運命のひと。ー暗転ー

破落戸

文字の大きさ
上 下
22 / 124

自覚したら負け

しおりを挟む




『でもせんぱい。やっぱ、香澄せんぱいとの付き合い方考えたほうがいいんじゃないすか。いつも一緒にいるし、もしかしてせんぱいも狙われてるかもしれないですよ』


 付き合い方を考え直すといっても、どう考え直せというのだろう。肉まんを奢って食べ終わり、咲ちゃんのお家まで送ったその別れ際に言われたことを思い出す。

 私は、香澄ちゃんは香澄ちゃんとしか思えなくて。香澄ちゃんが同性愛者だろうがなんだろうが、あぁそうだったんだと、香澄ちゃんの新たな一面を知ったなぐらいにしか思えない。そりゃあ全く戸惑っていないという訳ではないが、でもそれが今後の関係にどう響くというのだろうと疑問に思うのが正直なところだ。いつも一緒に居るからといって、香澄ちゃんが私のことをそういう対象として見ているとは思えないし、香澄ちゃんの性格上誰でも彼でもといったことはないだろう。

 ただ、私が個人的になんだかなぁと思っているのは、もし仮に、本当に香澄ちゃんが同性が好きなひととして、それを私に打ち明けないのは……信用されてないってことなのだろうか。如何せん今まで本当にごく少数……片手で数えられるぐらいの友達しか居なかった為に、私の中でどこからどこまで自分の秘密を友達に話すことが出来るのかという線引きがいまいち曖昧だ。

 本人が言いづらいと思う秘密なら、無理して話してくれなくてもいい。それは私だって同じだ。香澄ちゃんに、私は過去の人間なんですと打ち明けてドン引きされて離れていってほしくない。きっと香澄ちゃんは馬鹿にしたりだとかしないし、私のこと見捨てたりもしない。それでもやっぱり怖いと思うから私は言い出せない。香澄ちゃんもそれと同じなのかもしれない。

 でも、相手から直接話されていない秘密を一方的に知ってしまったときはどうすればいいのだろう。黙っておくのがいいのか、それともお詫びして、何らかの形であなたのこのことを知ってしまったんだと白状し、ごめんなさいするべきなのか。現状、私は前者を選んだわけだが本当にそれでいいのだろうか。

 棚の上に飾ってある、香澄ちゃんからもらった林檎形のキャンディケースをぼーっと眺めながら頭の中でぐるぐる思考を巡らせる。ケースの中にたんと入っていた飴達はとっくの昔に空になった。洒落っ気の無いこの部屋で、この可愛らしいケースだけが唯一のインテリアとしての役割果たしてくれていた。


「な~~しき~~エアコンつけようぜ~あーーづーーいーーあづいあづいあづいあづいあづい」

「……」

「なぁまじで……溶ける……このままじゃ溶ける……! 人間としての形を保てなくなっちまう……! ベト●トンみたいになる……! いやだろ? 岡崎さんにベト●トンになってほしくないだろ~~?」

「……」

「あ、あの、お前平気なの? なんでそんな素面なの? なんで日本の夏をそんなケロリとした態度で乗り越えようとしてんの? 風情なくね。ちょっと季節感考えてくんない。ねぇ聞いてる!? 志紀ちゃん! 志紀すぁーーん!?」

「あーーもう! 何ですかさっきから! 人の背後でブツブツブツブツと念仏みたいに! 言ってるじゃないですか! 現在我が家では絶賛節約生活中なんです! 今年の夏は扇風機のみで乗り越えるって決めてるんです!」

「なんでそんな縛りプレイすんだよ! やめとけよ! おめぇただでさえ脆弱なんだから長くはもたねーに決まってんだろ! 無理すんなよ! もういいじゃない! エアコンだって俺達を涼ませる為に生まれてきたんだぞ……? お前エアコンの存在価値を奪うのか……? そんな血も涙もねーことが出来るのかお前!」

「私は扇風機の味方です。夏も冬も皆に愛されるエアコンの陰に隠れてしまいがちな扇風機ちゃんに夏ぐらいは日の目を見させてあげるんです」

「扇風機はもうババアだ。還暦迎えてんだよ。表舞台に立つ年じゃねぇんだよ。だからもう押し入れの隅で隠居生活させたれや!」

「何言ってるんですかまだまだですよ。世の中には熟女好きだっているんです。扇風機ちゃんにだってまだまだ活躍の場はある!」

「少なくともこの家にはねーーよ! 俺ァババアは趣味じゃねーんだよ!」

「ひっひどい! 謝ってください! 扇風機ちゃんに謝ってくださいいい!」

「っていうかさっきから顔真っ赤っかにして目ぐるぐるにしてるお前が一番暑さで頭やられてんじゃねーーか!」


 ぜぇぜぇと息を荒くしながら岡崎さんと押し問答を繰り返して約数分。お互い暑さにやられて限界がきていた。なによりも会話の内容に中身がなさ過ぎて虚無感に襲われてしまう。


「……なんか馬鹿馬鹿しくなってきましたね」

「……そうだな、余計暑くなるだけだわ……」

「仕方ないなぁ。ちょっとだけですからね」


 岡崎さんに開けていた窓を閉めてくださいとお願いし、私はエアコンのリモコンを手にして冷房にするべく電源を入れる。先程までのテンションのだだ下がり具合はどこへやら、岡崎さんは嬉々として即座に窓を閉めた。まぁ私ひとりならともかく、岡崎さんに熱中症にでもなられると罪悪感が芽生えるのは目に見えている。岡崎さんがお家に居るときぐらいは妥協するか。始終後ろで喚いてくるのもイヤだし……。涼しげな風が流れ、部屋が居心地の良い気温に変化していく。それにしても、だ。


「……」

「……」


 先程とはうって変わって流れる沈黙。お、おかしいな。ついさっきまでキャンキャン言い合っていたのに。このどことない気恥ずかしさは何なのだ。私達はただ静かに、フローリングに並んで座ったまま、どちらも各々で何かしようとはならなかった。今まで沈黙の続く瞬間は幾度もあったけれど決して居心地の悪さなどそこにはなく、むしろそれぞれやりたいように過ごすことが出来たので、ある意味快適とも言えた。なのに、今回は少し話が違う。岡崎さんも私も何もせず、ただ黙って隣り合っているだけだ。岡崎さんに至ってはそっぽを向いてシミひとつない壁をじっと見つめている。ぶ、不気味だ……。

 先に耐えきれなくなったのは私の方だった。そろりと立ち上がって読みかけの本を手に取り、ソファに腰掛ける。私が動き出したときに岡崎さんがびくりと反応したのは見なかったことにする。しおりを挟んでいたページを開き、文字に目を通すが何も頭に入ってこない。ただ文字の羅列を追っているだけだ。途中、いつかの岡崎さんみたいに本を逆さにして読んでいたことに気がついた。すぐに戻したが謎の動揺を押さえきれない。な、なんで私こんなに緊張してるんだ。


『志紀ちゃん、あなた恋してるんじゃない? そのひとに』


 本で顔を覆い隠す。そんな筈ない。なんで私が岡崎さんこのひとに? だってこのひと、スケベだし、女の人と遊ぶし、意地悪だし、デリカシーだって皆無だし、セクハラ発言だってするし、だらしないし、今まで好きになったひととタイプが違いすぎるし。それに相手は私よりも大人だ。

 それでも、鈴蘭さんに好きなんじゃないの? と言われた日から、じゃれ合いを除いて、まともに岡崎さんと目を合わせることが出来なくなってきている。岡崎さんを見ると心拍数が上がる。ドクドクと跳ねる心臓を抑えられない。たまに見せる優しさや気遣いだとか、大きくてあったかい手だとか、頭を撫でられたりすると頭が正常ではいられない。なんだかこれではまるで、本当に私が岡崎さんのことを、すーー


「志紀」

「へぁっ!? はい!? なん、なんです!? お茶ですか!? 珈琲ですか!?」

「な、なに。なんでそんな驚いてんの? あー……あの、なんかドラマか映画でも見ていい? 最近ハマってて? そ、そこそこに? なんか淹れてくれるんだったら珈琲がいいけど。ブラックで」

「わわわわかりました! 抹茶クリームフ●ペチーノですね! シナモン入りですよね! すぐ作りますね!」

「俺の話聞いてる!? 会話しない!? つかお前それ作れんの!? 地味にすげぇなお前! でも俺甘いの苦手なんでけど!?」


 なぜ、なぜよりによってこのひとにそんな想いを抱かなくてはならないんだ。有り得ない。ないないないない。絶対ない。抹茶クリームフ●ペチーノを作りながら頭をぶんぶんと振る。

 岡崎さんをちらりと盗み見ると、もうこの家で映像作品を観ることには慣れているだろうに、B●u-rayのディスクを何故かCDコンポに突っ込み、映画が始まらないと必死になっていた。あのひともあのひとで何やってんだ……。その後ろ姿をちらちらと見つめながら考える。

 だってこのひとはシラユキさんとよろしくやってるんだ。いつもお家に帰ったらシラユキさんと居て、夜は一緒に過ごすんだから。何もない訳がない。香澄ちゃんの言う通りだ。私みたいなちんちくりんの子供より、岡崎さんだって出るとこ出た綺麗な大人の女性の方がいいに決まってる。実際、そう言っていたし。

 あぁまただ。ふたりのことを考えると心が覇気を失って風船みたいに萎んでいく。いやだな。空気入れ直すの、すごく時間がかかるのに。

 この不安定なタイミングに岡崎さんに会うのはまずかったかもしれない。とは言っても、このひとは私が家に居るタイミングを見計らって家に遠慮なく上がってきてしまうからどうしようもない。
 

「岡崎さん、そこCDコンポ。入れるとこ違います」

「あん!? 俺ァ今まで入れるとこ間違う童貞みてぇなこたぁしなかったぞ! 最初っから女を満足させるプロフェッショナルだった!」

「誰がそんな下ネタ言いましたか! そうじゃなくてそこはCDコンポです! そこに入れても映画見れませんから。いつまでたっても始まりませんから」

「なっなんだよ、そっちの話かよ。ドキッとしたじゃねーか」

「いや勝手に誤解したのあなた。最初っからそっちしかないです」


 てっきり岡崎さんが好きなスピ●バーグ監督作品だとかスター●ォーズだとか、任侠ものとか時代劇、ハードボイルドものだとかそういうものを観るのかなと思ったが予想外も予想外。今現在テレビに流れているのは女性が好みそうなメロメロのメロメロなメロメロ映画だ。


『わかんないよ! あたしのことどう思ってんのかわかんない! 言ってくれなきゃわかんないよぉ!』


 なんというか……私はともかくとして、岡崎さんには世代が違いすぎる恋愛模様ではなかろうか。青春まっさかりの高校生男女が甘酸っぱい漫画の様な台詞を紡ぎながらてんやわんやしている。というかこれ漫画が原作なんだ。

 おそらく制作側は中高生の女の子をターゲットにこの映画を作っているのではないかと思うのだが、隣では推定20代後半の大人の男性がものすごく真剣に鑑賞していた。時折固唾をのんだり涙ぐんだりといちいち反応して画面の中のふたりを見守っている姿がこう、……なんともいえない。っていうかあなたこういう恋愛映画いかにも馬鹿にしそうな感じがするのに、その正反対の反応はなんなんだ。どういう心境の変化なんだ。集中しすぎてせっかく作った抹茶クリームフ●ペチーノに全然手をつけてくれない。そんな岡崎さんとは反対にターゲット中のターゲット世代の私はというと、隣のひとの反応をみている方が面白くてあまり映画の内容に集中出来ずにいた。


『うるせぇ口は塞いでやるよ……』

『ん……ッ』


 和解した若い男女ふたりは仲直りのキスをして終了という、お約束といえばお約束のパターンで大団円のエンドを迎えた。あ、あれ。これ結局どんな内容だったっけ……。ほんとに何にも頭に入ってこなかった……。パッケージに書かれたあらすじを読んでいると、隣から感動の鼻水をブシューーっとティッシュにぶちまけている岡崎さんが感想を述べ始めた。


「いやぁーー。なんか色々感情移入しちまって溜まらなくなったわ。名作だな。まごうとなき名作だな。馬鹿にする要素探しても探してもどこにも見つけられなかったわ。山崎●人かっこよすぎじゃね。男でも惚れるわあんなん」


 もしや女の子目線で楽しんでたのかこのひと……。たぶんそうだよね。じゃなきゃ涙流さないよね。ね。


「つかお前涙のひとつも流してねーじゃん。どんだけ鉄の心持ってんだよ。鉄の女かよ。アイアンメイデンかよ」

「誰が拷問器具ですか。なんかちょっとほら、現実離れしてるじゃないですか。だからまあその、ね」

「じゃあなんなら泣けるんだよ」

「POCHIとか、盲導犬クレールとかですね。ハンカチが涙と鼻水塗れになります」

「あっ俺も無理だわ。動物が尊い系は無理だわ……。終盤悲しくて見てらんねーやつだわ……」


 エンドロールとともに、しっとりとした女性ボーカルのバラードが流れる。再び訪れた沈黙に口をつぐむ。次はもっとテンションが熱く盛り上がるものを観たいなぁ。スター●ォーズでも見ませんかと声をかける前に、エンディングロールを眺めたままの岡崎さんが先に声を発した。


「にしても、最近の若者はなんとも複雑な恋愛模様を繰り広げてんだな。もっと爛れてると思ってたけどそうでもねぇのな」

「あれはまた特殊というか……」

「お前なんかどうせキスのひとつもしたことねーんだろーなー」


 握りすぎた為に、空のパッケージがぱきりと音を立てる。岡崎さんのつぶやきに返事を返せずに暫く沈黙が続く。どうせ子供だからみたいな、小馬鹿にする様な口振りにムッとなる。そのまま黙ったままでいると、なにやらひきつった顔をした岡崎さんが私の名前を呼んだ。


「……え、なに、この沈黙。し、志紀さん?」

「ありますよ」

「……ん? な、何が?」

「したことありますもん、キス」


 表現しづらい、とんでもない驚愕の表情をした岡崎さんの後ろに雷が幾度も落ちたのが見えた。 大量の汗をだらだらと流し、プルプルと震えている岡崎さんはアイ●ルの●ーちゃん状態になっていて、言ってしまえば滑稽だった。


「まっ、まっ、またそんな見栄張っちゃってぇ~~……」

「……」

「え、う、嘘。ま、まじ? は!? だだだだだれと!? おおおおおお父さんに洗いざらい吐きなさい小娘ェエエ!」

「んぐえっ! ちょ、ちょちょちょぎ、きもぢわる……!」

「まっまさか、前のキ、キスマー……だぁああどこのどいつだそいつううう!」

「あばばばばばば」


 肩をつかまれ前後に揺さぶられ、気分がさらに悪くなる。このひとといい亮くんといい、何故加減というものを知らないのか。岡崎さんに至ってはもんのすごい力の持ち主なのだから私がKOされることは分かり切っていると思っていたのだが、明らかに平常でない様子の岡崎さんの頭からはすっぱ抜けているらしい。なんてこった。こんなに動揺されるほど私は子供に思われているのか。

 気分が悪くなり真っ青な私に岡崎さんがやっと気づく。しまったという表情をして私から手を離した岡崎さんは慌てて私の背中をさすった。見上げるとあんまりにも情けない顔をしているものだから、こちらの毒気が抜かれてしまう。その姿を見ているとなにをムキになっていたんだろうと正気に戻った。


「ごめんなさい。すみません。今言ったことは忘れてください」

「……」

「冗談ですから。意地張って、見栄張っちゃっただけです」

「……」

「わ、私みたいなこどもを相手にするひと、居るわけ無いじゃないですか。真に受けちゃって、やだな、もう」

「あの簪は」

「え?」

「簪貰ってただろうが。男からだって」

「……お世話になってるひとからです」

「だから」

「岡崎さんが気にすることじゃないですよ。私が、どこの誰とどんな関係だろうと」


 きゅっと膝の上で手を握る。どうしても知られたくない、このひとには。嘘をつく自分がひどく浅ましくて顔を上げられない。でも私だってあなたがどこの誰と、例え相手がシラユキさんでなくとも口を挟んだりしない。なんだかんだ言っても、あなたが選ぶひとに間違いはないだろうから。私が口出すことでもないんだから。

 岡崎さんがどんな顔をしてるのかわからない。彼も何も言わなくなってしまった。今何を考えているんだろう。も、もう今日はお帰り頂いた方がいいかもしれない。これ以上一緒にいると、より雰囲気が悪くなるだけな気がする。また改めて岡崎さんがお家にやって来るまでには、私もこのぐちゃぐちゃな気持ちを落ち着かせておかなければ。

 そうだ、昨日仕事帰りにお団子屋さんに寄ったとき、新作のお饅頭出てたから岡崎さんの分も買っておいたんだった。それ持って帰ってもらおう。キッチンの戸棚にしまってあるお饅頭を取りに行こうと立ち上がりかけた私の動きが止まる。私の腕を大きな手で掴み、この場に留まらせたのは他でもない岡崎さんだった。何も言わず、私の顔を見ることもなく、いつもの何ともなさげな顔をして、岡崎さんは前だけ見つめていた。今、岡崎さんが何を考えているのか全くわからなかった。


「……お前さぁ、月末の週でどっか空いてたりする?」

「え、げ、月末? え、えと、土曜なら空いてますけど」

「ふーん、あ、そうなの」

「あ、あの……?」


 岡崎さんは何やら苛立たしそうに灰色の頭をがしがしとかいている。私の腕は離すことなくがっちりと掴んだままだ。そしてふーと大きく息をついて、その赤い目を私に向けた。


「土曜は身体空けとけよ」

「へ」

「月末の週、この近くの川辺で灯籠祭りすんだってよ。ひとりで行くのもなんだからな。暇ならお前付き合え」

「灯籠祭り?」


 そういえば、と去年の夏、西園寺さんの運転する車の中からちらりとだけ眺めたお祭りの風景を思い出す。あれとはまた違うお祭りで、夏の締めといったところなのだろうか。そのお祭りに岡崎さんと行くの? 私が? 


「な、なんで?」

「ハァ!? なんでぇ!?」

「だ、だって別に。私じゃなくても。それこそシラユキさんとか、白鷹さんの皆さんと行けばいいじゃないですか。わざわざ私なんか誘わなくても」

「あーーもう、ゴチャゴチャゴチャゴチャとめんどくせぇやつだな! 誰かこいつの取扱い説明書持ってきてくんない! こいつ攻略本なしでルート進めんのほんとめんどくせぇわ!」

「ど、どうせめんどくさい女ですよ」

「いいから空けとけよ! 19時位に迎えにくっから。ちゃんとお家で待機してなさいよ! ハイ返事!」

「わ、わかりました」

「じゃーな! 今日はもう俺帰るから! 忘れんじゃねーぞ!」

「え、あ、ちょ、岡崎さんお饅頭……」


 約束を半ば強制的に取り付けて騒がしく出て行ってしまった岡崎さんを引き留めることも出来ず、ひとりになった部屋でポカンとしていた。突然なんだっていうんだあのひと……。

 部屋のカレンダーを見る。夏祭りなんて、小さい頃お父さんと行ったきりだな……。赤いマーカーを引き出しから取り出して、岡崎さんに言われた日にちに丸をつける。楽しみなんて、何考えてるんだか。








 約束の日がやってくるのはあっという間だ。お仕事に追われ、忙しい日々を送っていたらすぐにその日は迫ってきた。お祭りといえば着物ではなく浴衣だろう。棚から引っ張り出してきた赤黒地に紫の撫子の花の模様の描かれた浴衣を着用した。浴衣はいいな、着物よりも着付けしやすい。

 髪も何かで纏めた方がいいかなぁとちらりと視線を向けてしまったのは、太刀川さんから頂いた簪が封印してある引き出しだった。簪のしまってある引き出しの前に立ち、引き出しを開けてケースを取り出す。パカリと蓋を開けると、そこには新品同様の、薔薇の飾りが特徴的な簪が納められている。そのまま封印しておけばよかったのに、何故あっさりと解いてしまったのだろう。

 簪に触れようとしたそのタイミングにインターホンが鳴った。ビクリとして慌ててケースの蓋を閉めて引き出しの中に再び封印する。パタパタと玄関に向かいドアを開けると「よ」と片手を挙げた岡崎さんがいつも通りの顔をして立っていた。半分冗談じゃないかと思ってたけど本当に行くんだな……。








「あっ岡崎さん岡崎さんっ! あっちに綿あめ売ってますよ! いきましょっ!」

「ハァ!? お前今さっきたこ焼きと焼きそば食ったばっかだろーが!」

「何言ってるんですか。まだチョコバナナもりんご飴も食べてません。まだまだ私の胃袋は満たされてません。あ、いか焼きだ! おじさんイカ焼きふたつくださーい!」

「ブラックホールかおめぇの胃袋は! あぁもうわかったから落ち着けって!」


 続々と屋台の食べ物を購入し、着々と胃に収めていく私に岡崎さんは「とんでもねーむすめだな……ったく……」と呆れつつも自分もイカ焼きを頬張っている。

 何を隠そう、私はお祭りが好きだ。賑やかだし、華やかで活気満ち溢れたこの独特の和の雰囲気がたまらない。何よりも食べ物がおいしい。屋台で売っている食べ物は嫌だという友達も居たが、私はその真逆で、こういう素朴な味のB級グルメが大好きだ。リーズナブルに美味しいものがたんと食べられるなんて、こんな贅沢はないだろう。イカ焼きだとか、焼きとうもろこしだとか綿あめだとか、りんご飴なんて、こういう機会でなければ普段食べられないのだ。食べられるときに食べておけと脳内の私が口うるさい。

 もぐもぐとイカ焼きを夢中になって楽しんでいると頭に何かをつけられる。えっ、と岡崎さんを見上げると、そこにはやたらと身長タッパのある体格のいいジ●ニャンが……い、いや、ジ●ニャンのお面を被った岡崎さんだった。岡崎さんはジ●ニャンのお面を少しずらし、笑って言った。


「おー。やっぱお前にゃコ●さんがよく似合うわ。それ頭につけてろよ。ただでさえ人が多いんだ。グルメハンターと化したおめぇが迷子になったら見つけやすい様にしとかねぇと」

「さしずめ岡崎さんはオトモジ●ニャンといったところでしょうか」

「誰がオトモだ」

「よぉそこの兄ちゃん! ちょいと射的やってかないかい。妹さんが欲しいもんとってあげなよ!」
 

 射的屋のおじさんが岡崎さんに声をかける。妹、妹って私のことか。こんな毛色も違う似てない兄妹居ないと思うけど。でもまぁ、そう見えても仕方ないかもしれない。傍から見たら岡崎さんが私という子供の子守をしているように思うのが普通だろう。そうだ、それが普通なんだと俯きがちになる私の名前を岡崎さんが呼ぶ。は、はいと返事をして見上げると、少しばかり機嫌を損ねた様な顔をした岡崎さんが「何がほしい」と射的の商品を指差して尋ねてきた。え、や、やるんだ射的。


「何でもいいぞ。好きなの言え。一発で仕留めてやるよ」

「おっ兄ちゃん強気だねぇ~。いいのかい? そんなかっこつけちゃって。恥かくよ~」

「お~お~親父ィ、俺を呼び込んだこと後悔させてやんよ。ほら志紀、さっさと選べ。弾は三発あるから3つな」

「ぜっ、ぜんぶ一発で獲るつもりですか?」

「だからそう言ってんだろ」

「えええ、ほ、ほんとに? え、えーとじゃあ、たけのこ●里12パック入りとカプ●コ詰め合わせと、巨大ア●ロチョ」

「こんなときまで食い気発揮してんじゃねーよ! ぬいぐるみのひとつぐらい希望してみろや! なんなのお前! ほんっとだめだな! ヒロインとして何も成長してねーな! どうなってんだ!」

「(な、何でもいいって言ったのに)じゃ、じゃあカ●リコはいいです。えっと」


 並べられた景品でどれにしようかなと眺めると、うさぎのぬいぐるみが目に入った。赤ちゃんぐらいの大きさの、ふわふわとしてそうな真っ白な赤い目のうさぎ。

 
「あいつか?」


 岡崎さんが私が目に留めたうさぎちゃんを見て、よし、と私に食べかけのイカ焼きを持たせ、射的用の銃を手慣れた様子で構えた。そして、あっという間にパンパンとすぐに三発弾が放たれた音がしたと思えば、私が指定した景品がポトリポトリと落ちた。え、えええええ……! ま、マジか……。ほんと器用だなこのひと! 周りでたまたま見ていたお客さんたちが歓声を上げる。思いも寄らぬ注目を浴びることとなった。しかしお祭りの場での偉業を遂げた岡崎さんはなんとなしな顔で射的用の銃を元の位置に戻していた。


「おい親父、仕留めてやったぜ。景品くれ」

「え、えー! 兄ちゃんすげぇ腕だな! い、いやーそうかそうか~ありゃまぁ~。でもいいもん見せてもらったわ……ちっくしょー持ってけ持ってけ!」

 
 射的屋のおじさんは苦笑いを浮かべつつ、気前よく岡崎さんが撃ち落とした景品を渡してくれた。岡崎さんは思っていたよりも大きさのあるうさぎのぬいぐるみをほらよと私に押し付けた。も、もっふもふ……! うわぁうわぁ可愛いなぁとうさぎをぎゅうっと抱きしめると、岡崎さんの微かな笑い声が聞こえてきた。うさぎを抱きしめたまま岡崎さんを見上げようとするとなでりなでりと頭を撫でられた。


「お、岡崎さん」

「んー?」

「その、ありがとうございます。すごく嬉しい」

「……そりゃ良かったな。ほら、そろそろ行くぞ。メインイベントもうすぐ始まる頃だろ」

「え、う、うわっ」


 空いていた右手を取られ、人混みの中を再び突き進んでいく岡崎さんの背中を見上げる。繋いだ手がとても暖かい。え、いま、私誰と手をつないで、え? とやっと状況を理解し始めたころに、この岡崎さんというひとはごく自然な動作で指を絡めてくる。それはまるで、恋人同士みたいな。がっちりと繋がれた手は暖かいというよりも、もう熱くて。岡崎さんの大きな手が、綺麗とは言えない、水仕事で荒れた私の手を強く握っている。わかってる。私が迷子にならない様にだ。そうだよ、勘違いするなよ志紀。真っ赤になった顔をうさぎに埋める。岡崎さんが前をずんずん突き進んでくれて良かった。こんな赤い顔、見られたくない。








 川に集まった人々が、それぞれ手にしていた淡いオレンジ色の光を灯した灯籠を川へと流す。このお祭りのメインイベントの灯籠流しが始まった。死者の魂を弔うことを目的とした、美しいけれども哀愁を感じさせる行事。緩やかな川に数え切れない程の灯籠が流されていく。水面に灯籠の灯りが反射し、まるで天の川を見ているかの様な幻想的な光景だった。


「志紀」


 岡崎さんが二つ分、灯籠を手にしていた。一つ差し出されたので私の分と分かり受け取る。私の灯籠には今日の浴衣の柄と同じ、撫子の絵が描かれていた。そして岡崎さんと一緒に、他のひとと同じ様に灯籠を川に流す。水辺に漂うふたつの灯籠を少しの物悲しさと共に見送る。

 向こう岸で、三人の家族連れが笑いあっていた。それを見て、去年の夏のことを思い出す。辛い思い出しか残らなかった夏だった。苦しくて苦しくて、車の中から覗いたお祭りも羨ましげに眺めることしか出来なくて。今も気持ちは変わりはしないが、去年の夏はひたすらに帰りたくて帰りたくて仕方がなくて、そればかり考えていた。あの瞬間から、私は少しでもおとなに近づけたのだろうか。いや、たぶんそう大きくは変わっていないだろう。


「綺麗なもんだな。弔い行事とは思えねーや」


 逝っちまった奴らも、上から見て喜んでるだろうなと岡崎さんは小さく笑って空を見上げていた。その横顔は寂しげで、過去を振り返っているようだった。思わずきゅ、と岡崎さんの服を握る。岡崎さんは私に顔を向けた。


「岡崎さんは、誰を弔いたかったんですか」

「……さぁな。弔おうにも弔いきれねぇよ」

「……そうですか」

「……」

「私は、おじいちゃんを想って灯籠を流しました」

「じいちゃんって、お前のか」

「はい。数年前に病気で亡くなったんです。もう年も年でしたからなかなか回復は見込めなくて、そのまま」

「……」

「私の名前も、おじいちゃんが付けてくれたんですよ。本当に優しくて、ひととしても立派なひとで、尊敬してました。人間として自分を安売りするな。自分自身の生き方に誇りを持って生きなさいって小さい頃からずっと言われてて、でも私にはなかなか難しくて」

「……」

「……もう一度、しっかりしなさいって叱ってほしいなぁ」

「……死者は話さねえし、蘇えらねぇよ」

「……そうですね」

「でも、じーちゃんの為に来年も灯籠流してやれ」

「……」

「少しずつでもいいじゃねぇか。人間の性根なんざそんな簡単に変われるもんじゃねぇんだよ。毎年そうやって反省しながら、次こそはもっと成長するからって報告してやれよ」

  
 そう言って穏やかな笑みを浮かべて私の頭を少しばかり乱雑に撫でてくる岡崎さんに、じんわりと心が暖かくなる。なんでこのひとはこうも……。

 あぁそうか。だからだ。だから、この人の周りにひとが集まるんだ。厳しい物言いで現実を生きろと言いつつ、寄り添うようなあったかい言葉をくれるのだ。  

 コ●さんのお面で涙ぐんだ目の真っ赤な顔を隠す。でも、お面を掴んでいた手をとられ、お面もゆっくりと没収される。私の顔を覗きこむ岡崎さんの顔が、赤い目が近い。うさぎみたいな目をしてる、と思ったと同時にその赤が閉ざされ、そして、息が止まった。柔らかいものが唇に当たっている。これが何か、何をされているのか、わからない訳がない。ほんの少しの間だった。ゆっくりと岡崎さんの顔が離れていく。私は呆然としたまま何の反応も出来ない。灯籠の流れる川を眺め始めた岡崎さんはちらりと私を横目で見て、うっすらとして笑みを浮かべていた。


「……ま、仕方ねぇから来年の報告も付き合ってやるよ」


 ……来年? 来年なんて、そんなのない。あってはならない。ねぇ、どうして、どうしてなの、どうして、よりにもよって。

 もう一度お面で顔を隠す。きっと、岡崎さんは、私が恥ずかしがっているだけだと思っているんだろう。そうだよ、恥ずかしいよ。でもそれだけじゃない。恥ずかしさよりも、もっと酷いものだ。

 私は立場上、このひととの関係を続けるのは良くないことなどわかっていた。でも居心地がよくて、手放せなくて。なにかと理由を付けて、今日までこの曖昧な関係を続けてきた。色のついた情など生まれるはずもないと思っていたから。でも、だめだ。もう、だめだ。このひとは気まぐれでも、私はだめだ。だって、この人とずっと、一緒に居られたらいいのに、だなんて。私が絶対に考えてはならないことなのに。

 この男性ひとが、岡崎さんが、好きだなんて。


しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

愛し愛され愛を知る。【完】

夏目萌(月嶋ゆのん)
恋愛
訳あって住む場所も仕事も無い神宮寺 真彩に救いの手を差し伸べたのは、国内で知らない者はいない程の大企業を経営しているインテリヤクザで鬼龍組組長でもある鬼龍 理仁。 住み込み家政婦として高額な月収で雇われた真彩には四歳になる息子の悠真がいる。 悠真と二人で鬼龍組の屋敷に身を置く事になった真彩は毎日懸命に家事をこなし、理仁は勿論、組員たちとの距離を縮めていく。 特に危険もなく、落ち着いた日々を過ごしていた真彩の前に一人の男が現れた事で、真彩は勿論、理仁の生活も一変する。 そして、その男の存在があくまでも雇い主と家政婦という二人の関係を大きく変えていく――。 これは、常に危険と隣り合わせで悲しませる相手を作りたくないと人を愛する事を避けてきた男と、大切なモノを守る為に自らの幸せを後回しにしてきた女が『生涯を共にしたい』と思える相手に出逢い、恋に落ちる物語。 ※ あくまでもフィクションですので、その事を踏まえてお読みいただければと思います。設定等合わない場合はごめんなさい。また、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。

処理中です...