運命のひと。ー暗転ー

破落戸

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オルゴールは囁く

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 京都の名所を巡って歩き続けた私と友人は、少し休憩しようかと喫茶店を探していると、お洒落な洋風の外装をしたオルゴール館を道の途中で見つけた。洋館は二階建てで、一階の奥には喫茶店になっていると看板にもあったので、雰囲気もいいしここに入ろうかということになった。

 京都という和の街に、この洋館が不思議と溶け込んでいるのはどことなくレトロな古めかしさが感じられるからだろう。入り口から見えたお庭には赤い薔薇が咲き誇り、とても綺麗だった。お庭と形容するよりも、ガーデンといったほうがしっくりくるものがある。そちらは誰でも自由に見て回ることが出来る様に解放しているらしいので、後で少し覗いてみようかなと思った。

 扉を開くとチリンチリンと来客を知らせる鈴が鳴る。中の構造はお店というよりはお家といった感じだ。入ってすぐ右手には二階へと繋がる階段があり、こちらはオルゴール博物館となっているらしい。反対側は細い廊下が続いていた。その奥からカフェで聞く様な落ち着いた雰囲気の音楽が聞こえてくるので、廊下を進んだ向こうが喫茶店の様だ。友人も初めてここに入ったらしく、こんな風になってるんだとしげしげと眺めている。


「なんか異人館みたいだよね」


 神戸の、と友人が付け足して言った。確かにと私も頷く。彼女が先に細い廊下を進んでいくのについていこうと思ったが、二階へ続く階段が気になり上を見上げる。


「志紀、席空いてるって」

 呼ばれたので返事をする。二階から視線をはずして細い廊下を進んでいった。

 ノスタルジックな雰囲気の喫茶店は混雑していない。お客さんもそれぞれ本を読んだり、紅茶や珈琲を飲んでほっと息をついたり、お庭の風景を眺めたりと各々の時間をゆるりと過ごす楽しみ方をしているひとが多い。

 友人もその落ち着きのある雰囲気に呑まれたのか、紅茶を飲み終えたあと、うとうとと微睡み始めた。歩き疲れているだろうからそっとしといてあげようと、私は喫茶店の中にあるオルゴールショップのオルゴールを見てまわる。様々なデザインのオルゴールの販売をしており、可愛いから綺麗まであって見ているだけでもとても楽しい。一個ぐらい記念に買っちゃおうかなとのんびり眺めていると、店員のお姉さんのお気遣いでオルゴールの音色を流してみたりしてくれた。


「もしお時間がよろしければなんですけど、二階はオルゴールの博物館となっておりますのでご覧になってはいかがでしょう? アンティークものを中心に展示されていますので、もしそういった類のものがお好きでしたらお気に召して頂けるかと」


 確かにせっかくだし見ていこうかなと思った私は、もはや半分夢の世界に飛び立っている友人の肩を軽くとんとんと指で叩き、二階見に行ってくるねと声をかける。友人は「いってらっしゃ~い」と寝起きの声でとうとうテーブルに突っ伏してしまった。限界を迎えた様だ……。

 入り口にある二階への階段へ向かうため廊下を歩いていると、先に二階の見学を終えた女性の三人組が階段を降りてくるところだった。なにやら頬を染め、色めき立った声をあげている。


「まじイケメンだった! あのひと元モデルとかかな~」

「役者さんかもよ! ちょっと変わってたし。でもかっこよかったよね。スタイル良すぎて足長っ! ってなったわ」

「またここ来ようよ。もっかいあのお兄さんに会いたい~!」

 
 キャアキャアと興奮気味に頬を染めて満足げにオルゴール館を出て行く女性たちを見送ってから再び二階を見上げる。上に案内役のひとでも居るのだろうか。自由に見て回る美術館形式だと思っていたが違うのかな。
 
 古くからある建物だからか、微かに軋む音を立てる階段を上がる。二階の扉の前にはオルゴール・ミュージアムと英字で書かれた看板がある。静かに扉を開け、そろりと中にお邪魔してから目に入ったものに感嘆する。

 ありとあらゆるオルゴールがたくさん展示されている。私がよく知る箱のタイプのオルゴールだったり、中世のヨーロッパにありそうなアンティーク人形、オートマタ、ピアノ、懐中時計に柱時計に、それは今までのオルゴールとはこういったものという概念を覆すものまである。 ピアノ型のオルゴールから音色が流れて独特な雰囲気を醸し出している。女の子が好むであろうものが集約された、古風でお洒落で不思議な空間だった。

 先ほどの女性客が最後だったらしく、私以外に誰も人はいない。入館料など、受付も時間指定も無い様なので、ゆっくりとひとり二階を見て回る。いいなぁ、私もこんな感じのお部屋にしてみたいけどここまでの雰囲気づくりは難しいだろうな。

 どれくらい時間が経ったのか、一通りのオルゴールを見終わった。そろそろ下に戻ろうとしたそのとき、館内の隅できらりと光っているものに気づく。そういえばあの隅の辺りはまだ見てなかったなと近づく。

 他のオルゴールとは違いひとつだけ、透明なボックスの中に保存された、宝石箱の形をしたオルゴールがあった。先程光ったのはこのオルゴールだろう。色とりどりの宝石が飾りとして散りばめられていて、これぞまさに宝石箱というに相応しい様をしていた。恐らく本物の宝石であることは間違いないだろう。他のオルゴールも歴史があるアンティークもので高価ではあるだろうが、この宝石箱だけが厳重にガラスのなかで保存されていることからも、このオルゴールがとびきりの品であることかわかる。

 ガラスのなかで光り輝くオルゴールをじっと見つめる。帰ろうとした私を、このオルゴールが引き止めたみたいだだなんて、いやに夢見がちなことを考えてしまった。この独特な館内の空気に私も呑まれてしまったのかもしれない。きっとこのノスタルジックな古めかしさのせいだ。だってそうでもなければ、 初めて見たはずのオルゴールを見て、懐かしいだなんて思うはずがない。なんだか気になって仕方がないこのオルゴールについて知りたいと、解説を探して周りを見渡すが見当たらない。


「それはねぇ、運命のひとに出逢わせてくれるオルゴールだと言われているんだよ」


 レプリカだけどね、と後ろから両肩に手を置かれる。突然耳元に囁いてきた男性の声に私は情けない声をあげた。

 後ろを勢いよく振り向く。そこには黒と赤の濃いアイシャドウで目力の強い、赤いネクタイに黒の燕尾服を着た男性が、たくさんの赤薔薇で飾られたシルクハットをかぶって、ニコニコと白い歯を見せて私の目の前に立っていた。








 けほっ、と喉につっかえる様な違和感がして二、三度咳き込む。足元でシロちゃんがにゃーんと鳴いたので大丈夫大丈夫と声をかける。最近たまにこうして不意に咳き込むことがある。風邪かなぁ、と思いつつも、特に特有のだるさなどは感じられない。しばらくすると咳はすぐ治まった。

 ミルクが沸騰する前に火を止めてる。はちみつの入ったマグに温めたミルクを注ぎ、何度かかき混ぜてほんの少し砂糖を加えたらば、おばあちゃん直伝かんたんはちみつミルクの完成だ。

 湯気のでているはちみつミルクの入ったマグを2つ手にして、太刀川さんの待つお座敷へシロちゃんと向かう。私の前をシロちゃんがとてとて歩くたびに、首輪の鈴がちりんちりんと鳴る。両手が塞がって障子を開けられないため、一旦座ってマグを床に置いてから開けようと屈もうとしたら障子が開いた。


「あっ、ありがとうございます」

「アァ」


 向こう側から障子を開けてくれた太刀川さんは、私からマグをひとつ受け取り縁側へと戻っていく。シロちゃんも太刀川さんの後ろをついて、縁側に座った彼の膝に前足を乗せて餌を強請っていた。その様子を後ろから黙って見守っていると、シロちゃんを膝に乗せた太刀川さんがこちらを振り向かず私の名前を呼んだので慌てて太刀川さんの隣に座る。

 毎晩多量のお酒を摂取していた太刀川さんが、近頃お酒を適量に控え始めた。しかし、あれだけの量のお酒を常日頃からがぶがぶ飲んでいた方がいきなりズガンと量を減らすというのは、やはりお酒好きとしても睡眠のためにも中々厳しいらしく、こうして飲み足りない分をはちみつミルクで彼は補う様にしていた。寝る前に、私が二人分の暖かくて甘いはちみつミルクを作って二人で縁側に座って一緒に飲むことがいつの間にか日課となっていた。


「……で、何だそりゃあ」

「め●リズムです! ホットアイマスクなんですけどね、すごいんですよ。目が疲れたなってときにこれを付けて横になったら気持ち良くって、いつの間にか寝ちゃうんです」


 じゃーん! と太刀川さんの前にめ●リズムのパッケージを翳して見せる。最近の私は太刀川さんが安眠出来る環境づくりに取り組んでいる。本当にいつどの位寝てるんだこのひと、と未だにわからないレベルの不眠症の太刀川さんを何がなんでも少しでも安眠させてやろうという、半ば意地から色々な方法を試している。

 食事面については、「朝はちゃんと食べましょう! 半分でも、せめて三分の一でもいいですから!」とびくびく怯えながら進言させていただいたその次の朝から行動に移してくれたらしく、お昼にやってくる喜助さんにお返しする重箱の中身の半分は太刀川さんのおなかの中に収まっていた。 や、やればできる子だ……。 喜助さんもえ? マジで? と、とても驚いていた。徐々に太刀川さんの食べる量も増えてきて、食事面は少しずつ改善に向かっているのだが、睡眠に関しては難しい。

 太刀川さんも特に嫌がったり、鬱陶しがる様子は無く、むしろどこか楽しげに私の取り組みに付き合ってくれていた。おそらく子供のままごとの相手してやってるみたいな感じなんだろう。本当はお医者様に診てもらった方がいいとは思うのだが、それは頑なに太刀川さんが拒むので致し方なし。


「無香料のものから、柑橘とかラベンダーとか香りのついたものもありますよ。試してみませんか?」

「いい。目が何かに覆われてる感覚が余計になる。逆に気が張って仕方無くなるだろうよ」

「そうですか……。そうですね……」


 このひとの生業を考えると確かにそうだ。より緊張感を高めさせてどうするんだ。め●リズムを腕の中に戻してがくりと頭を下げる。でもアイマスクしてる太刀川さんちょっと見てみたかった……。シュール……という隠れた下心がしょげかえった。


「それはいらねぇが」


 さすり、と着物の上から太股を大きな手で触られる。せ、せくはら……!? と驚き硬直するも、その触れ方に厭らしさは感じられなかった。


「あっ……あの、太刀川さん?」

「膝貸せ」


 にゃーん、と目を丸くしている私の代わりにシロちゃんが返事をした。








 真っ赤に染まった熱い頬を、下からのびてきた冷たい手に撫でられる。ひんやりとしたその体温は、火照った頬の熱を冷ますには丁度良かった。どこに視線を置いていいのかわからず、とりあえず下を見ないようにあちこちキョロキョロと視線をさまよわせる。逃げようにも太刀川さんの頭が膝にあるせいで逃げられない。現状が恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。も、もっと恥ずかしいこしてるのに……なんだかなぁ……。生まれてこの方、男性に膝枕など、したことがない。

 
「弾力が足りねぇ。寝心地がいいとは言えねぇな」

「うぐ」

「人のことをとやかく言う前に肉付きをよくしろよ。あんだけ食って、どこに肉付けてんだ」

「う、うう……」


 食べたものは全ておなか周りと顔に集中するタイプなんです、まんまるのぷにぷにに太るタイプなんです、とは反論出来ず、ただただ太刀川さんからの口撃をぐさぐさと受けるしかない。だったらお布団で寝たらいいのに……。私だって胸とか、胸とか、胸とかにもっと脂肪を蓄えたいけれども、そう簡単にこの身体は言うことをきいてくれない。不●子ちゃんみたいになりたい! とかそんな大きいことは言わないからせめて人並みのサイズぐらいには育ってほしい。

 枝毛、切れ毛一本もないサラサラとした黒髪が太刀川さんの青い目の上にかかっている。それを払ってあげると、その手を掴まれて、ちゅ、とわざとらしく音を立てて口付けされる。流し目でこちらを見つめてくるその視線がとても熱くて居たたまれない。なんでこのひとはこんなこっ恥ずかしいことがさらりと出来るのだろう。あ、そうか。だからモテるのか。そうかそうか。

 サラサラの髪をとかす様に一定のリズムで太刀川さんの頭を撫でる。小さい頃、嫌なことがあってわんわん泣いたとき、おばあちゃんが膝枕をしてこんな風に撫でてくれていた。暖かい手に心が落ち着いて、気持ち良くって、うとうとしておばあちゃんの膝で眠り、目が覚めたらスッキリすることがたくさんあった。

 昔の楽しい思い出も苦い思い出を懐古しながら、ぼんやりと太刀川さんの頭を撫で続けているとシロちゃんのにゃーんという鳴き声にハッとする。な、なにやってんだ私! 無礼極まりないことを! 太刀川さんをまるでこどもみたいによしよしと無意識に撫で続けていたことにサーっと顔を青くする。慌てて手を離し謝ろうと声を出そうとしたが、ぐっと飲み込む。


「え、た、太刀川……さん?」

「……」

「……ね、ねて……る……?」


 返事がない。ただの屍の様だ。……って違う! あ、あれ!? 寝た!? 寝ちゃった!? す、すごい! 頭の中のおばあちゃんが物凄くドヤ顔してる! 

 初めて見る寝顔にびっくりして、思わずまじまじと凝視してしまう。予想よりも穏やかな表情かおで寝ている。ほんの少しだけ口を開けて、すぅすぅと本当に微かな寝息が聞こえ、リラックスした様子だ。……綺麗な寝顔だなぁ。なんでこんなに綺麗なんだと、 なんとなくムッとしてぷに、と太刀川さんの頬をつついてみる。う、うわ。モチ肌だ……。いいなぁずるいなぁ。以前寝ている間に香澄ちゃんに撮られてしまった、よだれを垂らした呑気な自分の寝顔を見たとき「ぶっ、ぶさいく……」と感想を呟いて、香澄ちゃんに「全くだわ」と頷かれ涙がちょちょ切れたのを思い出した。

 そっと太刀川さんの手に触れてみる。冷え性なのか、いつも太刀川さんの手は氷みたいに冷たい。少しでも暖かくなればと片手で大きな手を握る。もう片方の手は太刀川さんの髪を撫でとかし続けた。

 絆されているのかもしれない。以前はただこのひとを怖いとしか思えなかったのに。

 というか、私はこのままの状態でどうすればいいのだろう。お、起こすのもなんだかなぁ。とにかく、このままじゃ風邪を引いてしまう。着物の上に着ていた羽織を脱いで太刀川さんの上にかける。なかなか寒暖力のある羽織なので掛け布団代わりにはなるだろう。

 今日は徹夜かな……。再び、穏やかに眠り続ける太刀川さんをぼおっと観察する。前から思ってたけど……このひとも睫毛えらい長いな! 抜けた睫毛何回か目の中に入ってそうだ。

 太刀川さんの寝顔を見ていてふっと思い出す。……岡崎さん、どうしてるんだろう。今まで週に何度か私のところにご飯を食べに来たりしていたが、何の知らせもなしにその家主が長い間家を留守にしているのだ。電話の一本ぐらい来るかなと思っていたが、岡崎さんからの連絡が来ることは一切なかった。

 この、もやもやした気持ちは何なんだ。連絡が無いからってなんだ。そもそも私達は別に頻繁に連絡を取り合う様な仲でもなかったし、岡崎さんだって何の予告もなしにお家に来ることだって多かった。 それでも、週に二度の目安で来ていたひとだ。留守にするなら先に言っておけと文句の電話の一つかけてくると思っていたが……。……お仕事が忙しいのだろうか。それとも……。シラユキさんと岡崎さんが一緒に並んでいるところが頭に浮かび、きゅ、と唇をかんだ。真っ黒な、ドロドロした訳の分からない気持ちが渦巻く。……気持ち悪い。どうしてこんな気持ちになるんだろうと、考えても考えても、答えは見つからなかった。








 あと三日で、期限の1ヶ月が終わろうとしている。この離れでの生活も、とりあえずは一旦の終止符を打つことになる。

 喜助さんの話によると、最近天龍組と嶺上リャンシャン会が結託し、互いの組の精鋭を出して、一ヶ月前の主犯と思われる人物らとドンパチしたらしい。太刀川さんからは一切その様なことは聞かされていなかった。何かあった素振りも微塵も見せなかった為に、私の知らないところでそんな物騒なことが起きていたなんてと驚きを隠せなかった。

 やられっぱなしはヤクザの名折れですからね、と至極当然に告げる喜助さんに少しぞっとする。やられたらやり返す、倍返しだとでも言いたいのか。いや、実際そうなのだろう。こちらの領域に手を出すなら、やり返されるそれなりの覚悟を持てということなのだろう。私は、やられっぱなしで生きてきた人生だ。やり返すなんて、仕返しが怖くて考えもしなかった。私一人が我慢すれば全て丸く収まる、とまでは言わないが、最小限で留まることを重要視してきた臆病な平和主義者なだけに、ヤクザかれらの考え方は私には未だ受け入れがたいものがあった。

 軽い咳を繰り返しながら、離れの中を掃除する。ほんとに最近調子悪いな……。おかしいなぁ、風邪って感じの咳でもないし、熱も無いんだけど、たまにこうしてただただ咳が止まらなくなる。

 掃除機もかけ終わり、マスクを外す。次はお庭の掃除しようかなと考えていると、ちりんちりんと鈴を鳴らしてシロちゃんがこちらにてとてとと効果音がつきそうな歩き方で寄ってきてにゃーんと鳴いた。どうしたの? と声をかけるとシロちゃんは少し離れた距離まで走って、尻尾を揺らして止まり、こちらを振り向いてついてこいと言いたいのか再びにゃん、と鳴いた。疑問符を浮かべながら素直にシロちゃんの後ろをついていく。色んなお部屋を通り過ぎ、シロちゃんが障子をすり抜けて入っていったのは太刀川さんと私が一緒に過ごしているいつものお座敷だった。シロちゃん? と呼びかけ、後に続いて中に入るとシロちゃんはお座敷の隅にある、華の模様が描かれた黒と金の漆塗りの高級そうな箪笥をぺしぺしと叩いたり鼻でつついたりして引き出しを器用に開けようとしていた。


「あ、だ、だめだよー。勝手に触っちゃ」


 慌ててシロちゃんのちいちゃい身体を抱き上げ静止する。めっとつんと鼻をつつくとシロちゃんは不満げににゃんと鳴いた。

 シロちゃんを下ろして、シロちゃんが引き出した部分を閉じようとすると、中からごとんと嫌な音がした。……え、ま、まさか……こ、ここここ壊れた!? う、うそ! “弁償”というワードが頭の中を急速によぎる。

 ヤバイヤバイヤバイと引き出しをそっと開けて確認すると、あれ? と思った。底がずれている。しかし、底の下にはスペースがあって二重底になっているのがわかった。動かした拍子にずれちゃったのかなぁとぴったりハマる様直そうとしたら、隠されたスペースにきらきらと光るものがあることに気づいた。それが奥でつっかえているのか上手くはまってくれない。一度取り出そうとごそごそと手を突っ込み、ゆっくりと取り出す。そして手の中に収まるずっしりとした重量感のあるものに、思わず目を見開いた。
 
 どうしてこれがここに? としばらく手の中のものを信じられない気持ちで見つめる。ドクドクと逸り出す心臓を無視して、かちりかちりと仕掛けを解いていくと、どこか懐かしい、どこかで聞いたことのある気がするメロディーの優しく静かな音色が流れ始めた。


『運命のひとに出逢わせてくれるオルゴールだと言われているんだよ』


 あのオルゴール館の支配人と名乗る男性の言葉が蘇ると共に、流れ続けるオルゴールの音色が私の頭の中に私の知らない光景を一気に映し出した。

 淡いオレンジ色のキャンドルライト。踊り出す優美なドレスを着た人形と様々な動物のぬいぐるみ達。薔薇のお庭に、犬の鳴き声。そして大人の男のひとが、うさぎのぬいぐるみを抱える小さい頃の私に手を伸ばしている。

 あなたは誰? 知りたい。知りたくない、知りたくない! 

 ごとん、と手にしていたオルゴールを大きな音を立てて床に落としてしまう。衝撃のせいで音色が止まったのと同時に、私を襲った幻想的とも言える風景は霧が晴れるように頭の中から一気に消え去った。ドクドクと未だに止まることなく逸り続ける心臓に息を荒くする。いやな汗が一気に吹き出して、寒気もした。


「……なに? ……いまの」


 目の前に転がる美しい宝石箱、いや、オルゴールを見つめる。どうしてこれがこの離れにあるのか、どうして私はこのオルゴールを鳴らす為の仕掛けを知っているのか、今頭をよぎった鮮明なイメージは何だったのか、考えれば考える程疑問が溢れてくる。

 呼吸と心臓がやっと落ち着き、緊張しながらも再びオルゴールに手を伸ばそうとしたとき、玄関から呼び鈴が鳴る。大袈裟な程にびくりと体が跳ねる。慌ててオルゴールを元の引き出しの中に戻し、玄関へと走って向かった。


「あぁお嬢さん! お昼をお持ちしやしたよ、……お嬢さん? どうしやした。顔が真っ青ですよ」

「なっ、なんでもないです。ちょっと昼寝してて、変な夢見ちゃって、っけほ」

「……風邪ですか? 大丈夫っすか? 念のため、医者に診てもらっといた方が」

「っだ、大丈夫です、ごめんなさい。あ、あれです。気管に唾が入っちゃって……っ」


 止められない咳に口を手で覆う。三、四度咳を繰り返すと落ち着いたので、ゆっくりと深呼吸する。訝しげな顔をする喜助さんにへらりと笑って見せて、お昼ご飯を受け取った。








 その日の夕方、縁側でシロちゃんと戯れつつもあの箪笥の中に潜んでいるオルゴールが気になって仕方がなかった。

 オルゴール館の支配人の男性は、あの宝石箱のオルゴールは手作りのもので世界にひとつしかないといっていた。博物館に飾られていたのは形だけを模したレプリカで、音は流れないのだとか。ということはつまり、あのオルゴールはレプリカではない。世界にたったひとつしかないオルゴールだということになる。

 引き寄せられる何かを感じてならない。まるで磁石みたいだ。あのオルゴールのメロディーが頭の中で繰り返し流れ続けて止まらない。おかしな話だ。初めて聞いた曲のはずなのに鮮明に頭の中で再生される。

 もういちどあのオルゴールを見てみようかと思うけれど、やめておけと頭を振る。私のものではないし、わざわざ二重底で隠されていたものだ。そっとしておいた方がいい。恐らく、この離れにあるということは太刀川さんが所有しているものなのだろう。そうはっきりと確信できたのは何故なのかわからない。でもそうに違いないと、謎の自信があった。

 シロちゃんの前に猫じゃらしを振ることに専念しながら、社会復帰してからのことを考えることにした。とりあえずお家に戻ったら埃とか溜まってきてるだろうから掃除して、旅館に連絡して、あ、そうだ、香澄ちゃんにもあと三日で戻るってこと言っとかなきゃ。けほ、と咳をしながらスマホを取り出し、香澄ちゃん宛てにメッセージを送る。

 結局、岡崎さんから一度も連絡来なかったな。なぜか、沈み込む気持ちにぶんぶんと頭を振る。なんで落ち込むんだ。おかしいだろ志紀。別にいいじゃないか、岡崎さんだって岡崎さんの生活があるんだ。相手は大人なんだから忙しいんだ。こんな、子供にいつもいつも構っていられる筈、ないんだから。

 にゃーんと膝の上に前足を乗せ、私を見上げて鳴くシロちゃんに寂しい気持ちになる。喉をよしよしとなでてあげるとゴロゴロと甘える音がした。


「シロちゃんともしばらくお別れだね」


 私の言っていることを理解しているのかいないのか、にゃんと返事をするシロちゃんに思わず笑みを浮かべる。シロちゃんの来訪がわかりやすい様にと鈴のついた首輪をつけさせてもらってはいるが、飼っているわけではない。シロちゃんはどこからともなく現れ、そしてどこぞへと去っていく。同じところに留まろうとはしない、自由を愛する逞しい猫ちゃんだ。今後も色んなところを冒険して、お腹が空いたら太刀川さんのところへ餌を強請りにくることだろう。

 こうして縁側でシロちゃんとゆるりと戯れるこの生活も終わり。兎にも角にも、太刀川さんとの生活は存外息苦しいものではなかった。信じられないけれど、心地いいと思う瞬間すらあった。それでも緊張する場面の方がひたすらに多かったけれど。毎晩ふたりではちみつミルクを飲む時間も、窒息させられそうになる濃密なあの時間も、ふたり一緒のお布団で眠ることももうすぐ終わる。寂しいようなほっとするような、複雑な気持ちになった。膝の上に乗ってきたシロちゃんの背中を撫で、夕暮れの紅に染まるお庭を眺めぼんやりと考える。


「……ねぇシロちゃん、なんで太刀川さんは私なんかにちゅーするのかな」


 他にスタイルのいい、それこそ柔らかい膝枕の出来る囲いの女性がたくさん居るだろうに、とシロちゃんに尋ねる。シロちゃんはただにゃあにゃあと鳴くばかりだ。


「してぇからだろ」


 返事など返ってくる筈もないと再びお庭に目を向けぼんやりと眺めていたら、横から聞こえてきた低い声に体がびくついた。


「……え、え? た、太刀川さん?」

「志紀」


 私の名前を呼んで、どこか急ぎ足でこちらに近付いてくる太刀川さんの表情には微かな焦りが見える。そして、私の前に屈んで頬にその冷たい手を当ててくる。甘ったるい気配はなく、なにかを確認する仕草だった。あ、あれ? まだ夕方だ。お仕事の最中なのでは? 離れに帰ってくるには早すぎる時間帯だ。


「身体の調子は」

「え?」

「妙な咳をしてると喜助から聞いた。いつからだ。どこが悪い。隠さずに言え」


 眉間に皺を寄せて私の顔を覗き込む太刀川さんは、やはり少し焦りの色を滲ませている。私を追い詰める様に体の具合を尋ねてくる太刀川さんに私も戸惑いを隠せない。いつも余裕綽々な太刀川さんが、動揺している。


「い、いや、あの。別に風邪とかじゃ」


 太刀川さんの後ろからはお付きで来たのだろう、離れで見るのは珍しい西園寺さんが神妙な面立ちでこちらへ近付いてきていた。な、なんだ。どうしたっていうんだ。

 お仕事はどうされたんですか、と目の前の太刀川さんに尋ねようとしたその瞬間、息ができなくなった。息苦しさから咳が止まらなくなり、上手く呼吸が出来ない。今までとは桁違いのひどさだ。苦しい。な、なんでこんな突然。苦しさから涙が滲む。声も出せない。息をしようとするたびにヒューヒューと妙な音がする。


「志紀」


 太刀川さんは咳き込む私の背中を何度もさすり、西園寺さんの名前を呼んだ。

 
「西園寺、車を出せ。医者にも連絡しろ。病院に連れてく」

「わかりました」


 西園寺さんが踵を返して車を用意するため先に走り去っていく。太刀川さんは自分の羽織を脱いで、その羽織で私を包みこんだ。ふっと身体が浮くのを感じて暖かい腕に包まれる。移動中でも背中をさすりやすいように抱き上げてくれたのは太刀川さんで、止まらない咳で息を荒くしながら、ぐったりと太刀川さんの肩にもたれかかる。

 太刀川さんにだっこされて揺られながらも、このひとから香る煙草の匂いにほっとした。また心配かけさせちゃったな、なんて。私はいつのことを考えてそう思ったんだろう。
 
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