運命のひと。ー暗転ー

破落戸

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運命の出会いというには、

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「やっだー志紀じゃーん。ちょーぐーぜんー。こんなところで会うなんてなぁ? 運命? これってもしかして運命? デスティニー?」

「は……お、おかおか、ざき……おかざきさっ!? …… は? なんっ!? ……ええっ!?」

「まごうとなきその岡崎さんだけど……なんなのそのお化けでも見た様な反応。普通に傷つくんだけど。つかその少年みたいなカッコなに」


 驚きを隠せないでいる私とは正反対に、落ち着き払った様子で「ふぃー、よっこいしょういち」と向かいの席にどかりと腰を下ろしたのは、見間違えようもない、灰色の髪に赤い瞳を持つ、正真正銘の岡崎さんだった。混乱して魚みたいに口をぱくぱくとさせる私をよそに、彼は被っていたコートのフードを脱いだ。私が窓縁に置いていたチケットを勝手に手にして、じろじろと内容を読んでいる。


「あ、お前も京都行くの? いやーほんと奇遇だな。俺も今から、そうだ京都に行こうを実践するとこなんだよね。わっくわくのうっきうきなんだわ。舞妓見んの楽しみだなー、さぞ色気ムンムンなんだろうなー」

「う、うそだ。そんな偶然ことあるわけ無い! さては、闇討ちですね……! 私を討ち取りに来たんですね……!?」

「早朝だけど。全然闇に紛れて無いけど。んなことする訳ねーだろ。お前みてーな小娘討ち取っても何の手柄にもなりゃしねーよ。そっちはなに、旦那に愛想尽きて夜逃げか? そんな下手な変装までして」


 じとりと赤い目で睨まれ、うっと息が詰まる。夜逃げ、と言われればそうだ。まごうとなき夜逃げになるのかもしれない。


「旦那さん居ません……」


 小さく反論することしか出来ない。岡崎さんは暫く私を見つめてハァとため息をつき、持っていたチケットを窓縁に戻した。ため息をつきたいのはこちらの方だと私もそばにおいていた帽子を手に取り顔を隠す。今このひとと目を合わせたくなかった。そのままの状態で岡崎さんに質問する。


「……私のこと尾けてきたんですか」

「尾けてねーし。たまたまだしー。自意識過剰も大概にすれば」

「こんなに空いてるのにコンパートメント一緒っておかしいですよ!  完全に狙って選んだ席じゃないですか! もっもう此処まで来るとほんとにストーカーっぽいですよ! なんなら今ちょっと私引いてます! 怖いです!」

「あ!? 誰がストーカーだ!! んな姑息なこたしねぇっつったろうが!」

「自覚ないのが一番ヤバいんですよ!! 性質タチ悪いです!」

「ちっっげーーよ! お前んち行ったら丁度家出てくとこで、なんか様子おかしいし、ちょっと離れたところで様子見守ろうと思ってついてきただけだっての! ちょっと気まずくて声掛けられなかっただけだ! ひとの気遣いをお前はストーキング野郎呼ばわりしやがって!」

「やめてぇえええそれストーカーの常套文句だから! ストーカーは皆そう言うから! だめですこれ以上は……! お口閉じましょうね!」


 このままだと岡崎さんのイメージがとてつもなく悪くなるだけだ。『ストーキング、ダメゼッタイ!』の看板を掲げた私に岡崎さんは、なに顔隠してんだよと乱暴に私から帽子を奪い取る。

 露わになった顔を慌てて手で隠そうとするも、両手首を岡崎さんに掴まれ、強制的に目を合わせさせられる。ぎゅうと力を込めてくる手が少し痛くて、それを岡崎さんに訴える。彼は少し黙った後、そっと手を離してくれた。握られていた手首をさする。……今度は顔を隠しはしなかった。

 このひとと同じ空間に居ること事態が罪になる気がして、悪いことをしている気分になる。実際、もう二度と会わないし会えない、会うこともない、そうしてお別れの心積もりも出来ていたというのに。だからこの汽車に乗っているのに。岡崎さんは長い足を組み、頬杖をついて窓の風景を見て何も言わない。


「……岡崎さん、誤魔化しも、冗談も抜きで教えてください。どうして追いかけてきたんですか」

「だから、そうだ京都へ行こうを実現しに来たっつってんじゃん。なに? アイドル気取り? お前の追っかけなんかしてねーよ。ちゃんと話聞いとけよ」

「さっき様子見守るためについてきたって言ったじゃないですか。ご自分の台詞読み返して下さいよ」

「突然メタいこと言うなや。……約束してただろ。年明けたらどっか旅行行くって」

「してません」

「しましたーー。俺がそう決めてました」

「お断りしましたもん。頷いてませんもん」

「はっきりノーとは言われてねーもん」

「……も、もうそれはいいです、キリがない。話を戻しましょう。ほんと何が目的なんですか。……私が天龍組の人間だって黙ってたこと、こんなところまでわざわざ責めにきたんですか」

「そんなまどろっこしい真似するかよ。別にその件については怒ってねーし。どうでもいいし」

「お、怒ってたじゃないですか……ずっとこっち睨んでたじゃないですか……」

「そりゃあ睨みたくもなるだろ。あんだけこれ見よがしに見せつけられりゃあ」

「は」
 
「イラついてたのはお前に対してじゃねぇ。馬鹿みてぇに殺意剥き出しにしてきやがったあの刺青野郎に対してだ」

「……ごめんなさい」

「やめろよ。旦那庇ういたいけな妻みたいに見えてくんだろ。マジでやめて」

「……違うんです。私、ずっと黙ってて……騙してごめんなさい。私のこと、いくらでも罵倒してくれて大丈夫です。本当に、すみません」


 刺青……というと、岡崎さんが言っているのは太刀川さんのことだろう。彼のことが話題に上がると後ろめたさを感じてやまない私は謝罪しか言えなくなる。岡崎さんもそんな私の様子をじっと見つめて口を閉ざす。
 
 ガタンゴトンと汽車に揺られながら、時間だけが過ぎていく。景色も田んぼや畑が続き、約二年を過ごした町は遥か遠くになっていた。

 車内販売の方がやってきて簡単な軽食は如何ですかと尋ねてくる。私は「大丈夫です」と首を振る。岡崎さんは「缶コーヒーとカフェオレひとつずつ。コーヒーはブラックで」と注文していた。お会計を済ませ、缶珈琲とカフェオレを受け取った岡崎さんは、カフェオレを私に差し出してくる。受け取っていいのか迷って中々手に取ろうとしない私に岡崎さんはまたため息をついて、こちら寄りの窓縁にことんと置いた。この空間ため息多いな。どんよりしてる。湿度が高い。岡崎さんは珈琲缶を開け、一口飲んで、そして話し始めた。


「……謝らねぇといけねーのは俺の方だ」

「え?」


 珍しく神妙な表情で缶珈琲を見つめた後、岡崎さんはそのままの顔で私を見た。そして彼は「かなり前っつーか、お前と初めて出会ったあとすぐになんだけど」と、 私が思いもしていなかったことを告げることになる。


志紀おまえがあの刺青野郎の……いや、天龍組若頭の女だってこと、俺知ってたんだよ」


 ……今、なんて言った?


「俺だけじゃねぇ。白鷹の連中は南雲の親父おっさんを除いて、遠坂志紀が天龍若頭の囲いだってことは承知してる」

「……は……は?」

親父おっさんは滅多に俺達の前にも出てこねーから情報共有がままならねぇってシラユキも嘆いてたし」


 語り続ける岡崎さんを私は呆然と見つめることしか出来ない。知っていた、だと? いつから。いつからだ、私と出会ったあとすぐ? そんな、どうして。

 今までの岡崎さんとの思い出が走馬燈のごとく、あれもこれもと一気に流れ出す。あのときも、このときも、このひとは私が天龍の人間だと、全てを知っていて私に接していたのか。

 静かに混乱している私を察して、岡崎さんは少し眉を寄せてぽりぽりと頭をかき、「お前に出逢ったあの日」とゆっくりと語り出す。


「シラユキに拉致られて、俺が南雲の親父とっつぁんに白鷹に入る様勧誘されて承諾したあと、シラユキがお前のことを念には念をって調べたんだ。なんでお前があの日、あの場所に居たのか。俺を回収に来てた天龍の人間なんじゃねーのかってな」

「……」

「あんとき黒い紙切れ持ってたろ。俺も詳しくは知んねーけど、天龍のトップクラスの人間だけが持ってるモンらしいな。そいつを持ってりゃシマの中でならどこでも出入り出来るし、金も要らねぇ優れもんだって聞いた。なんでそんな代物を人畜無害そうな小娘が持ってたんだって、そりゃあそうなるよな」


 あの黒いカードのような紙切れは、まだこの世界での身の振り方が右も左もわからず、天龍組本家に滞在していたときに暫く持たされていたものだ。本家での生活が息苦しくてどうしようもなくて、気分転換に散歩でもしてこいと、たった一、二時間だが外出を許可されていた。キャッシュカード代わりに持っておけと、ぽいっと太刀川さんに投げ渡されたのがあの黒いカードだった。あまりにも軽く渡されたので、そんなに重要なものだとは思いもしなかった。大抵のことはこれでなんとかなるとは聞いていたけれど……。まさかアレの正体をこんな形で、岡崎さんの口から明かされることになるとは予想もしていなかった。


「お前が天龍の人間じゃないかって疑惑が出た丁度その頃、天龍の若頭が新しい囲いを迎え入れたって噂が流れてたらしい。今まで抱えてきた女達とはまるでタイプの違う、むしろ真逆の、そこらに居るようなこどもに御執心だってな。あの男に限って少女趣味はねーだろって、根も葉もない噂だって皆信じてなかったみてぇだけど。俺も信じなかったし。隠し子かなんかじゃねーのって思ったし。ただ……シラユキあいつはすぐにお前のことだって結び付けた。女ってこえーよな。そういうのだけは勘が異様に鋭いっつーか。敵う気がしねぇわ」


 岡崎さんは珈琲を全て飲み終え、空になった缶を窓縁に置いた。その拍子に空の缶から乾いた音が鳴る。岡崎さんは宙を見つめて、一度目を閉じてから赤い目を開き、口を開いた。


「太刀川の女に近付けば天龍の内情を探れる。相手がこどもなら信用も得やすいからすぐに口も割るだろ。……一度会って話もしたことがある人物が相手なら、警戒心も薄い」

「……」

「俺がお前に近付いたのは、偶然なんかじゃねぇ」


 岡崎さんは自嘲し、吐き捨てた。


「言い訳なんざしねぇよ。俺ァ、お前を利用しようとしてた悪党なんだよ、志紀」
 

 真正面に座る岡崎さんのことを見てから、コンパートメントの入り口に立てかけた青い傘を眺める。

 初めて岡崎さんと会ってからの記憶が順番に脳内で再生されていく。そういえば、やけに質問してくること多かったなぁ、なんて。私があなたの前で倒れたときのあの優しさも、夏祭りに連れて行ってくれたことも、全て私を懐柔するための行動ものだったのだろうか。ひとりで抱え込まず頼れと言ってくれたことばも情報収集のための言葉だったのだろうか。

 ひどいなぁ……そんな筈無いのに。もっとあくどい顔をしてたらいいのに。悪いひとが、そんなに辛そうな表情かおをして、自分のことを正直に白状する訳ないじゃないか。

 それに、私はあなたと過ごした日々が嘘だったとしても、もうどうだっていい。私が好きになったのはそんなあなたも含めてなんだろう。惚れた弱味ってこういうことなのか。


「……岡崎さん、本物のストーカーじゃないですか」


 岡崎さんが少しだけ俯かせていた顔を上げる。ひきつった表情に変化した彼の反応を見て思わず笑いそうになる。


「………えっ、ま、まだその話引っ張んの? 今俺割と真剣に話してたんだけど。これからの関係にも関わる結構大事なことブチかましてんだけど」

「だって、私のこと利用する為に頻繁に話しかけたり、故意的に遊びに来てたんでしょ?」

「……その言い方はズルくないですかね、志紀サン」

「確たる目的を持った立派なストーキング行為ですよ。認めましょ」

「ってかなんでそんな平然としてんの? 顔には出さないけど内心は怒り狂ってたりするやつ? ……ちがうよな。お前そんな器用なこと出来る奴じゃねーよな」

「そうですね。ポーカーフェイスとかできる人すごいなって思います。……でも、そっかぁ、そうだったんですね」

「……」

「香澄ちゃんのこともそうでしたけど……私のことも、岡崎さんは全部まるっとお見通しだったんですね」

「……あのさ、ちっとは俺のこと責めるなり怒るなりしろって。なに普通に受け入れようとしてんの。流石にそれはねーだろ。お前騙されてたんだぞ。それこそ罵倒したっていいんだからな。どんと来い」

「あはは」

「何笑ってんの」

「いやなんか思い出しちゃって、最初私、岡崎さんにドMのド変態ですか? なんて聞いちゃったんですよね。今まさにおんなじ質問しようとしちゃってました」

「……」

「気づいてなかったのって、私だけだったんですね」

「わかってても、実際あの場で刺青野郎の隣に座るお前見たら驚いたけどな。……やっぱりどっかで信じられねぇっていうか、信じたくないとこあったし。……や、これは言い訳だな」


 初めから私は蚊帳の外だった。太刀川さんだってそうだ。彼だって私が白鷹組の岡崎さんと関わりがあることを知っていた。知っていて、私をあの新年の会に同席させたんだ。大人って何でも知ってんだな、すごいな。

 内側では色んな思惑や陰謀が渦巻き動いていた。このひとが私と一緒に居てくれたのは義務的なものだったということはやっぱりショックではあるけれど、そりゃあそうだよね。じゃなきゃ私みたいな暗いことしか言わない陰気なこどもに進んで関わろうとする筈ないもんなぁ、って考えたら泣きそうになった。やめろやめろ、知られていたとはいえ、私だってずっと自分の素性を黙ってたんだから。被害者面する資格なんてどこにも無いんだぞ。


「っていうか岡崎さん、それ私に暴露しちゃっていいんですか。私、必要な情報とか何にも喋らなくなっちゃいますよ」

「元々お前何にも口滑らせてねーだろ。全然有力な情報掴めなかったわ」

「私、何にも聞かされてないですから。白鷹さんのお役に立てるネタなんて、ほんとに何も無いんですよ」

「それにしたって、嘘つくにも実家ネタ多過ぎじゃね。どんだけ実家帰んだよって思ったわ。ほんと嘘つくの下手な」

「ですよね。私も若干そう思ってました」

「……お前、マジで夜逃げの最中だったりする? 実は太刀川あいつと上手くいってなかったの。簪もあいつからだろ」

「黙秘権を行使していいですか」

「アッハイ」

「いきなりしおらしくならないでくださいよ。使いませんて。……上手くいってるとかないとか、そんなんじゃないです。恋人とかでもないし……。私はあの男性ひとと対等ですら無い。彼なりに、私のこと尊重してくれていたとは思いますけど……」

「……」

「なんて言ったらいいのかな……やっぱり夜逃げになるのかな。ごめんなさい。よくわかんないです。ただ私は帰りたいんです。自分の家に」

「……黙って出てきたんだな」
 
「はい」

「最後の実家に帰るネタだけは嘘じゃねぇってことか」

「そうですね」

「京都が故郷なのか? 全然田舎じゃなくね?」

「京都はあくまで経由です。ずっごく遠いんですよ、ほんとに。びっくりする程」

「何してんの」


 荷物を纏め始めた私を、眉をひそめて岡崎さんが尋ねる。何と言われてもだな。


「次の駅で停車したら、もう後は京都直行になってどこも停まらないんだそうです。だからお昼ご飯買っておこうかと。駅弁食べたことないんで一度食べてみたいんです」

「……は? おま、ちょ、ええー……」

「なっなんですかその顔は。だってお腹ぐーぐー鳴るの恥ずかしいじゃないですか。それに、私朝ご飯食べてないんですよ。ペコペコなんです。岡崎さんの分も買って来ましょうか? 乗り合わせてしまった船ならぬ汽車ですし、旅は道連れ世は情けです。香澄ちゃんに、もやもやする時こそお前はご飯しっかり食べろって言われてるんですよね」
 

 ペラペラペラペラと珍しくよく喋る私を、岡崎さんは何を驚いているのか赤い目を見開き、私を見つめる。

 帽子を深く被り、ショルダーバックを掛け、傘を手にする。空気を呼んだかの様に汽車が停車駅に到着したので、岡崎さんにいってきますとコンパートメントを出た。








 駅員さんに、次に来る汽車に乗り換えは可能か尋ねると、空席はたくさんあるので次の汽車に変更しても問題ないと聞いてほっとする。変更に伴う料金も発生しないらしい。

 持っていたチケットを渡し、駅員さんが座席情報を書き換えるのをぼーっと眺める。少しばかり時間がかかる様だが何の問題も無い。ゆっくりで大丈夫ですとお年を召した駅員さんに伝える。

 少し広めの屋外の駅構内は雪が所々積もっている。油断すると滑ってしまいそうだ。これは駅員さんも雪掻きが大変だろうな。

 雪にはしゃいでいる子どもがお父さんに「はやくはやく! 雪だるまつくろう!」と手を引いている。親子連れの姿を見て、いいなぁ、なんて考えていると、どこからか視線を感じた。

 向かい側のプラットフォームに黒いコート……マントの様なものを着たひとがこちらを向いて立っている。2m以上はあるだろうか、縦に延びた高い身長はとても目立つ。

 何よりも異彩を放っているのが、顔があるだろう場所に鳥の嘴の様な仮面? ……いや、大きなガスマスクを被っており、表情は一切見えない。……コスプレだろうか。明らかに怪しい、というよりも不気味な出で立ちに恐怖心が芽生える。

 一寸たりとも動かず、それはこちらを見ているのだ。私の背後にいる人を見ているのだろうかと、思わず自分の後ろを確認するが誰もいない。目立つ風貌であるのに、誰もあれに注目もしない。気にも留めない。それどころか、まるでそこに誰も居ないみたいに皆スルーしていく。明らかにおかしい。

 まさか、私だけに見えているの? そんな馬鹿な。目をこすり、もう一度確認すると、ガスマスクのそれは一歩を踏み出しこちらに近付こうとしている。私たちの間には汽車が通る為の車線があるので、こちらのホームに繋がる橋など有るわけもない。こっちに来れるわけない。そう思うのに、ドクドクと逸る心臓を抑えきれない。目の前のマスクから目を離すことが出来ない。瞬きすらも出来ない。

頭の中で何故か、いつか聞いたオルゴールの音色がうるさい位に鳴り響く。こわい。なつかしい。こわい。こわい。誰か、助けて。
 
 汽車が出発する合図の汽笛をけたたましく吹き、その音にハッとなる。汽車の方を振り向くとゆっくりと動き出している。もう一度向かい側のプラットフォームを見ると、そこにはもう誰も居なかった。

 冬なのに、汗がびっしょりと出てきた。駅員さんにチケットの変更が出来たよと呼ばれ戻ると、顔色が悪かったのだろう、大丈夫? と声をかけてくれた。お礼を言って変更されたチケットを受け取る。徐々にスピードを増して駅から遠ざかっていく汽車の背中を見送った。








 次の京都行きの汽車が駅に到着するまで一時間あると言われ、特に行く宛もなくプラットフォームに立ち尽くす。 ぽつぽつと雪が降り始め、持っていた青い傘をさす。まだ乱れている心音を落ち着かせようと何度も何度深呼吸をする。

 さっきのは何だったんだろう。幻覚? 気を落ち着かせるために、青い傘をくるくるくるくるくるとゆっくりと回し続ける。 

 何にも考えたくないのに、考えてしまう。なんか、ちょっと疲れたなぁ……。そしてしばらく視界に映る情報すらも絶とうと目を閉じようとしたとき、そうはさせないひとが声をかけてきた。


「傘くるくるすんなよ。しぶきが飛び散るだろ」


 閉じかけていた目をかっ開き右を見ると、寒さで鼻を赤くし、灰色の頭に雪を積もらせた岡崎さんが立っていた。


「汽車行っちまったぞ。どうすんだ」

「……」

「こんなこったろーと思ったよ。言ったろ、お前嘘つくの下手なんだよ」

「わっ私についてきてもなんの旨みはありませんよ」

「いーやあるだろ。お前を人質に取って交渉道具に使うことだって出来んだよ」

「えっ……」

「……安心しろよ。んなことしねーから。だからそんなにA●フィールド全開にしないでくれ。……頼むから」


 岡崎さんはこちらに近づき、私の腕を取った。寒いのだろうか、少し手が震えていた。こんな雪も降ってるのに手袋しないからだよ。

 私が逃げないように手の力を強める岡崎さんに、私は何も言えない。暫く沈黙が続いたあと、先に口を開いたのは鼻を真っ赤にした岡崎さんだった。真っ赤な鼻のトナカイ……? 白い靄を作りながら、彼は私を見下ろして言った。


「正直よぉ、割とさ、楽しんでんだわ。今の生活も。白鷹あいつらと居るとめんどくせーことも多いけどな。先に言っとくけど、お前が想像してるより俺ァ結構薄情だよ。そんなに良い奴でもねぇし ……きっと、お前が居ても居なくても、俺は俺らしく周りの奴らと生きていけるんだろうよ」


 そんなこと、よく知ってる。あなたはたくさんのひとに囲まれて、好かれて、前向きに生きていけるひとだ。私とは真逆の人生を歩んでいける力のあるひとだ。だからこそ、惹かれて、焦がれたのだから。日陰の下でしか生きられない私はそこからあなたを見ているだけで、自ら進んで飛び込んでいける人間じゃない。


「俺さぁ、今すげぇ腹減ってんだよね」


 ……。


「や、焼きそばパン買ってきましょうか」

「いんや、それはいいわ。っていうか焼きそばパン出て来る辺りすげえパシり根性だな。……飴ちゃんとかでいいんだけど。あ、でもハッカはやだ。それ以外で持ってねぇ?」

「あ、飴ですか? えっと、確か……」


 ポケットに瀧島さんから貰った飴ちゃんがひとつ入っていた筈……とポケットの中をまさぐり取り出そうとした手をピタリと止める。そして少し考えて、飴を持った手をポケットの中に引っ込める。


「……持ってないです。……お腹空いてるんですか?」

「常時腹は減ってるよ。HPもMPも赤ゲージで限界突破してるよ」

「ごめんなさい。今は何も持ってないです」

「そーかよ」


 何をしてるんだろう、私。差していた傘を岡崎さんに翳す。青色に包まれた岡崎さんは、その陰気な色の効果で、寒さで真っ白だった肌色が更に血色が悪くなった様に見えた。代わりに、と発する声が震える。


「……これ、どうぞ。風邪引いちゃ大変でしょ」


 岡崎さんは満足そうに笑って、私が差し出した傘を受け取った。


「お前、世間知らずってよく言われね?」

「……」

「俺みてぇのに普通に接してくるし、なんかお前見てたら不安になってくるわ。この先こいつこんな世知辛い世の中でやってけんのか心配になるわ」

「岡崎さん……何がしたいんですか?」


 なんでこんなやり取りをさせるんだと言外に尋ねると、岡崎さんは真っ赤な目で私を見て提案する。やり直そう、と。


「最初っからやり直してみようや、志紀」

「……や、やり直す?」

「お前が俺を見つけたとき、俺達は何者でもなかったろ。お互いに何も知らない者同士だった。何のしがらみも立場も無しに話せたのはあのときだけだ」

「……」

「……お前が俺を買ったんだ。だったら飼い主についてくのは当然だろ? ……拾った以上は最後まで面倒見ろよ。志紀」


 嘘でしょ、何言ってるのこのひと。何故そんなありもしない分岐点を無理やり作り出してしまうんだ。

 これまでを無かったことになんて出来るはずがない。言ってることが滅茶苦茶だ。何でよりにもよって、そんなIFルートを進めようとするんだ。ゲームじゃないんですよ。

 岡崎さんは自棄になってるだけなんだ。「もーいいよ、ストーカー上等だよ。極めてやるよ。ここまできたらレベルカンストのストーカーになってやるよ」なんて意味のわからんことを喋ってるし。

 なんで私は泣いてるんだ。何の涙なのこれ。岡崎さんは私の目から溢れ出る大粒の涙を拭いながら、千●みたいな泣き方すんのな、と笑った。

 突然どこからか携帯の着信音が鳴る。私はスマートホンもあの家に置いてきたので岡崎さんの持っているものが鳴っているのだとすぐにわかった。彼は自分のスマホを取り出し相手を確認すると、バキッと握りつぶした。……握りつぶした?


「って、ちょ!? な、何やってんですかあなた! ていうか握りつぶした!? ふぁ!?」

「ん? あーいいのいいの」

「いいのじゃないでしょう!? 電話、白鷹の方だったんじゃ! シラユキさんとかだったりしたんじゃ……!」

「もう関係ねーしィー。こんなもんポイだポイ」

「って、あ、あぁああ……ちょ……!」


 ……や、やりよった。岡崎さんは何の躊躇もなく、少し遠い距離にあるゴミ箱に、破壊したスマートホンをゴールインさせた。今はゴミの分別だとか存在しないからいいものの、過去だったら不法投棄だ。っていうか捨てたよ……このひと携帯捨てちゃったよ……。

 岡崎さんを見上げると、投げ捨てた本人は実に清々しい顔をしているものだから、こちらの毒気が抜かれてしまう。


「うしっ、気ィ取り直して京都行くぞー。俺湯葉食べてみてぇんだよなー。次の汽車のにチケット替えてくれって駅員に言えばいーの?」

「えっ? あ、そ、そうですね……?」

「わーった。ついでに駅弁も買ってくらァ。……あーあーこんなに冷えちまって。お前は待合室に居ろ。そんな暖房利いてなくても外よかマシだろ」


 ぐいぐいと私の背中を押し、プラットフォームにある待合室に私を閉じ込……押し込めた岡崎さんは扉を閉める前に、あ、そうだと何か思い出した顔をした。シャ●ニングみたいに顔だけを待合室に覗かせてくる岡崎さんに少し引いてしまう。そして、彼の発言にも。


「お前さぁ、しまっちゃうおじさんって知ってる?」

「……し、知ってます、けど」

「そりゃあ良かった。……もう俺から逃げようとか考えたりすんじゃねーぞ。ああそうだな。もし、またやらかしてみろ」


 しまっちゃうからな、と最恐にあくどい顔をした岡崎さんに肝が冷え、顔がひきつる。ホラーだった。

 ……何が怒ってないだ。めちゃめちゃ怒ってるじゃないですか……。



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