運命のひと。ー暗転ー

破落戸

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愛かもしれない

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「ほ、ほらー! 志紀! 団子屋で新作のよもぎ饅頭買ってきてやったぞー。茶淹れて食おうぜ。みたらしもあるぞー。お前好きだろー?」

「……」

「あー、そっそうだー! 今日の晩飯はどっか美味いモンでも食いに行くか? 久々に外食ぐらいの贅沢しねーとな。なんか食いたいもんはねーの? 叙●苑行かね? 奢ってやらんでもねーぞ? 」

「……」

「……そういや映画借りてきたけど見る? お前こういう甘ったるい歯の浮きそうな台詞連発のメロメロドラマ好きだろ? 一緒に見てやるから! な!?」

「……あ、あの、岡崎さん」

「……な、なに?」

「そんなに気遣ってもらわなくても、私、大丈夫ですから」

「……」

「岡崎さんが考えてる程落ち込んではないですし、ちゃんと受け止めてますから」


 最近、以前と比べても明らかに頻繁にお家に訪れる様になり、様々なレパートリーの手土産も持ってくるようになった岡崎さんに、大丈夫ですからと再度伝える。でもそれは自分に言い聞かせたものだったのかもしれない。

 汗だくになってペラペラとひとりで必死におしゃべりしていた岡崎さんは、少し俯きがちになった私の頭を慰める様に撫でてキッチンへ向かい、お茶を淹れる為、湯沸かしポットに水を入れ始めた。私をなんとか慰め、元気付けてくれようとしている彼に感謝しつつ、香澄ちゃんから貰った林檎型のキャンディケースを手に取り、見つめる。

 ミックスバーでのことがあってから、そして香澄ちゃんがこの街を去ってしまってから、数日が経った。








 鈴蘭さんのお店で泣き疲れて寝落ちした私が目覚めたら、朝になっていた。ピンクの照明は切られ、どこにでもあるホテルと何ら変わりない景色となったお部屋を見渡す。 

 部屋に備えてあるテーブルの上に、ビール瓶を抱きながらお腹を出して寝ている鈴蘭さんと、テーブルのそばにある椅子に座ってよだれを垂らしながら寝ている、右頬を真っ赤にした岡崎さんのおふたりが居た。あ、あれ? なにこの不思議な状況? 

 何があったんだっけ、と暫し呆然としていたが、徐々に蘇る記憶に慌ててベッドから起き上がる。少し揺らいだ視界にウッとなりながらも、隣で一緒に寝ていた人物が居ないことに焦る。

 ベッドから抜け出し、運動靴を履いて部屋を出ていこうとしたが、その前に、テーブルをベッド代わりにしている鈴蘭さんに掛け布団を、岡崎さんに毛布を掛ける。よしとドアノブに手をかけたのと同じタイミングで、すっかり夢の世界を旅行中だと思われた人物の低い声が聞こえてきた。


「この店出て、目の前にある路地を真っ直ぐ進んだ、突き当たりすぐ右にあるデザイナーズマンション」

「……」

「304号室な。迷子になるなよ」


 そして再び聞こえてきた寝息にぎゅっと目をつむる。心の中でお礼を言って、今度こそドアを開き部屋を出る。エレベーターを待つのも惜しく階段を選択し、転びそうになりながらも駆け下りる。

 お店を出ると空は快晴で、朝の肌寒さが身に沁みる。この通りは夜は眠らず賑やかだが、朝はあの喧騒はどこへやら静寂として寝静まっている。

 今何時だろうとごそごそと着物の裾を探る。どうやら慌てて出てきてしまったため、スマホを部屋に置いてきてしまったらしい。しかし戻るのも億劫だ。岡崎さんに教えてもらったルートをもう一度頭の中で繰り返し反復してから、目の前にある細い路地を進んでいく。

 予想よりも距離のある路地を突き進み、やっと現れた突き当たりを右に曲がると、スタイリッシュでお洒落な外観のマンションを見つけた。まるでホテルみたいなエントランスに入り、304とダイヤルを押してオートホンを鳴らす。何度か呼び出し音が鳴って、そして応答してくれたのは聞き慣れた女の子の声だった。


『はい。……って、なんであんたここに居んの』

「かっ香澄ちゃん! 岡崎さんにここを教えてもらって、その」

『だろうと思ったけどね。……あんにゃろう。黙ってろっつったのに』

「……」

『まぁいいわ、上がんなさい』


 ロックが解除され、閉ざされていた自動扉が開いた。こちらの様子が見えているだろうカメラを一瞥してから中へ迷わず入る。

 エレベーターで三階へ上がり、304号室の前まできた。インターホンを鳴らす前にこちらの行動を透視でもしていたのか、玄関がガチャリと開く。

 出迎えてくれたのは勿論エスパー香澄で、どうぞと中へ招いてくれた。……香澄ちゃんのプライベート空間かぁ。何故だか感慨深い気持ちになりながらお邪魔しますと入室した。

 中はデザイナーズマンションらしく、とてもデザイン重視で無駄なものがない。ス、スタイリッシュ……。生活感溢れる私の部屋とは打って変わって、ドラマなどの撮影で使われていそうなお部屋だった。でも実際生活するとどうだろう。私だったらちょっと落ち着かないかもなぁ。

 リビングを見渡すと、フローリングに大きなスーツケースが開かれ、荷物が乱雑に詰め込まれていた。……旅行の準備? な、訳がない。香澄ちゃんは手にしていたもので必要なものはスーツケースに、そしていらないものは傍らに置いてあるゴミ袋へ次々とスピーディーに処理している。その作業はまるで……。

 あちこち動き回っている香澄ちゃんに声をかけると、彼女は私を振り返りクローゼットを指差した。


「そこのクローゼットに服入ってるから、適当に好きなのとって風呂入ってきな。新品の下着も棚に入ってるから。ブラは諦めて今つけてるのにしといて。あんたの胸じゃ、あたしのサイズは合わないでしょ」

「えっ、お、おふろ?」

「その寝癖だらけのボサボサ頭どうにかしなって言ってんの。顔も洗ってないんでしょうが。歯ブラシも洗面台に使ってないのあるから。タオルもバスルームよ。ったく、よくそれで外出歩けるわね」

「あ、じゃ、じゃあその、お借りします」


 クローゼットを開けると、香澄ちゃんらしいお洒落なお洋服がたくさん入っていた。高そうなものばかりだ。好きなものをと言われても躊躇ってしまう。Tシャツとかないのかなと探すも見当たらない。仕方ないのでオープンショルダーになっている白のニットと黒いスカートをお借りし、バスルームに向かう。

 浴室は透明なガラス張りになっていて……えっ。あれ、ちょ、ちょちょちょちょっと待って。慌ててリビングに居る香澄ちゃんの元へ戻り叫ぶ。


「かっかかかかす、香澄ちゃん!? このお風呂スケスケだよ!? スケルトンだよ!? 丸見えだよ!? 全部見えちゃうよ!?」

「煩いわね。安心しな。あんたの身体見たってなんも思わないわよ」

「そうじゃなくて……はっ恥ずかしい……落ち着けないよ!」

「開放感合っていいじゃない。大体、そういう系統の風呂は何度も仕事で見てんでしょうが。何を照れてんの」

「掃除するのと実際使うのとは訳が違う……」

「はいはい。バスルームには絶対入んないからさっさと綺麗にしてこい馬鹿」


 背中を押され、無理やりバスルームに押し込められた私は何とも気恥ずかしい、落ち着かないお風呂タイムを過ごした。ドライヤーで髪を乾かしてからお借りした服に着替える。

 洋服着たの、久しぶりだなぁ、その場でくるりと回ってみる。元の時代でも着たことのない系統の服だということもあるかもしれないが、鏡の中にいる洋服姿の自分を見て違和感に襲われる。着物姿の自分を見るのが当たり前になってしまっていたからだろうか。洋服着た私って、こんな感じだったっけ。

 リビングに戻ると、やはり荷造りをしている香澄ちゃんに近づく。出てきた私に気付いた香澄ちゃんがパタンとスーツケースを閉めて、こちらに振り向く。無言で向き合う私達の間には静けさがあった。香澄ちゃんと初めて対等になれた様な、同じ場所に立てた、そんな気がした。


「……行っちゃうの?」

「ええ。鈴蘭にも、暫くあのバーで働けばって誘われたけど断った」


 香澄ちゃんは立ち上がり、私の目の前まで来て、そんな顔しないでよと苦笑した。


「これはあたしのけじめなの。自分の正体がバレたら、もう二度とその地には留まらないし……二度と戻らない。親にも周りのひとにも迷惑をかけることになるこの生き方を選んだときに自分に誓ったことよ。これだけは誰にも譲れないわ」

「……」

「引き留めないのね」

「香澄ちゃんが決めたことだから」

「本音は?」

「……いかないで」


 出てきてしまいそうになる涙を、ぎゅっと目を固く閉じて堪える。香澄ちゃんが小さく笑ってるのが聞こえる。ひどいや、笑わないでよ。こっちは泣かないように必死だっていうのに。

 志紀、と名前を呼ばれ顔を上げる。開けた目からぼとりと大きな涙が零れてしまった。香澄ちゃんは、後ろにあったソファの背もたれに身体をつけ、ほんのちょっと意地悪な笑みを浮かべてこちらに向けて両手を広げていた。


「おいで」


 表情とは裏腹に優しすぎる声色に耐えきれなくなって、半ば突進して香澄ちゃんの腕の中に飛び込む。よしよし、と子供を慰めるみたいにぽんぽんと一定のリズムで背中を撫でてくれる香澄ちゃんに涙をせき止めることなど不可能だ。


「志紀。あたしはあんたに、あたしがこれからどこへ行くのか、何をするのか、何一つとして教えてやるつもりはないわ。電話番号もアドレスも変える」

「……」

「だから、あんたと会うのも本当にこれが最後」

「ぅ……っ……」

「……志紀。 あんた、大人がどうとか子供がどうとか、訳わかんないこと悩んでたわね」

「……うん」

「別にいいじゃない、こどもだって。あんたこどもなんだから。相手が自分より年食ってるからってなに? 前も言ったけど、大人なんて中身は子どもとそう変わりゃしないわよ。ただでっかくなっただけ。岡崎なんか見ててそう思わない? 典型的でしょアレは」

「……」

「年の差なんてね、あんたが思ってるより世間では些細な問題なのよ。同性愛と比べりゃね。それにあんた、あたしが男が好き女が好きって聞いておかしいと思わなかったんでしょ。あたしだって同じよ。ほんっっと気に入らないけど、あんたが岡崎を好きって聞いても、あんたのことおかしいとは思わない」


 香澄ちゃんは少し体を離して、私の涙塗れの両頬に両手を添えてゆっくりと顔を上げさせる。きったない顔と笑い、おでこをくっつけて間近で目を合わせられる。


「今まで口に出して言ったことないけど……あたしは、志紀が誰を選ぼうと幸せになってくれるなら、それだけでいいのよ。例え相手が岡崎であろうともね。大事な友達が馬鹿みたいに笑ってくれるんなら、それでいいの」


 ……菩薩かな、今私の前に居るのは菩薩かもしれない。香澄ちゃんはおでこを離し、ぽろぽろと流れる涙を拭ってくれた。


「そろそろ出るからあんたも荷物……って置いてきたのね」


 呆れた顔をして大きなスーツケースを手にし、鍵をくるくると回して玄関へ向かう香澄ちゃんの後ろ姿にがばっと抱きつく。ぴたりと静止した香澄ちゃんに思ったことを伝えた。
 

「香澄ちゃん」

「……なに?」

「香澄ちゃんって、私のこと大好きだよね」


 ぽかんとした顔で私より身長の高い香澄ちゃんが振り向き、私を見下ろす。そして涙と鼻水混じりの私を見て、くしゃりと破顔した。


「あんたってほんと馬鹿ね。当たり前でしょ」








 人との出会いには、遅かれ早かれ最後には必ず別れが訪れる。家族にも、友人にもかかわらず、それは必ずやってきてしまう。だけど、ただお別れするのではない。一期一会とはよく言ったものだ。香澄ちゃんと出会って、お互いに失ったものもあるかもしれない。けれどお互いに得たものはたくさんある。 だからこそ、彼女の、彼の進む道を引き留めることはしない。 ……行かないでという心の内に潜む寂しさからの本音は漏れ出てしまったけれど。詰めが甘いと岡崎さんに言われた言葉を思い出して笑ってしまう。どれだけ強がったことを言ってても、やはり寂しいという気持ちと言葉は誤魔化しきれるものではない。


「……無理はすんなよ」


 岡崎さんが煎れてくれた湯気の出ているお茶をふうふうと冷ましていると、情けなく眉を下げた岡崎さんが、ほらよと私の好きなみたらし団子を差し出してくる。みたらしが垂れないようにそっと受け取る。


「ほんとに大丈夫です」

「……」

「そりゃ寂しいですけど……落ち込んだりだとかはしてませんよ。それにほら、香澄ちゃんと私はフォ●スで繋がってますから。いつどこでもそばに居てくれますから」

「……そういや、スター●ォーズも新作公開してたな。まだ観に行ってねーや。今日観に行かね?」


 んぐ、と口に含んでいたみたらし団子を一気に飲み込んでしまった。私の返事を待ちながらあーと大きな口を開けてよもぎ団子を頬張っている目の前の岡崎さんを見る。

 私、告白紛いのことと絶縁したい発言してた……よね。香澄ちゃんのことがあって、そこら辺が有耶無耶になってしまった気がする。実際、岡崎さんもあの日のことを突っ込んでこないし、以前みたいにお家に遊びに来ている。

 無かったことにしたいのだろうか。私から言うべきなのだろうかと迷いつつ、私はため息をついてお返事した。


「きょ、今日は日曜だし混んでるだろうから、また平日とかに行きましょ。そういえば、鈴蘭さんから聞いたんですけど、岡崎さんも香澄ちゃんと何かお話されてたんですよね」


 ほっぺも赤くなってたし、殴られたのかな……。香澄ちゃん、今度顔見たら殴るとか言ってたし。有言実行だからなぁあの子……。


「何話してたんですか?」


 尋ねると、岡崎さんはぽりぽりと頬をかいて「秘密」と答えた。


「言えねぇな。男と男の約束なんだよ」

「……」

「別にたいしたことじゃねーよ。危なっかしい志紀おまえのこと頼むってバトン託された位だ。ったく、香澄のやつ、まじで女にしとくにはもったいねーよ。いやまぁ男なんだけど。そんじょそこらの野郎よりイケメンじゃねーか。山崎●人も吃驚だぞ」

「そうでしょうそうでしょう」

「なんでお前が誇らしげにしてんの? ……俺からもひとつ聞いていい?」

「え? あ、はい。……な、何でしょうか」


 岡崎さんはお団子をお皿におき、背筋を伸ばし改まった様子で私をその赤い目でまっすぐと見つめてくる。固い表情の、どこか余裕なさげな緊張した面立ちに私までぴんと背筋がのびる。もぐもぐと口を動かしながらも岡崎さんの視線から目を逸らさずに返す。

 と、とうとう聞いてくるのか岡崎さん……。若干心の準備は出来ていないけれども、やっぱりそうだよね。ちゃんとあの日のこと収拾つけとかなきゃですよね、すみませんごめんなさい。

 ドクドクと跳ねる心臓。どこから突っ込まれるんだろうとごきゅりと生唾を飲み込む。岡崎さんはゆっくりと口を開き、そして私に尋ねた。
 
 
「ずっと怖くて聞けなかったんだけどよ」

「……はい」

「おまえ……花売りしてたの?」

「は……へ? は、はな?」


 はな、鼻……花……? 花売り? ……私、お花屋さん営んでないよね? 私、旅館で働いてるんですって言ったよね? なんでお花? ……? 

 疑問符をあちこちに浮かべている私に、岡崎さんは何が言いたいのか「だから、あれだよ、その……」と彼にしては珍しくもごもごとしている。その様子を見て、しばらく考え、先に合点がいったのは私の方だった。そ、そうか、そういう意味か! と理解する。すぐに首と手を全力で降り、否定する。


「い、いや。私はそんな。大体、お相手出来る器量も度胸もないし、」

「え」

「私は雑用係です。縁の下の力持ち? っていうには仰々しすぎますけど……。ただのお手伝いです。下っ端です。その、だから……お花は売ってません」


 あいむのっとはなうりという私の返答を聞き入れた岡崎さんは、それまで堅く引き締まっていた表情をふにゃりと緩ませた。な、なんだよと上擦った声で私から顔を背ける。


「俺ぁてっきり……どこぞの小汚ねぇおっさんのブツ突っ込まれたり、しゃぶりまくってんのかと……」

「ふぁっ!? ななななんてことを想像してるんですか! やめてくださいよ! セクハラですよ!」

「仕方ねーだろ!? 男だもん! 俺男だもん! ああいうドエロイこと出来る旅館で働いてるっつったら想像もするわ! 露天風呂プレイとか女体盛りとか思い浮かぶわ!」

「ひいっ!」


 血走った目でこちらに顔を近づけ、必死に訴えてくる岡崎さんの異様な迫力に負けてたじろいでしまう。そして岡崎さんは難しい顔になって、うーんうーんと唸りつつも、自分の中で完結させたのか、ふーーと大きく息をついていた。


「それにしたって、なんでまたそんなとこで働いてんだよ。……ま、まぁ、とにかく、おっさんに足開かれたりとか、あちこち舐め回されたりとか、洗ってもねぇ汚ねぇイチモツお掃除したりだとかはしてねぇんだな」

「岡崎さん、口にオブラート突っ込みますよ。……してないですよ。そもそもこんな女性としての魅力に乏しいちんちくりんに、あのお勤めが務まるわけないじゃないですか。任せようとも思わないですよ。不手際でやらかすだろうことは目に見えてるし」

「……お前、それはそれで自分で言ってて辛くね?」

「ほんとのことですもん……」

「ま、まぁ、確かにそうだよなー! お前にゃ無理だな! 舐めるどころかソーセージと勘違いして噛み千切りそうだし? 築地のマグロみたいに硬直したまま動いてくれなそうだし。ちなみに俺は騎乗位が一番好きだな。眺めいいし」

「あなたの好みの体位は聞いてない! も、もうやめてください! 発言しないで! 聞いてられない! お口チャック!」


 ちょっと猥談しただけでこれだもんな、とニヤニヤする岡崎さんは意地悪で、揶揄しながら赤くなった私の頬をつついてくる。やめてくださいとその手を払いのけようとするが、岡崎さんは何か思い出したように私の手を取り真剣な顔で動きを止めた。上機嫌だった雰囲気は消え失せ、またも堅苦しい顔に後戻りしてしまう。流石にそのテンションの落差に戸惑わざるをえない。


「ちょっと、待てよ。それじゃあ、あれは……」

「あの……?」

「志紀。お前、ほんとうに身売りはしてねぇんだよな」

「し、してませんってば」

「……ふーん」


 そうか、とパッと手を離される。岡崎さんはぷいと後ろを向いてリモコンを手に取り、テレビの電源をつけて夕方のニュースを見始めてしまった。……よくわからないひとだな。というかコロコロと顔色の変わる忙しいひとだ。●ッキーみたい。








 厚着をしなければ風邪を引いてしまいそうな時季がやってきた。10月ももうすぐ終わろうとしている。

 夕暮れのお仕事の帰り道、寒いなと思って丁度目の前にあった自販機であったかコーンスープを購入する。ほかほかした缶で冷え切った手を温めながら再び歩く。

 季節の変わり目、特に少し肌寒くなる時期は体調を崩しがちだ。今年こそは何事もなくありたいものだ。お家に帰ったら暖かい上掛けを引っ張り出そう。何事もはやめの対策が重要だ。

 缶が生温くなってきたころにお家の近くまで到着すると、家の前でうろうろしている子がいた。何してるんだろう。


「亮くん?」

「う、うわーーっ! し、志紀ねーちゃん!」

「どうしたの。うちの前で。回覧板?」

「あー、ううん、違う。その……」

「?」

「とっ、とりっくおあとりーと!」

「え……あっ」


 真っ赤な顔でこちら見上げ、すずいっと手を差しだしてくる亮くんが言い放った舌足らずな英語にピンときた。

 そうかそうか、今日はハロウィンだった。旅館でも、今日はやたらにお客様から大人の玩具のオーダーが多かったのはその為か。女の子達もナースやらバニーガールやら制服やらとコスプレしてる子が多かったな。お客様は嬉々として女の子達に悪戯をしたのかされたのかよくわからないが、本来のハロウィンはこういうものだ。亮くんみたいな純朴な子がお家にやってきて、お菓子くれないと悪戯しちゃうぞ! をしてくる日なのだ。大人の乱れまくった欲望を満たすための日では断じてない。

 なでりなでりと亮くんの頭を撫でると「なにすんだよ!」と払いのけられる。その初々しい反応に癒されたのは言うまでもない。


「ごめんね、いま私コーンスープしか持ってなくって。お家にお菓子あるから持ってくるね」

「あああ! まって! まて!」

「う、うん? え? もしかしてコーンスープこれが欲しいの? もう冷めちゃってるけど……」

「違うわ! お菓子じゃねーじゃん! ……し、知ってるだろ。お、お菓子持ってないんだったら、い、いた、イタズラ……!」

「よーぉ坊主。お前が女に悪戯なんざ、あと10年はえーぞー」

「ぬぁっ!? またあんたかよおっさんんん!」

「おっさんじゃねぇ、お兄さんだ」


 真っ赤な顔で私の着物をつかんでいた亮くんを後ろから目隠ししたのは、こちらも仄かに頬を赤らめた岡崎さんだった。……ん? なんで頬が赤いんだ。妙だな、と思いながら、岡崎さんの手を振り払う亮くんとの様子を見守る。


「邪魔すんなよ! オレは志紀ねーちゃ……志紀に用があんの! しゃしゃり出てくんな!」

「おーおー可愛いこって。ガキがいっちょまえにどんなイタズラしようってんだぁ? スカートめくりか? ラッキースケベか? 着物捲んのは意外と難易度たけーぞ。まずは寝っ転ばせて裾ずらして足に手ェ滑らせてだなぁ」

「なっ、えっ、ええっ!?」

「こ、こらー! 岡崎さん! 亮くんになんてこと吹き込むつもりですか! ばか!」

「子どもは大人しくお菓子もらっときなさい。大人の階段上るのは坊主にはまだはえーよ。お前はまだシンデレラでいなさい」
 
「意味わかんねーよ! オレは男だっつーの! こんの……っちょっと身長でかいからってチョーシ乗りやがってぇえ! く……っ」

「あの、亮くん。岡崎さんはいつもこんな感じだから真剣に取り合っちゃ……」

「志紀! 屈んで!」

「あっはい」


 怒りマークを顔のあちこちにつけた亮くんに従って彼の前に屈む。顔を林檎みたいに真っ赤にして目をかっ開き、唇をぎゅーーっと噛んだ亮くんの顔を見上げる。

 なんだなんだどうしたと声をかけようとしたら、右肩に手をおかれ、左手で前髪を上げられたと思えばふにゅっと柔らかいものが一瞬おでこに当たった。「あっ!」という岡崎さんの声が聞こえてくる。


「いっイタズラだからな!」


 亮くんはすぐに顔を離して力強く宣言し、岡崎さんをフンッと勝ち誇った顔で見て満足げに走り去っていった。ちゅーされたおでこに触れながらのろのろと立ち上がる。岡崎さんと無言で顔を見合わせ、特にコメントすることなく、とりあえず私達はお家の中に入ることにした。








「ちっちゃい子っていいですよね」


 あぐらをかき眉を寄せて、真剣な表情で官能小説を読んでいる岡崎さんに温かい珈琲の入ったマグを手渡しながら話し掛ける。私からマグを受け取った岡崎さんはしおりも挟まず小説を閉じ、珈琲に口を付けた。


「……お前、子どもほしいの?」

「へ? いや、そういうんじゃなくて。可愛いなって話ですよ。ほら、さっきの亮くんとか。イタズラがおでこにちゅうですよ。キュンキュンしませんか?」

「しねーな」

「……? そうですか」


 あれ? なんか……キレが悪いな。もっとこうなんか色々しゃべり倒してくると思いきや、シンプルな答えひとつが返ってきただけで会話が終わってしまった。何か質問すると余計な情報もつけて答えてくるのに。……口に出したことはないが、意気揚々とお話しする岡崎さんって見ているだけでも面白くて退屈しないし、元気付けられることも多いので心配になる。どうしたんだ岡崎さん。


「なんか、今日元気足りないですね」

「そんなことねーよ。いつも通りピンピンしてるよ。元気有り余ってるよ。持て余してるよ」

「ならいいんですけど……」

「……お前さ、将来何かしたいこととか、夢とかあんの?」

「え? と、唐突ですね。ええっと……」


 そういえば、私将来どうしたいんだろう。元の時代に戻るという目先の目標に一直線だから、その先のことを考える余裕も余力もなかった。そもそも、この時代にくる前には夢とかあったかな……。当たり前に高校、大学と進学するものだと思っていたし、将来これがしたいあれがしたいと考えるよりも、あちこち旅行したいとか、それぐらいしか考えてなかったかもしれない。……帰ったら一年遅れだけどとにかく受験勉強して、それから高校に行って、という話を岡崎さんが聞きたいわけではないことはわかっている。


「夢というか、憧れというか……旦那さんと子どもと3人でディズ●ーランド行きたいなとか思います。絶対楽しいじゃないですか。ド●ルドのお洋服とか着せてあげたいです。ちっちゃい子のお尻のフリフリ感がこう、可愛いじゃないですか」

「結婚したいってことか」

「結婚というか……そういう楽しい時間を一緒に過ごしていける家族が欲しいなって感じです。別に結婚自体に憧れは……。ウェディングドレスとか結婚式とか、全く興味が無い訳じゃないですけど、別にしなくてもいいかなって」

「……」

「お祖父ちゃんにそれを話したら、そもそもその性格じゃあ誰も娶ってくれないかもなんて笑いながらいじわるなこと言うんですよ。いざとなったら養子を取りなさいなんて言って。まぁそれもアリかなと思いましたけど」

「へぇ」

「岡崎さんは? 夢とかあります?」

「んー……ある程度暮らしていける金と、あーあと、酒と女がありゃあいいかな。ハ●・ソロみてぇな人生に憧れるわ」

「またそういう……。家庭を持ちたいとか思いませんか? 岡崎さんもそういうこと考えるお年頃じゃないですか。なんやかんやでアラサーの枠に入っちゃってるでしょ? 心なしか声に渋みも出て来ましたし」

「え、お、親父くさくなってきたってこと? ショックなんだけど。……家族ねぇ、俺にはよくわかんねーや。自分がそういうのを築いてるイメージもつかねぇし」

「……」

「そもそも、家族ってどういうもんなのか知らねぇしなぁ……」


 家族ってなんなんだろうと想像しているのだろうか。ほんとうに不思議そうにしている岡崎さんを見て、彼の過去を考えて聞くべきではなかったと今更後悔する。

 何か別の話題にしようとキョロキョロあたりを見渡す。香澄ちゃんが「あんたにあげる。荷物になるし」と置いていってくれたゲームが目に入ったので格闘ゲームでもして遊びませんかとお誘いしようと岡崎さんを振り向く。

 すると、思っていたよりも岡崎さんの顔が近くにあって尻餅をつく。ち、ちかっ……。座り込んでしまった私に岡崎さんは更に接近してきてぐいぐい体を密着させてくる。ちょ、な、何してるのこのひと。顔赤いし、もしかして酔って……。


「ちょ、やめ、岡崎さん、まって近い! ほんとに、冗談じゃなくて!」

「いや……お前ってさぁ……よく見りゃかわいい顔してるなと思って」

「な……」

「まぁそりゃあ際立ってって訳じゃねえけど。ほんとによく見りゃだけど。あどけない感じというか。いや、ていうかなんかちょっと可愛くなった? 化粧の仕方変えた?」

「……」


 おかしい。絶対おかしい。


「あの、変なものでも食べました? 拾い食いとかしました?」

「食べてない。してない」

「いや嘘でしょ。おかしいですよ、岡崎さん絶対、お世辞でもそんな歯の浮く様なこと言わないじゃないですか。本当に大丈夫ですか。ちょっと頭の病院行きましょうよ。ついてってあげますから……ん?」


 岡崎さんの少し荒い息におや? となる。赤くなった……というよりも火照ったと表現した方が正しいだろう。ぴとりと岡崎さんの額に手を当てると、驚くべき熱さがそこにあった。


「って、あ、あづうう!? ちょ、すごい熱あるじゃないですかあなた! どうりでおかしいと思ったら熱で頭やられてるじゃないですか!」

「やられてねーよ。バカは風邪ひかねーんだよ」

「それ自分で言ってて虚しくないですか。いやひいてますから。完全に風邪引いてるって自覚もしてるじゃないですか」


 ほら、お布団敷いてあげますからどいて! と殆どのしかかってきていた岡崎さんを退けようとしたら彼も限界を迎えていたのか、「さみぃ」と言って荒い息をしながらフローリングに倒れ込んでしまった。ええええちょ、ちょっと……! 

 あわあわとしながらもとりあえずお布団を敷き、筋肉まみれの重たい岡崎さんの身体をヒィヒィ言いながらなんとかお布団に押し込む。

 自分が風邪を引いたとき、お祖母ちゃんはどうしてくれていたのか必死に記憶を引っ張り出す。寒さに震えている体を温めねばと上に毛布を重ねる。部屋の温度もとにかく暖かく設定し、湯たんぽも用意した。あと氷枕と……そ、そうだ、熱計らなきゃと体温計を取り出し、岡崎さんの脇に突っ込む。その間に氷枕と冷えピタを用意していると、ピピピと体温計が鳴ったので取り出す。その熱に顔がひきつる。


「さ、さんじゅうくどにぶ……」


 ええええ……こ、高熱やないかい! よくこのひとここまで動いてられたな……! 寒そうに震え布団を手繰り寄せている岡崎さんの表情はとても苦しそうで痛々しい。お医者さん呼んだ方がいいかな。その前にシラユキさんにも連絡しとこう。

 岡崎さんの頭の下に氷枕を置き、おでこに冷えピタも貼る。立ち上がろうとしたら、ぐいと布団から出てきた手に手首を掴まれる。少しばかり潤んだ赤い瞳が無言で行くなと訴えているのがわかってしまった。

 すとん、と上げていた腰を再び下ろし、布団をかけ直す。手首を握ってくる手を解いて、少しでも暖かいようにと両手で大きな手を包み込む。


「お水とかいりませんか? のど乾いてません?」

「っいまはいいわ。あー……さっぶ……」

「まだ熱上がるかもしれません。お医者さん呼んだ方がいいと思います。お薬とか処方してもらわなきゃ」

「ケツに突っ込まれるからやだ」

「飲み薬がいいって言ったらそっちにしてくれますよ」

「飲み薬もにげーからやだ。お前が飲んでいいよ」

「飲みません」

「……とりあえず医者はいらね」

「じゃあシラユキさんに連絡だけでも」

「お前が居てくれるからいいわ」

「……」

「あーー、風邪ってこんな鬱陶しいし、だりぃんだな……こ、こんなのはじめて……! うっ……しんど……き、ぎもちわる……お、オエッ」

「えっ、ちょ、は、吐きそうなんですか? 待って待ってこらえて! せ、洗面器取ってきますから!」








 長い時間をかけて、岡崎さんはやっと眠りについた。温くなった冷えピタを外し、新しいものに貼り替える。ふぅと息をつき、部屋の時計をみると23時。ほんとにシラユキさんに連絡しなくていいのかな……。帰ってこなくて心配してるんじゃ。門限とかないのだろうか。岡崎さんは連絡しなくていいの一点張りだし……。シラユキさんの連絡先知らないから、勝手に岡崎さんの携帯を拝借する訳にもいかないし……。

 と、というかトイレ行きたい。岡崎さんが眠りにつく前に逃がさんと言わんばかりにがっちり左手をホールドされ、そのまま夢の中へ旅立ってしまわれたのだが、この手が離れない。抓ろうが叩こうが離れてくれない。あ、あの勘弁してください。ほんとに。トイレくらい行かせてくれないか。起こしていいかな。

 しかしながら、岡崎さんの苦しげな表情はほんの少し和らぎ、比較的穏やかになった寝顔を見ていると起こすのもなんだか可哀想になってしまう。も、もういいや……。ほんとの限界が来て、それでも寝てたらビンタでも何でもそのときに容赦なく起こそう。 

 少しは下がってるといいんだけどな。体温計を手にし、岡崎さんの脇に差し込もうとしてぎょっとする。

 岡崎さんが赤い目をぱっちりと開けてこちらを見ている。こ、こわっ。軽くホラー的な恐怖を感じつつもちゃっかり体温計はさしこんでおいた。


「お、起きてたんですか岡崎さん。よかった。ちょっとお手洗いに」

「お前、やっぱ男いんの?」

「……は、はい?」

「前、病院で会ったとき、首にびっちりキスマークつけてたじゃん。つか濃すぎだろ。どんだけ吸い付かれてんだよ。簪も送りつけるとか、どんだけ独占欲強い男だよ。で、どうなの」

「……」

「答えろよ」


 繋いでいた手が指を絡める繋ぎ方に変わる。恋人同士しかしないであろうそれに胸が高鳴るとごろか、心が軋んでいく。だって、叶いはしない想いをつつかれて心ときめくだなんてあり得はしない。


「……それを聞いて、どうするんですか?」

「どうって」

「岡崎さん。私ね、岡崎さんには築くことが出来ると思いますよ」

「……何をだよ」

「家族ですよ。あなたは、それがどんなものなのか知らないかもしれないけど……必要になるものは全てちゃんと、あなたは兼ね備えてますから」

「……」

「自信を持って」


 香澄ちゃんは、私に幸せになってほしいと言った。私も香澄ちゃんに幸せになってほしいと思えた。でも自分がそうなるために何かしようという気にはどうしてもなれなくって、幸せにはなりたいけれどその為の行動をとることがしっくりこない。

 きっと、私は自分を幸せにしたい訳でも、誰かに幸せにしてほしいんじゃない。大事な人に、大好きだと思えるひとに幸せになってほしい。そう考えているときが一番充足感に満たされる。エゴかもしれない。そういう考えをもつ自分が好きなだけなのかもしれない。
 
 でも、誰が相手でも、シラユキさんでもまりんちゃんでもいいから、岡崎さんにはこれまで生きてきた中で感じてきた孤独や辛さを味わった分も穏やかに幸せに、誰かと一緒に生きてほしい。その隣に居るのは私でなくたっていいし、私には出来ないことだから。

 香澄ちゃんもこんな気持ちだったのかな。もうそれを尋ねることは出来ないけれど、なんとなくフォ●スを伝って、せやでと返事をくれた気がせんでもない。こういう気持ちをなんていうんだろうなぁ……。

 岡崎さんは私を布団の中から見上げ、握り絡めていた手を自身の頬に当てる。そして目を閉じ、岡崎さんが呟いた。


「子供体温ってすげえんだなぁ。あったけぇ」


 岡崎さんは少しだけ目を開けて、私の名前を呼んだ。はいと返事をする。


「……風邪治ったら、なんか作ってやるよ。なに食いたい」

「やった。じゃあカーチャン食べてみたいです。実はずっと気になってたんですよね」

「かーちゃんちがう。カチャトーラ。いい加減覚えてくんない」


 はは、と私が笑うと岡崎さんは汗をにじませながら緩い笑みを浮かべた。


「……坊主の応援は出来そうにねーな」

「?」

「なんでもねーよ」

「……岡崎さん、ちょっと手離してもらっていいですか」

「えー、やだ」

「いい年こいてやだとか言わないでください。可愛くないです」


 お手洗い行きたいんですよ、と言うと岡崎さんはパッと手を離してくれた。シュババッとトイレに駆け込んだ。扉を閉めて息をつく。あ、危なかった、いろんな意味で……。手で顔を覆う。

 岡崎さんと過ごす時間はあと少ししかない。泣いても笑っても、必ず岡崎さんとはお別れがやってくる。私が元の時代に帰れるか帰れないにも関わらずだ。それまではせめてどうか、少しでも一緒に居たい。そう願うのは我が儘になってしまうのだろうか。



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