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Be Mine
しおりを挟む「うちの孫がねぇ、今年の冬に結婚することが決まったのよ」
「わ、おめでとうございます。お孫さんおいくつなんですか?」
「16。ちょいと遅めだけど、もらってくれる人が居たみたいでねぇ。ほんと安心したわぁ」
「じゅっ、じゅうろく!?」
「そうよぉ、もうヒヤヒヤしちゃうったら。お嬢ちゃんもそろそろ身を固めることを考えないといけない年頃でしょ。そんな大口開けて団子食べてたら誰も貰っちゃぁくれないよ」
「うぇ。……んぐ」
「食べるんかい」
あーんと大きく口を開けて食べようとしていたみたらし団子を一旦口から遠ざけるも、てらてらと光るみたらしの魅力に負けてお団子を口に含んだ。もぎゅもぎゅと噛み締める。
そうか、この時代は12歳でも結婚出来るんだっけ……。それが普通だった……。どうした未来……一体何がどうしてそうなったんだ……。団子屋のおばさんに口の端にみたらしがついていると指摘されて慌てて拭う。
「ほんといつも来る度子供っぽい仕草が抜けない子だねぇ。あどけなさっていうのか田舎臭いっていうのか……。男が寄り付くタイプには見えないねぇ」
「い、いいんです。寄り付いて貰わなくても別に。私、まだまだ結婚する気ありませんから」
「なーにをしみったれたことを言ってるの。そんなこと言ってると婚期逃がすよ。今の時代、女独りでやってくには厳しいものがあるんだからね。さっさと結婚して大人しく男に養って貰うのが一番だよ」
な、なんか聞いてたら夢もへったくれもなさそうな結婚観だな。そんな就職活動みたいに言われてもなぁ……。いやまぁ私の時代でも婚活って言葉があるくらいだからそうそうは違いはない……のか……?
まぁどちらにせよ、この時代で結婚などする気は毛頭無い。私は何が何でも元の時代に帰るんだから、そんなことあり得てはならないんです、とおばさんに告げることなど出来るはずもない。
「肝に銘じときます……」
顔をひきつらせてお返事しておいた。串にささった最後の団子を平らげて、手を合わせる。
「御馳走様でした。おばさん、お持ち帰り用に1パック頂いていいですか?」
「あいよ。種類はいつも通りみたらしでいいの?」
「はい」
「それにしてもあんたすごい荷物だねぇ。買い物でもしてきたのかい?」
「いえ、これは貰い物で……。バレンタインのお返しなんだそうです。中身はまだ見てないんですけど」
「あぁホワイトデーね。……ってもう5月じゃないの。遅刻にも程ってもんがあるでしょう」
旅館の仲居さんと連絡を取り合い、お仕事への復帰時期を相談した結果、交代勤務の調整により、5月のGW前からの職場復帰が決定した。今まで休んでいた分みっちりと働いて貰うからねと電話越しから伝わってくる仲居さんの苛立ちに情けない声でお返事をしたのがまだ記憶に新しい。
復帰の日まで一週間程日にちがあるので、長いこと空けていたお家のお掃除やら洗濯やらと家事をこなす日々を送っていたら、今日の朝、西園寺さんから渡したいものがあるので暇な時間に天龍まで取りに来てほしいとの連絡を受けた。私の家まで届けにいくつもりだったらしいのだが、最近かなり立て込んでいるらしく、本家から離れられないのだとか。勿論そんな状態の西園寺さんにご足労願うはずもなく、こちらから伺うとすぐにお返事した。
天龍本家に到着し、何やら忙しそうに若い衆の方々とお話されていた西園寺さんは私の姿に気づくと、一旦部下の方との会話を中断し、手に持っていた大きな紙袋を差し出した。
「若頭からです。頭は今急用で出ておりますので、私が代わりに」
きょとんとしている私に西園寺さんは続ける。
「『洋菓子の返しだ。大人しく受け取れ』……だそうです」
西園寺さんは重みのある紙袋を私に押し付けた。中断していた部下の方とのお話を再開し、こちらを振り向いてくれる気配はない。そして紙袋を持って一言ご挨拶をしてから立ち去ろうと、その場に突っ立って待っていた私の行動虚しく、西園寺さんは部下の人達と話しながら座敷に上がってそのまま奥へと消えていってしまった。放置プレイを食らった私はとりあえずお暇し、本家からの帰りに団子屋さんへ寄り道したというのがここまでの経緯である。
団子屋のおばさんからお持ち帰り用のみたらし団子1パックを受け取る。今度新作のおまんじゅうを出す予定があるから、今度はそのお返しをくれた彼氏と食べにおいで言われ、慌てて彼氏じゃなくてお世話になってるひとです! と否定する。照れることないよとニマニマした表情でおばさんはからかってくるばかりだった。
大きな紙袋とお団子の入った袋をそれぞれ両手に持って、とぼとぼと家路につく。お家が見えてきたところで、誰かがお家の前の石壁に凭れて空を見上げて立っているのが見えた。その姿はたまに見かけるもので、別にストーカーだとか怪しいひとではない。そんな禍々しさなど微塵もない、もっと可愛らしいものだ。その人物は私の存在に気づくと、半ば叫ぶ様に声変わり前の声を発した。
「あっ! 志紀ねーちゃん!」
「亮くんだ。なんか久しぶりだね。元気にしてた? ちょっと身長伸びたかな」
「それはこっちの台詞だよ! 今までどこ行ってたんだよ。最近見ないから……」
こちらまで走って駆け寄ってきてくれたのはご近所に住む、亮くんという名前の小学5年生の男の子だ。 何を隠そう、去年の夏に遊びほうけていたら宿題というラスボスに襲われちゃうよと忠告したら 『そんなの夏休みの初日に全部終わらせたもんねー! 志紀ねぇちゃんとは違うのだよ志紀ねぇちゃんとは!』と切り返してきたあのやんちゃっ子である。
そんなに走ってないのに目の前で顔を真っ赤にして息を荒くしている亮くんを見て、なんだか少し垢抜けた感じがするなぁと子供の成長の早さを感じる。ちょっと前までは鼻水垂らしてそこら中を短パンで駆けずり回っていたのに。今ではそんな時代もあったね~と振り返ることが出来るくらいしゅっとしてきている。ちょっとだけ伸ばした襟足がおしゃまだ。
小学生のときクラスにひとりは居たなぁ、こういうちょっとワルぶった感じの男の子。口調も男らしくなっている。クラスでもモテる部類に入るんじゃないかなこの子。黙ってまじまじと亮くんの顔を見つめていると亮くんはますます茹で蛸みたいに顔を真っ赤にした。ど、どうしたどうした。
「なっなにじろじろ見てんだよブス!」
「ぶっ……! ……りょ、亮くん? おねぇちゃんはもういろんな人に言われ慣れてるから良い……とは言えないけど、クラスの女の子にはそんなこと言っちゃだめだからね」
「いいからオレの質問に答えろよ不細工!」
「いやあの、言い方を変えればいいってもんじゃなくて。むしろもっと傷つくからそれ……」
「ま、ままままさか男……? 男のとこ居たのか!? なぁどうなんだよ!」
「あばばばばばおおおおお、おち、おちついてぇええ」
真っ赤な顔から真っ青な顔になった亮くんは、私の方が身長が高いので私の肩を掴んで前屈みにさせ、力加減なしに前後に揺さぶってくるので私の頭がヘドバンが如く前後にがくんがくんと揺らされる。絶対これ残像になってる。というか小学生男児の有り余るパワーすごすぎる。は、はきそう。ぎゅっと肩に乗せられたら手をとって、制止させる。あ、危ない。ほんとにギリギリ吐くとこだった……。
「さっ里帰りだよ。実家に帰ってたの!」
「なっなんだよ。実家かよ……」
良かった……と、今までの元気が抜け落ちてほっとした表情をした亮くんだったが、すぐにハッとして顔を真っ赤にし、違うからな! と否定してきた。な、なんだなんだ。どうしたというんだ。
「別に安心なんかしてねーし! 勘違いすんなよな!」
「う、うん?」
「そ……そーだよなー。志紀ねーちゃんブスだから絶対モテねーし。男なんか居るわけねーもんなー」
な、なんとも言えない。脳裏に太刀川さんの顔が浮かんだが何やら物凄く自分で納得し続けている亮くんにお話するには余りにも複雑で、教育に悪すぎる気がする。いや、悪いか。恋人じゃないけど他にもたくさん女の人を抱えてる男性に囲われてますなんて小学生に説明できるわけ無い。
「ヤバいじゃん。志紀ねーちゃんこのままじゃマジで、け……結婚とか出来ないんじゃね」
なんか今日はやたら結婚の心配されるんですけど……。婚期逃す前提で皆話してくるんですけど……。ここまで心配されつづけると本当に結婚できる気がしなくなってきた。
「そうだねー……。まぁ今は結婚とか全く考えてないし……。自分がお嫁さんになる想像も出来ないや」
「……見合いとかしない?」
「しないしない。そういう予定も全然ないよ」
そう答えると亮くんは真っ赤な顔のまま唇をきゅっと噛んだ。ぎゅっと拳を握り締めて私の顔を見つめたかと思えば俯いたりを二、三度繰り返す。すると彼の中で何か意を決したのか、まるで自分に活を入れる様に右拳で自分の腰あたりを殴った。突然の亮くんの行動にびっくりしてまばたきをしていると、志紀ねーちゃん! と改めて名前を叫ばれ思わず、は……はいと敬語で返事をする。
「志紀ねーちゃん! ……いや、し……し、~~っ……しきっ!」
「は、はい」
「オレが……オレがもう少し年取って働く様になって、金持ちになって、それで……それで志紀の身長超えたら、……オレと」
「……」
「オレと! けっ……!」
「おいおい坊主。はやまっちゃあいけねぇよ? 世の中に女はごろごろ居るんだから、もっと視野を広めてから考え直した方がいいぞー」
「こっ……。は!? だ、誰だよお前!」
「え、岡崎さん?」
何か言い掛けていた亮くんの言葉にかぶせて、考え直した方がいいと助言したのは岡崎さんだった。私の後ろから現れた岡崎さんはよぉ、と片手をあげた。
う、うそでしょ。このひともう退院したの? 顔面を覆い尽くしていたガーゼや絆創膏も何もなく、頭に包帯だって巻いていない。ありえない回復力だ。傷跡ひとつない。本当に怪我人だったのかと記憶を疑いたくなる程だった。
「し、しきっ! 誰だよこのジジイ! 知り合い!?」
「あん!? 誰がジジイだ! 俺ァまだ二十代だっつの! お兄さんだお兄さん!」
「うっせー! じゃあなんだよその白髪頭! ジジイじゃん!」
「白髪違いますー。これは灰色ですー!」
「二人とも目立つから、ちょっと、お、落ちつ」
「お前志紀ねーちゃんとどういう関係なんだよ! ま、まさかストーカーか!?」
「ストーカーちげぇよ。んな姑息なこたぁ俺ァしねぇ。こいつとの関係……関係ねぇ……。なんだろな? なぁ志紀」
「し、知りませんよ。あの、岡崎さん。何でここに? まだ入院してたんじゃ」
「おいおい言ったろ。俺は人より頑丈なんだよ。まだ病院にぶち込まれてなきゃならないナリに見えますか?」
「いっいえ。全く……」
「だろ? っていうかお前こそなんなの。ひとに果物押し付けて黙って退院しやがって。そっち行ったらベッドがら空きで吃驚したじゃねーか」
「……すみません」
「……ま、いいわ。お前さっきあの団子屋でみたらし買っただろ? おばちゃんに聞いたぜ。俺は三色団子買ってきたから分けて食おうや。だから家入れて。坊主も食ってく? 」
「そんな自分の家みたいな言い方やめてもらえませんか……。まぁいいですけど……。 今更なんですけど、岡崎さんて甘いものそんなに得意じゃないとか言ってませんでしたっけ……」
「全部の甘いものが苦手って訳じゃねぇ。甘ったるい洋菓子がムリなの。アイスみてーな冷たいものと和菓子ならいける」
「はぁ、そうだったんですか。亮くんも良かったらどうかな? このお店のお団子すごく美味しい………亮くん?」
せっかくだからと亮くんもお誘いしようと声をかけるが、亮くんは俯いてプルプルと震えていた。様子がおかしいと屈んで顔をのぞき込もうとしたら、亮くんがキッと目を鋭くさせて勢いよく顔を上げた。その顔は耳まで真っ赤で、眉を寄せてなかなかに厳つい表情をしているが、その目はうるうると涙目になっていた。
予想外の顔にぎょっとした私はあたふたして「どっどうしたの!? 目にゴミでも入っちゃった!?」などと尋ねるも、亮くんは私から視線をそらして私の後ろに居る岡崎さんを上目遣いで睨んだ。そのまま岡崎さんと私を見比べて大きく息を吸った。
「志紀のばーーか!」
「ぬえっ!?」
「オレは絶対諦めねーからな! 絶対そのジジイの身長すぐ追い越してクソかっこよくなってやるからな! 覚えとけよ!」
「えっ、え? あっあれ? 帰っちゃうの? だ、だんごはー!? 亮くーん!?」
なんとなくちょっと使いどころが違う気がする覚えとけを吐き捨て、ビューーンという効果音とともに亮くんはこの場から走り去っていった。その後ろ姿を呆然と見送っていると、右の耳穴に小指を突っ込んでいる岡崎さんが、ニヤリとしたいじわるな表情で私の隣に立った。
「お前も罪な女だねぇ。坊主のものをまんまと盗んじまうとは」
「……私何も盗んでないですからね」
「いや、盗んだだろ。とんでもないものをな……」
「……」
「……坊主の心です」
「絶対言うと思いましたよソレ」
わかりやすすぎるわ。下手くそか。白けた表情をしているであろう私に、んだよノリわりーなーと岡崎さんは口をとがらせた。そして私が持っていた大きな荷物をさりげなく取り、お家の玄関へと向かっていく。あまりにも自然な動作にぽかんとする。あれ、この人こんな気遣いも出来るんだ。したらしたでやたらと「どうだ優しいだろふはははは俺が存在していることに感謝しろ」なんて恩着せがましいのを想像していたが。
お家に入ると岡崎さんはまず荷物を置いて、グラスを2つと冷蔵庫からお茶を取り出して注いだ。なんだか岡崎さんがこの家に居るのを見るのも久しぶりだなぁなんて、そんな些細な動作をみて思った。みたらし団子と三色団子をパッケージから出している最中に、岡崎さんが先程の会話の続きをする。
「さっきの坊主、確かりょうくんっつったか? ありゃあ相当お前にほの字だな」
「はっ……え、あ、そうなんですか?」
「そうなんですか? じゃなくて、お前だってあいつが何言おうとしてたか若干感づいてただろ。なにかまととぶってんだ」
「だ、だって……まさかとは思いましたけど……。なんか、勘違いとかだったら恥ずかしいなって……」
「あんなわっかりやすい素直な反応見て勘違いもなにもねーだろ。いやぁ~最近のガキはマセてんなぁ。見てて微笑ましいとか、ガラにもねぇこと思っちまったぞ」
「そうか。そうなのかな……。照れるなぁ。ほんとにそうなら嬉しいですね。でもいいのかな。私なんかがそんな……」
「どんだけ自分のこと貶してんだよ。謙虚さなんて度が過ぎりゃうぜえだけだぞ」
「謙虚のけの字もないあなたに言われたくないんですけど……! だってほら、あの位の年頃って、身近なお兄さんとかお姉さんに憧れたり恋しちゃうもんじゃないですか。亮くんの場合、その身近に居たのがたまたま私だったってことで、将来黒歴史になったりしないかなぁと……」
「黒歴史は言い過ぎじゃね。ていうか将来黒歴史扱いされるお前の気持ち惨めすぎね? どんだけ自分に自信ねぇんだよ」
「私もそんな時期ありましたからね。確か、初恋が今の亮くんみたいな感じだったと思います」
「えっ、そ、そうなの……。へ、へ~」
「はい。結構小さい頃だったと思うので、あんまり覚えてないんですけど」
ぱくりと岡崎さんが買ってきてくれた三色団子をひとつもぐもぐと頬張る。三色もおいしいなぁ。いつもお店ではみたらしばっかりお持ち帰りしてるけど、たまには別のものも頼んでみようかな。今度は亮くんにもお裾分けで買っておいてあげよう。
ひんやりとしたお茶の入ったグラスを手にとり、お茶で口の中を潤す。岡崎さんのグラスのお茶が減っているのに気づき、冷蔵庫からお茶を取り出そうと立ち上がりかけたとき、岡崎さんが自分で入れるといって、席を立ち冷蔵庫を開けた。
「それで?」
「ふぁい?」
「なんなのお前ハムスターなの? ……だから、その、初恋の話の続き。途中で終わられると気になるだろーが。夜も眠れなくなっちゃうだろーが」
「え、そんなに? でも私、さっきも言いましたけど、ほんとにはっきりとは覚えてないんですよ。だからそんな面白い話出来ませんよ」
「いいから」
話せよ、とこちらに視線を向けないまま岡崎さんは自分のグラスにお茶を注ぐ。なんだかちょっと強引だなぁなんて思いながら、まぁいいや、と微かに残る思い出の記憶を紡ぎ出す。
「わたし昔体が弱くて、外で遊べない子供だったんです。走り回ったりだとかそういうのは厳禁で、学校も休みがちで。お友達とか出来ない……というか作り方もよくわからなかったんですよ」
お家でおじいちゃんとおばあちゃんに遊んでもらうことが多くて。昔の遊びとか教えてもらって。それはそれですごく楽しかったんですけど、やっぱり同世代のお友達と遊ぶことがすごく憧れで。とたどたどしく語る私の話を静かに黙って岡崎さんは聞いてくれていた。
「その頃、何がきっかけだったか、そこら辺の記憶が曖昧なんですけど、私とよく遊んでくれてたお兄さんが居て。たぶん私にとってそのひとが初めてのお友達で……初恋だったと思います。変な話ですよね。確かに大事なひとだったはずなのに、その人の顔も声も、なんにも覚えてないだなんて」
「……ふーん」
「……お、岡崎さん。お茶、溢れてます。どぼどぼいってます」
「ふーーん」
「いやあのふーんじゃなくて! わー! 服! 服まで濡れてますから!」
無表情でふーんしか言わなくなってしまった岡崎さんにタオルタオルっ! とお風呂場に取りに行き、岡崎さんに押し付ける。やっと現実に戻ってきたのか「うわっ! びしょびしょじゃねーか!」とタオルで拭い始めた。ひ、ひとに話せ言っておいてちゃんと聞いてたのかこのひと……!?
お団子を食べ終え、まったりとしと時間が流れる。私達は相変わらず各々がやりたいことに取り組むという穏やかで有意義な時間を……と言いたいが、岡崎さんは家にあるゲームでバイ●ハザードを楽しんでおられるので、ちょいちょい岡崎さんからときたまあがる悲鳴とゾンビのもがき苦しむ声が部屋にこだまする。穏やかさのかけらもない。あまりにも殺伐としすぎている。っていうかあのバイ●、ナンバリング18とかだったな。すごいな永遠だなバイ●シリーズ。グラフィックか進化しすぎていてリアルな臓物達が画面の中で散らばっている。う、うえぇ……流石に気持ちが悪い……。
「ほんとバイ●もすごいグラフィック進化してますね……。進化するにつれてゴア描写がますますえげつなくなってきた感じがします」
「そうかぁ? これぐらい普通じゃね。やっぱりパチモン感は拭えねーよ」
「それはあなたがモノホンを見慣れてるからなのでは……。でもほんとすごいなぁ。私直視出来ないですもん」
「なんだよ、今時の若者が情けねぇなぁ。これよりもっとえげつねぇもん世の中には溢れてるぞ。これくれぇで音上げでどうすんだ」
「いいんです。私は初代バイ●で十分楽しめますから」
「初代バイ●!? は!? それいつのハードウェアなんだよ! 何時代に生きてんだおめぇは! 石器時代!?」
「は!? 初代バイ●舐めないでください! 今みたいな精巧なCGのリアリティは無いですが、あの粗いポリゴングラフィックのちぐはぐ感が私達プレイヤーの心を不安にさせたんです! 序盤の振り返りゾンビの気味の悪さったらないですよ! なによりあの映画みたいなカメラワーク! 固定された画面だからこその、いつどこからゾンビやハンターが現れるかわからない緊張感! 廊下を歩いてたら突然ゾンビわんちゃんが窓ガラス破って襲ってくるシーンは今でもトラウマです! そしてラジコン操作の難しさが余計にやきもきさせられて焦燥感がすごいんですよ! グロさこそ無いですけどもアクションに頼らない正統派なホラーが存分に味わえるのは初代バイ●だけなんですからね!」
「え、な、なんかスイマセン……。ていうかラジコンってなに……」
熱弁する私を見て岡崎さんは少しばかり顔をひきつらせながらも、再びテレビ画面を見てゲームを再開させた。
私はどうしようかな。本でも読もうかなと考えていたところで、今日西園寺さんから渡された、太刀川さんからのチョコのお返しとやらが入った紙袋が視界に入る。紙袋を手に取り、中身を確認する。大きめの箱……おそらくこれは着物かな? それと……なんだろ、なんか眼鏡ケースみたいなのが入ってる。
ガサガサとまずは大きい方の箱を取り出して、ゆっくりと開封していく。なんか、いつもいつも高価なもの頂いちゃってるから、もう申し訳なさがえらいことになっている。
とりあえず中身が食べ物という可能性は無きにしもあらず。ぱかっと蓋を開けると、中に入っていたのは予想通り着物だった……のだが、いつもと少し雰囲気が違う。
落ち着いた藍色の下地に、お着物には珍しい明るい青と白の薔薇の柄。和と洋が違和感なく溶け込んでおり、いつも太刀川さんが着ている様な上品さと、大人っぽさがある着物だった。今まで贈ってくれた着物は派手目なものだったり、私の年で着るには少し大人っぽすぎるものなどが多かったが、今回は今までとは系統が違う。私が好きなタイプの、落ち着いた大人の女性が着るお着物だった。
「なんだそれ。着物?」
「え、あ、はい」
「買ったの?」
「いえ。バレンタインのお返しにって頂いたんです」
えっ? と岡崎さんが素っ頓狂な声をあげる。あまりにも、言ってしまうと間抜けな声だった。岡崎さんの顔を見ると、だらだらと汗をかいて口元をひきつらせている。
「え? えー? なにそれ。まさかそれくれた相手、お、おおお男? なにお前、バレンタインチョコ誰かにあげたの? 誰かにっつーか男にあげたの? マジ?」
「は、はい。いつもお世話になってるひとなので」
「……へーーえ、ふーーーん、そーーお。そおなのーー。ふーーーーん」
「……なんですかその白けた目は。どうしたってんですか。さっきからふんふんふんふんて」
「別に」
エ●カ様が再び岡崎さんの後ろにご降臨なされたぞ……。えらく不機嫌オーラを放つ岡崎さんはムスッとしていて、こういうときどうしたらいいのか私にはわからない。笑えばいいと思うよとか誰かアドバイスしてくれないかな……。
「もしかして、ちょいちょい部屋に派手な着物あんじゃん? あれもこれと同じ奴からの貰い物なの?」
「そうです、けど」
「……おめぇに合わねーだろ。ああいうのはなぁ、もっと色気のある美人な芸子とかが着るもんなんだよ。お前にはもっとこう……存在感薄めで淡い色合いの、人に溶け込んでる個性のない地味な感じの着物のほうがしっくりくるわ。あとキャラクターものとか?」
「最後に関しては確実に馬鹿にしてるでしょ」
岡崎さんの言っていることに間違いはない。キャラクターものの柄の方が似合うという点も然りだ。しかしなんだろう。自分でもそう思うし納得出来るんだけどこの人に直接言われるのはなんかは、は、腹立つ……!
「そもそもよぉ、なんで今時着物? お前ぐらいの世代は皆洋服が多いだろ。なんでこんな着物ばっかり贈ってくんの。おめぇが洋装してるとこも見たことねーし」
「……着物の方が似合うからって言ってくれて。いつも着物なのは、そうですね……。私が着物の方が好きだからとかそんなんでいいです」
「投げやりは良くないぞー適当に答えるなー?」
「いひゃいれす」
みょーーんと頬を引っ張られながら、私が洋装しない理由を考える。太刀川さんはいつも私に着物の方が似合うと言って上等なものを私に贈ってくれる。別に着物を着ることが嫌だとかそんな感情はない。
とはいえ、今まで着物を着る機会はゼロに等しかったために、ここに来た当初は面倒くさがって、洋服を着用したことがある。そして洋装の私を見たあとの太刀川さんの機嫌の低下っぷりたるや……。
なんでかはわからないが、彼は私が洋服姿になるとひどく不機嫌になる。不機嫌な太刀川さんは怖いので、それ以来出来るだけいつも着物を着用することになった。いつどこで突然天龍本家からお呼びだしを食らうかわからない為、外に出かける際は絶対に着物だ。慎重派故の日々の努力……と言いたいところだが、こうして改めて考えると私って本当に生きづらい生き方をしているなと思った。
「でも、今回頂いたものは落ち着いた雰囲気で全く派手じゃないですよ。和洋折衷って感じの珍しい柄してますけど」
「……気に入ったの?」
「……そうですね」
今まで頂いた着物の中でダントツ一番で好印象な着物だと思う。一目見ただけで高価だとわかる質のものなので、畏れおおくて普段から着用できる気はしないけど。今度太刀川さんに会うときはこれを着ていこうかなとも考えるぐらいに気に入ったのかもしれない。
岡崎さんは私の返答に眉根を寄せてぷいと顔を背けた。
「いっ、言ったろ。そういうのはもっと色気のある大人の女が着るもんなんだよ」
そして意地悪を言ってくる。私はそれに反撃出来ないし、その通りだと思うから同意するしかない。
「岡崎さんの仰るとおりです」
「だろ?」
「はい。私には勿体ないって品物だってわかってますし、まだまだ子供だから不釣り合いだろうし。なに調子乗っていいもん着ようとしてんだ浮かれてんじゃねえって言いたくなる気持ちも物凄くわかります」
「いっいや、俺そこまで言ってないんだけど」
「どうせ、大人だったとしても似合いませんから。……私なんかには」
着物の入っている箱の蓋をそっと閉じる。……やっぱりやめておこう。岡崎さんの言うとおりだ。私には似合わない。この着物もいつも通り、きちんと丁寧に保存しておこう。
後片付けを始めた私に何故か岡崎さんの方が情けない、なんとなく気まずそうな表情をしている。そして、頭をがしがしとかいて、お前には、と言葉を吐き出した。
「お前には赤の方が似合うだろ」
「赤? 赤って結構派手ですよ。私には青の方がたぶん……」
「馬鹿野郎。青だとお前の陰気くせえのが更にマシマシになっちまうだろうが。もうその成分はお腹いっぱいなんだよ。輝かしい赤色でその暗い性格ちったぁ陽気に見せんだよ。こってりをさっぱりにするんだよ」
「さっきと言ってることが真逆なんですけど。あなた自分が言った台詞覚えてます?」
「あーーもう揚げ足取りやめなさい! そんなんだからあんたはもーー!」
「何故お母さん?」
岡崎さんはぷんぷんしながらトイレ行ってくる! とお手洗いへ向かった。なんなんだあのひと。言ってることが滅茶苦茶だ。結局私は地味でいたらいいのか派手でいたらいいのか訳が分からなくなってしまった。
着物の入った箱を紙袋に戻す為にごそごそする。そういえば、このめがねケースみたいなのはなんだろうと手に取る。
ぱかり、と留め金を外して開けてみると中には簪が入っていた。これも青と白の薔薇が飾りとして付いていて、一緒に入っていた着物のデザインと合わせた造りなっている。一目で手作りとわかる精巧な作りだ。まさか、これ、オーダーメイドなんじゃ。セット売りとかそういうのじゃないよね。うそ、オーダーメイドって高いんじゃ。ひ、ひいいい……。
焦る気持ちを一旦落ち着かせて、あらゆる角度から簪を観察する。……綺麗な簪だなぁ、派手すぎず、かといって地味すぎない。これもまた品のある雰囲気を醸し出している。
……着物はダメでも簪くらいならつけてもいいかな。いいよね。そんなに目立たないし。髪も伸びてきたから丁度いい。今度本家に行くときはこれつけていこっかな。鎖骨辺りまで伸びた髪に触れ、簪を挿せるだけの長さが足りているか確認し、試しに挿してみようとしたそのとき、予想だにしない絶叫が響き渡った。
「……かっかんざしィイイ!?」
「う、うわっ!? え、な、なに!? な、なんですかいきなり大声出して、び、びっくりしたぁあ!」
「なっななな、おまっそれ、はあ!?」
「……え? こ、これ? 仰るとおり簪ですけど」
「おおおおとうさんは許しませんよ!」
「な、何が? ていうか今度はお父さん?」
「あーーもうなんなのお前! ほんっとなんなの! 没収! これは没収!」
「え、えーー!? ちょ、何すんですか!」
「封印!」
トイレから戻ってくるなり絶叫した岡崎さんに簪をひったくられ、簪が元々納められていたケースに仕舞われる。汗をだらだら流し、血走った目で私を睨み付ける岡崎さんに身が竦む。そして岡崎さんは気まずそうな表情をして、ぽいっとケースを紙袋に放り投げた。ちょ、おま、こわれる!
「て、丁寧に扱ってくださいよ! 壊れちゃうじゃないですか!」
「……志紀、簪貰ったことの意味、お前ちゃんと理解してんのか」
「……ハイ?」
「……あーーーそっか、そうだった。お前超ド級のド田舎から来た世間知らずの娘っ子だもんな。いやそれにしたって常識を知らなさすぎじゃね。普通女ならこれぐらい知ってて当たり前じゃね。つか一番意識するイベントなんじゃないのこれ。お前マジで石器時代の人間なんじゃないのほんとありえないんですけど!」
「とりあえず女として滅茶苦茶貶されてることはわかりましたよ」
簪を頂くという意味がわからないので岡崎さんに問い詰める。しかし岡崎さんはやだやだと可愛くもないのに子どもみたいな駄々をこねて結局教えてはもらえなかった。
不機嫌度マックスになった岡崎さんはピリピリとした様子でバイ●を再開する。画面上でゾンビ達がバッサバッサ倒されていく光景にあれ? これ戦国●双……? と別モノ感溢れるゲームになっていた。ていうか何。や、八つ当たり……? ……触らぬ岡崎さんに祟りなしである。
5月頭、久々に旅館へと出勤した私は仲居さん並びに従業員の皆さんに長期のお休みを頂いていたことをまず謝った。それはもう冷たい視線をあちこちから浴びながらいろんなところを駆けずり回った。今までのぶんを取り戻すために、働きに働いた。
GW前なのでやることはたくさんある。とにかく配膳やら掃除やら、バックヤードでの裏方業務を中心にいろんなところを回る。なんとか休憩時間は確保することは出来た。旅館の地下にあるソファでお茶を飲みながらふーーと息をついていると、フネさんも今から休憩なのか、ニコニコと地下室にやってきた。
「あぁ、いたいた志紀ちゃん。お仕事復帰するなり大変ねぇ~。こんな忙しい時期に~……」
「いっ、いえいえ! むしろ一番忙しくなるときに戻れてよかったと思ってます。これ以上皆さんに迷惑かけたくないし……」
「ほんとうにいい子ねぇ~。そうそう渡しそびれちゃってたんだけど、はいこれ。バレンタインのお返し。キャラメルはすき?」
「わぁ、ありがとうございます。大好きです。せっかくなんで今頂いてもいいですか?」
もちろん、と和やかに笑うフネさんの前で包みを開けて、ふたつキャラメルを取り出す。フネさんにもどうぞ、とお渡しすると、あらやだ、いいのぉ? と少し照れた様に笑う様はとても愛らしい。フネさんがお若いときの現役時代、さぞモテただろうなぁと思う。こういう慎ましい仕草が自然に出来るのは本当にすごい。
キャラメルの甘さを楽しみながら、そうだと、抱えていた疑問をせっかくなのでフネさんに尋ねることにした。
「フネさん、私この前バレンタインのお返しに簪を頂いたんですけど、それって何か意味が……」
「えっ簪?」
「っはーーー!? あ、あああんた! それはあたしも聞いてないわよ!」
「うわっ! か、香澄ちゃん! び、びっくりした、突然出てくるから……。香澄ちゃんも今から休憩?」
「志紀ちゃん、それは若頭さんから貰ったの?」
「えっ、あ、はい」
驚愕した表情でわなわなと震える香澄ちゃんに対して、フネさんはあらあらまぁまぁと頬を染めている。な、なんだこの対照的な反応の差は。
「そうなの~。これはおめでとうと言っていいのかしら~」
「えっ何が? なにがですか」
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「?」
「フネさん……こいつ常識なんて持ち合わせてない生粋の世間知らずなんで、直球で言ってやんないとわかんないですよ」
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「結婚しろってことよ」
「……」
「プロポーズされてんのよあんた。太刀川に」
男が女に簪を贈るってのはそういう意味なの、という香澄ちゃんからのお言葉に頭が真っ白になった。
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