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飴言葉
しおりを挟む「猫アレルギー、ですか?」
「みたいですねぇ」
猫のアレルギー数値がズバ抜けてるんですよねぇ、とお医者さんが言うので渡された書面を確認する。私猫ちゃんだめなんだ……。知らなかった……。
「そんなにすぐわかるものなんですか? 検査とかもっと時間がかかるものなんじゃ」
「アレルギーの検査結果なんて三時間もあればすぐ出ますよ」
お医者さんは怪訝な顔をしてとさらりと答えた。み、未来の医療技術すごい……。
太刀川さんと西園寺さんに病院に連れて行ってもらった私は、天龍が抱えているというお医者さんに診察、治療をすぐさま受けさせてもらい、咳も呼吸もやっと落ち着いた。
現在検査を終え、点滴を打たれた状態で個室の病室にてお医者さんから診断結果を聞いている。今病室に居るのはお医者さんと看護師さん、西園寺さんと私の四名だ。太刀川さんは私より先に検査結果を確認し、天龍の本家に戻られたと西園寺さんから聞いた。どうやらお仕事を中断してここまでついてきてくれたということで、あとの私の様子を見る役目は西園寺さんにお願いしているらしい。申し訳なさすぎてお腹が痛くなってきた……。ちゃんと謝らないと、ほんとに。
「猫は飼っていないと伺ってますが、近頃猫と触れ合う機会は頻繁にあったとか。おそらくそれが引き金になって今回の発作に繋がったんでしょう」
「じゃあ私、これから猫ちゃんには触っちゃだめというか、近付くのも駄目なんですか?」
シロちゃんの可愛い顔が頭に浮かぶ。このことがきっかけで私はもうシロちゃんと戯れることも出来なくなってしまうのかと思うと悲しくて虚無感に襲われたが、お医者さんはいえいえと首を振った。
「アレルギーを殺す薬をその点滴で投与してますから、あと三日もすれば触っても大丈夫ですよ」
「へ? え? な、治るんですか?」
「ええすぐに。というか、乳幼児に各種アレルギーの予防接種を受けることが決まってる筈なんですが、遠坂さんはお受けされていないんですね」
まぁ詳しくはお調べ出来なかったんですが、と苦笑するお医者さんに私もですよね……と返す。本来この時代に存在するはずのない私には戸籍が無いので保険証もない。この時代で生まれていないのだから、私の時代にはなかったそんなハイスペックな予防接種を受けられる筈もない。
「あと、発作に加えて少し喘息も発症しちゃったみたいですね」
「喘息……」
「そういえば遠坂さんは小児喘息を患っていたと聞きましたが、今はもう完治されてるので?」
「……えっ?」
「あれ、違いましたか?」
「い、いえ。小さい頃はひどかったんですけど……でも今はもうほとんど……」
「風邪引いてこじらせたときにちょっと喘息が併発するとかぐらいですかね」
「そんな感じです」
「なるほどなるほど」
「……あの、誰が言ってたんですか? 私がその……喘息持ちだったって」
「誰って……天龍の若頭さんですよ。遠坂さんに治療を受けて貰っている間に色々お話を伺いましてね。かなり重度の小児喘息だったとか」
若頭さん、随分と気を使っておられましたよ。と付け加えて話すお医者さんの顔を見ながら、私の頭の中でどうしてという疑問が一気に渦巻く。そんなまさか、だって、私から太刀川さんにそんなことを話したことはない。それどころか、この時代に来てから一度だって誰にも話したことのない情報だ。精々体が弱かったとかそれぐらいで、病名までピンポイントに発言したことはない。
太刀川さんは私と昔会ったことがある。その可能性が濃厚になって、ますます訳が分からなくなる。
「一応喘息の薬も出しておきましたから、1日三回食後に飲んで下さい。喘息に関しては今回は軽度のものですから、すぐに薬が効いてくるでしょう」
「は、はい」
「あとはアレルギーを殺す点滴ですが、2日は投与し続ける必要があるので、その間だけ入院しといてもらいます。喘息のこともあるし大事はとって念のためね」
「……にゅ、にゅういん」
「ああ、費用については頂きませんからご心配なく。天龍さんにはいつもお世話になってるんでね。色々と」
色々と。という言葉にいやに含みを感じたのは気のせいだろうか。若干怪しさを感じたのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。やましいことなどないですよね、そうですよね。
お医者さんと看護師さんは私達に挨拶をして病室を出て行かれた。残された私と西園寺さんの間に沈黙が流れる。ぎゅ、とお布団を握り締めて声を振り絞る。
「すみません。またご迷惑をおかけてしてしまって」
「全くです。大事になる前に逐一お伝えして頂かなければ、こちらもいちいち対応に追われます。今後こういうことは無き様、ご配慮頂きたい」
「ごめんなさい……」
椅子から立ち上がった西園寺さんは上着を手にしてまた3日後にやってくると告げて病室を出て行った。ひとりぼっちになった病室のベッドの上で膝を抱え、はあと重いため息をついた。
報告として、今日から入院することになりましたと香澄ちゃんにメッセージを送ったその夜、雨が降った。雨音を聞いて、太刀川さんがなんで私の喘息を知っていたのか、過去に出会っていたとしたらいつだったのか考えながら、お世辞にも美味しいとは言えない味気のない病院食をもそもそひとりベッドの上で食べていると、ガラリと音を立てて病室の扉が開く。勢いよく入ってきたのはぜえぜえと息を荒くしたびしょ濡れの香澄ちゃんだった。
「面会時間、間に合った……」
その場にへたりこんだ香澄ちゃんは両手にいっぱいに袋をたくさん抱えている。何も言えずびっくりしてベッドの上に座り込んでいる私のことを、香澄ちゃんは額に青筋を浮かべてきっと睨みつけた。
「あ、あんたね……入院しましたじゃなくて病院の名前も教えときなさいよ! 返事もしてこないし、お陰であちこちの病院走り回る羽目になったじゃないの!」
「え、え? へんじ? え、でも何も来てなかっ……」
「……」
「スマホの電池切れてたの今……気づきました……。ちゃ、着信十二件、入ってたね……!」
「ほんっっとぶっ飛ばすわよあんた! 入院どころか永眠させたろか!」
「ごめんなさいいい!」
荷物を床に下ろし、私のこめかみにぐりぐりと拳を当ててお仕置きしてきた香澄ちゃんからぽつぽつと水滴が落ちてくる。体も冷たい。すっかり冷え切ってしまっている。思わずこちらから香澄ちゃんの両頬に手を当て顔を近づける。寒いのか、心なしか震えている。
「香澄ちゃん傘ささずに走り回ってたの!?」
「だってめんどくさいし」
「いやいや春といえど駄目だよ……。夜は冷えるんだから……」
とにかく座って座ってと言うと、香澄ちゃんはベッドの横に備えてある椅子にどかりと荒々しく腰掛けた。室内の暖房の温度を上げてタオルを取り出し、香澄ちゃんの濡れた頭をわしわしとふいてあげる。意外にも大人しくしてくれていた香澄ちゃんはその状態のまま話し出した。
「……世間は新年度、新学期だっつって気合い入れ直してるってのに、あんたのこのザマは何なのよ」
「ね、ねこアレルギーだって。でもお薬もらったからすぐ治るよ」
「はっ!? ねこぉ!?」
なによそれ! と私からタオルを奪い取り、がしがしと荒々しく頭を拭いて水分を飛ばそうとする香澄ちゃんはイライラを隠しはしなかった。
「こっちは何かあったんじゃないかって焦ってたってのにネコ!? はぁ!? じょーーだんじゃないわよ! あたしがどれだけ心配したと思っ……て……」
香澄ちゃんは動きを止め、ハァアアア……と重いため息をつき、まるでリングで戦ったあとのボクサーみたいにタオルを頭に乗せたままがくんと前屈みに頭を下げた。タオルのせいで表情は見えなかったが、タオルの隙間から見える耳はとても真っ赤だった。
「香澄ちゃん」
「……なによ」
「電話気づかなくて本当にごめんね。……私のこと見つけてくれてありがとう」
「……うっざ」
「香澄ちゃんが男の子だったら私、確実に心奪われてると思うなぁ」
おや? と思った。てっきり「あんたなんかに惚れられるとか死んでもごめんなんだけど」「迷惑極まりない」「うざい」「調子乗んなブス」とかいつものように罵られるかと思いきや、香澄ちゃんはそのまま動かず黙ったままだ。どっどうしよう、無視したくなるぐらい怒ってるのかな。わざわざあちこちの病院を探し回って、ずぶ濡れになって、やっと見つけたと思ったらただのアレルギーでした、だもんな。そ、そりゃ怒るよな!
「あ、あの、香澄ちゃん。ごっごめんなさ」
い、と言いきる前にずいっと目の前に差し出されたのは、雨が染み込んだ、可愛らしい絵柄の書かれた紙袋。へ? とその紙袋をただ見つめていると、再び受け取れと言わんばかりに香澄ちゃんは顔を上げないまま紙袋を持ったその細腕を伸ばし、こちらに押し付けてくる。恐る恐る受け取る。
「遅くなったけどお返し」
「お返し? ……何の?」
「バレンタインのに決まってんでしょ、ばか。先月渡そうと思ってたけど、あんた天龍に居たから」
「え、ほ、ほんとに? 私に!? あけていい? あけていいかな!」
「なっなによ、いやに嬉しそうねあんた。やめてよ、たいしたもんじゃないからあんま期待しないで」
「どんなものだって嬉しいよ。香澄ちゃんが私のためにって選んでくれたんだもん」
「あんたって聞いてるこっちが恥ずかしくなることさらっと言っちゃってくれるわよねほんと……」
紙袋の中に入っている小包も可愛らしく赤いリボンで包装されている。するりとリボンを解いて、慎重に慎重に箱を開けていく。あまりにもそろりそろりとしていたので痺れを切らした香澄ちゃんが箱なんか破るなり壊すなりしてもいいからさっさとしろと言うので、まぁまぁと宥めながら箱を開けていく。
小包の中から現れたのは、りんごの形をした真っ赤な瓶に入ったキャンディの詰め合わせだった。赤いスケルトンのりんごのなかで色とりどりのまぁるいカラフルな飴玉が詰められている。試しに天井の電気の光に翳してみると、きらきらと飴玉の色味が強調されてとても綺麗だった。
「うあぁ~~……かわいい~……」
「巷では今時女子に人気の商品らしいわよ。イン●タ映えするだのなんだので。飴も美味いけど、飾りになるからって瓶目当てで買う奴も多いみたいね。色んな形があったわ。あんたもそういうファンシーなの好きでしょ」
「おいひい~! いちごあじだ~!」
「ってもう食ってるし……。そうだった……。あんたは色気よりも食い気の方が強いんだった……」
香澄ちゃんにもどうぞと瓶を傾けると、香澄ちゃんはごそごそと瓶に手を突っ込みひとつ飴玉を取り出して口に放り込んだ。なんだ、見かけに全振りして味は普通じゃないのと毒づく香澄ちゃんだが、それが照れ隠しであるということはわかっていた。
「あと、これ。栄養ドリンクとか果物とか。不順って聞いてたから生理用品とか下着とか色々持ってきといた」
「あ、ありがとう! よかった~。下着とかあとで売店まで買いに行かなきゃと思ってたからほんとに助かる……」
「いくら西園寺でも、女のこういうとこの細かい用意は出来ないでしょ」
香澄ちゃんが両手いっぱいに持ってきた紙袋には女子の必需品がたんと入っている。中身が雨で濡れないようにと上にはタオルがかけられていた。私は本当にいいお友達を持ったなぁ。
フルーツバスケットから林檎と果物ナイフを取り出し、香澄ちゃんのために剥き始める。剥き終えた分を香澄ちゃんに、はい、と差し出す。香澄ちゃんは林檎を受けとり、ひとくち口に含んで咀嚼する。もうひとくちと口を開きかけた香澄ちゃんが動きを止める。その目はどこかぼんやりとしていた。
「ねぇ志紀」
「うん?」
「もしあたしが……その…………あぁもう」
「?」
「……何でもない。さっさと治して仕事復帰しなさいよ。雑用押し付ける相手居なくて皆イライラしてんだから」
「も、もうちょっと復帰したくなるお言葉をかけて頂けると嬉しいなぁー……」
「甘えてんじゃないわよばか」
入院二日目の朝、点滴のスタンドをきこきこ引っ張りながら、食べ終えた朝食のトレーの返却場所までよたよた歩いていると、目の前を通り過ぎた人物に目を丸くする。え、え!? とスタンドを引っ張り、その人物の後ろ姿をまじまじと見つめる。間違いない。あの高身長、だらだらとした歩き方、ぐるぐるに巻かれた包帯からところどころ飛び出た灰色の髪。先ほどちらりと見えたあの赤い目は。
「お、岡崎さん!」
「……んぁ?」
緩慢な動作で振り向いたそのひとの顔を拝見するのがあまりにも久しく感じる。しかして何故そんなに全身包帯ぐるぐる巻きなのか。ミイラ男再びである。私の姿を視界に収めた岡崎さんはその赤い目を丸くして、「志紀?」と私の名前を呟いた。
「え? マジで志紀? 志紀ちゃん? シキティ? モノホン? あっらやだ~偶然じゃない~。どうしたのこんなますます身体悪くしそうな薬品臭いところでぇ~♡」
「すみません人違いでした。さよなら」
「待て待て待て待て冗談じゃん……! 久々に再会した昔の同級生とかと会ったときなぜかちょっと気まずくなる謎のアレを和らげようとした俺のささやかな気遣いじゃん……! ちょっと止まれって」
先回りして私が動けないように、ぐいとスタンドを掴まれる。岡崎さんが、どうだしてやったりみたいな表情をするので癪に触って思わずむっとする。
「いやぁ~、マジで久々に見たわお前の華のない顔。なに、なんでこんなとこいんの? どうしたんだよこの点滴、ブラック企業で働き過ぎでとうとう体壊し……」
「なっなんですか。 なんか恥ずかしいからそんなまじまじ見ないで下さいよ。どうせ華のない顔ですから」
「……お前、その首」
「?」
「……なんでもねぇよ。……べっ別にどうでもいいし? 俺にはぜんっぜん関係ねーし? 気にしてねーし? お前も年頃だもんな。それぐらい普通だもんな? 別にどこの馬の骨とだろうとけっ、経験としてはイイと思うしィ? むしろしとけっつーか? ただでさえ経験値低いんだろうから勉強しとけっていう?」
「あ、あの……岡崎さん、折れる……私のスタンド折れちゃいますから……。あの、聞いてますか、岡崎さん。折れたら怒られちゃいますから、ねぇちょっと」
ぶつぶつ呟く岡崎さんの顔中に怒りマークがどんどん増えていく。点滴スタンドの棒部分を思い切り掴んて出来た拳は血管が浮き出る程ぷるぷると震えて、簡単には折れない強度であろう筈の棒が折れそうになっている。目が血走り、笑ってはいるが鬼の様な表情をしている。正直気味が悪すぎてこわい。なにこのひと情緒不安定なのか。とりあえずこのままでは本当に折れて看護師さんに怒られるので離してくださいと岡崎さんの拳に触れると案外あっさりと手は離してくれたが、岡崎さんを見上げてみると眉間に皺を寄せそっぽを向き、子どもみたいにむくれた表情をしていた。……オネェになったり笑ったり怒ったりむくれたりで忙しいひとだなぁ。
「……なに笑ってんだよ小娘」
「いっいえ。お気になさらず。岡崎さんはまたどうしたんですかその怪我。なんでまたミイラ男になってんですか。以前よりクオリティ極めてどうすんですか」
「ちょっとめんどくせーのと喧嘩しただけ。お前は?」
「喧嘩で済むレベルじゃないでしょそれ……。私は猫ちゃんにやられちゃいました」
「は!? よわっ! 小動物にも負けんのかお前は!」
「猫なめちゃいけませんよ。……あの、岡崎さんも病室こっちなんですか?」
「いや? 俺ァ向かいの病棟」
「はぁ、そうですか」
「うん」
「……」
「……」
「いやなんでついてくるんですか」
「んだよつれねーなぁ。俺に会えない日々に枕を濡らしていたであろう志紀ちゃんを気遣って久々に構い倒してやろうと思ってんのによぉ」
「濡らしてないです」
「あーー岡崎さん! 見つけたーー! まぁたぬぁに勝手に病室抜け出しとんじゃー! アナタ重症患者でしょう!」
「げ。やっべぇ見つかった」
後ろからガタイのいいふくよかな年配の女性看護師さんが患者さんに向けるものではないだろう、西部劇のヒャッハー! 勢 が持っている捕獲用の投げ縄をぶんぶんさせてこちらに鬼気迫る顔で追ってきていた。あまりにも迫力のありすぎる看護師さんに岡崎さんも私も顔をひきつらせる。岡崎さんは私を盾にするも、看護師さんはどこで鍛えたのか「とぅっ!」と掛け声をし、巧みに縄を操って後ろにいる岡崎さんを捕らえた。岡崎さんはあえなく御用になり、縄で縛られたまま身動き出来ず、ずるずると床を引きずられていく。
「全く! きちんと安静にしといてくれないと困ります! そんなに好き勝手出歩かれますと治るものも治らないでしょう! さ! 座薬のお時間ですよ! 今日も私がじっくりゆっくりずっぽり入れて差し上げますからね!」
「その絶対安静の患者ズルズルズルズル引き摺ってんのはどこのどいつですかー! イヤダァア! どうせなら美人のエロいナースに座薬してもらいたいいい! ババアはもうイヤダァア容赦なく指まで突っ込んでくるからイヤダァアア! チェンジ! チェンジィイイ!」
「我が儘言うんじゃありません! 私のどこが不満なんです! まだまだ現役ですよ!」
「その年で現役とか言うんじゃねえ想像しちゃうだろうが! しきぃいいたすけてぇえええ」
ズルズルズルズルとこちらに助けを求めてくる岡崎さんにゆらゆらと手を振り見送る。覚えてろとか言われたけれども私にはどうしようもない。私では勝てる気がしないよあの看護師さん……。なかなかバイオレンスな病院だな……と思い、なんとなくスタンドにぶら下がった点滴袋を見つめる。だっ大丈夫だよね。ちゃんとお薬だよねこれ。強化剤とか入ってないよね……?
お昼ご飯も済ませてひとり病室で本を読んでいると、ガラガラとノックもなしに扉が開いた。え、とそちらに目を向けると足を使って扉を閉めている岡崎さんが居る。足癖悪っ。
がしがしと頭をかきながら、ベッドの隣にある椅子に腰掛け、手にしていたグラビア雑誌を何も言わずにペラペラとめくりだした。デリカシーの無さは相変わらずである。というか本逆さまだけど気づいてるのかこのひと。無言で雑誌に目を通し……ているのかはわからないが、岡崎さんは頭や体中に巻いた包帯に加え、顔もガーゼや絆創膏だらけで見ていてとても痛々しい。
「岡崎さん、病室で寝てた方がいいんじゃないですか。前と比べものにならない位ボロボロですよ」
「猫如きに倒されるおめぇに言われたくないね。心配しなくても怪我は見かけ倒しで実際たいしたことは」
「えい」
「キャアアアア! おおおおお折れた! おまっ絶対これ折れたぞおまえ! なに!? なんの恨みがあってこんな仕打ちを!」
「腕に軽くしっぺしただけでこれじゃないですか。ほんとは辛いんでしょ? そんな強がらなくていいですよ。さ、病室までついてってあげますからちゃんと寝てましょうね」
「つっ強がってねーーし。ぜんっぜん平気だし。痛くも痒くもねーし。むしろもっと痛みをくれとすら思うわ何も感じねーわ、物足りねーわ」
「そんな汗だくの涙目でなにこどもみたいなこと言ってるんですか。ほら立ってください」
いくら病院でも床はばっちぃんですから、と手を差し出すと岡崎さんは私の手を見つめたまま取ろうとはしない。岡崎さんはがしがしと頭をかいて私の手は取らずに自力で立ち上がり、ぽきぽきと肩を鳴らす。そして床に落ちていた雑誌を手にとって再び椅子に腰掛けた。
何が原因なのかわからないが、突然気まずい空気が流れ始めた。私はその場に立ったままではなんだとベッドに戻るが、隣でまたもグラビア雑誌を逆さまに眺めている岡崎さんからひしひしと感じる謎の圧力がえげつなかった。
「お前さ、今までどこにいたの」
「は!? はい!? なんですか!?」
「いやだから、長いこと家空けてどこに行ってたのかって聞いてんだけど。まさかずっと入院してたってわきゃねぇよな。つか実際なんで病院にいんの」
「え、えっと、咳が止まらなくなっちゃってお医者さんに診てもらったら、猫アレルギーだってことが判明して……。とりあえずアレルギーを殺すための点滴してもらって、昨日から入院って運びになりました。明日の夜には退院するんですけどね」
「お前猫だめなの?」
「だったみたいですね。私も初めて知りました。岡崎さんはいつからここに?」
「一週間前にぶち込まれた」
「ぶち込まれたって……刑務所じゃないんですから」
「俺にとっちゃあ似たようなもんだよ。マズい飯にベットに縛り付けられて軟禁状態と変わらねーじゃねえか。……で?」
「で?」
「もう一つの質問に答えてねーぞ。入院する前はどこに居たんだよ。俺も色々と立て込んでたからお前ん家行く機会もそんな無かったけど、ちょっと寄ってくかって行く度留守だったじゃねーか」
「……実家に帰ってました」
「……実家ね」
ふーん、とどうでも良さげに私から視線を外し、岡崎さんは断りもなくフルーツバスケットからバナナを取り皮を剥いてもぐもぐと食べ始めた。
なんだろう、この居たたまれない、責められている様な感覚は。どことなく不機嫌なオーラを醸し出している岡崎さんは眉間に皺を寄せて、相変わらず雑誌を逆さまにしたまま眺めている。グラビア雑誌というよりは新聞を読んでいて非常に不快な内容の見出しを読んでいる男性にしか見えない。も、もっとニヤニヤして読むもんじゃないのかグラビア雑誌って。というかそれ女の子皆逆さまにしか見えないのでは。本当に見てるのそれ? という尋常じゃないスピードでページめくり続ける岡崎さんは何度も何度も最初から最後のページを往復している。
「あの、岡崎さん……本逆さま……」
「あん!? なに!? 読めてますけど!? 新たな読書法を編み出しただけですけど!? 世界が違ってみえるんですけど!? 何か文句でもありますか!」
「いや無いですけど別に……なんですか、何怒ってるんですか」
「怒ってねーよ。俺はいつだって冷静沈着なクールな男だよ」
「どの口が言ってんですか」
「お前こそどうしたの。しばらく見ない内に結構生意気な口叩くようになったな。思春期が終わり反抗期が訪れたの?」
バナナを一房食べ終えた岡崎さんは病室に備え付けられてるテレビをつけてそれきり黙りこんでしまった。
なんでだろう、久しぶりに会って、いつも通りの言い合いっこの筈なのにどこか気まずい。以前は居心地のいいものだったのに。岡崎さんもこの違和感に気づいているだろうか。
香澄ちゃんからもらった、飴玉の入った林檎の瓶の蓋を開けてひとつ口に含む。レモン味だった。岡崎さんにも舐めます? と瓶を傾けると岡崎さんは瓶の中に指を突っ込んで紫色のぶどう味の飴玉を掬い取り、口に含んだ。ころころと2人口の中で飴玉を転がす。以前とは少し雰囲気の異なる、ふたりだけの時間を過ごした。
退院の日の朝、看護師さんに点滴も取ってもらい帰るための身支度をする。あらかたの整理は済んだ。あとは午後にやってくるお医者さんから退院しても大丈夫かどうかの最終の診察を受けて、夕方頃には病院を出る予定だ。
西園寺さんから四時ぐらいに迎えにいくとの連絡を頂いたので、病院の下まで行くのでわざわざ病室まで来なくても大丈夫ですとお返事をしておいた。
だってここには岡崎さんが居る。岡崎さんと西園寺さんに面識は勿論無いだろうが、同盟関係ではない組同士だ。なにか妙なことにならない様に接触は避けさせるのが一番だろう。とりあえずそれまではこの病室で待機となる。
短かった入院生活もこれで終わりだが、一応今日で天龍での一時的の離れ生活も終わりとなる。離れに残したままにしている荷物も持って帰らないといけないし、シロちゃんにも会っておきたい。……タイミングさえ合うのなら太刀川さんにも挨拶しておかないと、とも思う。なんやかんやで一か月も寝食を共にした相手なのだから。
それにしても、香澄ちゃんが持ってきてくれたバスケットに入った果物なのだが、流石に一日二日で食べきることは出来なかった。持って帰るのもなんだし……岡崎さんにお裾分けというか食べて貰おう。あのひと果物類好きだし。あともう少しだけ入院生活が続くと言っていたし……いや、あれはもう少しで退院させてくれる怪我なのか? 本人が勝手にそう言っているだけの気もしてきた。
私も社会復帰するタイミングは交代勤務の調整もあるので、おそらくGW前になるだろう。それまでにお見舞いに来れるかどうかわからない。また岡崎さんには暫く会えなくなるな、と考えた自分に息が止まる。い、いやいやいやいやいや何考えてるの? は? 何その、岡崎さんに会えなくなるのが寂しいみたいなニュアンス。ち、ちがう、そんなんじゃない、そんなんじゃないから。絶対ちがうから。ありえない、ありえないから。
メロンやみかん、林檎が入ったバスケットを抱え、教えて貰っていた号室を探す。ええっと、7A号室は……あそこか。一番奥の個室のお部屋が岡崎さんの部屋だとアルファベットの順番からわかった。
病室に少し近づいたところでぴたりと足を止める。何やら賑やかな声がする。あれ、誰かお見舞い来てる最中なのかな……。てっきり岡崎さんはひとりでお昼までぐーすか寝てるんだろうなと思っていたが違った。個室の扉がほんの少しだけ隙間を空けて開いていたので、そろりと中を覗く。ベッドの上に座る岡崎さんを、知らない人が数名囲んで和気あいあいと賑やかに過ごしていた。
「いやはやしてやられたなぁ岡崎! 流石のお前さんといえども多数に無勢、不意打ちには無傷では対応しきれんだか! ガッハッハ!」
「アーアーアー、うるせぇなぁもう。病院だっつってんだろうが。また俺の担当の看護師が投げ縄振り回しに来ちまうだろうが。おっさんの笑い声デカすぎて腹の傷まで響くんだよ。響きすぎて傷開きそうなんだよ。黙っててくんないちょっと黙っててくんない。っていうか帰ってくんない」
「ひっどーい。あたしたちわざわざお見舞いにきてあげたのにー。もぐもぐ」
「それ俺が買ってきてって頼んだ店のみたらし団子だよね。なんで食ってんの。何で頬張っちゃってんの」
「めちゃおいしいっす!」
「感想なんか聞いてねぇよ! 耳ついてんのかお前は!」
「えぇ~いいじゃないですか~。こんなにいっぱいあるんだから~。つか岡崎サンひとりでこんなに食べるつもりだったんですか? 腹壊しますよ」
「全部喰おうとしてるお前に腹の心配なんざされたかねぇんだよ」
「うむ! 誠に美味!」
「んでオッサンまで食ってんだよ! ほんと何しにきたのお前ら!」
「で、体の調子はどうなのよ。その様子だと元気有り余ってるって感じだけど?」
なんか、入りづらいな……。後にしようかな……と自分の病室まで踵を返そうとしたとき、聞いたことのある声が聞こえた。立ち止まる。
もう一度だけ、岡崎さんの病室を扉の隙間から覗いてみる。岡崎さんのベッドの足元らへんに長い足を組んで座る、シラユキさんが居た。以前一緒にご飯を食べたとき以来お会いする機会が無かったが、その綺麗さとお洒落さは一切曇ることなく輝いていた。
「もう体はほとんど動くし、骨もくっついてる。食らった弾も全部摘出して何の問題もねえよ。だからいい加減退院させろや飲兵衛女」
「駄目よ。きちんと完治させてからじゃないと手続きは取らないわ。まともに動けない鉄砲玉はただの鉛玉でしかないんだから」
「とか言ってぇ、シラユキさんほんとは無茶苦茶心配してるんでしょー。岡崎さんがひとりで突っ込んでいったって知らせ聞いたとき珍しくめちゃ焦ってましたもんねー」
「なっちがっ、あれは、あたしの読みが外れたからであって……!」
「そう照れることはなかろう。共に生き、苦楽を共にする大事なパートナーが九死に一生を得たのだ。もっと喜ばんか、シラユキ。お前達はもう殆ど夫婦の様なものではないか」
「ハァ!? ちっちがうわよ! 誰がこんな教養もデリカシーも無い男!」
「オイオイ勘弁してくれよオッサン。俺ァこんな見てくれだけの中身は飲んだくれオヤジな暴力女嫁にする趣味もボランティア精神も持ち合わせちゃいねぶごぉ!」
「あーら岡崎、大変大変! 傷が開いちゃったじゃないの。血がいっぱい出てきたわ。ナースコールナースコール。ケツの穴から輸血してもらいましょう」
「なんか最近ギスギスしてたみたいですけど、いつも通りの2人に戻ったって感じですね」
「そうだな。二人とも生き生きとしたいい表情をしている」
「ねー。あたしちょっとトイレ行ってきまーす。……あり? ノブになんかかかってら。……フルーツの詰め合わせ?」
果物の入ったバスケットを岡崎さんの病室の扉のノブの部分にひっかけて、私は自分の病室までとぼとぼと俯きがちに歩いて戻る。
風船の空気が抜けたみたいに萎れていく心が寒々しい。 私と岡崎さんの根本的な違いをまざまざと見せつけられた気がした。
今はもう違うが、一時期岡崎さんに対して、息の詰まる、どうにもならない環境に身置いていた同志と仲間意識の情を抱き、辛いのは寂しいのは私だけじゃないと、エゴを孕んだ身勝手なものを心の内に抱えていた。でもそれは結局独り善がりだっだととっくに気づかされた筈なのに。
今更その決定打の様な光景を見て打ち砕かれるなんて、思いもしなかった。なのにまだ性懲りもなく、心の中で自分勝手な私が岡崎さんに対して「裏切らないで」なんて、みっともなく呪詛の様に呟き続ける。私を一人残してそんなに明るいところへ行かないでと心の中の私が叫び続けてる。自分の馬鹿さ加減に反吐がでた。どうせどうせ、私なんか私なんかと、自分を罵るこの行為もまた自分の存在価値を更に下げていると気づいていながら、それでも自分を罵ることをやめられない。
どうしようもない程の疎外感によって生まれた黒いもやもやが、私の中に渦巻いて醜く浸食していくのが気持ち悪くて、惨めで悲しくて仕方がなかった。
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