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秘密
しおりを挟むお仕事を終えた帰り道、今日は金曜日なので、一週間溜め込んだストレスを吐き出す場を求めて、社会人の皆様方が通りのあちこちを闊歩していた。
いつもよりも人通りの多い道を避ける。ちょっと遠回りになるけど別ルートで帰ろうと人の少ない裏路地を行く。裏路地を出ればそこはいかがわしいお店がたくさん並ぶ、所謂ピンク通りと呼ばれている場所に出る。その通りも横断し真っ直ぐ突き進んでしまえば、また居酒屋が立ち並ぶ通りになる。私がここをうろちょろ歩き回ったことは今まで一度としてない……のだが。
「……咲ちゃん?」
「うわっ。びくった~。なんだ~、せんぱいか。驚かせないでくださいよー」
「え、あ、ごめんね。……こんな所で何してるの?」
ピンク通りを突っ切ろうと進めていた足が止まる。目の前の電柱に隠れて、見覚えのある女の子がコソコソしている。前方を窺っているその姿はさながら探偵の様だった。近くまで来て、旅館の従業員である咲ちゃんだとわかり声をかける。彼女は勢いよく振り向き、名前を呼んだ相手が私だとわかるとほっと息をついた。
「せんぱいこそ何してんですか、こんなとこで。 仕事帰りっすか? 家の方角こっちじゃないっしょ?」
「うん。表通りは人が多くって帰りづらかったから。それで咲ちゃんは何を……」
「気になるなら、せんぱいも一緒に居て下さいよ。ひとりじゃ寂しいと思ってたとこなんで。面白いものが見れますよ」
「面白いもの?」
「そろそろ出てくんじゃないかなー。もう二時間位経ってるし」
「二時間? 二時間も此処にいたの!?」
「ほら、あそこの店っすよ。ちゃんと見てて下さいね」
何をしているのかよくわからないが、危ないから帰ろうと声をかけるもいやだと言って聞いてくれない。こんなピンク通りに咲ちゃんをひとりにしておく訳にはいかない。仕方なく咲ちゃんに倣って同じく電柱の後ろに隠れる。
咲ちゃんが見ていてくれと指差したのは、煌びやかなネオンの看板が目立つお店だった。少し距離があるのでどういったお店なのかここからではわからない。何のお店? と咲ちゃんに尋ねると咲ちゃんはニヤリと私の質問に答えた。
「ミックスバーっす」
「ミックスバー……って、なに?」
「え~、知らないんすかせんぱい」
一応こっち業界の旅館で働いてるのに。鼻で笑われる。反論できずにうっ、と言葉に詰まる。未熟者のせんぱいに教えてあげましょうと咲ちゃんが私を見た。
「ゲイもレズもオカマもオナベもどんとこーいなお店です。セクシュアリティの無法地帯っす。ミックスバーでもあそこ結構有名なとこですよ。よく芸能人も出入りしてるとこパパラッチされてるし」
「……」
「あり、無反応?」
「え? いや、ビックリはしてるけど。世の中にはそういうお店もあるんだなーって」
「……せんぱいってそういうのに偏見ないんですかぁ? えーマジでー? 寛容っすね。気持ち悪いとか思いません?」
「うーん……別に。なんとも」
「咲は理解できないです。男は男らしく、女は女らしくでいいじゃいすか。自分の生まれてきた性別は受け入れるべきです。何よりキモイのは同性に恋することっすよ。なんで同じ性別の人間に惚れるんだか。非生産すぎ」
「……そういえば咲ちゃんは女の子のお相手はNGにしてたっけ」
「トーゼンっす。咲は男しか相手にしませーん。ビアンとは関わりたくないでーす」
嫌悪感を隠そうともせず、うへぇと悪態をついた咲ちゃんを見て、未来でもこういうことに関してはまだ受け入れられない部分があるのかと考えていた。てっきり私はそういうマイノリティなお話は未来では無くなっていると思っていたが、咲ちゃんの反応を見る限りそうでもないらしい。
「あっ、出てきた! ほらちゃんと見て、せんぱいっ!」
「へ? な、なに」
思い切り腕を引っ張られ、ほらっ! あれ! と咲ちゃんがお店の方をよく見るよう促してくる。今し方お店から出てきた二人組に目を凝らす。
…………え? あれって……。前のめりになってもう一度よく確認する。しかし前に出過ぎ! と襟を咲ちゃんに引っ張られる。
「……ね? ビックリでしょ?」
面白いものを見たと、悪戯っ子な顔をする咲ちゃんに私は何も答えることは出来ない。
お店から出てきたのは私の知らない可愛らしい女性と、そして香澄ちゃんだった。香澄ちゃんは女性の細い腰に手を回し密着して、そして。
「えっ」
「うげぇ」
その女性と熱烈なちゅーをしていた。ただくっつけるだけのものではない。遠目からでもそのことがわかるぐらいの激しいものだった。しかも香澄ちゃんも相手の女性も外であるにも関わらずお互いの体を弄りながら口づけを交わしている。
え、え? な、なんだこれ。あれ香澄ちゃんだよね? いつもより服とかお化粧の雰囲気違うけど香澄ちゃんなんだよね、あれ。相手のひとお客様じゃないよね。今日香澄ちゃん非番だもんね? というか香澄ちゃんも女性NGにしてたもんね。お客様な訳ないよね。ん、んんん? つ、つまり目の前の光景は一体どういうことだ?
ぐるぐる静かに混乱しながらも香澄ちゃんと相手の女性のイチャイチャぶりを瞬きせず、というか出来ずに凝視する。香澄ちゃんは女性の腰に手を添え、男の子みたいにリードし、いやにお洒落な名前がたくさん並ぶピンクなホテル街に消えていった。私は驚きで口を開けたまま、閉じることが出来ない。
「……せんぱい。いまの見ました?」
「……み、みた」
「香澄せんぱいって……同性愛者なんですか?」
「そ、そういう話は聞いたこと無いし、そんな素振りも……。というか……あれって本当に香澄ちゃん?」
「ちょっと雰囲気違いますよね。咲も別人かなって思いましたけど、アレは香澄せんぱいでしょ。志紀せんぱいもそう見えたんだったら間違いないっしょ」
私の知ってる香澄ちゃんの外見は女の子の理想と憧れが詰められた、まさに女の子の完成形といってもいい女の子だ。顔はすごく可愛いしスタイルいいし、お洒落だし、服のセンスもいい。髪型だって、ウルフカットのミディアムをいつもゆるふわにセットしていてる。そのはずが、先程の香澄ちゃんは全然ゆるふわじゃなかった。女性的な身体のラインはそのままに男の子みたいな格好をしていたし、挙動も女の子じゃなくて男の子のソレだった。……私の知らない香澄ちゃんの姿だった。
「ねぇねぇせんぱい。ちょっと潜入してみません?」
「……え!? い、いいよ私は。ああいうお店入ったことないし」
「じゃあ尚更ですよ。せんぱい、ただでさえものを知らないんだから。勉強しといた方がいいっす」
「そもそも私達の年齢じゃ入っちゃダメでしょっ」
「はぁ? なに言ってんすか? 入れるに決まってんでしょ」
「……だ、だめだよ。とにかくだめ。ほら、もう帰ろう? 肉まん奢ってあげるから。ね?」
「せんぱいじゃないんだから食べ物なんかで釣られませんよ。じゃあいいです。咲ひとりで行ってきます」
「え!? ひとりで!?」
引き留めるも咲ちゃんは勇ましくお店へと足を進めていく。私よりも年下の小さな女の子がピンク通りを歩いているだけでも中々の破壊力だ。そうこうしている内に咲ちゃんに声をかけようしているのか、通りを歩いている男性たちがじろじろと見目の良い咲ちゃんに注目し始めた。だめだ。一人にしておけない。
「ま、待って咲ちゃん! 私もついてくから」
「ふふ。せんぱいならそう言ってくれると思いました」
「でも一時間だけだからね。一時間したら一緒にお家帰るからね」
「え~一時間だけぇ? ……まぁいっか」
ふたり並んでお店の前に立つ。入り口は階段を下りた地下だったので降りていく。ドンドンと低い重低音が響いてきて、中はクラブみたいになっていることがわかった。看板には 「オールジェンダー・ ノンケさん・女性も大歓迎!」 と書かれている。咲ちゃんは何の躊躇もなくお店の扉を開いたのでぎょっとしつつ、その後ろを慌ててついていく。年上なのに情けない。
中は暗く、いろんな色のライトが照らされ、怪しげな雰囲気の音楽が流れている。み、ミラーボールなんて初めて見た……。
音楽に合わせて踊る人も居れば、バーに座りお酒を嗜むひともいる。暗がりの中、目を凝らすと、あちこちで性別を越えた色んなカップルが人目もはばからずベタベタとしている。咲ちゃんはそれを見て呑気にすげーと感想を述べている。
ボーイさんが近づいてきて私達に 「いらっしゃいませ。こちら初めてでしょうか?」と尋ねる。はい、と頷く。
「それではお手数ですが、こちらのリストにお客様の詳細をご記入願います」
書類の挟まったバインダーを渡される。そこには、自分がゲイかレズか、あるいはトランスジェンダーか……ノンケ? ノンケってなんぞ……? など、どういった性的嗜好を持っているか、主に性的なことに関連したデリケートな質問の書かれたチェックリストが挟まれていた。な、なんじゃこりゃ……。
隣で咲ちゃんがサラサラと記載していくので私もボールペンを手にする。言葉の意味がわからない質問は無記入にしつつ埋めていく。バインダーを回収し、ボーイさんはメニューを私達に見せる。
「どのようなサービスをご希望されますか?」
「サ、サービス?」
戸惑いながら咲ちゃんと提示されたメニュー表を確認する。どうやら階ごとにサービス内容が違うようなのだがよくわからない。うーん? とハテナマークをあちこち浮かべている私に構わず、咲ちゃんが注文した。
「なんかぁ、いっぱいお話出来るのがいいんですけど。テーブル席とかあります?」
「はい。それでは三階へご案内致します。テーブルにつく嬢のドリンク代を別でいただく形になりますが、よろしいですか?」
いいでーすと意気揚々とお返事する咲ちゃんの隣で私は「嬢?」とポカンとしていた。
フロアに着くや否や、あちこちのテーブルからいらっしゃいませぇ~と甘ったるい、しかし野太い声をかけられる。目の前に広がる光景に目をぱちくりとさせる。こ、これは……。
テーブルに案内され、お酒をふたつ注文しようとする咲ちゃんの声を遮る。すかさず「ソフトドリンクでお願いします! コーラで!」とお願いしたら咲ちゃんがぶーと口をとがらせていた。
「あんらぁ~。これは珍しいカワイコちゃん達だこと~。はじめまして、鈴蘭っていいます~。よろしく~」
「よ、よろしくお願いします」
「えっすごっ。ほんとに男!? めっちゃ美人じゃん!」
「あら、アリガトウ~」
二人ちょこんと並んで座る咲ちゃんと私の向かいに腰掛けたのは、キャバクラ嬢の様な派手なお化粧と装いをした「嬢」だった。女性らしい所作で頂いた名刺には鈴蘭という名前と、メールアドレス、そして裏には顔写真が写っていた。
正面に居るひとを見つめる。その骨格と声の野太さから男性なんだとわかる。しかし事前情報もなく、例えば街中で見かけただけならば、ちょっと体格の良いハスキーな声のお姉さんとしか思わないだろう。女性より女性らしく、何より咲ちゃんも言っていたが本当に綺麗なひとだった。
「アナタたち、こういうところ来るの初めてなんだってねぇ。なぁに? 社会見学?」
「っていうより化け物見が、むぐっ」
「ハハハハイそうなんですー! こういう経験も人生には必要かなと思いまして! ねっ! 咲ちゃんそうだよね!」
「むぐぐぐぐー」
「アハハ、いいのよいいのよ。そういうことは言われ慣れてるし。アタシ、あなたみたいにズケズケもの言ってくる娘スゴく好きだから」
「すっすみません、本当に……」
咲ちゃんのお口を塞いでいた手を離す。鈴蘭さんは何かお飲み物頂いていいですかぁ? と笑うので、お好きなものをどうぞ! と慌てて答える。
「お兄さぁ~ん! あったかいの頂戴~!」
鈴蘭さんはその場からカウンターにそう注文すると、バーテンのお兄さんがすぐに私達のコーラと鈴蘭さんのお酒を持ってきた。
「乾杯しましょ」
鈴蘭さんがグラスを翳したので、私たちもそれに倣って乾杯させていただいた。そういえばとまだ名乗っていないことに気づく。慌てて自己紹介をすると、鈴蘭さんは優雅な動作で私達を交互にマニキュアの施された指で指した。
「コナマイキちゃんが咲ちゃんで、あなたが志紀ちゃんね。えらいタイプの違うふたりね~。付き合ってんの?」
「んえっ!? ち、違います! 付き合ってないです! お仕事の先輩後輩の関係で……!」
「絶対有り得ないし。咲は男が好きですもん」
「ふぅん。じゃ二人ともノンケなんだぁ。どんなお仕事されてるのぉ?」
「時雨って旅館で働いてまーす」
「時雨? ええっ!? アナタ達、時雨旅館で働いてんのぉ!? っはぁ~、どおーりで可愛いと思ったわぁ。ってことはナニ? アンタ達もこっち側の人間なんじゃない」
「そうそう。でもせんぱいはちがいますよ。ただの雑用係。お花は売って無いです」
「うん。志紀ちゃんは違うと思った。そういう知識も疎そうだものね~。男慣れしてないみたいだし~。その初心さが仇になって男に振り回されて苦労するタイプよね~。あれよあれよと言いくるめられちゃうのよね~」
なんとも言えない。むしろごもっともである。初対面でここまで見抜かれる私って一体。そんなにわかりやすいだろうか。そんなにダメダメオーラがにじみ出ているのだろうか。ずーーーんと地味に落ち込みながらコーラをちみちみ飲む。
「あらごめんなさいね~。気を悪くしないで? 志紀ちゃんのこと、馬鹿にしてるわけじゃあないのよ」
「いえ……あの、ほんとのことですから……。だいじょうぶです……。大正解です……」
「あぁん、そんな落ち込んだ顔しないでぇ。ちなみに二人とも、今彼氏は居るの?」
「咲は居ない。特定のひとはまだ要らないし」
「まぁお仕事がお仕事だもんねぇ。男には困らないか。でも、そんなこと言ってるとタイミング逃がしちゃうわよ~。どうせ仕事で毎度毎度ヤりまくってんだったら、玉の輿に乗れそうなタマのひとつふたつみっつキープしなさいよ」
「やっぱそうなのかなァ~。年取るのあっという間ですもんねー。その点せんぱいは良いですよねー。羨ましい」
「え」
「だぁって、熾烈なタマ取り合戦しなくていいじゃないですか。将来安泰じゃないっすかー。食い扶持に困ることなんて絶対無縁だろうしー」
「ということは志紀ちゃんは彼氏居るのね? 初心そうに見えて意外とやり手なのかしら」
「やり手もやり手っすよ。あんまでかい声では言えないですけどね、志紀せんぱい、もんのすごいレベルの男落としちゃってんですよ。こう見えて侮れないっす」
「ちょ、咲ちゃん」
「へえ~、どっかの大物社長に見初められたって感じ? でもそうなると年とか結構離れてるんじゃなあい?」
「若社長っすよ若社長。しかもすんごいイケメン」
「……」
「そりゃあ誰もが羨ましがるわねぇ。それにしては本人があんまり幸せそうな顔してないけど。……あぁわかった。志紀ちゃんはその相手に恋愛感情は持ってないんじゃない?」
ドキリとした。人とお話をメインとするお仕事をしている人だからなのか、それとも私が分かりやすすぎるのかはわからないが、鈴蘭さんは的確に正解をこじ開けていく。ただ不快感を持たせないのは、このひとの手腕によるものなのだと思う。初対面なのに、人生相談紛いのことをしたくなるというか、逆に悩んでいることをぶちまけたら、そこから抜け出す為の何かしらの答えかヒントを貰えるのではないかと思わせてくれる。
「恋愛感情無くても相手がお金持ってるならいいや~って考える女も世の中にはたくさん要るけど、志紀ちゃんはそういうのには靡かなそうねぇ。むしろそういう駆け引きも駄目みたいね」
「えぇ? 男のステータスで一番重要な要素じゃないすか。そこが駄目ならどんなイケメンだろうが絶対ナシでしょ。ねっ、そうでしょせんぱい」
「い、いや……わたしあんまりそういうのは……」
「えー!? マジで!? うっそぉ!」
「ほぅら。アタシの見る目に間違いは無いのよ」
ドヤ顔する鈴蘭さんに、ええええと未だ信じられないという表情をする咲ちゃん。私は手にしているグラスの中で溶けかけている氷を見ながら呟く。
「お金は、ちょっとあれば十分です。別に顔もとびきり良くなくたっていい。毎日いっしょにご飯食べて、ずっと一緒に年を重ねていけるなら……私はそれだけで満足です」
病院のベットで、本当に小さな呼吸を途切れ途切れに繰り返すおじいちゃんの最期の姿を思い出す。おじいちゃんが息を引き取るその瞬間まで、そのひどく痩せ細ってしまったしわくちゃの手をがっちりと握り続けたおばあちゃんの後ろ姿が今でも色濃く記憶の中に残っている。悲しくて悲しくて、とめどなく溢れてくる涙で滲んだぼやけた視界には、おばあちゃんの小刻みに震える背中が映っていた。ピーーと無情な機械音がおじいちゃんの最期を告げても、おばあちゃんはおじいちゃんの手を握りしめたまま離しはしなかった。
そばに居てくれたらいい。途中で私をひとり置いていかない、ずっと隣で一緒に居てくれる、そんなひとが一生の中でひとりでも居てくれたならそれだけでいい。それ以上の贅沢は言わない。最期の時まで、あんな風に傍に寄り添っていてくれるなら。
灰色の髪が頭の中にちらつく。その隣には私とは正反対の綺麗な女性が居る。二人は仲睦まじく肩を並べ、暖かい夕焼けを眺めていた。
コーラみたいにどんよりと黒いものが胸の内をシュワシュワと浸食していく。鈴蘭さんが今の私を見て、何かを確信した表情をしたことに私は気づかなかった。
「うっわ、せんぱい夢見過ぎ。どわだけ脳内お花畑なんですか。つか、そんな綺麗事、現実で言うひとってほんとに居るんだ。咲びっくりですよ。なんなら若干引いてます」
「まぁまぁ、いいじゃないの~。取り繕ってる訳でもないし、本気でそう思ってるんでしょう? それに今の子達が欠けてるのはそういう部分なのよ。皆時代の厳しさに性根がスレすぎ! そういう考え方は貴重だから大事にしなさいよ、志紀ちゃん」
にっこりと笑う鈴蘭さんに覇気のない返事を返してしまう。最近はこんな調子だ。皆で海に行った日から私はどこかおかしい。何がかはわからないけど、時折気持ちのバランスが不安定になる。
「二人とも今のうちに色んな恋を経験しなきゃねぇ。勿論志紀ちゃんも。アタシもせっかくこの身体に改造したからにはって色んな男とセックスしてきたけど、イイ経験今でもさせてもらってるわよ~」
「ブッ……」
突如ぶっ込んできた鈴蘭さんに、口に含んでいたコーラを吹き出しそうになる。というかちょっと出ちゃった。せんぱい汚いとジト目で責めてきた咲ちゃんに謝る。咲ちゃんは先程までの話題よりも興味津々といった感じで、前のめりになっている。思わずこちらの方が顔が真っ赤になってしまう様な質問を鈴蘭さんにズケズケとしていく。
「それってやっぱりぃ、男として女とヤるより、女として男とヤる方が気持ちイイんですか? っていうか鈴蘭さん、男時代女とヤったことあります?」
「咲ちゃん! オブラートに! もちょっとオブラートな聞き方しよう!」
「なんでせんぱいが顔真っ赤してんすか。ほんとによくそれで時雨で働けてますよねー。ってせんぱいのことなんかどうでもいいんですよ。どうなんですか?」
「まだカミングアウトしてない学生のときに一度だけ女の子とシたわよ。ただなかなか勃たなくってねー。当時気になってた男の子想像して無理やり勃起させて乗り越えたのよく覚えてるわ。アタシ根っから心は女で、恋愛対象は男だったから」
「なにそれマジうけるんですけど。相手の女不憫すぎて笑う」
「そうねぇ~。今思うと可哀想なことしたわ~。それから海外行って手術して、この身体手に入れて。それからはもう楽しいのなんのってね。突っ込まれる快感はスゴいし気持ちイイし。せっかく苦労してこの身体手に入れてたんだから楽しまなきゃソンじゃない? 一度ヤっちゃったらねえ、もう汚れたなんて思わないわよ。アタシからしたら男なんてもう性処理道具よ」
「あはは! 鈴蘭さん面白ーい!」
せ、せいしょりどうぐってサラリと普通に言い切った……。す、すごい。なんかもう恥ずかしさとかどこかへぶっ飛んでしまう程の破壊力だった。今で自分はどれだけ小さいことにいちいち恥じらいを覚えていたんだと感覚が麻痺していくのがわかる。まさに百戦錬磨……。
鈴蘭さんはお酒を飲んで、まぁでも、と目を閉じて付け加えた。
「やっぱりさ? 世間的にはアタシ達は普通じゃないから、失ったものも多いわね」
「……」
「今はお家にいるわんちゃんだけが大事な家族だわ」
ああそうか、と納得する。私がこのひとに自分が思い悩んでいることを全てぶちまけて相談してみたいと思ったのは、たぶんこのひとが一般的な生き方から少し逸脱した、類い希な人生を経験してきているからだろう。その人生経験の豊富さから自分はどうすればいいのかどうかの答えを導き出してくれるのではないかと期待するからだ。種類は違えど、私の存在だって普通じゃない。特異なものだ。だからこそ、より強くそう感じたのかも知れない。
それからも色んな話を聞かせてもらって驚いたり笑ったりと、ここに入る前までは想像だにしていなかった有意義で楽しいと思える時間を過ごすことができた。そしてそんな時間はあっという間に過ぎ去るもので。あと十五分でおわりというところで、このお店に入った真の目的である内容を切り出したのは、咲ちゃんだった。
「ねー、鈴蘭さん。香澄って女の子知ってます? さっきこのお店に出入りしてるの見かけたんですけど」
咲ちゃん、と名前を呼んで言外に止めておこうと制する。ここまで鈴蘭さんの色んなお話を聞いていて思ったことや感じたことがたくさんある。
ひとには言えない悩みや秘密にしておきたいことのある人間は世の中たくさん居る。私もそうだし、それは香澄ちゃんにだって言えることだ。香澄ちゃんがこのお店に頻繁に出入りしていただとか、女の子とキスしていたことだって、そのことこそが香澄ちゃんにとって一番知られたくない秘密である可能性だって大いにあるのだ。
「ん? アナタ達、香澄のトモダチ?」
「咲は違うけど、志紀せんぱいは香澄せんぱいと友達です。っていうか、鈴蘭さんが香澄せんぱいのこと知ってるってことは、やっぱり香澄せんぱいここに結構入り浸ってんじゃないですか? 香澄せんぱいって、レズなんですか? さっき店の前で女ともんのすごいキスしてんの見ちゃったんですよね」
「それは本人に聞いた方がいいんじゃないかしらね~。咲ちゃんならズケズケ聞けるでしょ~」
「え~~」
「成る程ねぇ、香澄、今時雨で働いてるのね。向いてるっちゃ向いてるけど……。そうなの~、志紀ちゃんが香澄のお友達だったの。アナタがね~……そうかそうか」
「……?」
意味深な、どこか感慨深い表情をした鈴蘭さんにじっと見つめられる。あの? と尋ねるも、いいえと首を振られる。その意図はわからず仕舞いだった。
「もうお時間になっちゃったわね、残念」
鈴蘭さんは時計を見てお開きを告げた。
お会計を済ませる。お店を出る前にお手洗いへ行っている咲ちゃんを待っている間、見送りにわざわざ出口まで来てくれた鈴蘭さんと二人きりになる。頭を下げて今日のお礼と、色々と失礼なことも言ったことをお詫びする。鈴蘭さんはパンパンと私の肩を軽く手のひらで叩いて顔を上げる様促した。
「いいのよォ、そんな堅っ苦しいこと言わなくてぇ。アタシだってこーんなに可愛い若い女の子達で両手に花が出来たんだから。ちょっと男に戻りそうだったわ~なんてね~!」
「そう言っていただけると有り難いです……ほんとに……」
「また遊びにいらっしゃいな。そんときはまた3人でもうちょっと時間長めにパーッとやりましょ。アタシ、ショーにも出てるからぜひ見てもらいたいわぁ。だから次もぜひアタシのこと指名して頂戴ね~」
「は、はい! もちろん。その際はお相手お願いします」
「あーあと、志紀ちゃん。アナタには覚えておいて……というか心に留めておいてほしいがあるんだけど。今後の為にもね」
「……? 何でしょうか」
「アタシたちはね、女よ。女のつもりなの。心の底からね。ただ、生まれてくる性別を間違えてしまっただけで。こんな特殊な人種だから、人生苦しい瞬間もそりゃあ何度もあったけど、ここまで這い上がってきた。でも、皆が皆そう上手くいく訳じゃあない」
「……」
「何でもない風に振る舞ってても、今も苦悩し続けている子もいる。それをアナタには忘れないでいてほしいのよ」
「……あの、それはどういう」
「なーーんちゃって! お客様にお話するような話じゃなかったわね! ゴメンなさいねー! 暗い話しちゃってぇ~」
「え、うぇ?」
物憂げな顔で私にお話ししていた鈴蘭さんが一転して、先程のテーブルでお飲みになっていたときのテンションに戻ってしまう。あまりの変貌ぶりに真剣に聞いていた私もぽけっと拍子抜けしてしまう。
それよりも、と鈴蘭さんはつんつんと私の頬をつついた。マニキュアで綺麗に彩られた爪についた飾り物が頬に当たる。
「志紀ちゃん。さっき好みのタイプのお話ししたとき、アナタ誰のことを思い浮かべたのかしら」
「こ、好みの……?」
「ずっと一緒にいてくれるひとが云々って話したでしょ? ジジイババアになっても傍に居てくれるひとがいいって言ってたじゃない」
「あ、あぁ……あれはその、好みのタイプというか……」
「その話をしたとき、誰が頭に浮かんだ?」
「……」
「プロポーズしてくれた若社長じゃない、他の誰かだったんじゃない?」
灰色の髪の、赤い目をしたひとが頭に浮かぶ。いやな予感がした。鈴蘭さんがうふふと笑う。
「ほら今も。誰のこと思い浮かべた? 志紀ちゃん、あなた本当素直なのね。手に取るようにアナタが考えてることわかるわぁ。いじらしい切ない表情しちゃって、可愛いんだから」
「……」
「志紀ちゃん、あなた恋してるんじゃない? そのひとに」
「っち、ちが……!」
「せんぱーい、お待たせしましたぁ~! ごめんなさーい、おトイレ混んじゃってて……。せんぱい、どうしたんすか。顔真っ赤っかですよ。タコみたい」
お手洗いから戻ってきた咲ちゃんに指摘される程だ。余程赤面しているのだろう。心拍数だってえらいことになっている。私が誰に恋してるって? 誰が誰に? そんな訳ないじゃないか。
だってだってと、頭の中を占領したあのニヤケ顔の悪いところを必死に挙げていく。なのに、考えれば考えるほどより恥ずかしさが増して、どうしようもなくなった私は熱い顔を手で覆った。鈴蘭さんのくすくす笑う声と、せんぱい? と呆れた声色の咲ちゃんの声によりたまらなくなる。
「ほんっと素直な女の子だことね~。話に聞いてた通りだわぁ」
「話ってなんの?」
「あらいけない、うっかり。気にしないで頂戴。それじゃあ二人とも気をつけて帰るのよ。悪い狼に捕まって食べられちゃあダメだからね」
また遊びに来てね~と手を振ってくれる鈴蘭さんに頭を下げる。咲ちゃんと私は予想外の結果を残したミックスバーに背中を向けた。
「やっぱ関わってみないとわかんないこともありますよね~。ベンキョーになりました。同性愛者はやっぱり嫌ですけど、鈴蘭さんみたいな人達は面白かったです。咲のなかで印象変わりました。咲、ああいう突き抜けた人達正直好きですね」
自分の理想のためにもんのすごい努力してるし、と隣を歩く咲ちゃんが呟く。私もそれに同意する。マイノリティであることを理由にせず、それでも前を向き、笑顔で様々なことを乗り越えてきたであろうあのひと達の懐の大きさはすごかったし、見習いたいと思った。彼ら……いや、彼女らの勇気を臆病な私にすこしでもいいから分けてほしいなとも。
「でも、香澄せんぱいに関しては同性愛者ってこと以外に、なんかまだ隠してることありそうでしたね」
「え? ま、まだそうだって決まった訳じゃ……」
「何言ってんすか、確定でしょ。鈴蘭さんも下手こきましたよね。違うなら違うって否定すれば良い話だったんですよ、アレは。ノーマルならノーマルだよって答えればいいだけなんだから。返事を濁したってことは、やっぱりそういうことなんですよ」
言われてみれば、と思った。それに咲ちゃんも侮れない女の子だと実感させられる。私よりも年下なのに自分よりもずっと大人を相手取り、ほぼ対等にお話しが出来て、尚且つ墓穴すらも掘らせる。この年で色んな大人を相手にするお仕事をして、その中で培われた能力なんだと考えると私の胸中は複雑だった。なんでこんなに小さい子が、と憂わずにはいられなかった。
「咲ちゃん、このこと誰に言っちゃだめだからね」
「えぇ~」
「おねがい……」
「……じゃあせんぱい、咲からもお願いがあるんですけど」
咲ちゃんがにんまりと笑みを浮かべ、私の進路をふさぐ。うっ。ざ、雑用の代打か……!? それならまだいい。何だって代わってあげよう。ただお金だとか要求されるとかなり苦しいものがある。どうしよう、もし100万ぐらい寄越せやゴラァとか、あのブランドのバッグ買えとかだったら……! うちの旅館副業許可してたっけ……と、ぐるぐるそうなったときの対処を考えていると、咲ちゃんは隣にあったコンビニを指差した。へ? と咲ちゃんの顔を見ると彼女は年相応の子供らしい、可愛い笑顔で言った。
「肉まんおごってください」
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