り込まれる。

 帯を乱暴に解かれ、はだけた着物の下に隠れていた素肌に冷たいものが這う。いつもは粘着質に、もういいからと言いたくなるほど長い時間をかけて執拗に前戯を施されるのに、ショーツをいきなりずらされ太刀川さんを受け入れる準備も出来ていないソコにこのひとが無理に挿れようとするから、まってと制止の声を上げるが、太刀川さんは聞き入れず、自分も辛いはずなのに無理矢理に押し進めようとする。


「っい、いたい……! たちかわさっ……だめ、や、あっ、ぁん! あ」

「ッ」

「ひっ、あ、ぁ……!」


 強引にひとつに繋がった身体が激しく揺さぶられる。太刀川さんが何に刺激されたのか知らないが、こんなの強姦とそう変わらない、相手に押し付ける様な行為に何の意味があるというのだろう。

 きっと、今の太刀川さんには必要なことで、そうしなければ保てない何かがあることには気づいていた。だって、彼らしくなく焦りに顔を歪ませ、必死に見える。

 最初こそ痛かったけれど、私の身体を中まで知り尽くした太刀川さんだ。痛みを上げていた声もすぐ、どんどん濡れたものに変えられていくのが自分でもわかる。

 真っ昼間からお互い息荒くして何してんだろ。どうしてこうなるの、ほんとに。

 太刀川さんの動きに刺激され、顔を赤くし、息を荒げてみっとなく喘ぎ乱れる私の顔を熱っぽく見つめる太刀川さんに、みないでと藍色の目を隠すためべちっと太刀川さんの顔に手を当てた。








 立派に咲き誇った薔薇達を眺めながらガーデンを歩く。開花した一輪の薔薇を、棘に気をつけて触れる。再び薔薇に囲まれた館を見られたことに感慨を覚える。

 太刀川さんに髪を巻いてもらい、ハーフアップにしてもらった髪が少しくすぐったい。器用に編み込むヘアアレンジはどこで学んだのか、非常に凝ったものになっている。シャランと音のする簪が少し照れくさい。せっかく伸びた長い髪をひとつに纏めるか下ろしたままにするかで工夫を一切しない、というか出来ない私に代わって、最近私の髪で遊ぶのが楽しいらしい太刀川さんはちょっとしたお買い物に行っている。牛乳とパンをついでによろしく! と頼んだけれどひとりでちゃんと買ってこれるかなあのひと。

 太刀川さんが帰ってくるまでに掃除を済ませてしまおうと、二階の部屋から掃除機をかけていく。鍵のかかってない太刀川さんの部屋を開ける。

 自由に入っていいと許可が簡単に下りるのも納得だ。相変わらずベッド、棚、机以外の家具が無い殺風景な部屋だった。インテリアもひとつもない。掃除はしやすいけど、なんだかなぁ。

 太刀川さんは殆ど、かつての自分の部屋を使用しない。毎晩寝るのも私の部屋なので出入りもしない。趣味とかないのかなと思いつつ簡単に掃除を済ませ、次は一階だなと階段を降りる前にある部屋の前で立ち止まる。

 複雑な仕掛けの施された錠前がついた館長さんの部屋。ここは太刀川さんでも開け方を知らないので、一切踏み入れられた形跡がない。私も開け方を知らないから放置していた。

 知らない? いや、待てよ。仕組まれたパズルを解いて、鍵を差し込むのではなく、わかった番号を回す形式になっている珍しい錠前を手にする。

 そうだ、私は館長さんの部屋への入り方を教えて貰った。確かこれはダミーで、苦労して解いたところで扉は開かなくて、実際の扉を開く為の仕掛けはかなり単純なものだった筈。

 錠前ではなく、よく見ないとわからない扉の小さな凸凹を数カ所探す。目を凝らしてそれらをなんとか見つけた私は、館長さんに教えられた順番でその凸凹に指を当てて窪みを沈めると、カチリと扉の仕掛けが解かれたのがわかった。

 軋む音を立て、扉を何百年かぶりに開くと中は真っ暗の埃まみれで空気は悪く、蜘蛛の巣もあちこち張られている。身体に良くない環境だった。

 電気のスイッチを手探りで探して押すも、電球が切れているのか明るくならない。埃を吸わないように着物の袖で口を隠し、物が乱雑に散らばる暗闇の中を転ばない様に進んで、埃まみれのカーテンと窓を開ける。

 光が差し込んだ部屋を見る。時が経って荒れてはいるものの館長さんらしい、古びた価値あるものに囲まれた賑やかな空間だった。空気を入れ替えて、気合いを入れないとと袖をまくり、掃除機のスイッチを再び入れた。

 お昼を食べるのも忘れる位夢中になって、時間をかけて掃除し終えた館長さんの部屋をマスクを外してふうと見渡す。あとはいったん廊下に出した物を片づけるだけと壊れやすいものも慎重に部屋の中に戻していく。

 粗方の置物などを片付け終え、何やら難しいことが書かれていそうな英語や日本語、他にも様々な言語で書かれた文献を棚に直している最中に、ひとつだけ気になるものを見つけた。その文献を手にとって、近くにある机の上に広げ眺めてみる。

 ぺらぺらと乾いた音を立てる紙をめくり、『神隠し?』と記述された頁で手が止まる。最近になってゆっくりではあるが、漢字を読む力も取り戻しつつある。その文字から目を離せなくて、椅子に座り、館長さんの字で書かれた、ところどころ霞んで読めはしないそれをじっくりと読み込んでいく。
 

『ーー××××年×月 世界各国で行方不明者が多発。何の痕跡もなく姿を消した行方不明者たちの捜索を警察など各関係者が続けるも、一向に発見はされず手掛かりも見つからない。大々的に神隠しではないかとの報道もされた。しかし数年が経ち、一端事態は収束するも、未だに行方不明者が見つかったという情報は一切出ないまま、世界で突如として起こった不思議な事件は息を潜めた。現在では、消えた彼らはどこか違う世界へ飛ばされたのではないかという都市伝説が、不可思議な現象を好む愛好家たちの間で飛び交うのみだった』

『××××年×月 信じられない。別の時代からの異邦人の若者が私の前に現れた! なんという僥倖! なんたる幸運! 最初は私も俄には信じられなんだが、彼の話は今の時代との辻褄が合わない。しかしはっきりとしていた。着物を着用し、刀を所持していたため、過去からの来訪者かと思ったが、話を聞いていると未来だとわかった。なんてことだ、未来の情勢は退化していると見える。何があった……いや! 未来に何が起こるというのだろう。ともかくも、こんな興味深い若者を警察機関に預けるなど勿体ない。彼も大人しく従うタイプではない、荒くれ者のようだ。もっと色々話を伺いたい。この時代での行き場がない彼を、この館で保護することにした。まずはあの物騒な刀をなんとか没収しなくては』

『×月 尊嶺の話によると、あいつの時代ではどこぞからやってきたと意味不明なことばかり告げる異常者たちが急増していたらしい。皆、人種も衣服も時代考証もバラバラで、皆纏めて精神に異常を来していると診断され、専門の施設に送られているのだとか。もしや数年前に起こった神隠しと何らかの関連性があるのではないか。この時代に生き、行方不明になった人物の中に、尊嶺の時代に飛ばされた者も居ると仮定するなら、一体この世界で何が起こっているというのだろう』

『×月 遠坂のお孫さんの女の子をひとり、この館に招くことになった。志紀ちゃんという5歳の女の子。家庭内の問題でストレスが高まり、妄執に捕らわれているらしい。しばらくの間、落ち着いた環境で過ごさせてあげたいそうだ。可哀想に。少しでもここで傷ついた心が癒えればいいのだが、私にその手伝いが出来るだろうか。問題は尊嶺だ。子供が嫌いだと言っていたが、まさかいじめるなどそんな大人気ないことはしないだろう。それでもまずは、志紀ちゃんにこの環境に慣れてもらうことを優先しなくては。人見知りと聞いているし、いきなり素行の悪い尊嶺と一緒では休まるものも休まらないだろう。二週間程、尊嶺には使いを頼もう』

『×月 尊嶺が志紀ちゃんを地下に閉じ込めていた。すぐに見つかったから良かったものの、どうしてこうなった。何故あいつはああまで志紀ちゃんを毛嫌いするんだ。お互いに足りないものを補うことのできる関係になれるのではないかと思ったが、私が期待しすぎたのか……これ以上は志紀ちゃんに無理をさせるのも酷だ。諦めた方がいいのかもしれない』

『××月 見てしまった。志紀ちゃんが尊嶺にーーーされていた。すぐに引き離したが、志紀ちゃんは何も分かっていない様だった。少し前から二人の距離が異様に近いとは思っていたが、なんてことだ。どうして。あいつは何を考えてるんだ。だめだ。二人をこのままにしていてはいけない。いやその前に尊嶺と話をしなーーては。志紀ちゃんが散歩から戻っーくるまでに』

『×月 ーーも、行ってみたい』

『ーーー私ーーばれた先から、戻っーー行方不明者のひとり、永ー朧に出会っー、彼女は志紀ちゃんのーーーらしい、なんというー然ーー。懐ーーー然しもう、私は戻れ』


 急速に逸る心臓に耐えられなくて途中からパラパラと急ぎ足でめくる。文字は掠れつつも順序立てて丁寧に書かれていたそれは、最後らへんは書き殴られ、ミミズみたいな英語も入り混じり、殆ど汚くて読めない。

 徐々に何かが狂っていく様が怖かった。私達が館で過ごした日々も出来事も事細かに記録されていて、文献というよりも館長さんにとっては日記の様なものだったのだろう。

 私、館長さんといつお別れしたんだ。館で過ごして随分と経ってから、憔悴した様子のおじいちゃんとおばあちゃんが私を迎えにきてそれで、私はすごく泣いてて、そのとき館長さんは、ワンくんは、太刀川さんはどこに居た?

 妄執に捕らわれた少女、と私のことを記した館長さんの文字が、これまで夢を見続けていた私への最終通告だった。思わぬ形で現実を思い知らされる。ペンは剣より強しとはよく言ったものだ。私の夢を最後まで一切否定せずにいてくれたひとに刺されることになるなんて。

 現実にうまく溶け込むようにするための方法や、症状の改善法などたくさん纏め記されていた。他者との関わりをもたせることが重要だとメモ書きや、マーカーまでふられている。 よく見たら、本棚にはそういった医学書がたんと並べられていて、館長さんが私のために懸命に研究していてくれていたことがわかった。

 一番に私の友人たちを受け入れてくた老人が過去から、再び夢の世界に落ちた私に現実を言い渡す。彼らが本当は存在しないのだということも、私が太刀川さんと過去に出会い、共に過ごしていたという事実も、とうとう認めざるを得なくて。

 手当たりしだい、文献のほかにも手記などを引っ張り出し、急いで全てに目を通す。そして読み終えて、震えながら文献の山から距離をとる。

 ぼす、と館長さんのベッドに座り込み頭を抱える。どうしよう、どうしたらいい。このままじゃ、また皆、私の前から消えてしまう。繰り返してしまう。たちかわさんの側にいたら。消えてしまう? どこへ消えるというんだ。もともと、そんな人たちいなくて、最初っから独りよがりで、友達なんて居ない、ひとりぼっちだったのに。








 窓の外が暗い。夕日が落ちて夜になった。ずっと館長さんの部屋から離れられなかった私は、たったひとりベッドの上に膝を抱えて、うずくまっていた。私がひとりで落ち込んでいると必ずそばに来てくれるせんせいも双子も、ワンくんもそばに居ない。もう、現れない。

 玄関が開く音が一階から聞こえてくる。帰ってきたら、いつも自分を出迎える私の姿が見えないと気付き、太刀川さんが二階へと上がってくる足音が聞こえてくる。開きっぱなしだった扉から差し込む廊下からの光が、ひとの影をつくる。

 太刀川さんは俯いたままの私を黙って一瞥し、机の上にたくさん置かれた手記を一つ手にとった。頁を捲る音が耳に入ってくる。暫くしてから太刀川さんは読み終えたそれを机の上に戻し、ベッドに座る私の前に立って,尚も現実からの逃避にもがく哀れな妄執女メンヘラを見下ろした。


「志紀。潮時だ、諦めろ」

「……い、いやです……」

「いい加減にしろ。いつまで目をそらすつもりだ。いつまで俺を待たせるつもりだ。いつまで、俺から逃げ続けるつもりだ。もうこれでわかったろ。オーウェンの言うことならあっさり何でも信じたオメェだ。あれを見て否定なんざ出来る訳もあるめぇよ」

「やだ、やだよ、言わないで、おねがい……」

「よく思い出せ、お前は俺とあの寺で」

「しっ、してない……約束なんか! そんなのしてない!!」

「……志紀!!」

「やだ! やだやだやだやだ! 思い出したくない! やだ!」


 かぶりを振って、たちかわさんの前から逃げようとした私の両肩を、目の前にいる男性ひとは逃がさないと強く掴んでベッドの上に抑えこんだ。暴れる入院患者を抑えるドラマのワンシーンみたいに、じたばたともがき抵抗する私を上から見下ろすたちかわさんの表情を見たくなくて、ぼろぼろと涙を流す顔を両手で覆った。


「しき」

「ジャックが、怒って出てきてくれないんです……」

「……」

「っ私が、太刀川さんと一緒にいるから! マリーだって、皆……た、たちかわさんといっしょにいたら、みんなおこって私と話してくれない、皆、きえちゃう!」


 先生は知っていたんだ。私が太刀川さんという現実に惹かれれば惹かれる程、少しずつ私の世界がガタガタに崩れて、正常に戻っていくんだって。

 私は、苦手だった、なんなら嫌いの部類に入っていた筈のこの男性ひとのそばで過ごすようになって、焦がれて、もっと近付きたいって、触りたいって、一緒にいたいって願ってしまったから。

 彼らを生み出し、そして身勝手なら想いを抱えたせいで、彼らを殺したのは私自身。私はそれを再び繰り返そうとしている。そんなのいやだ、そんな勝手はもう許されない。どれだけ謝ったとしても。帽子屋ジャックが怒るのも無理はない。ちがう、それすらも間違いだ。自嘲する。ジェイさんが私を頭がおかしいと罵る言葉は何一つ間違いではなかった。


「わたし、私……頭がおかしいんですよ」


 震える手をずらし、私を黙って見下ろす太刀川さんの顔を、私は何がおかしいのか口元に笑みを浮かべて見上げて、聞こえるか聞こえないかのか細い声を震わせながら吐露する。


「いっ、意味わかんないんでしょ? ほんとは私がぜんぶ勝手にひとりで喋ってて、それに太刀川さんは仕方なく付き合ってくれてるだけで。女将さんも西園寺さんも同じで。き、気持ち悪いって私に言ってましたもんね。そんな連中どこにも居ないって、太刀川さんはずっと苛々して、私に怒ってたし。わ、わんくんだって、本当は、もう」


 遂に声にもならなくなって、息を荒くしながら泣く私に太刀川さんは呆れた表情でため息をついた。意味不明なヒステリーを突然起こした私にうんざりしたに違いない。もういいよ、わざわざ私みたいなメンヘラ拗らせた女に構ってくれなくていい。

 なんでここまで私なんかに拘るのか知らないけど、あなたも現実を見るべきだ。もっと美人でスタイル良くて優しくて口うるさくない、生意気も暗いことも言わない、器量の良い、メソメソしない、泣かない、膝の柔らかい女性と一緒になった方が幸せになれますよ。さっさと愛想尽かして、こんな面倒くさい女はそこらへんに捨て置いてくれ。もういやだ、こんなドス暗い、気が違った私の姿を見ないでくれ。

 なのに、この人は私の身体を抱き起こし、その腕に閉じ込めてしまう。私の気分を落ち着かせる為に背中をさする手の動きはずっと変わりはしない。何度だって捕まえて、私を甘ったるい揺り籠に捕らえてしまう。


「自分を貶めることばっかり口にしてんじゃねぇ。そんな女に構う俺が馬鹿みてぇじゃねぇか」

「ばかですよ……」

「違いねェ。こんなに鬱陶しく喚き散らす女、本当ならとっくに斬ってるところだ。……お前のお仲間もよく耐えてるもんだな」

「……太刀川さんは皆のこと知らないじゃないですか」

「鳥の仮面で顔を隠した長身の男。医者で教師。お前の恩師なんだろ」

「……」

「身体が繋がった顔無しの双子は、確か妖精だったか。奇妙な歌物語を聞かせるのが好きらしいな。海象と牡蠣の救いの無ェ詩を双子に聞かされたお前が泣き喚いて喧しくて苛々させられた」

「牡蠣たちが可哀想だったんです……」

「弱肉強食の連鎖を教え込むには悪くない話だ。教訓にもなる。まぁ……餓鬼に聞かせるには随分猟奇的だとは思ったがな。その双子はお前に、俺に対しての危機感を持たせようとしたんだろ」

「……」

「油断してると喰われるってな」

 
 涙を拭うついでに頬を撫でられ、ちゅと音を立てておでこに口づけられる。甘言に誑かされこの人の後ろをついていく様になってから、お姉ちゃんたちから聞かされた海象と牡蠣のお話。牡蠣は、私だった。太刀川さんという捕食者に食べられるという哀れな最期を迎える獲物。その捕食者が私の友人たちの特徴をつらつらと述べていく。まるで、彼にも私の空想の友人が見えていたかの様に。


「オーウェンと同じ名前の……帽子屋からは俺は随分と毛嫌いされてたか」

「なんで……」

「……」

「なんでそんなに、知ってるんですか。皆のこと……」

「お前が俺に教えたんだろ」

「いつも生返事しかしてなかったのに」

「ひとつも聞き零したこたァねえよ」

「っ、う……っ」

「気狂いだろうが、全部背負ってやるって言ったろうが。そいつらが見えなくなってもオメェには俺が居る」


 それに、このままだとお前が針千本飲むことになるぞと脅す太刀川さんの声色がどれだけ優しいことか。もうやめてよ、これ以上甘やかさないで。これは罠だ。私を太刀川さんという檻の中に永遠に閉じ込める為の。

 だけどこのひとはきっと気づいてる。昔の私なら、その優しさに乗せられて、のこのこ再び後ろを付いていって食べられただろうけれど、今はもう事情が違う。このひととの約束を果たしたくないと拒絶する理由に、皆のこと以外にもうひとつ、このひとを受け入れるには捨てがたいものが出来てしまった。

 私の心に強く根付いた暖かい想い。頭の中にちらつく灰色と赤。もう顔も名前も満足に思い出せないのに、私をおちょくってにたにたと笑うひとへの思慕が、あんまりにも大きく膨らみすぎてしまったから。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お見合い相手は極道の天使様!?

愛月花音
恋愛
恋愛小説大賞にエントリー中。  勝ち気で手の早い性格が災いしてなかなか彼氏がいない歴数年。  そんな私にお見合い相手の話がきた。 見た目は、ドストライクな クールビューティーなイケメン。   だが相手は、ヤクザの若頭だった。 騙された……そう思った。  しかし彼は、若頭なのに 極道の天使という異名を持っており……? 彼を知れば知るほど甘く胸キュンなギャップにハマっていく。  勝ち気なお嬢様&英語教師。 椎名上紗(24) 《しいな かずさ》 &  極道の天使&若頭 鬼龍院葵(26歳) 《きりゅういん あおい》  勝ち気女性教師&極道の天使の 甘キュンラブストーリー。 表紙は、素敵な絵師様。 紺野遥様です! 2022年12月18日エタニティ 投稿恋愛小説人気ランキング過去最高3位。 誤字、脱字あったら申し訳ないありません。 見つけ次第、修正します。 公開日・2022年11月29日。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

極道に大切に飼われた、お姫様

真木
恋愛
珈涼は父の組のため、生粋の極道、月岡に大切に飼われるようにして暮らすことになる。憧れていた月岡に甲斐甲斐しく世話を焼かれるのも、教え込まれるように夜ごと結ばれるのも、珈涼はただ恐ろしくて殻にこもっていく。繊細で怖がりな少女と、愛情の伝え方が下手な極道の、すれ違いラブストーリー。

【R18完結】エリートビジネスマンの裏の顔

白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます​─​──​。 私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。 同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが…… この生活に果たして救いはあるのか。 ※サムネにAI生成画像を使用しています

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~ その後

菱沼あゆ
恋愛
その後のみんなの日記です。

【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜

湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」 30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。 一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。 「ねぇ。酔っちゃったの……… ………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」 一夜のアバンチュールの筈だった。 運命とは時に残酷で甘い……… 羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。 覗いて行きませんか? ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ・R18の話には※をつけます。 ・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。 ・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。

処理中です...